エンタメ
2024.03.21
里中満智子

1970年代よりマンガ界の最前線で活躍した一条ゆかり、もりたじゅん、池田理代子、秋本治、そしてちばてつやとの温かな交流。マンガ家・里中満智子が自身の半生を振り返った『漫画を描く 凜としたヒロインは美しい』より一部抜粋、再構成してお届けする。






少女マンガ家仲間のこと

『有閑倶楽部』や『砂の城』の一条ゆかりさんは、ずっと「りぼん」で作品を描かれていましたが、最初、私のアシスタントになりたいといって講談社にいらしたのです。

だけど作品を見たらとても上手で、アシスタントどころじゃない。「これはもう、即デビューだ、アシスタントのレベルじゃない」と思い、お断りしました。だけど彼女は未だに冗談で「アシスタントにしてくれなかった」と言うのです。

一条さんは、私よりひとつ年下なのですが、若いときからおしゃれで元気いっぱいでした。『クレオパトラ』を描いているとき、電話がかかってきたのですが、
私は締切間際でもう眠くてヘロヘロでした。「じゃあ手伝いに行くよ」とバイクを飛ばして来てくれたこともあります。彼女は月刊誌連載だったから、月のうち半分は集中して描いて、残りは気分転換できていたようです。

他社で描いている人たちとも知り合ったのが、25歳頃でした。池田理代子さん、木原敏江さん、もりたじゅんさんなどです。作品をよく知っている人だと、初めて会った気がしないし、ワクワクしたものですね。

池田さんと初めて会ったときは「うわあ!」と興奮して、「あれを描いたいきさつはどうだったの?」なんて質問し合って、そのまま延々と朝の4時くらいまでお喋りし続けました。
最初は喫茶店に行くのですが、そのうちお店が閉まってしまうので、うちに来て話し込んで。当時は本当に元気でしたね、朝まで喋って、そのまま仕事をしていましたから。

同じ出版社で描いていると何かとつながりが多く、同世代と仕事のことを話すのが良い刺激になります。青池保子さん、大和和紀さんが上京してきてからは、よくお喋りしていました。
会って話すだけでは飽きたらず、夜中の長電話もしょっちゅうでした。若かったあの頃は本当に体力があり、徹夜で疲れていてもお喋りしていると目が覚めたものです。

https://shueisha.online/articles/-/201776
続き