近年は「やめろ」の声が目立っていた
関口宏が1987年10月から36年半にわたって司会を務めてきた『サンデーモーニング』(TBS系)降板が迫っている。関口は現在80歳という節目の年齢であるほか、番組は続行し後任を48歳の膳場貴子が務めることから“世代交代”と見るのが自然だろう。

今春で地上波のレギュラーはゼロになり、出演番組はBS-TBSの土曜昼『関口宏の一番新しい江戸』と、日曜昼『関口宏のこの先どうなる!?』の2本のみとなる。関口は半世紀以上にわたってテレビ番組の司会者として第一線で活動してきただけに、「一時代が終わった」と感じる人が少なくないのではないか。

TBS『サンデーモーニング』公式サイトより
近年は『サンデーモーニング』における関口の発言がネット上で「時代錯誤」「他人事」などと批判される機会が目立ち、なかには「早くやめてほしい」「老害」という厳しい声もあった。あらためて関口宏とはテレビと視聴者にとってどんな存在だったのか。どんな番組に出演し、何を残してきたのか。

巨泉や欽也と並ぶ“司会者の顔”に
まず関口のプロフィールを見ていくと、東京都出身の1943年7月13日生まれで、肩書きは“司会者/俳優”。父は「二枚目スター」の映画俳優・佐野周二で、関口も大学生だった1963年に『お嬢さんカンパイ』(NET・現テレビ朝日)で俳優としてデビューした。

その後、俳優として出演作を重ねながら、1966年スタートの若年層向け情報番組『ヤング720』(TBS系)での司会が評価され、1971年に人気トーク番組『スター千一夜』(フジテレビ系)の司会に抜てきされる。同番組を9年間務めると、関口の司会業が本格化。

1979年に『クイズ100人に聞きました』(TBS系)、1983年に『わくわく動物ランド』(TBS系)、1987年に『サンデーモーニング』(TBS系)、1989年に『ギミア・ぶれいく』(TBS系)、1992年に『関口宏の東京フレンドパーク』(TBS系)がスタートするなど人気司会者となった。

TBS系以外でも、日本テレビ系で1989年に『知ってるつもり!?』、1997年に『どっちの料理ショー』(読売テレビ制作)がスタートして長寿番組になったほか、テレビ朝日系では1979年から1986年に『全日本歌謡音楽祭』、1981年から1986年に『歌謡ドッキリ大放送!!』、さらに1986年から『ミュージックステーション』の初代司会を務めるなど音楽番組に起用された。

特に1980年代は大橋巨泉、愛川欽也、ビートたけしらと並ぶ“司会者の顔”となり、「関口宏の番組を見ておけば間違いない」と言われるなど業界のトップに君臨した。

では、関口の何が支持を集めていたのか。それを掘り下げていくと、近年ネット上に書き込まれてきたイメージとは真逆の人物像が浮かび上がってくる。

司会者は番組最大の実力者だった
芸人が司会者を務め、カジュアルに進行することの多い現在とは異なり、1980年代までは司会者の存在感が絶大だった。

司会者を中心に番組が動き、その一挙手一投足が注目を集め、あらゆる世代の人が「司会者は誰か」で見る番組を選択。多少の独善的な振る舞いや、一般人への無礼な対応も、「番組最大の実力者である司会者だから」というムードで許容されていた。

ところが関口の印象は真逆。俳優らしいソフトな語り口であるほか、番組や出演者を第一に考えて進行するなど、冠番組ですら前に出ず縁の下の力持ちのような立ち位置を取ってきた。

※続きは以下ソースをご確認下さい

2024.03.24
現代ビジネス

https://gendai.media/articles/-/126215