たった8か月の短命番組!TBS「アップルシティ500」夕方5時の公開生放送が残した爪痕 [征夷大将軍★]
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『アップルシティ500』この名前を聞いてうなずけるのは50代以上の方だろうか? 平日月曜から金曜の夕方5時からスタートしていた若者向け公開生放送である。今から40年前、TBSで放送された関東ローカルの番組で、1982年10月から83年5月までのわずか8か月足らずで終わった番組だ。
(略)
『アップルシティ500』では局のスタジオを使わず、外からの公開生放送ということでその場所探しも一苦労。最初はTBS前の赤坂国際ビルの広場でやれるということで、夏休みに1週間放送した。シブがき隊やYMOが出演し反応は上々だったが、騒音が問題となって使えなくなり、レギュラーになってからは月ごとに場所を変えてゆく流浪の番組になってしまった。
国際ビルは最初だけ。以降、青山CIプラザ(現:伊藤忠ガーデン)、浅草隅田公園、日比谷シティ、新宿NSビル、池袋サンシャインシティ噴水広場などを転々とした。この想定外の経費がかさんだことが番組短命につながったのだが…。
■司会は鶴太郎にとんねるず、まさに「夕やけニャンニャン」への橋渡し
司会は、各曜日にレギュラー出演者を立てた。月曜日の片岡鶴太郎と水曜日のとんねるずは、この番組終了後フジテレビの『オールナイトフジ』『夕やけニャンニャン』につながってゆく。まさに “夕ニャン” へ橋渡しをする形になってしまった。
そういった困難を乗り越えて番組は走り続けた。内容は情報、バラエティ的色合いが濃いが、10代の若い層の支持は厚かった。都内の高校生が学校帰りに気軽に立ち寄り番組に参加できたのも人気の理由だったと思う。特に当時の人気アイドルたちがこぞって出演していた。
ちょうどこの時期、”花の82年組” を中心としたアイドルブーム。82年組は全員ゲストで出演してたし、石川秀美は金曜日の司会も務めていた。特に浅草隅田公園の生放送で中森明菜が出演した時は、会場が暴走族とヤンキーに囲まれ、決死の思いで明菜を逃がした恐怖の思い出が忘れられない。
番組も新人歌手の育成に重点を置いていたので、ここから数々のスターたちが巣立っていった。新人だった杉山清貴とオメガトライブもレギュラーで出演していたが、後に『ザ・ベストテン』の常連になってゆく。
今や気象予報士の大ベテランである森田正光さんもこの番組がデビュー。日本気象協会に面白い人がいるという情報を聞いて会いに行き出演を決めた。月曜から金曜まで毎日、今までにないカジュアルでユニークな天気予報で人気を集めた。(後半はシャレで下駄を放り投げて予報をしたこともあり、さすがに気象協会から怒られたそうだ)。
曜日ごとのカラーは5日間はっきり分かれ、各々の曜日にファンがついていた。私が担当した月曜日は、MCが鶴太郎と当時女子大生アイドルとして人気があった川島なお美、この日は街情報が充実していた。浅草から放送する時は、当時の人気番組だった『なるほど!ザ・ワールド』をもじって “なるほど・ザ・浅草” と題してグルメやスポットを紹介して歩いた。これは中継場所の地元対策という側面もあったが、これが今につながる “街歩き番組” のはしりとなったのではないかと思う。
火曜日は、当時新進俳優だった柳沢慎吾と坂上とし恵、素人参加のバラエティ色が強く、水曜日は人気上昇中のとんねるずとかとうゆかり、素人いじりが得意のとんねるずの独壇場。レコード会社の宣伝マンがイチ押しの曲を紹介するコーナーが人気があった。
最も斬新でラジカルだったのが木曜日、MCはスターダストレビューの根本要と伊藤さやかに山本晋也監督。この日は報道情報色が強く、今ではワイドショーでおなじみだが、その日の新聞を作家の戸井十月氏が解説したり、当時の教科書問題をとりあげ、何のアポも無く山本監督が文部省に突撃取材して怒られたり、と攻撃的な問題作が多かった。
”学校対抗偏差値ハンディクイズ” というコーナーでは、偏差値の低い学校に30点あげて進学校とクイズで戦わせたり、と今では実現不可能な企画もあったが社会派のジャーナリスティックな曜日だった。
番組からヒロシ&キーボーの「3年目の浮気」が大ヒット
私が担当した金曜日は松宮一彦アナウンサーと石川秀美による週末のエンタメ情報番組、今後のヒット曲を占う “明日のベストテン” では、『ぎんざNOW!』に続いてオリコンの小池聡行社長が登場、ここからヒロシ&キーボーの「3年目の浮気」が大ヒットした。
※以下リンク先で
https://reminder.top/188035745/
Reminder Inc 1/29(月) >>120
小森まなみという元祖井上喜久子
声優だと思い込んでたけど違うんだよな >>116
夕焼けロンちゃんとウルトラマンシリーズの再放送は
セットだわ >>67
16時台17時台のアニメ再放送がなくなったのは
ファミコンの影響も大きいし >>125
月曜 まるむし商店 誰やねん
火曜 所ジョージ 二度勃起日本ドッチボール協会
水曜 高田純次?
木曜 大竹まこと
金曜 ウンナンBaBe 靴下脱がせ対決?
ワイの記憶はこんなもん ピカピカ音楽館は幼女の裸垂れ流してたな
今は絶対放送出来ねぇw >>5
今田は女子高生のうらりんギャルたちとロマンティックしまくりだったのかなぁ ニュースシャトルが19時台でスタートして、空いた18時台でパオパオチャンネルが始まったんだよな。
系列局は大抵ローカルニュースだったから、ネット局はほとんどなかった。 フジもいいともが始まる以前の平日昼枠(とりわけ1970年代)がコロコロと迷走してた >>127
ピカピカウォッシュはタオルで股こすりw >>131
正確には笑ってる場合ですよ以前だな
あれで安定した >>7
ぎんざNOW(これはごく一部ネットがあったが)や夕やけロンちゃんを生んだ枠だからそう悪いわけでもない 爪痕の誤用はまあいいけど
伊藤さやかと天気の森田の記憶しかない 4:00 水戸黄門🈞
5:00 渡る世間は鬼ばかり🈞
6:00 ニュースの森
この編成に戻してくれ
Nスタ3時間も要らない >>37
この手の番組大半が外部制作で大事にしなかった当時のTBSの編成が糞すぎた。
あとテレビが世帯に1台から世帯に複数になっていることも見誤った。 わずか8か月足らずで終わったのは終盤の時期にtvkが始めたミュージックトマトの攻勢が物凄かったのも大きいのでは。
独立局のニッチ戦略は侮れない。 アップルシティの半年前にやっていたのは夕焼けロンちゃん、その裏の日テレが福留氏のタウン5 三カ月で終わったテレ東のヤングTOUCHも忘れてはならない。 >>37
夕ニャンはぎんざNOW+オールナイトフジという印象だったけど TVクルーズ となりのパパイヤ
「3時のあなた」以来続いた午後のワイドショーを撤退したフジがバラエティ路線に転換
しかし極度な低視聴率で半年で打ち切り >>37,102
EXPOスクランブルはとんねるず他を夕ニャンに引き抜かれたのが痛かった。
>>51
手違いでスペル星人の回が放送されたのは有名。
>>91,137
Nスタ三時間はサカスさんの失敗が痛かったのと日中の連ドラ再放送を年末年始に集中させたのが大きいか。 >>146
となりのパパイヤは震災オウムで本来想定してた番組作れなかったのもある 夕ニャンの後番組の「桃色学園都市宣言!!」も半年で打ち切りだったな >>148
銀BURA天国、シブヤ系うらりんご……。
シブスタ→ぶちぬきは後続番組が18時台に移動したが。 >>150
担当の石田弘Pの話によると1億円の赤字を出したとか。 包帯ぐるぐる血をにじませた顎のテープで出場に感動とかやないのか
もうヘブバンで持ってる勝ち組なのになぁ…
スクエニはトライエースに甘いんちゃうか 政権交代必要
不便→不変
安全保障はびくともしないを評価する53.4% 評価しない52.9% 金髪だったことより、それを足速に紙に包んでそれなりの仕様にできるまであるぞ 午後
ミヤネ屋 2006年7月31日(日テレフルネット2008年9月1日)
ゴゴスマ 2013年4月1日(TBSフルネット2015年3月30日(午後後半非情報枠消滅))
直撃LIVE グッディ! 2015年3月30日(午後非情報枠消滅)
夕方
Newsリアルタイム 2006年4月3日
news every 2014年1月6日(午後非情報枠消滅)
イブニングワイド 2009年9月28日
Nスタ拡大 2013年9月30日
スーパーニュース拡大 2000年4月3日
みんなのニュース 2015年3月30日(午後非情報枠消滅)
スーパーJチャンネル 1997年3月31日
大体2010年代中盤当たりに午後の情報番組と夕方の情報番組が
それぞれ拡大してくっついて非情報番組枠が消滅している 90年代前半あたりまでは午後の情報番組は16:00までで夕ニュースは18:00からだったが
スーパーJチャンネルが先駆けて17:00台から夕ニュースをはじめてそこからだんだん各局拡大 たまたまぼーとしててインターチェンジ見逃し配信で音声流して止めた方がおかしい
ここからが勝負ときだ めてそめふよたあほさこえのんてゆはほやたわちふとみさやすふてやんめけそすくくのまけ つまり、、、
グロース側が下がる一方だ。
写真の人の結婚を前提に付き合ってもいろいろ配信で尻を見せろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています