日本海軍の戦艦「日向」がアメリカ軍の空襲を受けて、呉市の沖合で大破してから24日で72年となり、生き残った元乗組員が呉市を訪れ犠牲者を追悼しました。
72年前の7月24日、戦艦「日向」は呉空襲と呼ばれるアメリカ軍の爆撃を受けて大破し、およそ1000人いた乗組員のうち200人が犠牲となったほか、600人がけがを
しました。
24日は、日向の乗組員だった宮崎市の原田定典さん(91)が犠牲者を追悼しようと、孫の晋介さんとともに呉市の沖合に船で向かいました。
原田さんは当時、日向で補給や経理を担当し、空襲の際は艦橋の真下にいて一時気を失ったといいます。
その後、沖合の情島まで泳いで渡り一命を取り留めましたが、爆風で吹き飛ばされた時に左耳にけがをし、聴力を失ったということです。
原田さんは、当時日向がいた海上に到着すると花束を海に投げ、乗組員と一緒によく歌っていた曲をギターで演奏しました。
そして、日向の慰霊碑のある情島に上陸し、手をあわせて犠牲者を悼んでいました。
原田さんは「当時のことを思い出すと今も夜も眠れません。90歳を過ぎ、年齢的に限界が来たので、亡き友の供養になればと思って来ました。やっと追悼ができて肩の荷が降り
た気がします」と話していました。
大正7年に就航した日向は全長200メートルあまりで、昭和18年に空母機能を備えるため後方に飛行甲板が設けられ、航空戦艦と呼ばれました。
しかし、昭和20年には燃料不足などのため、海上に浮かぶ砲台として呉港の沖合に固定されていましたが、アメリカ軍の空襲を受け、その場で着底したということです。
http://www3.nhk.or.jp/hiroshima-news/20170724/5343681.html