予期せぬ妊娠や貧困など、諸般の事情で育てられない子どもの命を救おうと、2007年5月、熊本市の慈恵病院に「こうのとりのゆりかご」(通称「赤ちゃんポスト」)が開設された。
匿名で子どもを受け入れ、児童相談所を通じて、乳児院や児童養護施設や里親、養子縁組などにつなげる仕組みだ。この10年間での受け入れ数は130人。

慈恵病院の蓮田太二院長と共に、開設から妊娠相談、その後の特別養子縁組につなげるまで尽力した、慈恵病院元看護部長、現・スタディライフ熊本特別顧問の田尻由貴子さんに話を聞いた。(ルポライター・樋田敦子)
●「予期せぬ妊娠をしたら、まず相談して欲しい」

ーー在籍当時、田尻さんは他2名の相談員の方と、24時間態勢で電話相談に当たり、入浴中も携帯電話を脱衣かごに入れて待機していたそうですね。病院に寄せられる妊娠相談件数は、
10年前はわずか501件だったのに、今では6565件(2016年)に上ります。この相談件数の増加は、どのように思いますか。

「『慈恵病院に来たら助かるんだ』という考えが広がり、一定の役割を果たせるようになったのではないでしょうか。

孤立している母親は行政にも民間の相談にも行きません。友人知人にも言えないでいます。誰かに相談できなかった人たちが、ゆりかごを利用しているということが分かっています。

必ずしも祝福されて生まれてくる子どもばかりではないのです。相談してくれたら、いろいろな選択肢があることをわかってほしいです。予期せぬ妊娠をしたら、まず相談して欲しいと思っています」

ーー電話相談を続けて行く中で、田尻さんの考えに変化はありましたか

「予期せぬ妊娠する人に罪はないと思うようになりました。人それぞれに背景がある。そうせざるをえなかった背景があるのです。多くは母親自身の育ち方に問題がありました。

ある風俗の仕事をしていた女性が、出産予定日直前に関東から熊本にやって来ました。親にも友人にも相談できず、思い余って慈恵病院で出産したのです。子どもの出生届を出す段階で住民票がありませんでした。

経緯を聞いていくと、母親は家出し、その親が勝手に手続きをしていたようで住民票や保険証などの登録がないことが判明しました。母親は実母が亡くなり、義父との関係もすでに切れていました。

それを聞いて、子どもを育てられないのは、彼女の責任だけではない、と思いました。育てられない事情があったのです。彼女の子どもは、
特別養子縁組で里親に引き取られていきました。彼女は生活保護を受け、職を得て生活を建て直しましたが、結局は続きませんでした。風俗に戻り、今では連絡は付かなくなってしまいました。

私はゆりかごのない社会になることが理想だとは思いますが、そこには厚い壁があるのです」

次回は、10年後だから出て来た、子どもたちの出自を知る権利について言及したいと思う。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170709-00006332-bengocom-soci