当時は「戦後の国鉄三大ミステリー」とされる下山、三鷹、松川事件の直後だった。
いずれも労働組合の関与が取りざたされ、世間では急激に「組合活動の中心を担う危険な共産党員は解雇されても当然」との空気が強まったという。
「私たちはテロリストにされた。共謀罪で政府は『一般人は捜査対象外』と言うが、警察の判断一つで、いとも簡単にテロリストにされてしまう」と危惧する。

 解雇から約60年後の2009年3月、大橋さんは「レッドパージは憲法が定める基本的人権を侵害した」として、
神戸市内の男性2人とともに全国初の国賠訴訟を神戸地裁に起こした。
しかし、神戸地裁判決(11年)、大阪高裁判決(12年)、最高裁第1小法廷決定(13年)と敗訴。
その後も最高裁に再審を申し立て続けたが、昨年6月には3回目の請求が棄却された。
いずれも「国はGHQ(連合国軍総司令部)によるレッドパージ指令に従う義務があり、解雇は有効」との過去の最高裁判決を踏襲した判断だった。

 レッドパージから70年近くが経過し、被害者の高齢化が進む。昨年11月には原告の一人、安原清次郎さんが95歳で死去した。
だが、昨年末に100歳になった川崎義啓さんは大橋さんと共に第4次再審請求に参加する。

 全国組織「レッドパージ反対全国連絡センター」の代表も務める大橋さんは「再審の見通しは明るくないが、人権が認められる社会になるまでは死ねない。
そのためには共謀罪などいらない。まだまだ闘い続ける」と力強く宣言した。【望月靖祥】

 【ことば】レッドパージ

 米国占領下にあった1949〜51年、日本共産党員やその支持者とみなされた人たちが、公職や企業から追放された一連の事象。
被害者は1万人とも4万人とも言われる。
第二次大戦後の東西冷戦の激化を背景にGHQが指令を出し、当時の吉田茂内閣が閣議決定や政令を通じて実行したとされる。