モンゴル「友達になろうよ」 使者の首をはねる北条時宗 [無断転載禁止]©2ch.net
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東西の歴史はシンクロしてるはずだからブリテン島がヴァイキングの侵略を受けたように本来日本も蒙古に蹂躙されてなければならない
神風などと喜んでるがあれのせいで大日本帝国になれなかったと考えると先の大戦の神風特攻隊といいとんでもなく迷惑な話だよw >>4
斥候が掃いて捨ててもどうでも良い奴隷朝鮮兵ばかりだったってのも助かったのかもな 元寇がなかったら、和寇もなかった
当時からベトナムさんは抗戦撃退するのが巧い >>4
笑かすなww
まともに航海もできん土人が勝手に自滅しただけやんく
あのレベルなら普通にきても楽勝だったな 対蒙古政策を完全にやり遂げてからスッと死ぬ時宗
ぐうかっこいい でも防塁とか防人とかいたんでしょ
たった数回の台風であっさりひくもんかな >>16
主力部隊は南宗のガチ海軍やぞ
朝鮮水兵なんぞ金魚の糞で着いてきただけや 「属国になり貢物を毎年だせ」
が使者の持ってきたモノ 最後は包囲殲滅戦までやるんだから武士は根っからの戦闘民族だな もし日本が大陸と地続きだったら、バクダッドみたいに荒野にされてたな。 モンゴルを積極的に支援して味方に取り込むぐらいの戦略眼が欲しい モンゴル
1度目の攻撃で相手をビビらせ
2度目の攻撃で戦意喪失した相手を征服
日本
1度目の防戦で相手を研究
2度目の防戦で殲滅 翼「ボールは友達」 プシュー・・ ときむね「うけとれ、小僧!」 >>18
クビライ自信は第3次侵攻計画もやりたがってたが2度の大敗で資源が枯渇
そのままクビライ死去で衰退 >罪人として対馬に送られた鎌倉武士・朽井迅三郎が、蒙古軍と戦う
全滅ENDやないか!!!! >>22
それな
しかも女子供は慰安婦に差し出せっていう 3度目も計画してたが
被害甚大でそんな辺境の島になんかあるんか?
コストかかりすぎだよ
シベリアや東南アジアにしようぜ
兵站がラクだしヤメヤメ
が正解 使者「中国のコトワザに、刎頸の交わり、あります」
時宗「おk」 >>25
あの辺りで戦線が膠着すると
現代の朝鮮戦争でも兵站線確保すんのが辛かったからしゃーない >>18
実際は上陸したらフルボッコにされて船に引きこもってただけだからな
なお船に夜襲をかけられて夜も眠れなかった模様 >>38
じゃあ俺張耳やるからお前陳余ね
え?嫌?
じゃあ俺曹操やるからお前張バクね 水際作戦で鎌倉武士がモンゴルの想定よりはるかに強かったから
神風はトドメ 文面がどうだったかは知らんが、相手は当時の世界人口の一割を殺戮した連中だからな ニコニコに北条時宗の解説動画があったが
初心者向けで分かりやすかったな これが小日本属国への分岐だと考えると全然めでたい話ではない
あの時蒙古に蹂躙されていれば内向きの島国根性から脱却し英国とタメを張るような大帝国を築いてたかも知れんのだからな
大体が種子島に鉄砲が伝来して異国の船をほぼ模倣した慶長遣欧使節船までの件を考えたら英国とタメをはれてて当然なのに
その後さっさと国を閉ざして引きこもりやがったからな
この臆病で軟弱な遺伝子に活を入れる意味でも蒙古の蹂躙がこの国には必要だったんだよ >>54
それなら本能寺で信長が死ななければ良かっただけの話。
モンゴルの属国になった高麗の劣化を見ろ。 >>54
おまえの祖国なんか蹂躙されまくった結果500年以上停滞しっぱなしやん モンゴルもそうだけどなんで中国大陸の国って歴史上ずっと日本を下に見てるんだろうか
皇帝に貢ぎ物のもってこい的な偉そうな態度はずっと変わらない
対等に考えたことなんて一度もないんだろうな 使者の癖に港に立ち寄って船隻数えてたからだよ
つまりただのスパイ レッドクリフでも首はねてたな 英語でdont shoot messangerって言葉ある 俺は伝えただけだよ 俺を責めるなって 使者って命がけなんだな
命令されたら断われないだろうしまじで可哀想 >>45
本来は上陸して陣地構築というセオリー通りに行きたかったらしいが、外をバーサーカーがウロついてるんじゃ陸は危険だよな。 意外なことにケロロ軍曹に出てくるモアは擬人化されたフビライなんだよな 樋口一葉と野口英世はクビにして北条時宗と豊臣秀吉を入れるべきだよ >>45
侍どもは火薬にビビって逃げ回ってたって学校で習ったぞ
パヨク教師だったのかな? 2chは冗談とキチガイの区別がつきにくいから
大路を走る奴は全員キチガイで>>54ももちろんキチガイ >>67
自分の時はてつはうはただのコケオドシと習った(実際は陶器片や金属片を詰め込む事で殺傷力を強化してた)から逆に立派な教師だよ 流石に北条氏ヤバすぎだろって天皇に反乱起こされただろ。 モンゴルは友達になろうよ、という趣旨の手紙を送ってきたけど、そこには「兄と弟のように仲良くしよう」と書いてあったんだよ。
もちろんモンゴルが兄で日本が弟だ。
もし、この要求を飲まなければ武力で攻め込むぞって書いてあったんだよ。戦う以外ないだろ 当時のモンゴル帝国の勢いやバグダッドの戦い知った後だとよく日本生き残れたなって思う 相手が本気で大部隊連れてきたら終わりだったろうが鎌倉武士という盗賊達が居たから世界初のゲリラとして結構対抗出来たかもな
でも日本は何にも無いから占領しても旨味無いよって報告が既に上がってたみたいだからな
日本中で盗賊が戦争してて大地が枯れてたのが幸いしたのかね モンゴル帝国に日本侵略のためだけの組織部署わざわざ作ってたんだろ
ガチやん、滅ぼす気満々 赤マフラーとかダンカン爆死シーンとか、ドラマ終盤は完全に笑いとりに来てたからな >>28
城塞都市攻略と平地決戦に全振りしてたからしゃーない >>37
日本は黄金の国だとマルコ・ポーロに聞いたから2度も攻めこんだんだろ
3回目の侵攻計画があったのに流れたのは神風を恐れた証拠だ
2度の神風で日本は手が出せない恐ろしい国だと認識したが正解 「最近朝貢が無いようだが隣国同士仲良くしようではないか。後は察してくれ」 >>59
中華思想?
中華が中心で、中心から離れれば離れるほど下位、下等とみなす思想?があったはずよ
韓国が分かりやすく、韓国の方が日本より近いので上(兄)、日本は韓国より遠いので下(下)。
みたいに普通に考えてるよ >>67
その有名な絵の教科書に載らないカットされてる部分で モンゴル兵(宋兵や高句麗兵)が逃げ惑う姿が描かれている
てつはうの音に最初はびっくりしたが
大して被害が無いとわかると 元気に首を狩りに行ってる まあ、武士は普通に強いからな
モンゴルごときでは敵わないだろう
特に水陸両用強襲は歴史的にみても数えるほどしかないから
無理不可能な難易度 上から目線で「仲良くしようぜ」とか言ったんじゃないかな
そりゃ首は練られても文句言えないよ >>37
東南アジアといってもベトナムさんも強かったからなあ 文永の役前は、返書無用で使者を追い返しただけ
文永の役後は、使者を切り殺しました
1度目の使者は江ノ島付近の龍ノ口で切られ(近くの常立寺に元使塚という墓がある)、2度目の使者は博多の多々良浜で切られました 最終的に神風のおかげで退却していったのかもしれないが
そもそも元軍が昼の戦が終わると船に引き上げざるを得なかったのは
鎌倉武士たちがよく戦い昼のうちに陣地の構築をさせず夜は夜襲をかけ
陸地にとどまらせることをしなかったから
ガキの頃はジャパンディスカウントなアカ学者たちが鎌倉武士団を低く評価したために
負けた元軍がさらに無能のマヌケ集団になってたな >>75
例の絵図見ると元の兵って馬乗ってねーんですよね
モンゴルの主力の弓騎兵が日本には来てない、物資食いの騎兵を同時の航海技術で渡海させるとか無理だったんでしょう
他の地域のモンゴルくっそ強いんですけど、この元寇だけはかなり毛色が違う
主力が高麗兵だったって話が全てでしょう、下手すると粛清か口減らしだった可能性も……ってのは考えすぎですかね >>88
清朝以降の朝鮮は単に中原に近いからエライと言うだけでなく
中原は北方の蛮族に支配されて本場の中華文明滅んだ
中華文明の正当な後継者は俺だ
っていう考え
朝鮮民族としてのナショナリズムは日本統治以降に発生したので凄い歪んでいる ずっとただのコケオドシだと思われてたてつはうが元の沈没船が引き上げられた事により想像以上の殺傷力があるとわかったのに
いまだにコケオドシって書いてる奴がいるのはどうなってんだ?
つかそれ以前に大陸で使われてた武器からしてそんなコケオドシなわけがないと専門家は分かってたはずなんだがな >>103
植民したいとか朝鮮半島にそういう価値はないし他の所でもそういう戦略が見られないから気のせいやろね ここで元に占領されてたら中国と一緒にアヘンでラリって
領土を次々に欧米に割譲させられて終わりだったやろ なんかパヨクとも違うタイプの基地外がいるんだけど… 日本は現在の平成期間がおかしいだけで、
世界でも類を見ないほど、好きがあれば内乱、戦争しまくってた超戦闘民族だしなぁww >>1
あたり前。降伏せよという内容だった。
友達?? あほバカやめとけ。
>>103
馬を船に乗せて運ぶのは大変だよ。
チョンは強者モンゴルにはこびへつらった。。
すでに事大主義だった。 北条相模太郎 胆甕の如し
シナかぶれの頼山陽でさえ時宗を評価してるのにね >>66
その発想はお前らが嫌いな隣国と同じなんですけど… 元軍の奴が日本の奴等は頭がおかしいみたいな報告してたな 日本侵攻の指揮官が朝鮮人だからな。
その時点で失敗することが確定していた。 めんたまに水銀流し込むような野蛮人と友達になれと? >>118
東北側に渡航すれば結果が変わったかもね
日本海を渡れたかは知らんけど 時宗は俺の中であの和泉元彌のイメージで
固定されちまった
早く上書きしたい >>102
元軍船団の沈没は、高麗の船大工がレジスタンスで手抜き造船してくれたおかげ!と
半島ageする左翼学者・教師も多い。 モンゴルが騎馬戦しても日本が勝ってたと思うけどな
上陸戦だから機動できないし
和弓は射程距離長いからアウトレンジできないし >>128
むしろ半島産の方が作りが頑丈で良かったらしいな 蒙古軍は壱岐で女レイプして
手に穴あけて鎖で女つないで
連れて行ったやんけ >>129
やつらのホームの草原のようにはいかんわな 「友だちになろうよ 武力は使いたくないし」
あ、武力使いたくないってことは武力使って友達になる気もあるんだ!
ちくしょー!やってやらぁ!かかってきやがれ! みたいなことが モンゴルの船に動物の死骸投げ込んだり人質もろとも攻撃したり人質の盾をやり返した鎌倉武士有能 >>11
お前天才だろ
嫌儲来て一番ビビってきたわ >>131
それで激怒した相州五郎入道正宗が劔冑になったんだよな >>137
船べりに捕虜をぶら下げてたのに容赦なく攻撃したんだっけ? 今とは感覚が違うんだよ。拒絶で首をはねるなんて当たり前。使者もその覚悟で来ている。真田丸でも矢沢の父っつぁんがいきなり斬り捨ててただろ。 >>140
それどころか元のマネをシテ捕虜を盾にw 四方を海に囲まれてなきゃ半島の二の舞いなのに辺境の土人が良くホルホルできるよなw >>137
道徳観が違うだけでこういう事出来るんだから
人間ってみんなキチガイなんだな 嘘か本当か知らんが世界史の教師に聞いた話だと
@風呂入ってないからか、海の向こうから異臭が届いたので攻めて来るのが丸わかりだった。
A人質を盾に戦おうとしたら、人質ごと鎌倉武士に攻撃される。
BAの仕返しに人質を盾にされ攻撃される。
C相手の戦略を見極める為、対馬は見殺しにする
って、聞いたが本当? と言うか、人道だのなんだの言ってる今の方が、歴史的には異常な気がする
そんなのここ100〜200年くらいのことだろ >>147
昔だって人道的な考え方あったし
今だって力が正義な世界だよ >>147
っていうか、こんだけ人間の文化が発展したのは人類創生以来じゃないか?
・・・、あ、アトランティス人やラピュタの民みたいな人たちが今の文明に近いことを
していたのはゼロじゃないかw >>148
強者は守らなくても少し文句言われるくらいだよ? >>63
使者はもともと切られる覚悟で行くから
普段はいい生活させてもらってるって聞いた >>146
2はマジ
捕虜や捕らえた女子供盾にしたら
それに向けて矢を打ち込んでくる
ってモンゴル側の記録にある
ついでに敵将の首を見せつけて
戦意削ごうとしたら首取り返そうと
襲ってきたって記録も
要は鉄砲使えない薩人マシーン集団 >>147
確かに。
東洋で言えば数十年だし
中国や朝鮮では未だにそんな考え方はない
というのが現実だもんな >>143
今更何言っても朝鮮土人が日本人に勝てる要素は1ミクロンもないよ 元寇の鎌倉武士団打線(最新の研究)
1(中) 壱岐対馬は最初から見殺して相手の戦法を見極めてた
2(二) 既に出兵5か月前に出兵の時期を想定し鎌倉武士団を大宰府に展開してた
3(一) 相手が人質を楯にして攻めてきても関係なく矢を射かけまくってた
4(三) 2度目は30キロの防塁を沿岸に、20キロの空堀を博多の南に、10キロの水堀を大宰府に築いていた
5(遊) 博多が略奪されてるのは目に見えてるので、敵が来る三日前に博多を略奪しつくしてた(鎌倉武士団が)
6(右) 2度目の時はモンゴルに倣って人質を楯にして攻撃してた
7(左) てつはうにあんまり動じずそのまんま徒歩で戦ってた
8(捕) 2度目の時は夜襲しまくって眠らせなかっただけじゃなく相手の船に牛馬の腐乱死体を積極的に投げ入れてた
9(投) 元軍が壊滅した後、取り残された元軍の内、宋人は助命したが高麗人、モンゴル人は負傷者も女性も含めて皆殺しにしてた >>72
後継争いと戦費負担からの世情不安定が合致しただけやろ 勘違いしてる奴多いが神風で助かったのは1度目だけで
2度目なんて上陸すらさせなかったから遅かれ早かれ元が負けていた >>143
???
大前提無視というか自分で言ってる事と矛盾してどうすんだよ >>153
大将首は取り返せば金もらえるし出世できるかもしれないし
相手にむざむざ持ち帰らせてそいつが金もらって出世するのは面白くない
必死こいて取り返そうとするわ首狩り民族舐め過ぎ
まして親兄弟の首なら全力で取り返そうとするわ >>160
神風で助かったのはその2度目な・・・・ あの漫画途中まで買っとったが、あの顔でどうにも新城がちらついてダメだった
皇国原作者亡くなったから著作権がきれるまでがんばれ伊藤センセイ >>166
ずっと海にいたらそりゃ台風来るに決まってる神風でもなんでもない 季節外れの台風だったから
中国人朝鮮人なら台風の時期くらい知っているわ >>168
軍隊ってずっとこんな感じじゃね
寧ろお手本みたいな防衛、対上陸戦術だろ
海際で叩いて上がらせないっていう 騎馬民族だからなのかモンゴルの拷問は皮剥いだりとか残酷で有名だよな。そんなモンゴル人が拷問の酷さにドン引きしたのが朝鮮なんだよな >>167
漫画で例の首飾りをしてユーリアと並び立つ冴香が見たかった… >>168
未知の相手に情報を得ようとするのは当たり前
他はまだ感情依存部分の大きい時代だからしょうがない
もちろん現代でそんなことをすればクズだけど日本はしない
中国朝鮮はするだろうけどね
現に第二次大戦や朝鮮戦争時は中国人朝鮮人共に野蛮行為をやってたし今も進歩は見られないから 季節外れってわけじゃない
稲刈り前だから妥当
ただ日本に来る台風時期はわからなかった
自分の国の沿岸部に来る時期は知っていたがそれ以上はわからなかった >>171
やーやー我こそわ。
まず、自己紹介しなさい。話しはそれからだ 神風は最後の一押しだな
大軍団で攻めて来たはずの敵がほぼ海上に居たってのがな
つまり地上に上がれないくらい押し返したって事やん どうせ手出し出来ないと思って散々無礼な事をしたんだろ。
日本人に対するリサーチ不足と慢心が招いた悲劇だね。 >>178
どうであれ倒したい敵が自然の力によって壊滅したことは事実
台風のコースがそこを通る保証もない
神風と呼ぶに値することだけは変わりがないね^^ 大規模な上陸戦なんてやった事無かっただろうに防いで最終決戦では逆上陸しての包囲から皆殺しだもんな >>54
でもたった三丁の種子島から世界の6割を占めるまで模倣増産した先祖は誇らしい 神風と呼ぶことには同意しかねる
ただの自然現象であって神の力のなせる技ではない
元を押し返したのは防御側にしっかりと備えがあったからであり、
決して神頼みで守戦に徹していたわけではないのだから 最近になって判明したバミューダの謎何かと同じだ
あそこはダウンバーストの産地で飛行機で言う乱気流が無数に発生していて
しかも通常の10倍以上の巨大さ
衛星技術者が発見した 防人の努力を無視するかの様な神風論はどうかと思うけど普通に神風でしょ よりによって修羅の国に上陸するとは、、、
わざわざ組事務所の前まで来てサバゲーする様なもんだろが んでモンゴル帝国も日本人が作ったんだけどそこんとこは無かったことになってんの? >>181
今の韓国がそれに近い
日本に対して無礼をしても防波堤の韓国を日本は尊重するはずだ
またこの対日強硬的な態度が北への忠誠心にもなる・・・一石二鳥の文の計算
行き当たりばったりで無礼をしているわけではない >>1
おおおお
シュトヘルとゴールデンカムイもアニメ化しておくれ 神風でも何でも無い
日本勢が徹底抗戦して内陸部まで断固として侵攻させなかったからずっと海上に居ざるを得なかった
台風に巻き込まれるのは当然 モンゴル軍の用意した船の大半は竜骨のない船(イカダに近いレベル?)が大半で
ちょっと波が高くなるだで簡単に沈没するレベルだったって聞いたな >>193
どっちも作画班が死んでショボくなるだろうからダメ 属国になるよう服従を迫ったからだよ
元は何度も使者を送ったが全て首を跳ねたらしい
3回目となると誰も日本に使者行きを嫌がったそうだ >>197
キレキレに動いてるとこがみたいのに(´・ω・`) >>196
元が内陸の国だし航海分化がそれほど発達してなかったんだろうな
そうじゃなくてもあの時代じゃ造船技術もたかがしれてる さすが一所懸命 命を懸けて戦う鎌倉武士軍団
てか脅迫だからなw モンゴルの常套手段 元寇だけど
中身はほとんど朝鮮人部隊だよ
本隊だったら日本は勝てないって >>1
糞みたいなスレタイ付けんな嘘つきチョンモメンw >>203
東路軍だけで4万だが朝鮮に4万もの兵が出せるわけがないだろ。実際のところ高麗兵は東路軍4万のうち1万。
400年後のサルフの戦いに出した朝鮮の全力も1万。 しかし南宋の連中はとことんついてないな
国滅ぼされた上、嫌々戦に巻き込まれて
戦況が悪くなると置いてきぼり食らって皆殺し >>203
モンゴル軍は督戦隊といって後方にいて退却できないように監視する役目
中国はそんな戦争のやり方
逃げる下っ端の雑兵を槍で脅して前線に戻す クライマックスは鷹島掃蕩戦だったんだな。
軍船は壊滅したとはいえ10万人の元軍が立て籠もった島を、
白骨山と言わしめた程に殲滅したw >>203
草原走ってる騎馬が船乗って水田だらけの湿地帯に来るんでしょ
基本的に日本側有利じゃないの
ベトナムでも低湿地でやられてるし 新羅兵は死んでも構わない消耗品扱い
もし運よく上陸出来たらどこかで自活して現地にとどまる
死んだらお仕舞い >>211
訓練してるだけなのに
毎日1人以上の死者を出してる
駄目軍隊だからね
仕方ないね >>207
>>157にもあるとおり南宋の人間はちゃんと捕虜待遇だったらしい
わかるもんなんだな フビライ日本侵攻を決意
蒙古・高麗・漢総数4万 船900隻
江南群10万
いろいろ日本詰んでる件 >>218
第三次遠征か
大規模すぎて成功したのかね >>110
蒙古軍の必勝法が機動力のある先兵による弓撃 その後の重装騎兵による蹂躙
だから そもそも てつはうはメインの武装ではないだよね(密集型の陣形を組む相手に使う)
虎の子で数が少ない上 4〜10キロと重く
飛距離も伸びない 投石器でもね そんな部隊がこれ見よがしに展開してたら長距離から弓矢で狙われる 元って高麗出身の女が皇太子を産んだら、
元が滅びて、モンゴル帝国はシナから撤退した
法則は恐ろしい >>219
無理じゃね?
二次遠征の時点で九州周辺の戦力に破れてるし
日本側が全力出したら持たんだろう >>157
これを見に来たが
案外書き込みが遅かったな >>220
当時主流となっていた城塞都市の周辺農村を焼き討ちにして大量の難民を発生させ兵糧攻めにしてから
中国で手に入れた最新鋭の攻城兵器で攻め立てるのが元軍の必勝法やろ
だからどこも手も足も出なかった
騎馬民族に平地決戦に出るとそれ食らうしw >>218
そもそも当時東側はまともな船がなかった
初回の突然の来襲以外無理ゲーでしかない モンゴルに侵略された国はみな、最初の使者の友好の呼びかけに応じていたことを北条時宗は知ってたからな
敵のスパイを殺すことが国家防衛の第一歩 歴史博士に質問
勝ち目がないとなかなかああ強硬な態度は採れないと思うんだけど、ときむねくんはやっぱり事前に情報を仕入れたりして戦略的戦術的に勝ち目ありと判断したの?インテリジェンスのルートはどんなのがあったの?(・ω・) 元軍の人種構成
文永の役(1274)
高麗人 12700人
宋人女真人漢人 12270人
モンゴル人 30人
総数 25000人
弘安の役(1281)
高麗人 25000人
宋人女真人遼人トルコ人安南人
24850人
モンゴル人 150人
総数 50000人
さて、本当に「元寇」だったのでしょうか? >>103
もともと、モンゴル側は乗り気じゃなかったんだけど、朝鮮の役人が日本に攻め込もうってしつこく言ってきた。
で、めんどくさいので、じゃあ船の材料とか全部お前らで用意しろよ? こっちの人材もあまり出さないから、メインで戦うのお前らな? で攻め込んできたという説がある。
文献で朝鮮人が何度も日本侵攻しようと言ってきたってのも残ってるらしいぞ。 >>192
うわ、あいつら馬連れて外洋越えて来やがったのかよマジキチ 高麗兵上陸以降は双方猛烈な射掛戦になり、
さしもの武士団も大宰府への後退を余儀なくされた
しかし、補給考えない高麗兵が矢をバンバン放つから
数日で蒙古の矢が尽きてしまった
蒙古将軍は「得るものなし」と判断して後退を主張
んで武士団は得意の夜戦で逆襲したって感じ 事大主義朝鮮はいち早く宗主国の宋を裏切ってモンゴルに下り、
これまで仰いでいた宋を「蛮族」と呼ぶようになった。
そして率先して宋との戦いに参加するようになった。
日本に対しても同様。
檀君神話は、自分たちが蛮族のシナ人だはなく、新宗主国
モンゴル様の下僕なんだと示すために
フビライが蒼き狼の子孫だという伝説を真似して
檀君はクマーの子孫だとして、この時代に新造された。
これくらいはみんな知ってるだろうけどね。 >>222
だよな
大軍になるほど渡海は大変だよな
兵站の維持とかもなぁ
いきなり日本国内で掠奪するにも日本側の人口が希薄だし 一回目は九州の戦力だけで撃退されて
二回目は橋頭堡すら築くことも出来ずに船上生活続けて台風で沈んだ雑魚がなんだって? 実は太平洋戦争の時もいちおう神風は吹いてハルゼーの艦隊が大損害 >>229
帝国というのは他の民族や王国も従えて構成されるもの
それ全部含めて帝国民だから問題ない
高麗はモンゴル帝国に併合され、王族は皇帝の親戚、つまりモンゴル人となることで統治を許された 経緯はどうだあれ
チョウセンヒトモドキがサボタージュしたって聞いたぞw
要はカタログとは違うハリボテの船などね
でもってテメーも浄化された
万が一神風がなくても日本は勝ってたって説 一回目六波羅探題の6万の軍勢がつくまでに終わったとか草w >>147
江戸時代に外国船(イギリス船だったけ?)が人質とって物資をよこせって言ってきた時に、人命にはかえられないってことで相手の要求を丸呑みしたらしいから時勢によると思う。 >>230
虎の威を借りる狐かそれでも失敗するってチョンらしいわ >>160
1回目の文永の役の方が台風の記録は双方の史料ともにない
博多に上陸して1日戦闘しただけですぐ撤退した 朝鮮がわざと欠陥がある舟をつくり、日本への進行を食い止めた 日本は韓国に感謝すべき >>192
教科書で真ん中のやられてる絵しか見たことなかったわ >>239
本気で進攻しても
10分の1以下にすらフルボッコ
捏造チョンドラは勝った事になってて
それが対馬領有の根拠になってるけど >>196
竜骨は東洋の船は無いのが普通だわ
遣唐使船や安土桃山の南蛮貿易船やジャンクとかの
外洋貿易船も竜骨無い構造 元寇は今の釜山、上海から舟で襲来。先に我国を侵略しに来たのは特ア。日本人は忘れない事! >>42
海外でゼルダファンボーイと呼ばれてて笑った >>54
朝鮮がそういう国になっていたら頷ける話だけど… 船は朝鮮製のほうがしっかり作られてたって聞いたが
あと朝鮮がそそのかしたから捕まえたモンゴル人と朝鮮人は殺して宋人は生かしたとか >>220
船に搭載したカタパルトで
水際ぼうえい 日本を支配下に置いている北条を相手に13-4万で最初から勝てるわけ無いだろ
頼朝ですら統一前の奥州藤原氏との戦いで22万動員してるのに >>254
送信してしまった
船に搭載したカタパルトで水際防備していふ
部隊にてつはう撃ち込んでたらしいぞ アンゴルモアアニメ化いけるなら、ゴールデンカムイもワンチャンあるんちゃう >>257
射程何mだよ
どう考えでもって和弓のほうが射程長そうだが 秀吉の朝鮮出兵と同じで支配国の戦力そぐための作戦だろ
モンゴル人が全くいない >>259
モンゴルが南宋の都城攻略に使っていた回回砲は射程400mぐらいだな
それを船舶に搭載してた説があるのよ >>91
書かれてた
まぁあれは左翼的な配慮じゃなくて面白い絵を切り取っただけだとは思う >>136
マルコ・ポーロがクビライに日本が黄金の国だと奏上したので
それで日本を属国にして税を徴集しようとした 俺はあのころ、実況板で「てつはうキタ━━━ヽ(∀゚ )人(゚∀゚)人( ゚∀)ノ━━━!!」ってやってたな。
元寇懐かしいな。 島本和彦の大熱言の元寇の回は鎌倉幕府無能のラッキー勝利と
なってはいたが、襲来の際の大パノラマは圧倒的インパクト。 >>196
欧州と言うか北欧が良質な大木が育たなかったか切り尽くしたようで、粗雑で小さな木ばかりだったそうな。
そんな木で荒れまくる北海渡れる船作ろうとすると竜骨がある頑丈なものにしないと無理だったのでそういう船が発達した。
これがバイキングの侵略とともにどんどん広まっていった。
一方極東はそこまでしなくても沿岸部の比較的波の穏やかなとこ通って交易できたし、何よりそれなりの良木が確保できたので平底船だらけになったそうな。 >>165
金でなく土地な。
抗争相手を族滅させる鎌倉武士に元軍とかぬる過ぎ。 幕府死ねよと思ってる朝廷のネガキャンによる風評被害 >>265
去年の大河で信繁の大叔父が
北条の使者ぶち殺してたろ
あれ嘘だから
まだ他に三人首はねてる >>75
そりゃ日本を降伏させるには空母と戦略爆撃機、原爆が誕生するまで待たないといけない
19世紀西欧列強ですら蒸気船では補給が続かないから日本を占領出来なかった 白村江のあとはとてつもなくやばかった
元寇はあれ上陸されて九州くらいは蹂躙されてても、10年も徹底抗戦でなんとかなったやろ >>157
元寇の鎌倉武士団打線(最新の研究)
8(捕) 2度目の時は夜襲しまくって眠らせなかっただけじゃなく相手の船に牛馬の腐乱死体を積極的に投げ入れてた
現代戦なら特殊部隊によるゲリラ戦と
生物兵器を使う戦法か鎌倉武士団の軍事センス凄いいいな
根っからの武人だなww >>275
>相手の船に牛馬の腐乱死体を積極的に投げ入れてた
え?そうだったの?
おまえさんが言ってるとおりゲリラ戦、生物兵器(笑)、などなど・・・
なんかかつて学校で習ったことよりもずっと激しくて興味湧くわ! >>193
シュトヘルは完結したしいいね
ただ低クオリティで作られる危険が危ない希ガス >>277
船内を不衛生にしてハエにより伝染病を起こさせる飲み水が汚染されたら致命的だよ
下痢程度でも戦意はかなり低下する >>274
そのとおり
近江宮まで首都を下げた
本土決戦体制
九州から中国地方は要塞で防衛線が幾重にも構築された >>66
秀吉は負けたから却下。源義経(チンギス・ハーン)がいい。 北条の治世にはすでに腐乱した動物が疫病の原因になるって知られてたんだろうね。
モンゴルも攻城戦の時は投石機で死体を散々撃ち入れたんだっけ。 >>227
元では日本との外交に関して三派による議論が行われていた
・日本は島国で攻略が難しいので高麗に兵を置き国書により朝貢させる通商重視派
・まず南宋を攻略し服属せしめた漢人を使って硬軟織り交ぜて日本に通商をせまる大陸重視派
・日本の内情に詳しい高麗軍が道案内をし東路より日本を侵略する日本侵略派
蒙人の高官は高麗兵の弱さを懸念して南宋攻略を先にすべきと主張する
祖国を裏切って元朝に降伏した高麗王打倒を目指すレジスタンスは日本へ援助を要請をする
日本は南宋から亡命してきた多数の支那知識人の情報提供により趨勢を把握、援軍要請を黙殺
このクーデタ未遂に肝をひやした高麗の忠烈王は我が身の保身から執拗な日本侵略を進言し元寇が決定する >>192
重装甲弓騎兵の楔型密集陣形で突撃とか練度たけーな モンゴル人はパスパ文字来るまで文字なかったらしいから、漢字の蒙古がどういう意味か知らんかったらしいのう。 やーやー我こそわ!
文永の役
蒙古軍2万 高麗1万 900隻にて対馬を来襲
一騎打ちを主眼とした日本軍は蒙古の、集団戦術に苦戦! 礼儀のない、常識が通じない相手とわかったので
次からは問答無用のガチの殺し合いになります
卑怯? 卑劣? 相手は人間じゃねえから何してもいいんだよ >>289
普通に歴史知っていれば一騎打ちを主眼だとか眉唾もんだってわかるけどな よく日本側が名乗りを上げて戦うのを
スキ有りとばかりいきなり攻撃されたり
見た事もないような武器を使われたりして
武士は戸惑ったみたいに言われるけど
同じように元軍も武士の戦い方に
驚かされたんだろうな >>293
てか多分中国も同じような戦い最初はしてたんじゃない >>284
歴史博士ありがとう。
援軍を拒んだのはやはり海を渡ることのデメリットを認識したからなんですね?国内の北条政権の基盤も確固たるものとも言えないし。 現在の特殊部隊のような戦い方をする鎌倉武士
そして高麗の忠烈王のクズさ >>285
モンゴルの下請けの最下層の朝鮮半島人でしょうな ドン内田の使いっ走りだった【石原ノビテル】
【石原ノビテル】が居る限り 自民党には絶対に投票しない!
安倍ちゃんにとって【石原ノビテル】は死に神だ 2000年以上前のニュースでスレ立てしてんじゃねーよ >>295
三別抄の乱の時点で、高麗は数度に及ぶ侵攻で徹底的に叩きのめされていて、高麗王朝はもう元に完全屈服してしまっていた。
一部武人が島にこもってゲリラしてる程度だから、戦うとなったら日本が完全に主力軍として戦うハメになる。
でもって半島での地の利はモンゴルの方にある。何より朝廷が外征とかしたら黙ってない。そりゃもう反乱炊きつけまくって北条家ピンチ。 >>1
当時の輸送技術からしても、大規模な陸戦が出来る訳がない
最初から元が不利なのは当然
中国の歴代王朝、ロシアがユーラシアではあれだけ強いのに、海を越えて出ていけなかった単純な理由
鎌倉武士(日本の戦闘集団)がキチガイ的な強さだということは全面的に肯定するけど >>168
人質を盾にした元チュンチョンのことですね?w まず兵站が無いしな
武器も食料も占領しない限り手持ちだけ >>302
中越戦争と一緒で反体制派の軍隊を壊滅させる為の遠征だろ?
勝てば島国に駐屯させることで孤立させられるし、負けても粛清の手間が省けただけの話。 すでに日本は要塞を築いていて上陸ポイントは難攻不落にされていた
しかしソコしか大部隊の上陸ポイントが存在しなかった 時宗って元寇を撃退する役割の為に生まれてきた男だよね
時節の変化が起こる時
歴史の神に特に指名される人間が必ず現れる 後年の秀吉の挑戦!では
武士は刀 槍 弓 鉄砲 乗馬 全ての兵科を扱えるバケモノと
明側の資料有ったな
戦国時代を生き抜いた歴戦の猛者なので当然だが。。。
そのご先祖に当たるのが鎌倉武士で
騎射やら革鎧のあっちの兵は簡単に叩き斬れたかもなぁ
そういや武士の中でも鎌倉期が最上位とか、何かに書かれてたな
鎌倉期の刀って戦国期の刀より高性能とか。。。本当なのかな? 元軍が壱岐と対馬で捕虜にした女子供を、鎌倉武士に見せつけるように舟の側面にずらっと吊るし下げてたらしいよね。両手に穴開けてそこに縄を通すっていうキチガイっぷり >>309
ノルマンディーはいうほど力押しではない
欺瞞作戦で上陸地点を別のところと思わせたり、相手の戦力分散させたり、上陸支援もかなり手厚い。
ただまあそれでも敵が少しでも待ち構えていたらああいう恐ろしいことになる。 まだ鎌倉幕府が機能してる時に来たからいいけど
南北朝あたりに攻められてたら、どうなってたんだろ >>306
言うほど脅威になるような軍隊だと思うんかw >>312
あの水陸両用ゴミ戦車が上手く機能していれば… >>263
マルコポーロが中国人から聞いたんでないの?
なんで西洋から来たマルコポーロが中国の現地人らから聞いた話が根拠になるん。
マルコポーロに頼る以前に中国東岸部の人間から情報得られるし
その情報をマルコポーロが聞いただけじゃん? >>90
皆殺しで民族が入れ替わってる国なんで
被害者の子孫が居ない 鎌倉武士とか言ってるけど実際戦ったのは九州の武士だけだろ。
あとはチンタラ行軍して到着する前に終わってたんだろ。 >>319
嵐で上陸した元軍10万を潰した6万の軍勢は鎌倉の援軍の第一陣 使者の持参した文章の内容。「お前ら日本人が大人しく金を払うなら殺さない。子分なねしてやる。金払うなら役人をよこすから参謀に据えろ。」→北条は使者の首はねる。 南宋の坊主からの情報が外交の全てだったからな
南宋の坊主のいうとおりにした 九州では鰯の干物を唐人干し
http://www.maruboshi.jp/imgs/award/no19-1.jpg
と言うけど、現行の後海岸に打ち上げられて干からびた高麗人の船の漕ぎ手が鎖で数珠つなぎにされていたので鰯の干物に見えたため、鰯の干物を唐人干しというようになった。
元も宋も高麗も三国人はひっくるめて唐人と呼んでいた。 ちょん切る、と口にしたら
それは朝鮮人への差別語だ!鎌倉幕府が使者を皆殺しにしたのが由来でうんぬんかんぬん!!
とかキレた変な同期がいたが
あいつアレだったのかなあ >>196
>>249
それが数年前 考古学専門の琉球大学の池田教授 海底資源探査のスペシャリスト東海大学海洋学部の根本教授のチームによって
長崎県鷹島付近 伊万里湾海底から元寇船がまるごど発見されてる そこで太い竜骨も発見されてる 文永の役がガチだったら日本終わってたよね
あれで対策を練る経験を得た >>330
元の人は異文化に割りと寛容だったから、言葉とか生活習慣は変化しなかったと思うよ
ただまあモンゴル系の血筋の人がかなりいる日本になってたと思う >>287
率先して朝鮮人が日本人に対して悪逆なことをやりまくっている >>307
確か山口県にも分遣隊が上陸していたはず 島国だからだろ(笑)大陸なら食糧求めて侵略あるのみ欧州は人間も〇われて恐怖がDNA遺伝子に残ってると言われる >>320
6万もの軍勢が間に合うってかっこいいな >>59
そもそも国家間対等と言う考え化が歴史的には異常 まぁ蒙古族は騎馬民族で間違いないよ
遊牧民だから
騎馬民族征服王朝説は虚偽だけどな >>185
ネジの概念すら無かったところからスタートだからな
八板金兵衛はもっと有名になっても良いと思う ジャイアン「のび太、結構金持ってるらしいじゃん友達になろうぜ〜」
こんなもん 2回目はわざわざバリケード作ったところに攻めてきてたくさんの矢をお見舞い 元寇も主力は朝鮮人と漢人だろ
まあろくなことやらないな昔から 義経がチンギスハンで子孫が鎌倉に復讐にくる話なんだろ
義経流や姫様が天皇血縁とかの設定いらんなぁ >>157
矢に関してだが 日本の記録では 元寇軍の弓が弱弓とされてる その為毒を塗っていると
だが蒙古軍の記録では 飛距離はあまり無いが威力が半端ないとある
これは小数居たモンゴル人達が使う合成弓と比べたらと理解することができる その他雑兵は弱弓 たかぎ七彦の アンゴルモア 元寇合戦記
こんな漫画があるんだな 満喫行ったら読んでみよう 虐殺強姦放火した後、生き残った対馬島民の手に穴あけて紐で繋いで奴隷として拘束する奴らが友達面すんな >>185
まあそれ以前に日本に火縄銃があったからね。見たことも聞いたことも無いようなものを一から作った訳ではないから 日本は歴史的に小国だった時期は無い
古代律令制の時点で常備兵力20万
内4万は弩を装備している
白村江の時も渡海して4万以上を大陸に送り込む国力を保有していた 当時の朝鮮人は下っ端奴隷でアゴで使われ
アタマ小突かれてただけなんでしょ >>310
作り方が全く違ったらしいよ
ロストテクノロジー >>54
その蒙古はいまそんざいすらしてませんが…… >>310
戦国期のは粗製乱造
需要がありまくりだから品質悪くても売れた 蒙古「おい、日本。侵略したるでぇwwww」
時宗「いきなり無礼なやっちゃ!おまえらのおかげで、大陸の民は泣いちょるワ。
これが答えよんw」
使者クビチョンパ♪
おまえら、日本国様に暴言は禁止だぜ。
万死に値するのだ!
wwww 当時のモンゴルってトルコくらいまで行ったわけ?
イタリアとかフランスとかドイツとかヨーロッパの軍隊とは戦わなかったのか? >>157
何なんJからひっぱってきてんだよ
まあ出来がいいから良いんだけど >>361
ムゴイ=ムクリコクリ
ムクリ=蒙古
コクリ=高麗
ムゴイという言葉は元寇の時の蒙古軍、高麗軍による残虐行為が語源 モンゴル軍って欧州方面ですごいことやってたんだぞ
籠城してる城に疫病の患者投げ込んで感染させたり
ポーランドのあたりでは撤退時に皆殺しにして人口空白地帯作っちゃって後世の民族紛争の原因になったりしてる 海戦の経験も無いのに大軍動員した元がガイジなんだな
その後の海軍の損失が与えた中国のダメージも数世紀に渡り深刻だったし
ガイジがTOPだと国が傾く >>366
日本に興味なかった元に、日本侵略を唆した高麗 >>54
いや他国に蹂躙されたら、チョンみたいな糞みたいな国民性になってたぞ多分
日本人のお人好しぷりは国際的にみても異常だと思うけど、閉じた世界で仲間意識持って助け合いはぐくまれたもんだろ 嫌がらせで今までいた朝鮮人皆殺ししてツングースから人食いエペン族(烏丸族)を入植させた >>363
肥後もっこす は 肥後 蒙古す 肥後のスゲー残虐なとかか… >>370
もっこすは頑固者って意味、蒙古は無関係w >>1
敵情視察も兼ねたスパイだから斬首当たり前。
それに一度侵略してきて、仲良くしようなん
て虫が良すぎる。 知り合いにモンゴル出身の女の子いるけど真面目でええ子や
親に仕送りしとる >>229
例えばアメリカがシリアに派遣する兵の割合で
アフリカ系アメリカ人が多数派だ、となっているとしたら
アメリカによる中東への干渉ではない、ということになるの? 元寇の原因は朝鮮人の洪茶丘だよ
父親が元と内通してる罪で処刑寸前までいったのを
逆恨みして元に降伏した朝鮮に元に取り入り
圧政圧迫政治を敷いて
元に日本進行を進めて
その兵力と造船に朝鮮人を使うよう進言して
朝鮮の人口を激減させ
造船の為に一切の材木が朝鮮から消えてその労働力に朝鮮は田畑を耕す暇もなく飢餓で相当やられた
朝鮮王も元の将軍になった洪茶丘には逆らえず
言いなりで相当侮辱されたそうだ >>116
第二次世界大戦まで続いてアメリカにぼこられて一時的に大人しくなってるだけだな。
中国朝鮮が調子にのり続けたらどこで爆発するかわからんな。 本当に「友達になろうよ」だったら元は滅びなかったかね? こういう歴史スレはみんな詳しいから全レス読んじゃうわ
結構首飛んだり血が飛び散る漫画だから深夜枠かな フビライは日本には興味なかったが朝鮮がそそのかした
使者も朝鮮人だから当然ボチる >>42
日本語が怪しい
信長は腰が低いだけで良かったんだけどな >>382
歴史の授業ではあらゆるものが黄金で出来た国みたいに聞かされてそれにつられたって聞いたが実際はどうなんだろう しかも洪茶丘は元寇で形勢不利と見るや
10万の兵を見捨ててとっとと朝鮮に逃げてる
救援すらしなかったから
10万の兵で生きて祖国に帰れたのは三人だけ
その三人も日本と親交があった南宋人だったから
帰れたけど
朝鮮兵と漢民族兵とモンゴル兵は一人として生きて帰れなかった
そもそも元寇で朝鮮兵が対馬で住民を虐殺したせいでほとんどの捕虜が打ち首
もしくは奴隷に… 元寇については
朝鮮人の洪茶丘がわざと朝鮮兵を生きて帰さない為に負けた説もある
わざと失敗を繰り返し
責任を全て朝鮮兵に擦り付け何度も出兵させ
朝鮮を滅ぼそうとした可能性すらある
実際元寇により朝鮮の国力は壊滅寸前までいったし >>378
山県有朋は軍人重視だから
軍部大臣現役武官制の制定をして戦争へ走った
自衛隊を挙げて選挙応援の稲田は
ニートに強制農業させたいみたいだ
名前が稲と田のコンプレックスだからか >>364
ポーランドってなんか悲惨な歴史だよね ポーランド人に一度だけあったが変わってたな >>157
なんかこの対応みると幕末の幕府のヘタレぶりが際立つな >>359
ウィーン包囲して陥落させてるし、
バグダットも包囲殲滅されてる >>393
そら二百年も平和ならボケるよ
今の日本人みてみろよまだ半世紀だぞ >>394
平原で戦ったら鎌倉武者でも皆殺しにされてたな >>276
というか牛馬の腐乱死体を投げ込んで疫病を蔓延させるのは中世から行われていた戦術
カタパルトで石の代わりに牛の死体を投げ込んでたのよ
海外の城は城壁に囲まれた街だった
だから市街地で疫病を蔓延させることでダメージを与えていた >>397
牛持ってくる時感染しないのかな?命がけじゃない? >>397
カタパルトならわかるが船から船にどうやって牛の死骸を投げ込むんだよw 日本って以外と広いし人口も多いから当時の技術で海を越えて送り込める人数では最初から攻略不可能なんだよ
ワールシュタットだって2万対2万5千
バグダッドだって12万対5万
ずっと後の秀吉が九州を落とすのに20万を集めているのに15万で日本占領は絶対に無理だと思う >>398
大丈夫
腐った死体を放り込めば疫病が発生する
事前に病気を持っている必要は無い >>157
>相手の船に牛馬の腐乱死体を積極的に投げ入れてた
どんだけ肩いいんだよwバケモンか ユーラシア全土を征服した大ハーンが源義経だったとは・・・ >>363
それは俗説
古語にある愍し(メグ-シ)の転訛というのが学問的な定説 >>396
モンゴル騎兵の基本戦術は一旦接敵してから1日2日くらいずるずる退却して
敵の戦線が伸びきったとこを包囲殲滅だから無限に近い平原がないと有効に動けない
だから日本とかベトナムとか半日進めば森の中なんてとこだとキツい
あとウィーンは2回とも攻略失敗してる >>402
その場で腐らせるのか なるほど そうだよな そんな馬鹿じゃないよな 朝鮮人が日本を攻めろとフビライに唆したわけだがw
朝鮮人は土下座なw >>230
名前忘れたけど元にやたら媚び売って売国してた奴だよな? 日本には南宋からの亡命者が来ていたからな
モンゴル、朝鮮人のやり方はお見通し >>212
モンゴル馬って馬体は小さいが持久力があってヨーロッパの巨馬の重装騎兵と対戦した時は蒙古騎兵は逃げ回って相手が疲れた時に遠距離から弓矢で仕留めたんだろ
戦国時代の日本馬が小さいというが同じサイズのモンゴル馬で元がユーラシアを征服した史実を忘れて欲しくないわ >>66
お金に苦労した人とお金にだらしない人は確かに札の肖像画に向かない 北宋の時に金国と手を結びながら、遼国をけしかけて金国を磨耗させようとして金国怒らせたり
南宋の時に金国と同盟結びながら、モンゴルに支援してモンゴルを強化させてしまい、結果南宋も滅んだり…宋は何をしたかったんやw
金国も建国以来モンゴルをずっと撃退していたから、モンゴルを舐めすぎて弱体化の南宋と遊んでたり、自分の血族を粛清しまくる基地外皇帝が現れたりで、結局弱体化してそこをモンゴルにつけこまれた
北宋・南宋も金国も打つ手を間違えなければなあ >>406
ふーん
馬ごと平野に伏せて伏兵奇襲とかキチガイじみた連中だけど弱点もあんのね マウントアンドブレードってゲームやってると
フランク騎兵っぽいのとかモンゴル騎兵っぽいのとかと合戦楽しめるけど
弓騎兵の殲滅が一番時間かかってウザい
機動力アンド遠距離武器は平原だとさぞ強かっただろう >>16
北九州の防人の一部とか
いきなりの砲弾で吹き飛ばされたんじゃなかったっけ? 確か高麗だかで日本の諜報員が捕まってるんだよな。
ちゃんとやることやってるんだな。 戦後問題な南宋人とチョンだから死んでも構わないって考え方はあるけど
ほぼ船の大半失って、その後パイレーツオブジャップから受けた甚大な被害は到底釣り合ってないんだよな・・・
で西域武士と六波羅の軍動員したら10万は行くだろう
島国と言う極地で増援無しで進めるとも思えないし
どう考えても、戦略ミスなんだよな >>413
北宋と金と聞くと洗衣院しか出てこないw >>359
東欧ぶっ殺したあたりで本国のチンギスハーンが死んで遠征取りやめ。
その後後継者たちが領土分けてそれぞれの国統治になったのでチンギスハーンみたいな大遠征がなくなった。
もしチンギス・ハーンが10年長生きしてたら西ヨーロッパも死んでたかもな。 >>22
そんな条件無いよ
貿易為度いなら朝貢と引換えだけど >>59
実際ずっと下だったから仕方無い
江戸中期迄常に中国から技術や技能者を大金叩いて導入してたし >>75
歴史的に見て日本列島の統一政権ってかなり上位の大国だからね
上にわ中華帝国と全盛期の広域帝国くらいしか居ない >>421
そんな強かったのか
ローマ軍とかも強そうなイメージあるけど数が少ないのかな >>425
短弓とポニーの組み合わせが無双だったみたい
原チャリ集団が拳銃うってくるみたいな >>425
その頃って東ローマ帝国だっけ?
一回、滅んでた気がする >>425
西ローマ帝国は滅んでなくなっている。というかどのみち西ローマはあかん。
その後ゲルマン人がいろいろやって、フランスやイギリスとかスペインくらいは形成されていたけど、
どれも文化も技術も知識も蛮族よりはマシレベルでしかなかった。
ドイツ、イタリアに至っては統一された国がその後何世紀も出てこない。
東ローマは比較的長く持ってたけど、この頃はイスラムにフルボッコされて引きこもりになってる。
そして東ローマボコり、ローマの知識と技術継承していたイスラムは、そのごモンゴルにフルボッコされて奪えるものは全て奪われ焼かれてた。 やっぱり中国が圧倒的に強い
ローマ帝国の全盛期でも国力的に同時代の中国の1/3位らしいし >>425
ほぼ全員が馬に乗れて弓も使えるってのは相当強いぞ
刀槍では攻撃の集中=戦力の集中だが、ほぼ全員が遠距離射撃できると言うことは戦力を密集させずとも攻撃を集中させられる
防御に関しても馬の機動性がある上、部隊毎に散会すれば敵の攻撃を分散できる 生まれときから騎馬兵で
十五で無双と呼ばれたよ
矢じりみたいに尖っては
動くもの皆 射殺した >>421
西欧がゴミ過ぎたんで中東の金持ち求めて南下してる最中に崩御が正しい >>423
朝鮮人は嘘を息のようにつくというのは本当なんだ 9世紀の兵力で島国進行するとか気違い沙汰だろ
当時仮に対馬征服して橋頭堡にしてもそこから福岡まで3日
馬も兵士も船酔いでへろへろ。そこに日本の武士が集団で待ってて
矢がバンバン狙い撃ちしてくる
実際に神風吹かなくても圧勝だったみたいだわ
大モンゴル帝国は調子に乗りすぎたんだよ
騎馬民族なんだから、陸続きだけ征服してればよかった チョンは嘘つくのが生きるすべなんだよ
しかたないんだよ お前らは勘違いしてるけど、日本は有史以来の人口大国
お隣の中国大陸に人が異常に多いから
小国だと勘違いしてるが・・・・
世界的にも見ても人類の歴史が始まってからず〜っと
日本列島は人口が多い!
今でも1億数千万、
世界を見渡しても1億を超える先進国なんて巨大土地国家以外には、他にないぞ >>437
老いた大国だよ
これからは衰退する一方だ >>435
そうか、すまんかった
じゃあ13世紀の〜以下同 防衛戦に10万兵を結集できる北条政権は凄かった、と。
神風はほとんど関係ない >>440
しかも日本軍の主力は関西兵主体の京都防衛軍
九州防衛に当たった軍は京都防衛軍の半数以下にすぎない
その上鎌倉末期の関西兵は最強
佐々木、赤松、楠木など強豪がひしめき合う 武家政権が実力で国難救いました。
これでは面白くない坊主や公家が、武士は蒙古に手も足も出ず逃げ惑い、
加持祈祷したら神風吹いて蒙古撃退したのだってことに印象操作。 重装弓騎兵に軽装歩兵が勝てるのか?
しかも日本の弓は敵の鎧を貫けるが元の弓は日本の鎧を貫けないんでしょ。 元軍の精鋭達が文永、弘安で死にまくったり、資源を浪費したせいでその後の元は弱くなったな。
日本、ありがとう。
東南アジアは日本のおかげで助かりました。 正しい判断だな
ほいほい引き入れてたらモンゴルの領土になってるよ >>444
モンゴルの弓と日本の和弓は複合弓なので貫通力が高い。
中国とかのは数を揃えるための弓なのでそんな強くなかった。
中華の生産力フル活動で弩作られていたらちょっと怖いかな。
元寇の時、元軍の主力は朝鮮兵か中国人兵。モンゴル兵みたいな騎兵の猛者は少ないし、何より馬を船で運ぶってのが大変。
どのみち歩兵対決になる。そして日本の地形が騎兵戦には不向き。山、森、田園。機動力が生かせないね。
そんで島国なので海越えて攻める側は補給はむづかしいし、守る方はゲリラし放題なぶん守備側に圧倒的有利。 兵士も水夫も兵器も船も欲しいって言えばすぐでてくるもんじゃないんだよな。低質なのは出せるんだろうが。
元寇の失敗でどんだけ失ったんだろ。
国の威信も落ちただろうし。外国になめられるよね。 そりゃ朝鮮王がフビライに倭国を攻めてくれって嘆願したのが元寇の原因だからな
友達になんてなる気ないわ >>412
どうだ明るくなったろう、のおじさんをお札の絵柄にするのはどうかな。みんな景気よく無駄遣いするようになると思うんだ。 >>449
フビライの息子が直接精鋭を率いて攻めこんできたのを撃退したベトナムの方がすごい。 >>453
それはちと違うんだな
朝鮮は戦いたくなかったからフビライさんざ説得したんだよ、意味ないって
フビライは当時の朝鮮王妃と婚姻関係結んでるから(妾だ)やっぱ王様なんだよね
で、仕方なく日本侵攻の手伝いしたけど、対馬の松浦族にはしっかり情報流してた
当時の朝鮮はそこまで日本憎しではない 当時の造船で朝鮮半島のめぼしい山はほとんど禿山になったっていわれてるんだぞ
なんで仲良い日本に朝鮮が攻め込んでくるんだ?
色々ややこしくなったのは、その後の倭寇や、秀吉ぐらいから >>450
モンゴルは船も水夫も持っていないから、失ったのは一部の陸兵のみ
船は宋船と高麗船のみ >>425
そもそも当時のヨーロッパは中東以下のド田舎だぞ >>442
案外「元寇神風撃退説」を発明したのって、南北朝時代の吉野の連中だったりして? >>319
いやいや、鎌倉武士だった俺の祖先もちゃんと元寇の時に戦ったからな
今じゃ農家だけど、そん時の文献と槍が家宝として伝わってるから >>460
日本と国交あったのは南部の新羅国だろ
半島統一後にモンゴルに占領されたのは北方の高麗側の連中だし
しかも高麗連中が500年以上前の白村江の戦いを例にして日本なんて弱い楽勝ってモンゴルに吹聴しまくってたから >>466
新羅は敵国で日本とは犬猿の仲
だから日本は新羅包囲網の一環として渤海と同盟したりしている 元寇は神風など、元軍撃退した事だけを取り上げるが
対馬や壱岐などの悲惨なのは黒歴史っぽかったけど
この漫画それを題材とすると聞いて、最初は読みたい気持ちより避けたい気持ちだったけど
読んでみたら、えらいおもろかった
やられまくったけど、それなりに抵抗はしたみたいだし
安徳天皇出してくるとは >>465
弁慶が持ってる武器と同じ形だけど、あれ槍じゃないの? >>466
そうだとしても高麗が日本をそれほど嫌っていたか?
まあ目の前の敵新羅は突破して元寇になるわけだが
愛憎で言えばまあ高麗は元寇の800年ぐらい前から日本と仲悪かったから理由としては一理あるんだが
いちいち海渡って日本に攻め込むほどの憎しみが、当時あったかということだわ
>>1のいうとおり、元が日本仲良くしようね? というのを2回使者送って、その都度クビぶちきったから
キレたんだと思うわ >>168
いつでも正々堂々と戦えるわけじゃないし、
朝倉宗滴も「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候」と言っている
むしろ流動的な状況下で、手段も情報も限られている中、
正規戦のみで人道的に勝利するなんてのは贅沢な望みですらある
そんな余裕選んでられないことがほとんどだし
もちろん、あらゆる手段が許されると思い込んで、
虐殺やら、不意打ちやら、度が過ぎたことをしていると
負けた場合に相応の報復を受けるから、それも自己責任だが >>469
ちなみにあの時代には武士はほとんど長刀を使わない
長刀をよく使うのは下人(徴兵された百姓)戦国時代には足軽となった層
装束や武装は主に頭に烏帽子をかぶり、甲冑は腹巻きで、武器は長刀を持ち、足は裸足 >>471
元は先に服属した所を優遇していたからだよ
朝鮮は抵抗して服属が遅れたから日本を服属させて功績にしたかったんだと思う そもそも、神風とか巫山戯たこと言い出したのは、太平洋戦争時にろくな作戦も練らない軍部が
精神論で言い出したこと。
それまでは普通に武士が頑張ったからとなってた。
戦後、日本下げに余念のない左翼教師がそのまま採用して今に至る。
右も左もどっちも死ね。
そもそも、神風関係なく蒙古に日本侵略なんて無理。
渡海云々以前に平原用の軍隊である騎馬民族は山がちな日本では碌に戦えん。
平地の馬ってのは、下り坂では足が突っぱねて前に進めんからな。
それと、最大の特徴である騎射が日ノ本武士も出来るんだから、
決定的なアドバンテージが無い上に、更に装備は武士の方が上で
接近戦も強い。
これで防衛戦な分、武士の方が兵力多く用意できてて兵站線も短いんだから、
最初から勝ち目なんかねえよw >>474
早い話がネズミ講みたいな感じなんだな。
自分より下位が欲しい。そうすれば利益が上がる。末端は搾取されるだけ。 >>477
というかモンゴルがあんだけ領土拡大できたのってそのおかげでしょ
占領して戦奴隷化→活躍すれば土地与える名目で戦わす→以下無限ループ
だから高麗とすれば何としても日本を占領したかったんじゃない?
しかも日本は敵対国だし 日本て太平洋戦争でアメ公に負けるまでは、一回も外圧に屈してないんだよな
そら当時の軍部も日本信仰を信じるわけですわ
元寇で負けときゃあの徹底抗戦はなかったかもな
何事も塞翁が馬だわ >>478
波の荒い日本海を当時の船で何日もかけて15万人分の武器、食料を輸送するとか無理 蒙古襲来絵詞に武士の集団が固まって騎射し元軍が逃げてるシーンあったな。
自分が歩兵で相手よりショボい装備でくっそ硬い弓騎兵相手にしろって言われたら動揺しまくるわ。 >>478
安全が確保されていてなおかつ全て計画通りに進めるなら船のほうが大量の物資運べるね。
しかし嵐が来たり、逆に風がないでしまうと途絶してしまう。敵が水軍使っての襲撃してくることもある。
なまじ大軍を上陸させてると、その維持のために船団は毎日のように活動しないとあかんようになるから、
ちょっとした不測の事態で上陸軍が孤立して飢餓と物資不足の状態で戦うハメになる。 >>478
陸地沿いに航海して海が荒れたら湾に退避できるならね
渡海はきついでしょ
当時の船では >>483
白村江は戦前。任那を助けて多くの朝鮮人の帰化を受け入れたとしか書いてなかった
精神勝利っていま何処かの国がアピールしてるやつだ >>481
元に負けてたら今の日本はないだろ
遊牧民の脳筋の血に穢されて馬鹿になってたはず
モンゴル人と日本人ってよく似てるけど遺伝的にはどうなのかね
ヨーロッパ人でも昔犯された名残で何%かモンゴルの遺伝子があるらしいけど日本は撃退したからなぁ 陸路で長い列つくって敵の隊やゲリラに怯えながら現地調達した方がまだ計算できたのか。
対馬海峡狭いのに半端ねーな。 >>489
いやむしろ、日本人のルーツはモンゴル人みたいな事習った記憶があるぞ
言われてみると確かに中国人や半島人より似てる気もするがw >>490
元軍は草原さえあれば補給要らないじゃん >>489
そんなこたあない
島国ってのはゆっくりと(昔はな、今は違うぞ)その人間の心持ちを代えていく >>491
やっぱり北方騎馬民族の末裔なわけ?
半島よりはモンゴルの方が近いような気はするが
中国人は民族が多彩でまた違うんだよなぁ 元はやがて白国と発国と中国にわかれますた
それらを合わせるから大三元というのです あの時日本が負けて完全に征服されたら、今ごろイスラム教国になってたの? 船だから大軍と数ヶ月も持つ兵糧もってこれたんだなぁ。 上陸地点をもっと南の兵力希薄なとこにしとけば揚陸も楽だったのでは? >>505
当時からキチガイじみてた薩摩がにっこり >>495
日本は縄文文化がすごく長くて世界一長くて
理由は陸海の宝物が限りなくあったからで、新石器時代が1万年という世界最長なわけです
そのままでもなんの不自由もなかったけど、航海術が進んで大陸から稲作が伝播された
こうなると、どうみてもこっちのほうが楽なわけで、稲作の豊作を祈る神官が出てくるわけですよ
そうするとその巫女みたいなのが重要視されるんだが、日本はそうじゃなかったんだね
別に海行けば魚採れるし、山行けばうさぎやイノシシ、鹿や熊もいる
だから弥生人と縄文人で大戦争になったんだね
これ世界史でも珍らしい
普通耕作に従順に向かうんだが、日本はそうでなかった
5世紀ぐらいは稲作派と狩猟派で、大戦争起こしてたらしい
そこには渡来派と土着派の主権も兼ねて
結局弥生人が勝ったらしい。なぜかって騎馬と鉄 そもそもアウエーで日本側は20万近い兵数用意してるのに
勝てるわけないよな
世界帝国にしてはかなり稚拙だよな
住民虐殺して回って、孤立無援だし
攻めるほうは最低3倍以上いるのに兵数でも負けてるし >>8
これな。
神社に行っておみくじひいたら
「わるい人にさまたげられて思わぬあやまちをすることもあり交際その他気をつけよ」
って出て、タイムリーすぎて笑った。
http://2ch-dc.net/v7/src/1499086451306.jpg
大丈夫ですよ神様。
俺はそこらへん見極めています。
ヤクザ・バカチョンとは何があってもつるまない。
正しい日本人でいたいので。 これ以降日本人は大陸舐めちゃったよねw
ゴダイゴの息子の懐良親王も北九州しか支配してないのに中国の死者サクッと殺しちゃうし
南北朝軍も日本人と戦うのきついから、中国までわざわざ行って暴れてるし
秀吉も、中国攻めるとか言い出すし、満州国作っちゃうし >>488
日本は唐に屈したので遣唐使派遣となった。
しかし唐の宮廷内の席次争いで、日本は新羅より立場が上だと主張し、新羅より下位だと受け入れないと突っぱね、新羅より上位の席次を獲得した。
遣唐使によって唐風を導入したのは白村江での敗戦による外圧の結果。 >>424
これを忘れちゃいけない
人口でいえば日本列島統一はかなりの大帝国
近くに中華がいて、世界にローマとトルコがいるからちっちゃく見えるが、地味に凄い
でも航海できる船を作れなかったから世界征服は無理 >>516
個人的には舐めてよかったと思ってるよ
もう中国から勉強することもなかった。だってスグ政権変わっちゃうんだもん
日本は文字も文化も思想もすべて中国から受け入れてお手本にしたけど
明代からは一線を画したね
すでに何も受け入れるものはなかったんだろう
あそこの国は政権変わるとすべて亡き者にするから
ましてや朝鮮なんて古代までだよな
藤原や平家、源氏、足利、北条、だれも何も参考にしてない >>429
全般的に統治機能が弱い
地方の役人とか給料なしで自活とか
そりゃ賄賂とるわ >>518
あと、陸地伝いに航海する技術しかなかったから、大陸進出にしてもまずは朝鮮半島経由。
いきなり中国本土襲撃ははなっから考えにもなかったそうな。 >>393
正面きってやりあったら負けるって確証があったから仕方ない所はある >>464
鎌倉で発掘される武士などの人骨を調査すると、関東・東北の先住民であった蝦夷やアイヌ(縄文系)の人達によく似た特徴がある人が多いって聞いたことがある
かつて大和朝廷と戦った末裔が、服従後にそのまま戦士になったのかな >>523
だって武士の原型は俘囚にあるからね
朝敵になった政子が号令かけたら10万近くの大群が集まった
形としては存続してるが、本当はここで大和朝廷は終わってもおかしくなかった >>516
懐良親王は言われるがままに倭冠を取締まり明に朝貢し日本国王に任じられてるし、北朝も南朝のバックに明がついたと勘違いしてビビり、足利義満に至ってはあらんかぎりの手を尽くして朝貢し明から日本国王に任じられてるだろw このスレ読んでてネトフリにあるマルコポーロ(元の洋ドラ)見たくなってきた >>420
女真をスタートに
金 洗衣院 李氏朝鮮 キーセン養成所 慰安婦
ゲスの血は1000年近く前から始まってるわ >>525
目的は金だろ
義満が死んだら明の使者を追い返しているし
日本国内で日本国王の肩書きは使われていない >>157
5番ショートはもっとやりようがなかったのか・・・ モンゴルさん南宋滅ぼすのも50年掛かってるし何度も負けてるよ >>442
あ、これだわ
むかしからこうなんだな、我が国は >>532
南宋には孟キョウさんとかいう中国史上でも指折りの名将がいたからなあ
フビライの時代には孟キョウさん死んでたけどその遺産でずっと食い繋いでたしな >>496
弓撃ってる蒙古兵の方が付け加えられてる >>531
ロシアお得意の焦土戦術の起源は日本ニダ! 晩年のクビライって結構意固地だよなぁ
家臣がこぞって日本遠征なんか止めとけって諫言してるのに聞きやしない
老害かな もぐろのドーン!されたよな
中国も、ドーン!されたしワラカス 島に見捨てれれた遠征軍の末路が哀れだな
こういうところが蛮族っぽい 流鏑馬とか見てると当時の武士の戦闘力は高かったんだろうなてのは俺でも分かる モンゴルの使節団は方城時宗の前で何かやらかしたん?
その辺の資料が日本で発見されたらモンゴル何も言い返せない罠 問答無用で斬られたのは二回目遠征前の使者だろ
既に戦火を交えたあとだから >>7
通訳にお前ら奴隷になってたから切られたんだよ >>154
中国でも春秋時代はめっちゃ人道的で礼儀作法もうるさい戦争やってたで >>157
こマ?
Ya-Ya-yah我こそは〜って正々堂々と戦ったって大嘘かよ
これ下手すっと大日本帝国より卑怯な近代的な戦闘じゃね 当時の武士って人殺しのプロだろ?
ただの烏合の衆の遠征軍と戦闘力違うよな >>550
人を殺した経験者は少ないだろ
むしろ南宋と長期戦していたモンゴル軍に実践経験者が大勢いた 史書に残ってない小競り合いはしょっちゅうやってたんじゃね? 東路軍は上陸拠点を築けずに敗績、海上に逃れる
江南軍も日本軍と一戦交えた後は鷹島で足踏み状態→台風直撃
しかも日本側は六波羅から九州在地軍以上の兵数の援軍も来る予定だったからな
それを率いる大将は太平記でもお馴染みリーサルウェポン東国宇都宮氏、元は死ぬ >>157
このウソコピペどうにかならんのか?信じてるアホがいるのかと
>>86 でもあるように、本隊は到着してない。九州勢が戦終わらせちゃったんだが >>515
512はもっともらしいこと言ってるけど、後半部分、戦争だの鉄と馬だのは単なる想像だぞ。縄文人と弥生人の戦争の跡はない。農耕が広まって人口が増えるまで戦争は起きていない。
あと前半部分の日本が実り豊かだから農耕の始まりが遅れたってのも、よく言われるが俺は疑問。狩猟採集の割りに文化が豊かだった理由にはなっても農業しなかった理由にはならない。
これは日本列島が台風の通り道であることを忘れているから起こる勘違いだと思うね。
縄文人も陸稲の栽培はしていたが狩猟採集生活を続けたのは農業じゃ十分な収穫がなかったから、中国南部から水耕や治水の技術をもった倭人って集団が来て、ようやく日本でも農業が割に合うようになったってのが真相だと思うね。 >>549
礼儀ってのは同じ価値観持って同じ礼儀作法尽くす者同士でのみ成立するんやで。
せっかく名乗り上げてやったのに元軍それにきちんとしたかえししないでいきなり毒矢撃ちかけてきたからな。
礼儀知らずの野蛮人にかける情けはないってのは万国共通。
そうなると後はいかに効率よく敵を皆殺しにするかの作業になる。
近代戦はそれやな。効率のよい敵の殲滅、勝てば官軍なので卑怯もへったくれもない。 >>403
死骸というとでかいイメージあるが細切れ手のひらサイズにしてたのかな… >>561
二キログラムくらいの塊にして投げたんじゃね 友達になるつもりがない無礼な犯罪者みたいな奴が
「仲良くしようぜ」とか言ってきたら
一刻も早く遠ざけたいよね?
口で言って帰ってくれなければ最終的には首切られてもしょうがないよ
日本は日本人の国なんだから日本人と仲良くするつもりのない外国人は帰らないといけないよね >>538
ベトナムや樺太なんかにも同じように執拗に攻め込んで負けてるしな
ただ晩年に高原に親征して普通に勝ってるから本人はボケてないし
身内の反乱が相次いでた時期でもあったから
四海を制して逆らう気を無くさせたい意図もあったんだろうなあ >>547
長平で20万人生き埋めにしといて礼儀もクソもないような >>457
騎馬民族もジャングルには勝てなかったんだろうか。なんせ米軍でも苦戦するくらいだからな。 >>567
大越の陳朝に老獪な外交力があったこと
大軍に清野(焦土戦術)がクリーンヒット
陳興道を始め 歴戦の将と屈強な兵がいたこと
蒙古人にとって気候が暑すぎること
遠因となるが アイヌ(骨嵬)の樺太での活躍 元寇での武士の活躍(再利用する予定だった船と兵が減った)
運もあるが色々とすごい 使者の首跳ねないと、
アイツ敵方と内通してんじゃね?
って、噂たてられてしまうんだ、
って真田丸で学習しますた(・ω・)
しかし、ドルジや白鵬みたいな連中をよく追っ払えたもんだなぁ >>381
2ちゃんで知識が得られると思わない方がいいぞ
普通に本を読め >>571
強いのは相撲だけ
総合ではモンゴルなんかフルボッコ モンゴル人自体は少数の指揮官クラスだけで、兵隊は中国兵とか朝鮮兵、
しかも戦争でボッコボコにされたあとの連中。 >>574
まあ溢れた南宋兵の処分戦争とか言われてたよな
成功してもよし
全滅してもよしで >>574
ロシア?あたりからの青い目の兵士がいた!?みたいなのあったな >>570
さらに日本の勝利で元軍の質の低下し、陳朝の士気は上がった影響もあんだろうな。
普通に考えればそうだ。 そういや焦土戦術ってのがあったか。
やっぱ陸路は危険だ。
海路を使ったことで数ヶ月海上に漂うことができて無謀な作戦を実行するはめにもならなかった。 >>571
和睦したのだから兄の使者(叔父)とこっそり会わなくても良いと主張していた人かな。
あの時皆で、会った事がばれたら真田幸村自身が危ないと忠告した。
そのあと、後藤が内通の疑いをかけられて理解できたでしょう。 >>579
北ベトナム飛ばして南ベトナムを攻めたから 韓国や中国はこんな歴史を無視してよくまあ日本の侵略がーだの秀吉がーだの大戦がーだのいうよね >>579
ベトナム人、でっかい木の杭を港とか上陸地点になりそうなとこに立てておいて、
満潮時に入ってきた元軍の船は干潮時に船底ぶち破られて壊滅したそうな。 >>584
元軍がそれにひっかかっときのベトナム人の顔を見てみたいw 上陸して陣を張るもなかなか勢力広げられず
夜襲の脅威もあって被害も増え続け
海上に引いた所に台風がダメ押ししたんでしょ? >>584
ノルマンディーでは満潮時に水没し上陸用舟艇の船底を破る予定のドイツ軍の障害物が干潮時に上陸してきた米英軍の盾がわりに使われる始末 元寇軍使者「我が軍門に下られよ」
北条時宗「首チョンパー!!!」
こんな感じかな >>591
あれは対戦車障害物だろ
しかも地雷がくくりつけてあって機銃弾で誘爆するようになってたらしいが >>232
今ではその堀に獰猛なサメ(米国原潜、日本の潜水艦)がいるんだぜ
>>567
生き返ったごつとつこつ大王が象で騎兵を踏み潰してまわったんだよ >>594
高麗から飛んでくる火矢には堀も鮫も効かんがな >>460
弘仁4年(813年)肥前の五島・小近島に、
新羅人110人が五艘の船に乗り上陸。
新羅の賊は島民9人を打ち殺し101人を拉致。
貞観11年(869年)、新羅の賊、艦二艘に乗り
筑前國那珂郡(博多)の荒津に上陸し、
豊前の貢調船を襲撃し、年貢の絹綿を掠奪。
寛平5年 893年 新羅の賊、肥後国飽田郡に
来寇し人宅を焼亡す
寛平6年(894年)、新羅の船大小100艘に
乗った2500人にのぼる新羅の賊の大軍
対馬に侵攻。対馬守文屋善友が弩をかまえた
数百の軍勢で迎え撃ち撃退
寛平7年(895年)、新羅の賊が壱岐を襲撃
官舎が焼かれる
長徳三年(997年)、高麗人が、対馬、肥前、
壱岐、肥後、薩摩、大隅など九州全域を襲う
民家が焼かれ、財産を収奪し、男女300名がさらわれる >>566
そもそも秦は中原からは蛮夷扱いされてた国だしな >>595
高麗は何百年も前から日本の敵
討ち滅ぼすしかない >>592
使者「仲良くなろうや」
時宗「なに言ってんだこいつwまず日本語喋ろうな!サクッ」
こうだろ
通訳だれよ? 日の本言葉が話せないんじゃ殺されても仕方がない気がする ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています