2024年1月22日 14:00

東スポWEB

 1991年、薬品メーカーのテレビCMで超巨乳を揺すりながら「ダ・ダーン! ボヨヨーン、ボヨヨーン! ダ・ダーン!」の決めゼリフでお茶の間を驚かせた後、来日して各団体で大暴れしたのが“超巨漢”レジー・ベネットだ。

 このセリフが同年の新語・流行語大賞の大衆部門で銀賞を獲得したことで、各団体が目をつけた。173センチ113キロの体格を誇り、高校卒業後にボディービルに取り組み、86年にはLPWAでプロレスデビュー。
巨体を武器に「ビッグ・モー」の異名を取った。キャリアは十分で91年にFMWに初来日。工藤めぐみとのシングルマッチや、コンバット豊田とのブルロープデスマッチで大暴れした。

 その後、ジャパン女子、JWP、全日本女子プロレスと各団体を転戦するが、やはり一番輝きを放っていたのは全女時代だろう。94年から全女に戦いの場を移し、同年11月20日には伝説の全女東京ドーム大会に参戦。
復活した女子プロ界最大のカリスマ・長与千種と対戦すると、怪力スリーパーで苦しめるも、一瞬のエビ固めに敗れた。しかしこの一戦で評価を大きく上げた。

 その後も95年5月15日には豊田真奈美を撃破してIWA世界女子王座を獲得。96年6月22日には空位のオールパシフィック王座決定戦で吉田万里子、伊藤薫らを撃破して新王者となった。
いずれも井上貴子に奪回されたものの、96年8月には女子バーリトゥードトーナメントに出場。決勝戦でイリーナ・ロジーナにアームバーで惜しくも敗れたが、幅広い活躍を見せた。

 96年に全女を退団すると、97年には新団体アルシオンやJ’dのリングにも上がった。アルシオンでは、大型新人のジェシカ・ソトを妹分のジェシカ・ベネットとして来日させ、ベネット姉妹として大暴れする。ちなみにジェシカはその後、バイオニックJのリングネームで活躍した。

 その後もフリーとして全女やJWPにUターン参戦するが、2000年に結婚すると01年に引退。米国へ帰国してしまう。引退試合は01年3月4日の豊田戦だった。ベネットは米ECWでも活躍した時期があり、日米で頂点を極めた“名外国人選手”だった。 (敬称略)

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