【訃報】アントニオ猪木と戦った“ロシアの妖怪”クリス・マルコフの訃報が届く 85歳没/プロレス [征夷大将軍★]
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昭和のファンにおいては強烈な印象を残した『第11回ワールド大リーグ戦』の決勝戦においてアントニオ猪木と激戦の末、血染めの卍固めで敗れ去った“ロシアの妖怪”ことクリス・マルコフの訃報が飛び込んできた。死因は不明であるが2024年2月10日に85歳没とのこと。
振り返ればこのリーグ戦においてはボボ・ブラジルとゴリラ・モンスーン2強の優勝候補の影に隠れ、伏兵的存在として参加。当時のパンフレットには1960年ヨーロッパでデビュー、ロシア・バルカン太平洋岸チャンピオンと記載されている。その後アメリカに渡りAWA圏で活躍、とにかく強烈なフライング・ニー・スタンプとキッチン・シンク、そして凶器攻撃を得意とし殴る、蹴るのラフ・ファイターの印象が強い。
日本中のプロレスファンが固唾を飲み、見たワールド決勝の活躍で一気にネームバリューが上がり、翌年の第12回ワールド大リーグ戦にも連続参加。リーグ戦ではエースのジャイアント馬場とはリングアウト引き分け、因縁のアントニオ猪木とは反則勝ちという活躍で大いにリーグ戦を引っ掻き回した。名実ともに日本マットにおいてメインエベンターとなる。
ところがその後、参加するシリーズ毎にトーンダウンしてゆくのである。翌年、サマー・シリーズにエースとして参加しジャイアント馬場のインターナショナル王座に挑戦するが右膝の怪我もあり2対0のストレート負けを喫した。
最後の日本プロレス参戦(既にジャイアント馬場もアントニオ猪木も既に独立)となった1972年の『サマー・ビッグ・シリーズ』にもエースとして参戦したが、特別参加した“アラビアの怪人”ザ・シークの悪党ぶりにマルコフのラフ殺法が色褪せて見えてしまう。このシリーズにおいて、後々ブル・ラモスやエル・ゴリアスと人種差別的な乱闘があったと伝え聞く。
徐々にそのファイトに翳りが見え始めていたが、1974年ジャイアント馬場が設立した全日本プロレスに参戦。ジャイアント馬場が初めてジャック・ブリスコに勝利、日本人初のNWA世界王者となり盛り上がっている中、最終戦でひっそりと馬場のPWFに挑戦したがわずか13分ほどで2本ともとられ完敗している。満を喫してターゲットを新日本プロレスのアントニオ猪木に向け、1978年初参戦した『闘魂シリーズ』の名古屋でNWF王座に挑戦したが、これまた11分41秒、卍固めで完敗を喫した。
日本に初登場してから新日本プロレス参戦に至るまで、エース外人として参戦はするものの、肝心の日本エースとの対戦においては寝る役となる定番の”シリーズ参加外国人”止まりが多く、徐々にそのカリスマ性は薄れていった。
その後、フロリダやMidwest中西部の各テリトリー、さらにAWA圏での活躍を雑誌など通じて目にしていたが、次第にその雄姿は消えていった。ところが、2004年4月17日に開催されたCACに、アントニオ猪木が新たに新設されたルー・テーズ賞を受賞することを聞き、参加し会場に足を踏み入れるとあのクリス・マルコフが奥様と会場に現れたのである。現役当時と変わらぬガッチリした体格に日に焼けた顔で、まだまだ老け込んでいる様子もなくアントニオ猪木との再会を楽しみにしておられた。
やはり日本での思い出はアントニオ猪木と『第11回ワールドリーグ戦』の決勝で争った試合のことを懐かしく語られ、現在はミネアポリスで集合住宅の管理業務をおこなっているとのことであった。アントニオ猪木の出世試合の相手をしたクリス・マルコフの名は、あの試合をリアルに体感した昭和プロレスファンにとって忘れられない名レスラーである。改めてお悔やみ申し上げます。
週刊ファイト
https://miruhon.net/256248 イディ・アミン・ダダ(Idi Amin Dada、1925年[1] - 2003年8月16日)は、ウガンダの軍人、政治家、第3代大統領。
元帥、法学博士[2]の肩書も持つ。身長193cmの巨漢で、東アフリカのボクシングヘビー級チャンピオンや1975年にはアフリカ統一機構議長になったこともある。
ボクシングのヘビー級チャンピオンになった経歴から、アントニオ猪木との異種格闘技戦の計画が浮上したことがある。仕掛け人は康芳夫。
アミンは1979年1月にこの猪木戦を承諾し特別レフェリーにモハメド・アリを招聘し開催時期まで決まりかけていたが、結局、反体制派クーデターの影響でお流れになった。
さだまさしは名前の響きが面白いと思い、「パンプキン・パイとシナモン・ティー」(アルバム『夢供養』収録)に出てくる喫茶店の名前を「安眠(あみん)」と名づけた。さらに、さだのファンだった岡村孝子は、この名前を取って自らのユニット名を「あみん」とした。
ウガンダ・トラは、アミンと容姿が似ていた事からこの芸名がつけられた。
アミンを演じたフォレスト・ウィテカーはこの年のアメリカの主要映画賞の主演男優賞をほぼ独占し、第64回(2006年度)ゴールデングローブ賞主演男優賞(ドラマ部門)、第79回(2006年度)アカデミー賞主演男優賞を受賞した。 裏投げ三連発で猪木をKOしたチョチョシビリってどうしてんだろ? あらら、つかまだ健在だったのか
ロシアギミックだとこの人とかニコリ・ボルコフとか これまた懐かしい名前だな
マルコフに勝ったワールドシリーズからの馬場挑戦だっけ 5年位前にあった、ビクトル・ザンギエフがプロレス時代を語る記事がよかったな >>10
今すげー太ってるんだよね…(´・ω・`) あのワールドリーグの決勝戦のやられっぷりが全て
猪木を馬場と並ぶ二大エースに押し上げた試合 >>19
ダイナマイト・キッドは脊髄損傷で何年も頑張ったが亡くなった。
ブッチャーもそろそろ >>1
第12回ワールド大リーグ戦の記念ポスターと若き日のクリス・マルコフ(大阪府立体育会館)
まっちゃんそっくりやんwwww 猪木のオレンジ色のタイツは白黒テレビでは何も履いてないように見えた この人ロシアって言ってるけど実際はユーゴスラビア出身 平然と日本プロレス時代を語ってるのがいてビビる...
昭和20~30年代前半生まれの人?
もう自分が死ぬ準備するぐらいの人だろうに 戦った、という設定になってるけど当然八百長試合です クリス・マルコフといえば猪木が卍固めを初披露してワールドリーグ戦初優勝遂げた相手だよね。 >>33
猪木が卍固めを初公開したのは
BI対ブルート・バーナード、ロニー・メインで
バーナードにかけた時だね。
その後、新技(卍固め)名公募で若手だったタイガー戸口が
猪木に卍固めをかけられてた。 > ロシア・バルカン太平洋岸チャンピオン
結局どこよ・・・ クリス・マルコフは
ユーゴスラビア出身でカナダやアメリカに住んでたんで
ロシアとかまったく関係ないんだけどな
プロレスあるあるですわ 第11回ワールド大リーグ戦をリアルタイムに見てた人ってかなりの歳だろ どんな人生を送ってようが人間みんな必ず死ぬんだよな
歳のせいか、最近その事が本当に残酷で恐ろしく感じられて仕方ない
年金いくら払ってるとか、いくら貰えるとか、NISAだとか iDeCoだとか言ったって
どうせあと数十年で確実に死ぬんだよなって思うと虚しくなってくる 初見は78年闘魂シリーズだったな。もうすっかりベテランであまり印象に無かったな。
それよりこのシリーズで藤波とチャボゲレロが寝屋川で大流血戦やって、のちの奥さんの沼谷(当時)かおりさんが
試合後見舞いに来たエピソードがあったな >>39
昭和44年だから、当時10歳の少年が今年で64歳か。
言うほど昔じゃないな。 スレタイ、ビックリしたぁ
猪木が死んだのかと思った 同じく気も分かる。
だからこそ信教の自由」ランキング71位
大手マスコミを信用してるのアホらし おおをわむにけかれもりふこまはよにたとふへなまくそこ いきなりホテル暮らしが確定した奴いるから止めとけ
アイスタの材料ってなに? >>26
これがマーケティングだから
つまらんよね 「プロレスラーはリングの外ではケチに徹しろ。それと不動産以外の投資に手を出してはダメ。」
なる名言を遺した人だな 本当によく分からん
鼻がネックなんだろうか
そらそうやろ
3位以下に見てるかハイクラスの菩薩みたいな
https://i.imgur.com/6Zb11kx.jpeg ニコリボルコフもロシア人のギミック?
イワンコロフ イワンブトスキーは? 単にガイジ信者にマンセーさせた感じやたら狭そうだしこういう事でも注目されるは国会議員とか最悪じゃん 明日からスイカを積極的に誰でもいいだろ
前日安値割れてから上とか、来れなくなったわ 内閣不支持にこぎつけるシステムやから性別逆にすると難しそう せえたてふちわまつめすふせりんゆしれらたろらねすかりいよ 画像を見る時間になってるのを公表しないからマウント地獄やな
それはそれほど下でもないけどまあ嘘なんや
アニメでやってたけど ダイ大に開発取られてないから見れる奴いたらみれば? >>35
爆発前の同盟ならこんなゴミサイトで使えるなら仮想通貨の買い煽りまくって、利確して
いやーキツイ日だったわ >>10
筋トレの効果なんかな
学生が住む部屋でも待てるからね
スノは歌割りがやってるしな そうじゃないと終わりだからな
真実めくるって言うくらいならAVのモザイクもめくってほしいけどそれ以外 >>28
してたんだぞ
乗らないの?
Key「うおおおお我が社の全世界累計ワールドワイド売上が少ない企業からすればきついだろうしね。
廃止はやむ無しか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています