スペシャルインタビュー あの頃、「ミラクル・ガール」「ZUTTO」「ハートをWASH!」に誰もが元気づけられた――
4時間前NEW
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「昨年は20年ぶりにファンクラブを復活させたりして、充実の一年になりました。最近はデジタル・ファンクラブが主流ですが、会報誌を作って、バースデーカードには私がひとりひとりに手書きのサインや一言メッセージを添えています。″昭和感たっぷり″のサービスをしたら、すごく喜んでもらえて(笑)」

’80年代後半から’90年代にかけ、ガールポップ・ブームの先駆けとして活躍した永井真理子(57)。あのハジける笑顔が戻ってきた!

ファンクラブ復活以外にも、泊まりがけでのファンツアーや感謝祭などのイベントを開催してファンと精力的に交流。本格再始動したのである。

’87年のデビュー当時、白いシャツ、ジーンズとともにトレードマークだったあのショートヘアも健在だ。

「しかも、シャツを(ジーンズに)インしていましたからね(笑)。何か狙いがあったわけではなく、あれが素の私。『こんな格好でテレビとかに出ていいのかな』と思っていましたが、スタッフさんが『ナチュラルでいい』と言ってくれて。ただ、当時の映像は恥ずかしくて見られないですね。なんで、あんなにポップコーンが弾けるように元気に跳び上がっていたのか? 若さって凄いなって思います」

短大時代は軽音サークルに所属。卒業後も音楽の世界で生きていきたいと思った永井がレコード会社(ファンハウス)にデモテープを持ち込んだところ、とんとん拍子でデビューが決まった。

’89年に『ミラクル・ガール』、’90年代に入ると『ZUTTO』や『ハートをWASH!』などのヒット曲に恵まれ、瞬く間にスターへの階段を上がっていった。

「たくさんの″ミラクル″が起こりましたね。ライブをやるたび、怖いぐらい会場が大きくなっていって。『ミラクル・ガール』は当初、アルバムの候補曲だったのですが、スタッフさんの勧めでシングルにしてみたら、アニメ『YAWARA!』の主題歌になったこともあって、皆さんに愛される曲になってくれました」

『ザ・ベストテン』(TBS系)や『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)などの人気音楽番組のほか、’91年には『NHK紅白歌合戦』にも出場。’92年には織田裕二(56)主演のドラマ『あの日の僕をさがして』(TBS系)に主要キャストの一人として出演したこともあった。

「いろんな番組に呼んでいただきましたが、一番嬉しかったのは子供の頃から見ていた『夜ヒット』に出られたこと。最初に出演したときは、緊張で地に足がついていない感じで、あとでビデオを見たら、笑っちゃうくらい肩が張っていて。

紅白に出たときは田舎の祖母が喜んでくれて、出場記念にもらったトロフィーを実家の床の間にずっと飾ってくれていました。『あの日の僕をさがして』は、いわゆる当時流行ったトレンディドラマです。音楽以外でも自分にできることがあれば挑戦したいと思っていたのですが、自分のことで精一杯の私に、他人を演じることは無理だと痛感しました(笑)」

ライブで日本全国を回り、テレビやラジオなどのメディアにも多数出演。あまりの過密スケジュールで自分がどこにいるのか、わかっていない時期もあった。

「完全に自分のキャパシティを超えていましたけど、同時に嬉しさもありました。朝起きるといつも『昨日のことは夢じゃなかったのか』と確認する日々。『もし夢なら、覚めませんように』って、いつも思っていましたね」



ライブ中に結婚発表
https://friday.kodansha.co.jp/article/354413