お前ら悟りや解脱に興味ないか?一切の苦しみから解き放たれるぞ [無断転載禁止]©2ch.net
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寺から 幸せ願う親心 お供えをひとり親家庭に 活動広がる
寺にお供えされた菓子や食品を“おさがり”としてひとり親家庭に贈る活動「おてらおやつクラブ」が、全国で広がっている。
金沢市金石西の正林寺の池崎朋樹さん(38)と妻方子(まさこ)さん(34)もその一員。二歳の息子を育てる親として、同じように子どもたちの幸せを願う気持ちが原点にある。
しかしこれは真の幸せには繋がらず、貪りの苦を増大させるだけの結果になり子供たちを餓鬼の世界に突き落とす鬼畜の所業である。
http://www.chunichi.co.jp/article/ishikawa/20170614/CK2017061402000026.html 苦しみごときで俺の膝は屈しない
ほっといてくれ
俺はここから成長する >>3
死んで終わりなら修行する必要ない。
自殺すれば全部解決。
問題は輪廻転生。 輪廻転生は本当にあるよ。
瞑想で三昧に入れると、その時に過去世の記憶を思い出す。
おれは一瞬だけ三昧に入れた時に思い出した。 一切の苦しみから解き放たれたのがなんもしてない無職だろーが! 生老病死愛別離苦を捨て去る
生きる事にも老いてゆく事にも病にも死にも愛にも別れにも離れる事にも苦しみにも、執着しない
愛も苦しみのひとつ、執着せずに自らの身心を突き放すべき
事実、シャカ族の王子であったゴータマ・シッダルタは同じシャカ族一族を見殺しにした >>16
身体はなかった。
慈悲と光だけが満ちている世界だった。
ちなみに、過去世の記憶は脳みそのなかにあるわけじゃない。
そもそも過去世の時点では、いま使ってる脳みそは存在してない。
そんなところに記憶の本体はない。 苦しみから逃れたいという欲望がある時点で悟りは無理 悟りは苦しみから開放されるが、何も生み出さないからな
若いうちにやることじゃない >>12
残念だけど思い出したり感じたりしてたらそれは三昧じゃないな
突発性厨二病だ
座禅の副作用として多数の報告例がある
こじらせると薄っぺら宗教馬鹿になるから気をつけろ 自我から脱皮するのに正精進と正念が必要なので、それは残るから
欲望から抜け出した状態というのは、無気力状態とは違う。
やるべきことにただ精進している状態になってくる。
自我を捨てていくと、自分と他人の境目がなくなっていくので
自然と自分のための修行から、他者への慈悲に変わってくる。 欲望から解放されるメリットは?
俺は今の人生が楽しくてしょうがないから結構だわ アナルオナニーでドライで行くことを目指して日々座禅を組んでいます
エネマグラは入れています >>1
リタイアした後ならやっても良い
娑婆世界を生きてるうちの悟りなんざ邪魔にしかならん >>24
その話の中には、三昧から落ちたあとに振り返って思惟した部分もあるし、
三昧の種類や深さの違いもある。
時間にして数分程度しか入れなかったが、その時は思考しようと思ってもできないし、五感の感覚もなくなってた。
また、色界禅の段階では、解脱者の滅尽定とちがって、すべての心が停止するわけじゃない。
思考はしていないが、明瞭な気づきだけが連続しているという、そういう状態がある。
止観の禅を教えている禅寺で修行しているので、独学でやっているわけじゃないよ。
仏道は、仏法僧への帰依なしにひとりで進める道じゃない。 >>27
観禅を修めればわかってくるらしいけど、自分はまだそこまで見えない。
思考が止まった部分があって、それを認識している意識があって、まだ他になんかあるな、っていうのは分かる。
教学的には、パーリ語でアヌサヤ。漢訳語でアラヤ識がそれに相当するのかもしれない。
まぁ、ただそれはただの知識に過ぎないけど。 ドトールコーヒーは創価系企業
創価学会は犯罪組織
集団ストーカー
北 区 赤 羽 は 創 価 の 街
あなたの重荷を主に委ねよ。主はあなたを支えてくださる
(旧約聖書『詩編』55章23節から) >>34
いや、だってまだやってる途中だから。
ただし、ブッダへの信と帰依は揺るぎない。
実際に瞑想の中でブッダの慈悲に触れたし、それがそのまま涅槃につづく道なのも見た。
なので、三宝に対してなんの疑いもない。
ブッダを北極星として進む限り、最終的に間違った方向には行くはずがない。 道徳心と結びついてるから興味ないわけじゃないがバカバカしいね
悟りとか解脱なんてよく知らんのよ
多くのアル中にも頭脳明晰になる一瞬が訪れるらしい。全ての問題がスーパー整理されて最善策なんかも自ずと一瞬で決まるらしい
当然アル中もちょっとは記憶力があるから、それでアル中から解脱する者もいる
悟りってそんなところ?
解脱はどうなんだろ?ケタミンのオーバードーズみたいなもんか? ブッダの慈悲は、実際に、本当にすべての衆生に向けられているし
いまも、これからも、ずっと一切衆生を包み込んでいて、見捨てるということがない。
衆生がブッダに心を開かないので、それが見えていないだけ。 ID:OwARRQFs0の仏教かぶれっぷりがまさに中2で笑える
見てー見てー仏教に詳しい僕を見てー色々語れる僕を見てー 欲をどうにかしない限り悟ることなど
つまり死なない限りは無理 自我が消えるのを見て、自我を脱ぎ捨てたその外側は、ブッダの慈悲に満ちていて
慈悲は智慧そのものだった。
それ以来、解脱すること、悟ること以外にほとんど興味がなくなってしまった。 >>44
ν速で長文レスを繰り返す承認欲求はあるのにね 人智を超えた智慧は、人智の中からでてくるわけじゃない。
人智を脱ぎ捨てるから、人智を超えた智慧が現れる。
自我を捨てれば、自我を超えたものが雪崩を打ったように流れ込んでくる。 賢者タイム後のポジティブシンキング状態ならオッケーてことですね 「その目から涙をぬぐってくださるのです。
もはや、死も悲しみも叫びも苦痛もありません。
それらはみな、永遠に姿を消したからです。」
・・・ ヨハネの黙示禄 21.4 性欲から解放されたい
こんなものがなければ女なんぞ不要なのに >>56
あと20年もしたらバイアグラ飲んでるくらいのもんだ 今日は一日中ベッドで寝てました。
楽しかったです。
______________
| (^o^)ノ | < おやすみー
|\⌒⌒⌒ \
\|⌒⌒⌒⌒|
 ̄ ̄ ̄ ̄ オナニーすらしなくなる状態を悟りって言うんだってね
今のところ無理 >>41
「君の名は」でも観てはしゃいでるんだろうな 1億円もらえるか、悟れるか選べと言われたら間違いなく1億円を選ぶ みんな虚しいとか空虚だとか釈迦は抜かしよるが、それっておまえが王子として一通りの贅沢を経験したから言えるんだよ?
可愛いお嫁さんに膣中射精しキメて子供も作れたから言えるんだよ?
世の中には最初から何もない、空虚の顕現みたいな奴もいるんだよ。このスレにも一杯いるんだよ。
お前はそんな奴に生まれながらにして涅槃だとでも言うのか?あったものが無くなる苦しみではなく、最初からなかった事による苦しみはどうすればいい? 過干渉は子供の自立を阻害する
飽食の時代だからこそハングリー精神を叩き込め >>3
死んでも転生してまた同じ苦しみを味わうんだぞ 千日回峰行をやっても悟りも解脱もできずに2回目やっちゃう人もいるのに
ちょっと禅寺行ったからって勘違いしてるID:OwARRQFs0が痛すぎる 世の中、悩んでるふりするのが好きとか
苦しんでるふりするのが好きとかいう人が大半だし
そういう人達を養分に今の日本はなんとかもってると言っても過言じゃない
だからそっとしといてやれよ、な 坊主が葉っぱ食ったりお香でトリップして見えた世界が極楽浄土なんだろ 俺、43だけど既に世捨て人になってるから大丈夫。女や、結婚、恋愛も捨てて金は自分の為だけに貯金してるよ。 坊さんって一番詐欺師に近い職業だよね
ありもしない事を言って金を稼いでるから。 仙道魔術やればいいだろ。今は値上がりしてるけどな。 >>67
外国で出家生活してた。
毎日、この一座が終わったら死ぬ、ぐらいの覚悟で座って、やっと少しだけ瞑想が進む。
そんな生活だった。
あと、解脱したわけじゃないので、瞑想してないときは普通に自我あります。 女の市場価値はいくつまで?普通の27歳と美人の33歳、どっちと付き合いたい? [無断転載禁止]©2ch.net
577:名無しさん@涙目です。(埼玉県)@無断転載は禁止 [EU][sage]:2017/06/20(火) 11:24:45.67 ID:OwARRQFs0
街中で遭遇するイライラしている人は、たいてい女。
99%の確度で女。
女の市場価値はいくつまで?普通の27歳と美人の33歳、どっちと付き合いたい? [無断転載禁止]©2ch.net
578:名無しさん@涙目です。(埼玉県)@無断転載は禁止 [EU][sage]:2017/06/20(火) 11:28:41.14 ID:OwARRQFs0
社会生活で遭遇する、自己正当化する傾向の強い人も、ほとんど女。
必ず、自分には問題がないという前提でもって相手を批評したり、心の中で裁いたりしてる。
道ですれ違った時、道の真ん中を通っていながら、相手には道を空けてもらうことを
当然の権利として期待している。
そして、その期待に応えないと、「なにこの人」みたいな形相になる。
子供連れになると、特にそういう傾向が強くなる。
本当に自己中。
もう本当に嫌。
おれ自身、こんなに女嫌いになるとは、思っていなかった。 みんなパンティだよ!!
i"\ ))
__ Λ_Λ .| 8 )
〃(\ ∞ ◯( ´∀` )◯-''"
`ヽ)_ノ \ /
|⌒I、│
(_) ノ
∪ >>85
人生で負けた理由を女性の社会進出のせいにしてそう 何があろうとも鼻クソほじりながら生きている
その程度でいいじゃないか 生まれながらに解脱の位置にないと危険だぞ
その位置にあっても最終的にはANDY… 悟りを開いて解脱して、六道輪廻の輪から開放され病、苦、死などない高次の生命体になったとしても、それってなにか楽しいことあるのか?
高次の存在には、そもそも楽しいという感情などないのかもしれないけど
死んでも輪廻して、面白くもない生を何度も繰り返すくらいなら、転生の輪から外れるというのはまあ魅力的といえば魅力的だが、無となったほうが良くないかなあ
生なんて面倒くさいだけだろ グダグダ悩んだり考えたりしたところで
死ねば全て終わりだろ
くだらねぇ 宗教がないのも寂しい話だ
死体は物として扱われて、焼却炉に投げ入れて終わり、じゃ寂しい
宗教は大切だし、その宗教司ってる坊主が目標にしてることだからほっといてやるしかない
何がそんなに苦しいのかまったくわからん 死後の世界とか輪廻とか、決して実証されないことをほのめかして洗脳するいんちきビジネスですね。 このスレの住人は自己顕示欲からは解脱できていないようだね。 悟りってのは究極の理解?
なんで感情が移ろうのか、なんで思考が発生するのか、なんで物事が起こるのか、なんで自分がここにあるのか。
この相関関係を理解すると、全てが関係があり、そして、全てが無関係だと気づく。
宇宙が生まれて、地球ができて、人ができて、感情ができて、知性ができた。
この大きな流れに逆らうことなく、つまり、生まれてきたものをあえて壊さず、殺さず、大河の上に浮かぶ葉っぱのように、気楽に生きればいいんでねーのかな。 坊主なんてブッダの嫌がってた葬式とかバンバンやって偶像作って愚民を搾取するビジネスそのもの。 これ拾って来た
100 懐かしAA 2017/03/27(月) 10:55:24.65 ID:GcTCLEux
いいか、みんな
(゚д゚ )
(| y |)
小五とロリでは単なる犯罪だが
小五 ( ゚д゚) ロリ
\/| y |\/
二つ合わされば悟りとなる
( ゚д゚) 悟り
(\/\/
悟りはもっとも尊いものだ。警察にそう言って許してもらえ
(゚д゚ )
犯罪_/| y | 経典とか仏像とかに執着してたら悟りも解脱も得られないんじゃない?
仏教の理屈から言うと。 不幸?苦しい?
ああそりゃそうでしょこのままだと来世は地獄に落ちるよ。
でもね今ならウチらんとこに加入するだけで来世は天国いけちゃうんだわ。幸せになったって体験談もいっぱいきてる。費用も一日コーヒー一杯分くらいから始められるよ。 悟りの状態が定義もされてなければ観測されたこともないんだから意味ない話。落ちるよ僕の考えた最強の悟りを騙ってるだけ。詐欺師はそこにつけこんでるんだけどね。
なんなら今現在私は悟ってますと言ったとき、否定できる人はいないはず。 悟りとは即、死を意味する。
生きたまま行ける境地ではない… >>3
生きてるうちに煩悩から離れないと意味ないんだよ ブッダは薬物なんてやらなかったからな
そこが何といっても偉い 脳科学で悟りは脳の緊急回避スイッチみたいなものらしい。
苦しいことを長時間しすぎると、スイッチが入ってなにも苦痛じゃなくなるらしい。 >>109
あいつらは仏弟子ではなくてただの商売人だしな マラソンだって毎日やってると脳内物質出てきてトリップするらしいからな。
厳しい修行や極限状態で分泌された化学物質が脳の状態に変容をきたすことはあり得るでしょう。
これを悟りと言ってるんならね。 >>63
釈迦の教えは現世を説くものではなく来世(浄土)への導きを説くものでしょう
現世のすべてはあるがまま 色即是空、どうせ結局は無
俺たちで他力本願寺を建てて極楽浄土に行こうや >>138
俺達が建てたら自力じゃん
誰が他人に建てさせて他人に連れてってもらって他人に祈ってもらってこその他力本願寺 弘法大師空海も思い焦がれたお釈迦様ってどんな人だったんだろう。
インドの東地方では、ジャガンナート神が地上に人として降りてきたのがお釈迦様って伝わってるらしいし。
ジャガンナート神自体、ヒンドゥー教に入ってるけど、実際もっと古く、バラモンよりも古いポピュラーだけど謎も多い宇宙の主なんだよね。
唯一、黒い色を使って表され、両手両足がもげてる、兄弟がいる。見た目が微笑ましい。
インドは深いわ。
お釈迦様は、日本では身長4メートル位あったって信じられてたんでしょ?たくましい見た目だったかもとか思うわ。
それにしても、釈迦教と仏教を混合してる人多いね。 手術後のこの痛みも悟れば苦しまないのか?
んなわけねーだろ!それ痛覚失ってるだけじゃん 床屋でハイしか言わない俺レベルじゃないと
悟りを開いたとは言えない >>137
釈迦は来世への導きなんか言ってないぞ
現世の束縛から解放されることが悟りだと言ってるだけで まだネガなん…!?、はやく旧石器時代へ戻ろぅょ〜(*´∀`)♪・・・ 輪廻とか死後の世界とかだまくらかしてビジネスやってると地獄に落ちるよ。
釈迦もそういうインチキな輩がはびこることを予測してたらしいね。 地獄は無いんだけど、坊主丸儲けやってる輩は金に追いかけられる輪廻から抜けられないだろう
自分でやってんだから判ってるはずだけど >>147
輪廻とか死後の世界は信じてないけど地獄は信じてるんだw
悪い事すると地獄に落ちると思ってるんだw >>149
地獄があるかないかは実証できないんでしょ?
カルトな人たちの理屈に寄り添って話してあげてるだけだよ。 >>151
その言い訳はちょっと苦しいw
まあ地獄に落ちるとかそういう考え方や言い回しは宗教性に関わらず文化として日本人に根付いてる物だから
そんな必死に厨二病設定を守らなくても良いと思うよ >>152
輪廻とか来世とか地獄とか言ってるやつもホントはそんなもん信じてなくてビジネスに使ってるだけだろという皮肉。ここまで言わないと分かんないかね? 宗教否定派は異様に「宗教に騙されてカネを取られる」と言うけどこれはなんなんだろうな
別にそんなことはないと否定はしないけど、結局儲けてる人はずるい金儲けはずるいってだけの話だと思うんだよね >>155
人を騙して金儲けすれば後ろ指さされるのは当たり前。 >>154
大丈夫だよ
誰もお前を責めてないし反論もしてないよw
ちょっとからかっただけ、ごめんね😋 >>48
わかったからもう自分のブログにでも書けよ(笑) >>158
いえいえわざわざ謝らなくても。
悪趣味ですよ。 遊び人を極めれば賢者となる
これを信じて数十年
無職で毎日、引きこもりネット、映画鑑賞、ゲーム、読書としてるが、この修行つらいわ。
遊び人って孤独だよな
親は毎日泣くし、つらいわーつらいわー >>112
なんでロリが犯罪なんだ?
小五といえば思春期の初期 自我が確立し始める頃 小さな悟りを得る頃
少女は将来の目標を決め始める時期でもある 人生の夜明けである
perfume やベビメタもこの頃から活動を始めた >>108
ほんとそれ、万物は時間とともに変化し続けるというだけの物であって、そこに深い意味はない だって御釈迦様は悟ったけど他は駄目だし、キリストは別に悟ったわけじゃないし、マホメットさんはただの予言者だし。他はいわずもがな。
どれやっても悟ったり解き放たれないんじゃね? 坂口尚の描いた「あっかんベェ一休」で触れてるけど
その世界観には圧倒された記憶があるな
読んでて洗脳でもされているかのような感覚を覚えた位 仏教の悟りでさ、一切のの苦しみから開放されるには全てに執着しなきゃいいてのがあるみたいだけど、
俺から言わせりゃなんだそれwて笑っちまうよ
フジテレビの嫌なら見なきゃいいじゃないんだからさ、ちゃんと解決しろよて思う 悟りやら解脱やら格好いい事言って色々あきらめてんじゃねえぞ
修造に説教されてこいハゲ 全てに執着しないと程なく死ぬよね。食欲にも執着しない、健康にも執着しない、お金もモノも盗まれ放題。 俺自身は悩み苦しみは全く感じないんだが、
俺の周囲の人達が俺を見て色々と困ってるらしい
悩むことは何もないと、教え導こうとすると怒りだす
悟りを開いた聖人も色々と難しかっただろうな、と思った >>174
母親「働け!」
息子「悩むことは何もない」
母親「こいつ…」 動じる心は持っていたいわ
東京では昼間、人が道に倒れていても介抱する人がいない
「一切はただ過ぎていく。全てを受け入れよ」って考えは困っている人を無視したり綺麗な景色に感動する事も無くなるのに近いのだろうか 普段から感情の起伏を抑えようとしていると
逆に刺激に敏感になる気がする 下手の考え休むに似たりってね
凡夫凡人の俺らは気楽に生きよう 輪廻転生は仏教の前提だし、お釈迦さまの説法は輪廻転生を前提になされてるよ。
ちゃんと調べれば分かること。
論文(PDF、ページ右上にリンクあり)
http://www.sakya-muni.jp/fieldwork/3-1212/
動画(長い。瞑想できない人みたいだが、言ってることはまとも)
https://www.youtube.com/watch?v=sKqiZXo6o4o 悟りなんか得なくても阿弥陀如来が救ってくださるからヘーキヘーキ よくある輪廻のイメージが、ヒトの次は犬に生まれ、次はミジンコで次はウミガメで〜みたいな、
不変の魂が器である肉体に宿っていくというものだけれど、これが誤解であるというのを最近知ったわ 人生で何度もプチ悟りはあるけどな。
悟った人はずっとあの感覚なのか? 苦しみがない悟りなんていらない興味がないなんて人はそれでいいんだよ
あれまんがそこの元に戻ることの方が道の目の先のもののふかに代わることになるんだから
そけのさままにならぬなら磯のうえで流れればいい >>171
たぶん、執着を捨てるってのは、全放棄するのとは違うと思われ。気持ちのなかの悪い部分だけが執着かと。
気持ちや行動の意図を分解するといろんな成分があると思うんだよね。好奇心、利益誘導、安全確保、それが転じて他人よりも優位に立ちたい、他人よりも幸せでいたい、勝ちたい、得したい、だから他人を下げるとか。
それは執着的なもので、それとは違う、純粋に助けたいとか、知識欲、体験してみたいとか、純粋に交流してみたいとか、そういうのもあると思う。
執着ってのは、その、成分の中の、自分への利益誘導や他人を蹴落とすところの部分なんだと思うんだね。
それは、大きいことだけじゃなく、例えば、信号で前の人がトロトロ走って自分が信号に引っかかった時とかに怒らないとかさ。
俺の邪魔しやがって、貴様はなんのつもりだ!みたいな心があると思うんだよね、それは、周りを自分の利益と結びつけて考えて、他人も自分に役立つかどうか、利害関係だけで判断するからそうなると思う。 >>173
ほんとそれ
そういう理由で自殺してる奴も結構いるはず おいおい…とりあえず瞑想でググろうと思ったら
瞑想 危険て出てきて調べてみたら
なかなかの恐ろしさだぞw
軽い気持ちで瞑想を始めるのは危ないかも >>186
なる程、自身の心の悪い部分こそが一切の苦しみ悲しみの主原因だったいうわけね ただ、生物が生まれて進化してきたのは、欲があったからで、人間の基本的な行動原理、思考原理に、欲や執着が組み込まれているから、難しくなる。
悟るってのは、その辺の原理も知って、人間ってのは、脳の働きってのは、結局、欲や執着が出発点なんだってことに気付いて、気持ちと思考の整理ができる人なんだとおもふ。
例えば、朝起きてなんとなくイラっとしたときに、自己分析をして、イラっとするのは血糖値が低いことに加えて、これから過ごす1日の生活に対して不快感を感じているから。
それは、自分の中の理想とする生活があるからで、理想とする生活を思い浮かべてしまうのは、より、自分を有利にしようとする生命の根源の欲があるからで、とか。
そういう繋がりが、きっと、脳のシナプスの数くらいあると思うんだよね。
だから、全ての不快感の背後にある関係を、完全に整理して理解したら、ああそういうことで、俺はこう感じてたんだ、ってスッキリするのが悟りかな? 喜んだり苦しんだり、いろんな経験するためにこの世はある。だから解脱とかあり得ない。感じなくなったらこの世の意味がない。 >>127
何にも執着しない世捨て人になればいいの? >>191
だよね、理解することが大切だよね
そこを放棄しちゃダメだろて言いたかったんだ 感じなくなるではなくて気持ちのバランスするポイントを探す感じだろ 悟りや解脱を心の持ちようみたいに考えてるならそれは自分の気持ちを単に麻痺させてるだけのことだからな >>26
そのままでいてくれ。人が幸せな姿を見るのが唯一の救いだわ >>191
湧き上がってくる渇愛に対してうまく対処するというわけではなくて、渴愛自体をなくす(滅尽する)のが解脱への道です サッカーでも野球でも熱狂的なスポーツ観戦者は
応援するチームの勝利に歓喜し、敗北に打ちひしがれる
日本の敗北は見たくないからスポーツ観戦は嫌いなんて俺よりずっと強い ウ・ジョーティカって人の自由への旅っていう瞑想を解説した本がpdfで無料公開されてるから読んでみ 犬であることに身を置くことを選択して振る舞うことも悟りだと思うんだけどな >>195
うん、たぶんね。俺は悟ったわけじゃないから分かんないけどw
人はまず言葉が無いと考えられないから、悟りは言葉では説明できませんと言われても、始まりは言葉で考えて理解することなんだと思うなぁ。
そうやって考えた結果して、悟りとはどういうものかと言うと、全てを理解できた体験と脳みその状態、脳みそスーパーサイヤ人Xみたいな状態で、それを人に説明するのが難しいのかも。
中には、すごい悟りの才能があるお坊さんとかがいて、スパーンと理解して、はい、悟りました。ってなっても、人と違うから天才なわけでw なかには、悟ったふりをして、崇めよ我を!で上に立ちたいだけの人もいたかもしれん。 >>199
たしかに。
渇愛に対して知性であーだこーだ考えてる状態よりは、いい意味で知性を働かせず、単に渇愛を無くすって決め込んだほうがスッキリかも。
目指す状態に一番近い道はそっちかもですね。
Hapiness is the way
ただ、渇愛を放棄すると、一気に色んなものがなくなりそうで怖くなるけど、要らないものを手放すだけで、大きな流れの中で必要なものは自然と身の回りに起こるものなんですかねw 俺はブッタとシッタカブッタでも読みながらのんびり過ごすよ 何事も極めれば悟り。
社畜だろうが一匹狼だろうが、好んで極めると悟りの境地に至る。まぁ、悩むなってことだ。 個人的に悟ったところで、大多数の人間は欲望で生きてるわけだし、社会との軋轢が生まれるだけよ
下手なこと言っても精神病認定くらうだけやから、黙って社会から離れて静かに暮らすしかない
宗教立ち上げて信者に説法するのも悪かないとは思うが、仏教なりの歴史的バックボーンなしに個人的に悟りましたじゃ誰もついてこないよ 善悪なんて相対的なものだし、個人個人で異なる基準。人間の能力は限定的なものだし不完全なもの。すべてを理解するなんてありえないでしょう。
ウィスコンシンのベティさんが今何をしてるかすら知覚できないんだから。 社会と距離をおいて一人静かに生きるにはどんな職業がいいんや?生ぽとかそういうのは無しで自力出来るヤツ >>173
そう考えると、うつ病は解脱状態なんだな。 >>210
全てを、自分の脳内の全てと捉えると、全て理解できるかもしれない。なぜなら、所詮、自分のことだから。
そもそも、自分が知覚するもの、考えること、思考することは、全て脳内で起こってることだしね。
そう考えるとなんか怖いよね、見てる、触ってる、美味しい、いずれも神経からの電気信号が脳に届いてるだけで、本当にそれがあるか、ないかは、脳がそう判断するか否かでしかないみたいな。 そんな面倒なことしなくてもガシャでレアカード出れば色々解き放たれるわ
。 瞑想に興味ある人は一般人が参加できる禅寺に行くのもいいし、ババジ、クリシュナムルティ、ヨガナンダ、マクドナルド・ベインあたりの良書でも読んでみたらどうだろうか
「求めよさらば与えられん」で、一人で真摯に探求し続けていると、おかしな宗教に寄り道することなく不思議なご縁で自然とその道の導師に巡り会えるチャンスが訪れるように仕組まれているらしいぞ
宇宙ヤバイ >>213
むちゃくちゃ働いて金儲けて早期リタイア。日本で無理なら通貨の安い国に移住。 >>215
意識なんて薬や手術で簡単に変容しちゃうしね。バーチャルリアリティ技術が進んでいくと体験や感動も任意に操れるようになるかも。
今の人生だってバーチャルリアリティかも知れない? >>213
農夫になる人が多いんじゃないか?
住む家のさえあればイザとなったら自給自足できそう 悟りの智慧というのは、人工知能では代替できない、真似できない分野だろう。 誰一人悟ってる人現存しないもんね。逆に俺は悟ってると言われたら誰も否定できないし。 人間は生まれながらに快、不快という2つの感覚がプログラミング
されている。この中の不快という感覚から苦が生じる。不快という
ものを無くすには対極である快も無くことでのみ成立する。禁欲的な
生活を送ることで、不快なものも不快でなくなり、すなわちことや
ものに執着がなくなる。すべての事象に受容的であることが、苦から
の解放、極楽ということ、確かこんな感じだったと思う 俺なんかしょっちゅう解脱してる
解脱しっぱなしで解脱癖がついたくらい 自分の周りで起こる不快な事をどう受け止めるか
受け流すか、だけど凡人には難しいな >>221
色受想行識の五蘊のうち、色に対しては明らかに物理的に干渉できるが、
識に関しては唯物論ではどうにもならないよ。
受想行についても、瞑想修行している人と凡人では同じにならない。
凡人は完全に感覚や感情に流されるが、訓練次第で反応を選べたり
流されないようになってくるからね。 南無阿弥陀仏のお経は聴いてて気持ちが良い
キンを叩くタイミングも絶妙 ぼ僕の前世は高名なお坊様!だからハゲじゃない!ピカッ 釈迦のやってた瞑想に一番近いと言われている
ヴィパッサナー瞑想をやりなさい。 >>235
“オナニーさえマスターしてしまえば女など要らぬ!”←ホンコレダオ >>231
なんか色々断定してるけど根拠ないよね? 物理現象であれば、証拠を示すことができるが
精神現象は物質ではないので、証拠を見せてあげることはできない。
例えば、地球が平らだと信じている人たちに、本当は丸いのだと伝える
ためには、その丸い様を見せてあげれば良い。
しかし、精神現象については、各自で確認してもらう他ない。
だから瞑想するわけ。 人間は意味を感じたときに喜びを覚え
逆に意味を感じないものに不快を覚える
何か一つの事に執着してしまうと
それ以外のもの全てが不快になってしまう
大きな喜びが、大きな執着を生む
欲を捨てる事が出来れば
全てを理解できる境地に至れる この、「見せてあげることはできない」というのは、他の宗教でも同じことを言ってるのをよく見かける。 迷信を疑って退けるのも大事な理性に違いないのだが、
自分の理性を超えた真実を感知するのも理性だと思うよ。
迷信も真実も、どちらも常識の枠からは逸脱しているからね。
しかし、このふたつを区別することは、とても大事だと思いますよ。 人間の限界のなかに留まって安心していられるなら構わないんだけど、
輪廻転生、因果の道理って、そんなに甘くないのでね。
むしろ輪廻が現実ですから。
現実は厳しいです。
自殺しても逃げられませんし。 >>221
もし、今の人生がバーチャルリアリティだったとしても、この文脈でのバーチャルリアリティは何を意味するのかという疑問がでて参りました。
今の人生は本当じゃない、としたら、本当の本物の人生があるってこと?そっちが本物でこっちがバーチャルだっていう根拠は? 意味なんて知識が繋がったらドーパミンが流れて
分かったって気分になってるだけなんだよ
根本なんて始めっから存在しない
ネットワークなんだもの え?ここには年令=童貞の悟り、解脱した人しかいないだろ?(確認) 宗教者の言うことはそれが全くのデタラメだったとしても確かめようがないというところがミソだよね。そして自分はこうだったという個人の体験談。典型的な詐欺の構図。
もっとディズニーランドとかみたいな世界観を売るテーマパークにすればスッキリするのに。趣味趣向であれば虚構を楽しんだりこだわったりするのになんの問題もないのに。 悟りって最も貧しい生活送るってことだから毎日寝てるだけだぞ
それでもいいならかまわんすきにやれ 日本の仏教は不思議やオカルトを語りたがらない
学問仏教、机上の仏教になりすぎ 客寄せの為に、南無阿弥陀仏を唱えれば
誰でも極楽浄土にいけるというレベルまで下がった仏教に
価値はあるのでしょうか? >>256
これは変だろ?と思ったところは受け入れなくてもいいんだぜ。
自分がちょうどいいと思える所を受け入れればいい。
仏教に限らず、決められた(定められた)教義にとらわれずに
自分にとってのいいとこ取りをできるのが日本人の特異性であり長所でもある。
そしてそういう曖昧さと自由さを許してくれるのが
仏教(神仏習合として、神道)の広さだと思う。 仏教の各宗派の違いは、医療にたとえると処方箋の違いのようなもので
医療が患者さんの症状に合わせて処方されるように、仏教は人々の気質(機根)
に応じて説かれたもの。
基本的に、どれかだけが正しくて、ほかが間違っているというわけではない。 難しい経典読めなきゃ絵画・曼荼羅見てりゃいいし
仏像の迫力・優しさに圧倒されて何かを感じるのもいい。
修行・苦行で自分を追い込んで何かを得ようとしてもいいし
座禅組んで瞑想して自分と向き合おうとするのも一つの手だ。
禅問答でみんなで考えを突き詰めていくのもいいかもよ。
でも、そんな苦しい思いもしないでも、頭をつかわないでも
ただ念仏唱えて気持ち軽くなるだけでも極楽浄土に行けちゃうんだから最強。
文字読めなくてもフレーズだけ唱えればいい、絵で描かれた念仏もあるよ。
それもダメとなりゃ楽器打ち鳴らしてみんなで踊ればいいしさ。
ただ、紙に書いた御本尊の絵だとか名前飾っときゃご利益あるだろ。
そんなもんだ。
価値は自分で見出して自分が育てる。 単に死後の恐怖を煽って免罪符売る商売ですよ。売り方は信者に合わせて様々だけどね。 >>260
それなら仏教毛嫌いして排斥してもご利益にだけはありつけそうですね。 無宗教の人の目に留まる場所で輪廻の話なんかしたら、バカと思われるか、
悪党扱いされるか、どちらかですよね。
最近の坊さんは、人前で輪廻の話なんかしません。
輪廻からいかに抜け出すか、いかに涅槃に向かうかという話をするのは、
むしろ正直な坊さんでしょう。 >>263
ちなみに輪廻については何ていう経典で言及されてるの?
後期釈迦も輪廻についてなんか話してた? 自然科学というより世の中を適切に説明するロジックができてしまった以上、宗教は趣味や娯楽として楽しむフィクションとしてしか成立しないでしょう。
フィクションなら正しいとか正しくないとかは関係ないし、矛盾や虚偽があっても問題ない。もちろんそれで金儲けしたって構わない。 >>264
輪廻
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%AA%E5%BB%BB
ちなみに浄土真宗では輪廻の話はしません
南無阿弥陀仏を唱える全ての人がこの世を終わると同時に成仏(仏に成る)することが約束されているから >>266
お前アホっぽいな、自然科学が人間の心を救っているのか? 歳食ったら自然に悟りに近づいていくから心配いらんよ。
究極の解放はつまるところ死だからな。
急いで死ぬ必要はない。そのうち死ぬ。 >>264
すべての経典が輪廻転生を前提に説かれていると思います。
試しに、パーリ経典でも大乗経典でもいいので、気になったお経をひとつ読んでみて下さい。
ネットに無料で転がっているもので結構です。
例えば、仏の顔も三度の故事のもととなった瑠璃王経などは如何でしょうか。 >>269
お前のほうがアホだろ。救ってないとでも思ってるのか? >>272
科学というのは実証的ではあるが、常に「対象外」がある
対象内のものは合理的に説明できても、人の苦しみはその科学の対象外からくるのだよ デカルト以降の近代科学は、捉えどころのない精神現象は観察対象から外して、
観察対象を物質、および物理現象のみに絞ることで、効率的に発展してきたと
認識しています。
科学は、物理存在を物理的に観測することで、その真偽を確かめてきたのです。
仏教は、精神現象を精神現象のままに観測することで、その真偽を確かめます。
仏教の観測対象は、名色といって、身体現象と精神現象の両方です。
観測対象が違っていても、その手法の科学的であることにおいて、仏教の止観の
瞑想は、科学と矛盾してはいないと思います。
近代科学は、物理的に存在していないものは、存在していないと考えます。
しかし、ここで注意して欲しい点は、近代科学は、そもそも精神現象を観察対象と
していないということです。
最近の流行として、脳を精神だと見なす風潮がありますが、正確には、脳という
物質を介して、間接的に精神を推測しているに過ぎません。 もしも科学が、精神現象を精神現象のままに観測し、確かめることができれば
科学においても精神が解明されるでしょう。
そして、その手法は瞑想、止観の禅と同じものになるでしょう。 >>273
宗教のほうがより対象外の領域が大きいでしょう。 ダークマターを考慮すると、唯物論でも現代科学が扱っている範囲は
かなり狭いことが知られてきたのではないでしょうか。
仏教、あるいは瞑想の立場から発言するならば、
心は、物理領域よりもずっと広くて、しかもずっと強力なように思えます。
ほとんどの人は、脳みそが精神を生みだしていると思っていますが、
本当は心が物理現象を生みだしているので。 >>275
脳内の科学的な状態の変化てしょう。
薬品や各種の刺激によって、苦痛にすることもそれを遮断することも、鬱にすることも躁にすることも、記憶を消すことすらできるようになってますが。 >>277
それはあなたの個人的な感想であって、大半の人には受け入れられてないでしょう。 はて。
社会に出て人並みに働き、家族を養った。
悩み、苦しんだ事も今は昔。
友と語らい 楽しいこともあった。
自分なりに 出来る事をしただろう。
今は静かに お迎えが来る日を待っている。 わたしの意見が認められるかどうかなど、どうでも良いのです。
仏陀がすでに正解を教えています。
そのことだけお伝えできれば、あとは皆さんが各自で答えに辿り着ければ本望です。 >>281
それがブッダの本意であるかが怪しいし、正解である保証もない。
誰かの権益のための屁理屈でしょう。 そもそも、仏教は宗教ではないと思うよ
実践的な哲学であり認識できる世界を広めるものだ
あと、近現代において宗教など無用、というのはブサヨク的な勘違い
そもそもが近代化をもたらしたのはルネッサンスではなく
宗教革命によってキリスト教の信仰が個人的な内面的なものに変容したから
これを認めたくないのがブサヨク
フランス革命だってジャコバンが神様作って祭典してるし
人権宣言にも神様が保証してくれると書いてある
おもくそカルト宗教だし
これもブサヨクが認めたくないこと >>227
それプラス快である愛執も捨てよってことかな? 仏教スレ開くといつも埼玉が沸いてるけど、こいつどんだけ暇なんだ >>9
輪廻転生なんてないだろ
お釈迦様でさえ死んだ後のことは確認しようがないっていってるし 日本の仏教は日本教仏派である
と小室直樹先生はおっしゃってるな
今出てる「日本教の研究」を読むといいよ
俺的には日本人は予め救われた人々、という認識だ >>283
宗教は無用なんじゃなく、世の中の仕組みを説明するロジックとしては劣後したというだけのこと。
ミッキーファンがディズニーランドに行くように、ブッダファンが寺院に行くようなニーズは今後もあると思うよ。他の宗教も含めてね。 先祖供養も
葬式も
お布施も
伽藍も
僧職も位階も
仏像も
戒名も
全くブッダと関係ないしむしろ彼の言ってることと矛盾してる。仏教とブッダはもはや無関係だと言ってもいい。 輪廻転生はヒンドゥーの教えであり、そうなることが絶対である
ということが社会の基本的な土台になっている、強い概念だろ
王族であったお釈迦様は、苦しむ衆生を救いたかった
その苦しみはヒンドゥーの厳格な決まり事からくるものでもあっただろう
王族の自分は恵まれているが最上位バラモンには決してなれない
ならば一切のヒンドゥーの決まり事から解き放たれて生きることが出来るのか?
ということで出家、解脱することで、カーストなどのしがらみから自由になった
人々を苦しみから救う知恵を分け与えた
ざっくり本筋はこういうことだろ?
輪廻するかどうかなんて実はヒンドゥー教でも「きまり」としてあるだけで
決して証明できないこと
その厳しいきまり事から自由になったことが重要なんだと思うけどね
たぶんw
日本では民衆生を救うために出家して、悟りを得た
という美徳が重んぜられていると思う インドでしか通用しない、普遍性のない土着信仰だろう、という解釈だね。
だとしたら、世界中の仏教徒は、すごく頭が悪いね。 宗教というのは生きていて非合理的な理不尽さに出会ったときに
それを受容して生きていくための知恵の体系なんであって
宗教が非合理的なのは、現実が非合理的であることの鏡像みたいなもんだ
また、現実が非合理的なものである限りは宗教は決してなくならないだろうな
そういう意味で云ったら、ヒンドゥーという決まりきった宗教世界からの
個人の解放を目指した仏教は逆宗教的と言えるかもしれない
むしろ哲学に近いと思うね もしも悟りが頭で考えて分かることなら、瞑想なんてする必要はない。
哲学者は悟りに至り、解脱も可能だろう。 現時点では職業僧侶の飯の種なんだよ。悟りだの輪廻だのは。水素水みたいなもの。
過去においては仏教が社会の規範であり支配のためのツールとして重宝された時代もあったけどね。 日本国内だけでなく、世界に目を向けると、ここ半世紀の仏教復興の動きは目覚ましいものがある。 >>295
グーグルを始めとして一流企業が原始仏教の瞑想を研修に取り入れてるしね
仏教とか非科学的なものは否定してやる!
みたいなノリの人はちょっとは自分の勘違いを悟った方がいいな >>292
人間の知覚も能力も不完全で限定的なものなんだから、全てを見通して完全な行動ができるなんて思ってない。自然科学の知見によってできるだけ合理的に行動しようとするだけのこと。そこに宗教が出てくる必然性はない。 >>296
瞑想という行為が身体にもたらす効果が科学的に解明される可能性はあると思うよ。宗教関係ないよね。 >>297
うん、君はそう信じていれば良いと思うよ
俺は信仰を持てとか言ってないから悪しからず
書いたように日本人は予め救われた人々だと思っているし 輪廻転生があることを、唯物論を前提とする科学は証明できないし、ないことを証明することもまたできない。
科学的に証明できないものについて、ないと断定するのは、実は科学的態度に矛盾している。
そのことは、過去に何度も指摘されてきたはず。
不妄語戒を守り、瞑想修行もする仏教徒が輪廻転生について、あると断言する時、それはあるという確証を
得たから、そう発言していることを意味している。
当然、瞑想しない人は、仏教徒であってもあるのか、ないのか(体験智としては)分からない。 世の中には信仰を必要とする人々がいる、ということを理解しないといけない
これを、俺等みたいな予め救われている民である日本人にはなかなか理解しづらくもある
しかし、彼ら救いを求める人々を否定することはできないんだよ
例えば、ナチに迫害された人々がかえって頑なにユダヤ教徒であろうとしたとして
俺は否定できないし、しちゃいけない
俺になんの権利があってそんなことをして良いと言うのかな >>300
断言とか確証とか言うから変なんだよ。単にその人が個人的に輪廻転生があると感じたってだけの話でしょ?
気が触れて私は神だって心から思い込んでるのと何が違うの? >>302
止観の止の瞑想に成功すると、瞑想中に妄想思考はできません。
従って、妄想できません。
五感の感覚もないので、幻覚み見聞きしません。できません。
その状態からスタートして観瞑想に入ります。
まず妄想を退治してから観察にうつります。
望遠鏡の鏡を、まず綺麗に平らにしてから天体観測するのと同じです。 悟りとかの世界というのは、例えば「輪廻がある」と断言したとして
それ自体が客観的に実証できるかどうか、ということではないんだよ
「輪廻」については「ある」と認識したその覚者が
どれだけ人を苦しみから救う知恵を発揮するのか
その人の生きた姿がどれだけの人の救いになるか
ということが重要なんだと思うね >>303
そういう解釈自体がなんの根拠もないでしょ。教義を正当化するための概念をいくらこねくり回してみても説得力ないですよ。 妄想というのは、思考の結果生みだされるものです。
試しに思考を止めてみて下さい。
できないはずです。
妄想に流されているのは、実は皆さんです。
幻覚というのは、五感の感覚、あるいは夢の中でみるものです。
試しに五感を止めてみて下さい。
できないはずです。
幻覚に支配されているのは、実は皆さんの方なんです。
般若心経でいうところの、顛倒夢想のなかにいます。
そして、瞑想中は寝てません。
従って、夢は見ません。みれません。
瞑想の訓練を積んだ者だけ、これが可能になります。
ただし、わたしも解脱しているわけじゃないので、瞑想してない時は妄想思考と幻覚の中にいます。
しかし、それが幻のようなものであることは知っています。 >>304
別に輪廻なんか信じてなくても、他人を救い幸せにできる人は素晴らしいし、そういう人はいるけどね。関係ないと思うよ。 本当に科学的態度をとるならば、観測によって確かめるべきです。
わたしが言っていることは観測事実についての話であって、根拠はあくまで観測です。
ただし、その観測対象は物質、あるいは物理現象ではなく精神、あるいは精神現象です。
精神現象は他人に見せられません。
ですから、各自が自ら確認するほかないのです。
いくら言葉で聞いても、信じられないものは信じられないでしょう。 10年以上前に熱と嘔吐で苦しんで1か月ほど寝込んだことあったんやけど
そのとき悟りを開いたわ、中国食品は食わんとこってな グーグルなどが取り入れている原始仏教の瞑想、ビパッサナー瞑想
というのは大変に良いものだと感じるが
現代の名僧・高僧と呼ばれる人の中にも糖尿で亡くなった方なども居る
俺の推測だと、悟りを得てもその人なりの何かは残ると思うね
お釈迦様が立派だったのは、王様として生まれただけの
なにかを備え持っており、なおかつ悟りを得たところだと考えてるよ
その偉大さは2000年以上も彼の言葉に学ぶ人が後を絶えないということが証拠なんだよ 宗教は押し付けるものではない。
キリスト教が良い例である、幾ら信じてるものにとって
素晴らしいと思ってもそれを押し付けると争いが生じる。
それぞれの文化的背景があるのでな。
キリスト教など仏教でも同じだが押し付けられると
押し付けられたほうには屈辱感が発生するそれが
憎悪となって行動となる欧州を見れば分かるでしょう。
仏教も同じだからな気をつけて。」 >>307
そりゃイエスだってムハンマドだって輪廻は説いてないからね >>308
そういうものも科学的、物理的に解明されつつあるから。五感だって感覚器に由来してるんだよ? 悟り?はあ?って言い切れるようになればそれで悟り開いてる
大体一般化の出来ない観念に何の意味もねえよ、お前ら騙されやすいだろ 五感が全部きえて、思考も止まった時に、はっきりした意識だけがあるのが見えますよ。
思考と意識は別なんだけど、ふつう、人は思考を止めたりできない。
思考を止めた時にはじめてそれが見える。
五感も同様で、五感や身体の働きを止める(より正確には意識に無視させる)ことができると
五感や身体とは別に意識があるのが見えてきます。
その時に、いろいろと洞察が起きます。
地球の丸い様を、宇宙から眺めた時、その一瞬でいくつもの洞察が生じるでしょう。
そんな感じで、いろいろ分かります。 >>312
人を救うなんてのも難しいよね。イエスもムハマドもブッダも多くの人を救っただろうけど、多くの人を傷つけることにもなったしね。 >>316
それは単なる思い込みやプラセボだとおもいますが。
あなたの書き込みからは悟りの気配は微塵も感じられないですよ。自己顕示欲と承認欲求と独善。全く悟ってない私と同レベルです。 >>318
悟りはまだずっと先です。
サマタ瞑想では自我を一時停止させることはできますが、動き出した自我を人格円満にするのは
気が遠くなるほどの修行が必要だと思います。 ただし、仏陀が説いた悟りの道というのが、本当にあることは
自分で確認して確信できました。
それは責任をもって、本当にありますと証言できます。
わたしの人格なんかはどうでもいいんです。
仏陀がいってることは本当です。
その証言だけはできます。 >>320
あなたの言説が信じるに足るものかどうかということですね。
詐欺師もわたしは嘘なんかつきません確実に儲かりますと言うし、
狂人も私は神です信じなさいというからね。 >>319
瞑想もホントにできてるんですか?
思考も五感も止まってるのって本当?
だとしたら瞑想中に殴っても痛覚ないから痛くないはずだし、音や光にも反応しないはずだから科学的に検証できますよね? 完全に自我を放棄するまで、意識を一極に集中するので、他人様に見せようという
意識があると難しいだろう、とは思いますね。
長時間、極度に集中しますから、環境にも左右されます。
達人は毎回できるようですが、修行中の人はできたり、できなかったりします。
わたしは何度か成功しましたが、まだ毎回は無理です。
しかし、一旦そういう状態に入ってしまえば、大きな物音を立てても聞こえません。
そういう時は、座禅の終わりを告げる鐘が鳴っても気づかず、そのまま座っている
ことになります。
もし意識があって、我慢して座っているだけだったら、人間、何かしら微かな動きは
あるものですが、先輩修行僧を見ていると、そういう状態の時はモノみたいになって
動かないので、あ、入ってるなーとか、なんとなくの判断はつきます。
自我を放棄している間は、自分と他人の区別もないので、他者に向けて何かを
証明しようという気持ちもなくなってしまいます。
自分の修行が、そのまま他者救済と区別なく繋がっている状態です。
もし測定機材を持ち込むとすると、そういう修行環境に持ち込むことになります。 禅文化研究所とかにはある程度の科学的データはあるだろうな >>317
仏教もキリスト教もそれらに反省はあるようだが、
しかし、仏教やキリスト教が原因だった、それらがなければ
人を傷つけなかったか?ということは決して明らかではないな >>317
仏教もキリスト教もそれらに反省はあるようだが、
しかし、仏教やキリスト教が原因だった、それらがなければ
人を傷つけなかったか?ということは決して明らかではないな わからないことはわからない、とするのも正しい科学的態度なんだが
どうも、そう考えられない人が科学絶対を振りかざすことが多く見られる
そういう態度は宗教でいうとカルト的な段階だと思うのだがなぁ… >>323
それでは達人に瞑想してもらい、痛覚嗅覚聴覚などに刺激を与え、反応の有無によって真偽を確かめる実験が可能なんですね。それはぜひやるべきですよ。きちんと証明されれば瞑想状態が嘘じゃないことだけは確定しますよ。
逆に言えば外からの刺激に反応してる限りは、瞑想は失敗してるということですよね。あなたの言う鐘の音やらで起きるような人はできてないですね。 人間理性には、明らかに限界がありますよ。
適切なたとえ話が思いつかないので、気を悪くされたら申し訳ないのですが、
犬や猫の思考や意識状態は、どう考えても身体の構造に規定されています。
実は、この事情は人間も同じだと思うのです。
思考を止め、五感と身体感覚を止め、身体に規定されない意識というのを
経験してみて、はじめて見えてきた視点です。 >>326
それを言ったら結果論で救うも救わないもどっちも無いって事ですよね。
それが正しい認識かもしれんですが。 >>328
瞑想の種類を大別して、止と観に分けた時、観瞑想の時は意識があります。
止瞑想が成功している時は、思考や五感の感覚はありません。
仏典にも、瞑想中の坊さんが死体や置物と間違われたエピソードがでてきます。 >>327
そんな極論言ってないのに。
科学のほうがより合理的に世界を説明できるといってるだけ。宗教よりもね。 >>331
いやエピソードじゃなくて、実際に瞑想してる坊さんを殴ったりして確かめることが可能なんですねと聞いてるんです。
瞑想中は殴られようが焼かれようが一切反応しませんという答えがほしいんですよ。 >>320
そもそも、昔の宗教改革以前の時代に司教でも無いものがキリストの名の下に虐殺を行ったことが
正当化されるわけがないんだがね
今もイスラム国とやらがムスリムを名乗って暴れているが
イスラム各派はあんなもの認めていないし、世界で常識のある人たちが
あれをイスラム教の姿と捉えてはいないよね
あれらを信仰者とは呼ばないと思うよ
繰り返すが俺はクリスチャンでもムスリムでもないが 滅尽定という瞑想に入ってる阿羅漢は、火で焼いても、棒で叩いても反応しないそうです。
滅尽定までいかなくとも、本物の四禅定に入っている人は呼吸も止まるそうです。
わたしは本当にそうなんだろうな、と思ってます。 >>327
俺には君の方が極論に見えるけどな
人間社会に出ればいくらだって理不尽な目にあうものだし
それらに科学が回答をしてくれることはむしろ稀なことだよ 科学には説明できる範囲がある
その範囲を広げてきたし、広げていっているのも事実だ
しかし、だから万能だと思い違いをするのは科学を根本的に勘違いした姿勢だよ 最近の坊さんは、毛を伸ばし、結婚もするそうじゃないか。
欲求から解放されてないぞ みかけ上のかたちは、あくまでみかけ上のかたちに過ぎませんね。
袈裟を着ているから清いというわけでもないし、袈裟を着ている人がすべて生臭でもない。
あくまで身口意の行いが清浄かどうかが問題。
最初から仏陀が指摘しておられたことではありますが。 悟りや解脱に一番遠いのが日本の坊主だろ
一番近いのが、ぴゅっとでたあと 釈尊の教えは対機説法でもあるし、次第説法でもあるので、
できるとこから、できるところだけやっていけば良いのではないでしょうか。
善因善果、悪因悪果なので
少なくとも五戒はまもって、週に一回ぐらい、ちょっと座禅でもしてみるとか。
来世がなくても、善因善果。
来世があるなら、そこでも果報があるでしょう。 >>298
俺はその前に仏教も瞑想も宗教ではないと思っている、と書いたよ >>335
これだけ疑われてるのに証明しないのはやっぱり嘘だからなんじゃないかと私は思います。
でもいいことを学びました。今度瞑想云々なんていう奴がいたらせひ殴らせてもらうことにします。 >>342
仏教は宗教なんじゃない?
宗教法人だよね? むしろ、亜流による虐殺とか抗争みたいなものがあっても
なお、その宗教なり哲学なりが続いていること
それらに救いを求め、下層民からインテリ、富裕層までが信仰あるいは実践していること
これが330への回答になるかな >>341
別にやる必要ないよね、なんのあてもないんだから。 >>343
証明は2500年前にとっくに終わってます。
証明されてないと思うのは、証明を理解できないだけです。
精神は物理じゃないので、物理の流儀で証明されるとは思わないで下さい。 >>347
そういう屁理屈言わないでください。
シンプルに、瞑想状態なら五感は遮断されているので殴られようが焼かれようが反応しない。これを実際にやって見るべしと言ってるだけ。
もし反応したら瞑想だの何だのは嘘だったってことだよね。 >>334
君はなんの話をしているのかな
元々、仏教は信仰の対象ではないよ
日本では前に書いた理由から信仰の対象になってもいるが
アンカー先でしているグーグルでも実践されている原始仏教の話とは関係ない >>346 >>348
君は少しぐらい前のレスを踏まえて話をすべき
レスが進んだら鳥頭のごとく、相手の言ったことを無かったことのようにして
自己の主張にこだわり相手の揚げ足を取るのは見苦しいぞ? >>345
まあね、酒やタバコや賭博とある意味一緒だよね。 揚げ足取りでないのなら、例えばこのレスに対して「どういう文献にありますか」
「現代でもそういう人はいますか」が問いとして正しい
> 滅尽定という瞑想に入ってる阿羅漢は、火で焼いても、棒で叩いても反応しないそうです。
> 滅尽定までいかなくとも、本物の四禅定に入っている人は呼吸も止まるそうです。
> わたしは本当にそうなんだろうな、と思ってます。
瞑想をしている人だれでもが殴られても痛くない、なんてことは誰も言っていないのに 人の悩みのほとんどは人間関係
その根底にあるのは自分は特別、周りより上、って意識
あるがままを受け入れて、自己を宇宙を一体化するのが理想
このスレも俺が上、ってのばっかりで悟りとは程遠いな 科学だ科学だ、と言う割には論理性のない宗教叩きしてるんだよな
そのことに自覚もなければ、無知を自覚する気もない >>354
繰り返しになるが、俺は予め救われた人間なので
悟りとか求めてないんだw
ただこの国に生まれたことを感謝して受け止めるのみだ >>343
自分がどの段階の禅定に入ったのかはわからんけど、
あり得ない静寂の中で全身が光に打たれて快感と感動で滝の涙が流れて
あの状態で殴られてもたぶん気が付かないと思う 至れば至るほど、言葉にするのは難しくなる
重々、お気をつけて 昨日の自分と今日の自分は違うんだから悟っても仕方ない
会う人も違うし、場所も変わる
常にその場、雰囲気、他人と和を求めるだけ
嫌煙家がアフォな所以だ 宗教って逃げだよね。お経唱えれば救われるとかもうアホとしか言いようがない >>360
何をもって逃げと言ってるのか不明瞭だね
読経すると税金納めなくて済むとか?なわけないよね
あくまでその人の恐れや救いのない心持ちから逃れてるだけで
恐れを恐れのまま持って生きなければ逃げだ!という話?
よくわからんな >>361
宗教全般が、現世からの逃避行為に他ならない、と仰せのようです
んでまぁ、お経唱えれば救われる云々つーのは
救われたいからお経を唱える、てコトにもなるんですね
なぜ救われたいのか…
…ははーん
…よほど悪い業を積みましたね?
他の誰が知らなくても、ご自身はよーく御存知でいらっしゃる
この期に及んで、恐ろしくなったと
ようございます
荷を負うた道のり、仕舞いまでお導きしましょう 人間は極限状態に置かれ最高のパフォーマンス
を発揮しないと死ぬかもしれない時にフローと
呼ばれる悟りの状態に入りやすい。
この状態を観察すると前頭葉の働きが抑制され
自我の感覚が弱まり自我というフィルターから
解放され世界との強烈な一体感を感じて世界を
ありのまま受け入れてリミッターを解放できる。
この感覚は体験して見ないとわからない。
自分の能力以上の力を発揮しないと死ぬという
環境に自分を置いてみればわかる。
エクストリームスポーツがその近道かな。 自分はそこそこの欲と隣り合わせの人間のままで良いや
全く執着無くなったら現世にいる必要性感じないんだけど
違うのかな 自我を脱ぎ捨てたら、本物の慈悲がでてくる。
智慧も出てくる。
というか智慧と慈悲は同じだった気がする。
区別がつかなかった。
自我がでてくると、それらは消えてしまう。
自我は貪瞋痴の塊なので、自我のなかから智慧は慈悲はでてこないのだと思う。 朝のコンビニで、貴方がレジに並ぼうとしたら、先客が居る
「しょーがねーな」と思いながら、その後に並んだら、なかなか先客のレジ処理が終わらない
そんな時、貴方の視点はどこに置きますか
A.俺の視点は俺にしかねーだろ
B.先客の視点です、結構焦ってます。あ、小銭を出そうかな…
C.レジ店員の視点で…すみません、すぐ終わらせますんで…うえぇ、睨まないでくださいよぉ
D.神の視点 >>271
ちょっとネットで見ました。瑠璃王の話にしても輪廻は関係無いような気が。
悟りとは、苦しまないで生きれるようになることでは?
そのためのテクニックをシッダールタさんは発見されたのでは。
縁起により、悪い因縁で自分に厄災が降ってこないために、全てのものに対して優しくする、慈しむ。(周りの人に悪意を持ち、睨んで威嚇してると、いつか喧嘩になり、災いが起こる)
人はなぜ慈しむことができないか、それは、自我と欲を起点とした、五感からの感覚と思考と感情が織り成す脳内世界は、自我と欲のために存在しており、自我と欲を満たすために行動させようと自分の体、筋肉に働きかけてくるから。
そこで、瞑想や観想をして、自分の五感、思考、感情の繋がりを冷静に分析して、因果関係を明らかにしていき、自分のどんな自我、欲からその繋がりが始まったのかが分かることで、それを捨てられる。
仄暗い闇から産み出されていた、怒り、妬み、悲しみの洞穴を明るく照らしてとうとう正体を暴いたら、そこにいたのは自分(自我、欲)だった。みたいな。
自我、欲と完全に決別した人が悟りなんだと思うよ。
釈迦は、王様で若い時から、食欲、性欲、承認欲を満たしまくったんだし、あの時代は科学による証明を追い求める風潮も無かったから、未練なく決別できたんだと思うけど、今の時代の人はそこまでいかなくてもいいかと。
無意識、意識どっちの状態でも、他人、他己、自分じゃないものに優しい気持ちを持って毎日生きられたら、それでOKなんじゃないのかな。 >>9
あの世は素晴らしいとこだから
帰って来たって人見た事ないぞ 悟っても悟らなくても、生きることは「苦」なわけですけど
苦しんで生きていく中で、「なんでやねん、何でやねん」と、無闇に苦しみを増していくよりは
「ああそうか、あぁ、そうなのか」と、一つひとつを解きほどいて、甘受して進んでいく
我々凡夫の境地は、そのくらいで良かろうと思います >>372
凡夫などと自分を卑下しなくても良いんじゃないんですか、人これ皆仏と言いますし、凡夫か阿羅漢かなどという計り事から離れるのが仏教なのかとも思います。
禅で言う両忘といいますか。
仏教ってどこか、自分を卑下するというか、自虐的な雰囲気があるのですが、仏教の真髄はそこじゃないお思うんですよね。
謙遜するのは、自分の欲、慢を抑えるためかと思うのですが、謙遜すること、遠慮することは、欲を無くするための正しい方法とは思いません。
ともすると、謙遜した態度は、自分の心の奥にある横柄な自我を隠しているだけに思えます。
勘違いな指摘でしたらすみません。 埼玉県の粘着っぷりが笑える
何のために勉強して修行したんだよwww
知識だけはご立派だけど人並み以下じゃねえかww サンガから出版されている仏陀の実践心理学シリーズはマジでオススメ。
アビダンマッタサンガハを長年無視してた日本の仏教界は、何をやっているんだと思ったね。上座部仏教は簡単だと思ってたけど、こんなに深いと思わなかったな。天台大師の摩訶止観はやめとけ。空、仮、中が別々の物だとか邪説を述べているのが天台大師だから。 仲間内でしか通用しないカルト言語と独自解釈で薀蓄をこねくり回してみても自己満足以上の何も得られないのに。
自覚して洗脳ビジネスやってるならまだわからなくもないが、それに騙されて嬉々としてる信者を見るのはなんとも言えず哀れを誘うね。 仏道は道なので、しかも登山のような道なので、4合目と2合目で見えてくる景色は違います。
何を言いたいかというと、修行の道程が進むにつれて、自身の仏教理解そのものも変わっていってしまうものです。
ですから、現在の仏教理解は、それはそれで今の正解なのですが、悟りの智慧が出てくるにつれて、その理解からも脱皮していかねばなりません。
自然とそうなっていきます。
大事なことは、他者の仏教理解と自分の仏教理解が違っているからといって、どちらか一方だけが正しく、どちらかは間違っているとは限らないということでしょう。
登山道のようなものですから、どの登山コースを、どの辺まで歩いているかによって、各自の登山経験は違ってくるのです。 サンガから出版されてる仏陀の実践心理学シリーズを読んでいくうちに、超能力のとか神の声が聞こえたとかとか神秘体験のことも語っている。
神の声が聞こえたとか、遠くで息子が不幸にあった予感がしたのは何てことはない。自我を一瞬忘れただけ。変な宗教のカラクリを見破るためには読んだいた方がいいね。 >>67
こんなスレに得意げに自分の悟りっぷりを披露する時点で煩悩まみれの俗物だって自ら白状してるようなもんなのに、何でわからないんだろうねw 上座部仏教のあれはやってみれば、すぐに分かる感覚体験を得られるから良いな
密教のほうがもっと面白いけどそうそう簡単ではないからな >>373
横柄な自我を隠すための謙遜、その通りです。
やや変えて言えば、横柄な自我を殺すための謙遜、でしょうか 悟りどころか瞑想さえまともにできてないのにそれでブッダの正しさを確信したとか言っちゃってるからな。単なる仏教オタクでしょ。 しかし、法もクソもないヒャッハーな時代に
こんだけの道徳観を説いて支持されて何百年経った今でも
人々に支持されてるっていうのはすごいよな
宗教の開祖たちのカリスマはステータスカンストしてんだろ >>382
アビダンマッタサンガハを読む限り、瞑想で得られる神秘体験を否定してるからな。この辺は禅宗に似てるかな。
安全な40種類の瞑想だけを選んでる。瞑想を見てる幻覚・神秘体験を利用するのが密教だからな。
神秘体験は素人がやると、オウム真理教みたいに危ない方向に走るからな。
サキャ・パンディタは瞑想にだって知識がいると語っているからな。
実際、チベットでは顕教を一通り学ばないと密教まで進めないから。
お釈迦様が生きてた時代だと、我流に瞑想をやって頭が
変になる人が沢山いたみたいだね。 月と蟋蟀を掌に載せて持っておいで
できたら、全部教えてあげよう >>386
その著者はそういう特殊な価値観の宗派なんだろうけど
タイの上座部仏教の名僧は神秘体験も認めてるし、密教的なものも修める
修行の中での魔境っていうのは密教だけじゃなくて
禅宗にでもあるし、上座部仏教でもあるはずだよ。 奇跡講座好きだわ
キリストが仏陀よりも明快に素人でも悟れる方法解説してる >>385
一旦システムができたら早々潰れないんだよ。維持することで利益を得てる人がいるんだからそいつは必死で守る。あんだけ無茶苦茶な麻原だってまだ信者いるんだろ。それをカリスマっていうかね? >>311
それ。あるね。キリスト教の信者で自分の信仰を押し付ける人いるし。 2chに書き込むのは煩悩ではない
釈迦だって地獄に蜘蛛の糸を垂らして
釣りを楽しんだだろ? >>83
全然悟ってねえwww
こいつただの中二やんけ! >>395
I.D.被りで前に自分と同じI.D.の人がいたが誰かが悟ってるかどうかなんてさほど重要なこry 最近、思うんだが地球ごと滅んでほしいと思ってる。生きるのは、本当にしんどい。毎日、生活のことを考えなくてはいけないし。 悟りはもっとずっと先。
煩悩を取り除くには止禅だけでなく、観禅を修する必要がある。
止禅の最初の段階では、自我を単に一時停止させるのが関の山。
とはいえ、自我が止まった状態を一度でも経験すれば、その瞬間に多くの洞察がある。
日本の禅宗で見性とか見仏性とか言われているのが、多分、自分の経験と同じものではないかと思ってる。
自分が所属しているのは南方上座部の止観双運の禅寺。 日本人的な価値観からみて納得されるような菩薩になろうと思ったら、多分、
悟った後に改めて菩薩としての修行をしなきゃならんと思う。
それは今生でできるかわからんし、何時になるかわからん。
参考資料
http://www.horakuji.hello-net.info/dhyana/sikan/samatha_vipassana.htm お前らなら空の意味分かるんじゃないのか?
色即是空とは何や、誰ぞ禅?問答につきおうてくやんせ 瞑想で一回だけトリップしそうになったことがある。
部屋で電気つけたまま胡座を組んで、手はOKサインを作って太ももの上、目は少しだけ開けて、鼻から息を吸って吐く。
だんだん頭がぼやーっとしてきて、うっすら周りが白くなって、半分夢みたいな感じになったあと、よく千手観音の腕が上パーっとなる感覚で、腕や肩のこわばった感覚が抜けて、腕が頭の上から下にパーっと降りてくる感覚というか、腕がそうなったって感じた。
そこで、おおお!すげー!!!って興奮したら元に戻って、それから、2度と体験できていない。
明晰夢の一種なんだろうけど、面白かったw もともとは宗教は科学の代替だったんだけどな、人間が理解できない森羅万象は神の意思と考えないとこの世は生き地獄だ
現代でも宗教にのめり込むのは理系でなく占い好きのオカルトマニアばかり >>1 頭を剃らない、女とパコパコして子供を作る、
檀家や業者から自分たちだけでは食べきれない程の大量の供え物・贈り物をさせる。
マジ糞みたいな奴らだわ。
食いきれないなら始めから「お気持ちだけいただきます」と遠慮すりゃいいだけろ。
「その分恵まれない子供たちへ募金してあげてください」って言えよ。
まず自分達が腹いっぱい食い散らかして「あーもう食えねー、後はお前らにやるわw」とか
ホントに坊主なのかよ 若い人たちはカルト教団が毒ガス撒いて物凄い被害を出した事なんて知らないんだろうな バブルやカルトではっちゃけられるほどお気楽な世代でもないしな 悟りと言っても、四段階あってな。預流果、一来果、阿羅漢果と
あって預流果だと一般人とあんまり変わらない。 どんな高尚ぶって屁理屈こねくり回しても
「執着しないのならなんで死なないの?なんで飯食って生きてんの?」
で論破できるw 回りが生きててって懇願してくるから肉体を留めとかならん
苦行する気はさらさらないし腹がへったら食うし、眠くなったら寝る
生きてて欲しいと望む人がいなくなったら消えるさ
無になりたいだけで死にたい訳じゃないし 釈迦も道元も死の間際こそ悟りのチャンスだと言ってたな。
余命何ヶ月の時こそ、悟りのチャンス。自分の生活、仕事、国の国力、経済、お金、貯金、食事、娯楽。生きるって本当にしんどい。
あと、一年で地球が消滅するのならしてほしいよな。人類が消滅するとか、恐怖でも何でもない。むしろ、何も考えることがなくなるから嬉しい。
全ての束縛から解放されたい。 >>407
坊主が商売化したからな
有り難みなんてとっくになくなったな
坊主がスマホ片手にバイクや車乗ってアホかと 悟って直ぐ死ねるなら楽なもんよ
悟ったつもりでも、ここで高尚な事を言ったところで何で生きてるの?の一言で論破されるんだぜ
生きてる間は本物にはなれん この世界にはアカシアレコードという本が
あってこの世の始まりから終わりまで、す
べての事象がしるされてる。
2ちゃんにこの文章が書かれることも、
対するレスもすべて書き込まれている。
この世のすべては定められているんだ。 >>419
それを言うなら「アカシックレコード」では スレタイは語りや解説かと思った
悟りって何にも興味なくなる事だろ?
若いうちは悟っちゃいかん
多少の思考とともに実行するべし >>412
死ぬ必要がないからな死なない。せっかく縁あって生まれたのにわざわざ死ななくてもよきなのでは。でも。ベトナム戦争に反対して合掌しながら焼身自殺したひとならいる。 いや、興味がなくなるのは欲やコンプレックスに根差したものだけだ
しかし人間を突き動かす行動原理なんてほぼそれしかないから、端から見たら無気力なやつにしか見えんだろう
純粋に智恵を求めたり、徳を集めたりするにも端から見たらガイキチにしか見えんだろうな
こっちも愉しくてやってる訳でもないし、まぁ辛いわけでもないが
悟りなんて開くもんじゃないよ
後悔せずに涅槃に旅立てるくらいしかメリットがない >>419
すべての事象ってことはこの宇宙に存在するすべてのエネルギー(粒子と解釈してくれてもいい)
の状態が記載されてるってこと?
それってこの宇宙を一つ上の次元から見たのとどう違うの? 悟り、解脱なんて概念であって達成した人なんていないだろ。
ゴータマ・シッダールタ自身が解脱していたのかすら解らない。
いま誰かが自分は解脱したと言ったら、どう思う?
嘘つき、詐欺師と思うか、あなたは素晴らしい聖者と思うか… >>412
執着しないから、生きてる間は生きている
執着しないから、求めるところに従ってメシも食う
全てのものは過ぎ去っていく
アーメン。 人のちからではどうにもならん不幸や悲劇が多かった時代ならわかるが
平和な日本で生きてて悟る必要もないわな 老いと死がなくなった時代はないし、これからもない。 >>419
新宿アカシアのロールキャベツは美味いぜ いくら平和でも生老病死、愛別離苦から逃れることはできぬ
経済発展も科学の進歩も死の恐怖をごまかしてるだけだ
余命半年と診断されても平和だから苦しくないなんて言えるのか 結局詐欺商売の小道具だよ。悟りとか解脱とか。苦しいでしょう?布施だせば導いてあげますよってね。ただし成功は保証しませんと。
いつの時代も愚民はいるから、それをカモにするペテン師も減らないね。 英会話教室と似たようなもんだ
聞き流すだけで悟りに近付けるCDを売ってやろう 水素水とか健康食品とか
不安を煽って、なんの根拠もないインチキ商品を売りつける。くだらんね。 自発的に体験しようとしないと宗教はわからんね
そういう意味で、俺は無明の輩を救うことには諦めている 釈迦の時代に近づいていくほど、まず実践から始まる
今は実践よりも論の方が先に立つ
ともすれば実践は一つもなく、それでいて知ったような気分でいる 悟りや解脱つっても結局お金あれば大体悩み解決するしなw 断捨離や流行ってるみたいだな、
バカ共にはちょうどいい目くらましだ 愚かな考え、迷信や詐欺を退けるのも理性の重要な働きのひとつ。
一方で、自分より賢く、より正しい人の言には素直に耳を傾けることが
できるのも、また理性の重要な働き。
学ぶというのは、そういうことであるはず。
例えば、子供は親の言うことを聞く方が賢明である場合が多いし、
学生は教師から学ぶ方が賢い場合が多い。
疑うだけだと、理性の半分しか活用できていないことになる。 悟りの智慧(と慈悲)は、人智を超えている。
また、智慧(と慈悲)に到達するには相当の修養が必要とされ、万人にできるわけではない。
万人が智慧の恩恵にあずかるには、智慧に対する信が必要とされる。
智慧ある者への信が、智慧の代わりとなる。
真実としての宗教において、信仰が重視される理由はここにある。
本当の信とは、そういうものでしょう。 苦しいとかよりも生きてるの飽きた
糞するのも飽きた
納豆食うのも飽きた 釈迦は25で出家して6年で悟ったから、長く険しい修行が云々つってもな 自らの限界や無智を自覚する者は賢い。
信ずるに値するものを見いだす力は、実は賢さの現れでもあるのでは。 現世はもう諦めた
適当に楽しんで独りで死んでいくわ
来世頑張るつもり >>450
悟るべくして生まれてきたって感じだから、弥勒ン時も同じよーなコトになるんではないかな 年齢性別学問職業は関係ないけどかの有名な大工の息子や古代北インドの王子は30歳位で覚醒したらしいよね またその中には、四つの生き物の姿があった。その有様はこうであった。彼らは人間のようなものであった。
それぞれが四つの顔を持ち、四つの翼を持っていた >>35
たぶん貴方の通ってきた道を自分も辿ろうとしている者です
一度お話させていただけませんか。
連絡を取る方法はございませんか 俺の持論を述べる。阿含経典、大乗経典、仏教の論書、バガヴァッド・ギーター、ウパニシャッド、アヴェスター、論語、古事記・日本書紀などを読んで独自の哲学を完成させた。
人間が苦しみ悩みから解放されるのは、「宇宙と一体化」するしかない。俺の持論だから、反論してもかまわんけど。
人間は生まれた時から苦しみが始まっていて死ぬまでそれが終わることはないと思ってるから。
宇宙と一体化した時にのみその苦しみから解放される。
宇宙と一体化した境地になったなれば、生活、経済、国力、お金、愛国心、政治、恋愛、食欲、性欲を忘れることが出来る。
凡人は宇宙と一体化することを一時的にしか出来ず。宇宙と完全に一体化することは、阿羅漢果した聖者だけ。 あくまでも俺の持論だからね。反論しようが何しようがかまわんよ。 >>457
ニートやってた大工の息子が宗教革命を謀って処刑されたお話? 俺の言ってる理論は宇宙との合一。この境地こそが理想の境地だと言いたい。一言で何かに集中して、余計な雑念が入らないこと。仕事でもいいし
ラーメン作りや受験勉強、オンラインゲームへの熱中でもいい。この境地が24時間続くのが理想であり、完全にこの境地になれるのは阿羅漢果しかない。
最も簡単であり最も難しいのが俺の理論。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています