公開日:2024年04月08日 更新日:2024年04月08日




尾藤イサオさん(歌手/80歳)=加齢黄斑変性症

 こうして向かい合ってお話ししていても、私と視線が合ってないでしょう?

 頭の上の遠くの方を見ているように見えると思うんですけど、じつはそれで見えているんです。あえて視線を合わせるようにすると、顔はのっぺらぼうになってしまいます。見たいものを見ようとすると見えない。「加齢黄斑変性症」はそんな病気です。

 30代後半かな、なんとなく「暗いな」と思い始めたのは……。当時はバーやキャバレーなどちょっと暗い現場で歌うことが多かったのですが、それにしても暗かった。家に帰ったときも暗く感じて、「電球替えたの?」と家族に聞いたことも覚えています。でも、替えていなかったんですよね。

 そんな、なんかおかしい状態が1〜2カ月続いた頃、食卓で向かい合った娘(当時小学生)の顔がゆがんで見えたんです。

 そこで、近所の眼科を受診して「暗いし、娘の顔がゆがんで見える」と訴えました。すると「大きな病院で一度検査した方がいいですよ」と言われました。でも重大な病気ではないような印象だったので、忙しさにかまけて放置してしまったんですよね。

 4カ月後、同じ眼科を受診すると「どちらかで診てもらいましたか?」と問われたので、「いいえ」と答えると、「え?」と慌てて「失明のリスクがあります」と言われました。先生は私が芸能界の人間だとわかっていたので、とっくに誰かの紹介で有名な病院で診てもらったと思っていたんです。

 すぐに大学病院を紹介してもらい受診すると、「中心性網膜症」と告げられました。知らない病名でしたが、その響きだけで怖いと感じました。

 真っ先に考えたのは「仕事ができなくなったらどうやって家族を養っていくんだ?」ということ。小さな子供がいて、家を買ってローンを始めたばかりだったのです。

 その後、ある大女優さんに教えていただいた眼科へ行ってみると、「加齢黄斑変性症です。今の医学では治りません」と告げられました。

 中心性網膜症は自然治癒することもある病気ですが、こちらは不治の病。網膜の中心部である黄斑に障害が起こり、視野が中央から欠けていく病気です。当時はあまり知られていませんでした。多くは片目に起こるのに、私は両目でした。治療法はなく、ただ目の疲れを緩和するような点眼薬を処方されるだけなのです。





トイレで間違えて非常ボタンを押してしまった

 毎日に変化はないものの、気がつくと見えない部分が少しずつ広がっている感じでした。テレビ局などで大先輩とすれ違っても気づかず挨拶もしないので、あとから「あいつも偉くなったんだな」と言われたりしてました。

 視線が合わないから、こうした取材や舞台の関係者には「視線が合わないんですけど、こういう理由で見えないのですみません」と事情を説明しています。何年か前のテレビの歌番組では、他人の曲を歌う際、みんなカンペ(歌詞)を見ながら歌うのに、私は見えないので全部暗記。
プロデューサーが若手の歌手に「大先輩を見習え」と私を褒めてくれたりもしました(笑)。台本はマネジャーに音読してもらったものを録音して耳で覚えて、字をうんと拡大した手作りの台本で確認しながら覚えています。

 以前、楽屋で一緒にしゃべっていた人の手からミカンがコロコロ落ちたのが見えて、追いかけて拾ったら「なんで見えるの?」と驚かれたことがありました。目の端の方は見えるんです。だから日常生活は杖など使わずに済んでいます。ただ、屋外はやはり段差に気づきにくいので、一緒に歩いてくれる人がいないと危ないですね。
     ===== 後略 =====
全文は下記URLで
https://hc.nikkan-gendai.com/articles/280253