【音楽】亡くなって15年経った今なお「忌野清志郎」の“歌と人間性”が突き刺さる理由…竹中直人が明かす「素顔」 [湛然★]
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亡くなって15年経った今なお「忌野清志郎」の“歌と人間性”が突き刺さる理由…竹中直人が明かす「素顔」
1/22(月) 18:03 現代ビジネス
https://news.yahoo.co.jp/articles/058462d7d06f82868cf56c8b0e8f71a470587e22
写真/講談社
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20240122-00122825-gendaibiz-000-1-view.jpg
世代もジャンルも超えて愛されたロックの伝道者、忌野清志郎。亡くなって15年経った今なお、愛される理由とは何か――。
■「RCサクセション」熱狂の時代
清志郎率いる「RCサクセション」は1970(昭和45)年、『宝くじは買わない』でデビューを果たす。だが、フォーク・トリオだった初期のセールスは芳しくなかった。
転機となったのは'78年。ドラムスに加え、後に盟友となる、仲井戸”チャボ”麗市を迎え入れ、5人編成のロックバンドに変貌を遂げると、一気にスターダムへとのし上がっていく。
「愛しあってるか〜い!」
清志郎のシャウトに、チャボのギターが妖しく絡む。その姿に若者たちは熱狂した。
著書に『忌野清志郎が聴こえる』がある、作家の神山典士氏も、伝説を間近に見たひとりだ。
「'80年、当時大学生だった私は、伝説的な久保講堂のライヴを収録したアルバム『RHAPSODY』を夢中で聴き続け、全曲を覚え、コンサートに出かけました。会場にはパイプ椅子をなぎ倒しながら、ステージ前に殺到するファンたち。片や私は客席後方で踊りまくっていました」
愚直なまでに愛を、哀しみを、社会への問いを音楽に昇華させていく。一曲の歌詞を書くために大学ノート3冊を費やすほど、たったワンフレーズにもこだわったという清志郎。数多くの共作を生み出してきたミュージシャン、三宅伸治はこう証言する。
「ボスは何か思いつくと、すぐに僕たちにFAXを送ってくるんです。その発想力がすごかった。身の回りの喜怒哀楽を上手く歌詞に落とし込んでいて、そこに多くの人は魅せられたんだと思います」
■シャイな心の内に秘めた、音楽への熱量
「ド派手な衣装や過激なパフォーマンスとは反対に、素顔は物静かでシャイな方でした」
そう話すのは、'80年代に「RCサクセション」のマネージャー兼衣装係を担当した片岡たまき氏だ。
バックヤードの「静」とステージの「動」。この2つが共存する背景には、清志郎の生い立ちが関係している。
'51年に生まれた清志郎、本名・栗原清志は、3歳で実母を亡くし、母の姉夫婦の元で暮らす。複雑な家庭環境での淋しさを紛らわすため、小中学校では絵を描くことに没頭。寡黙な少年時代を過ごしたという。
ターニングポイントとなったのは中3の時。フォークギターを手に入れた清志郎は海外の音楽にのめり込んでいった。
〈いつかオーティス・レディング(米国のR&Bシンガー)のようになりたい〉
そんな熱い夢を抱いて、中学校の同級生とRCサクセションの前身、「ザ・クローバー」を結成。高校に上がると、同バンドは「RCサクセション」へと名を変え、高校卒業と同時にデビューを果たしたのだ。
「ライブ前、清志郎さんは楽屋でカセットレコーダーから流れるロックやソウルを聴きながら、髪を立て、独特のメイクを施すことでスイッチが入っていく。その恰好も言動もすべて、音楽への熱量を表すものだったと思います」(片岡氏)
(※中略)
'09年、清志郎の葬儀で弔辞を読んだ俳優・竹中直人はこう振り返る。
「清志郎は優しい人だった。よくぼくに電話をくれた。『もしもし忌野ですが』って。『竹中、いま竹中主演のドラマ見てるぞ。出番ないか? 』『え? 清志郎さん、出てくれるんですか? 』『うん出たいんだよね』『でも清志郎さん、そのドラマ視聴率一桁なんです……』『え? あっ そうなんだ』とうろたえつつも『竹中〜! 』っていつもぼくの存在を認めてくれました」
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。) ゴリフロ橋やキチゲエ岩手に証言させたらなにを述べるだろうか?
阿部捏造カルテうんこ合唱団というのはある
事実を言ってるというより、センセーから〇をつけてもらえる正解を述べようとしている 事実を述べてもらってもろくでもないことしかないにしても
きーわどっていうのかな?
成ゲルゲマリアはやはり台本読みだ キチゲエ岩手とゴリフロ橋も、チョニ松アイボゆきこと寸分たがわず同じ発言をする このスレいるのアラ還ばっかだろ
アラフィフの俺は何がいいのか当時さっぱり分からなかった やっぱスローバラードよ。
あれ日本語で書かれた歌詞の最高峰だと思う >>99
厳密に言うとヒット曲(セールス的に売れた歌)はない。
泉谷とかもそうだが春夏秋冬でも5万枚も売れてない。
こういうタイプはライブで食っていくしかない
RCはそこそこのホールでやれたが泉谷なんかは
単独じゃキャパ2000人クラスでも無理 だから
ジョイントやチャリティーで糊口を凌ぐ
清志郎の場合ソングライティングの能力はアマチュア
のそこらへんのあんちゃんレベル
10年位世代があとだったらメジャーデビューギリギリの
十把一絡げサブカルバンドがいいとこだっただろう。
結局、熱心な信者で成り立っていた清志郎教の教祖様
本人もカリスマっぽく見えるようにふるまってた
バンドビジネスは1万人程度信者がいれば
日本では充分やっていけるらしい あとトランジスタラジオの底抜けな開放感もいいけどね 今も他に誰もやってない出来ないことやったから
世の中が悪くなって行く
税
ラブミーテンダー
出来ないだろ
いつものように代表曲しか知らない無知がな
志らくが八代亜紀を呼び捨てで批判する馬鹿とかな
曲も知らない無知の馬鹿が RCサクセションのアルバムなんか聴いてみるんだけどつまんない
清志郎に才能があったのはわかるけど、商品としてはよくてB級品だね >>328
個人の感想だからねw
いいんじゃない?
この王様つまらないというのも自由w >>262
そのハマショーの代表曲て何?
つうかハマショーの代表曲て多分複数あるだろうけど YouTube【春夏秋冬】泉谷しげる with 小田和正 桑田佳祐 忌野清志郎
このメンバーで清志郎だけが突き抜けていて桑田と泉谷が参ったなという顔している
やはり別格 亡くなったの311より前だったか
思ったより早かった >>305
テレビのゴールデンタイムでやってた音楽関係者が選ぶナンバーワンボーカリストで1位になってなかったか忌野清志郎
お前みたいな権威主義者には、それだけで充分じゃないか?
こっちにはそんなもん1ミリも必要は無いけどな
コンサート置いといてすら作品そのもので凄さがわかるからさ充分 >>331
「ON THE ROAD」 歌詞は全く世界観もちがったもののよう RCサクセションの最高傑作は、ハードフォークサクセションだと思うな
かっこよすぎて狂ってる
三浦友和がすぐに自分は音楽ではやれないと思うのはよくわかる。
こんな演奏目の前でされたら、誰もミュージシャン目指そうと思えない
https://youtu.be/yrdWYq3fhyg?si=upVa7B6cxf5WKA-8
⇧三番目に大事なもの
確かにロックになってからのRCは、スタジオ盤がちょっともっさりした演奏だって言うのは認めるざるを得ないかなぁ
ローリングストーンズはスタジオ盤もすごいかっこいいけどRCはライブ盤の方がかっこいい 日本で本質的なロッカーって、忌野清志郎しかいないから
一人しかいません。 タイマーズが夜ヒットに出たとき司会の古舘伊知郎がしきりに危ないですと言ってたからチンコ出すのかと思ったがそうでもなかった記憶 >>310
感性とかセンスとか言うと松本のせいで、本当は感性やセンスが無いのに強弁したらどうとでもなるもんに
落ちぶれたからな。
でも人それぞれとしかいいようがないね。
後、彼らの全盛期を知ってる世代は徳をしたとしか言えないね。 >>337
ライブ盤収録時の締め切りに追われて壁を蹴ったくだりにもあるように、
CM用に曲は作ってあって詩はまだだったんじゃないかと思っている。 本来はかなり音楽マニア的な作曲だったはずなんだがな
泉谷も言ってたが
一曲目の2時間35分からいきなりブリティッシュフォーク調を出してくるのが
当時の日本としてはかなり斬新でその造詣の深さに惚れたと言ってた
しかしまあ清志郎の濃いファンといえばたいてい
日本一のロックンローラーだとか真の天才だとか、そういう推し方ばかりするのが良くも悪くもで >>347
「いい事ばかりはありゃしない」の元ネタがTHE WEIGHTだったり カバーしてたり
the bandの引用はアレンジ的にもいっぱいあるはず
パクリどころか原曲超えた魅力出せてるのがすごいところだがね よォーこその発想が天才、どっかに元ネタがあるのかもしれんが >>200
ヒットだけが評価のすべてじゃないだろ? やっぱりパクリは多いよな。マントショーとか
歌でいえばエンジェルとか。 >>316
三宅嫌いが多いのはわけわからんな
KING以降の貢献はものすごいのに
>>348
そもそもメロやアレンジがパクりだったとしても
そこにわかりやすく聞き取りやすい日本語をのせる能力はピカイチなわけでね
佐野元春や桑田佳祐がやった以降の、日本語を英語みたいに崩して歌って
言葉がいまいち伝わらないフォロワーのようなものとはまるで違う ステージパフォーマンスは優秀。
曲は正直言ってパクリだらけ。 >>19
俺はヤンマガの風呂上がりの夜空に読んでからだ 洋楽の影響は本人がインタビューなんかで普通に言ってるのに今更過ぎるだろ
ビートルズ、ストーンズ、ミラクルズ、ザ・バンド、スタックスソウル…
日本のポップスなんてそんなモンだろ、ビートルズやストーンズでさえパクリ騒動があるのに
自分はパクリだらけとまでは思わないがな タバコの煙りとても青くて
とあの歌詞、50年たってもたまに頭に浮かぶ 授業をサボって陽のあたる場所にいる高校生
タバコプカプカ吸いながら
ポケットにトランジスタラジオ
そこから全世界の曲が流れてきた
と、この歌詞の持つ独特の悲しみというか
深みがいい
詩人だなあ、と 篠原涼子とキスしてたおっさんというイメージしかない まぁ偉大な人だったよ
清志郎居なかったら日本のロック文化はここまで来れなかった ブレイク寸前にEPLPを出したことが功を奏したね。 >>362
ブレイクしてたから出たんじゃないか
ブレイクはラプソディとトランジスタラジオの時点では >>7
日本の法律で禁止なだけで、世界基準だと大したことじゃないだろ?w
覚醒剤はいけません♪
麻薬をやってはいけません♪
追放!追放!
覚醒剤を追放しましょう~♪
と歌ってたわけだし 何がすごいってラプソディと雨上がりでブレイクしたけど当時すでに大御所の域だったこと
吉田拓郎が上京した時にライブ見て衝撃受けたとか泉谷が自分の才能に絶望して裏方仕事やろうとした時に「いやキミは歌ったほうがいいよ」ってアドバイスしたり
世代的に小室等や高田渡あたりの人だってこと ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています