米AEWと契約した柴田勝頼(44)が、昨年限りで新日本プロレスを退団していたことを明かした。2017年に急性硬膜下血腫と診断され、22年1月4日東京ドーム大会で復帰。だが、それ以降は新日本マットから遠ざかり、AEWを主戦場としていた。リングの上でしか生きられない〝ザ・レスラー〟が移籍を決断するに至った経緯と新天地での目標とは――。

柴田は2017年4月9日両国大会で行われたオカダ・カズチカとのIWGPヘビー級王座戦で敗れた後、急性硬膜下血腫と診断され長期欠場に。22年1月に復帰を果たすと、その後主戦場としていたAEWとの契約が昨年12月に発表された。

新日本からの公式発表がない状態が続いていたが、取材に応じた柴田は昨年限りで退団したことを報告。「ファンのみなさんに感謝の言葉を直接伝えられなかったのは心残りですが、菅林(直樹)会長ともしっかりお話ができましたし、ご理解をいただいて感謝してます。4日の東京ドームで坂口(征二)さんにもちゃんとごあいさつできました」と、晴れやかな表情を浮かべた。

復帰後は新日本で試合が組まれない状況が続き、コーチを務めていたLA道場も昨年からアカデミーに様変わりした。「所属選手として活動ができない。それ(新日本の判断)は間違っていないんでしょう。ただ自分の居場所がないんだったら、いる意味もない。AEWに参戦していろいろな感覚を取り戻したというか、ここに行きたいという気持ちが強くなって。ここでキャリアを終えたいなと思えるすごいリングですよ」と決断に至った経緯を説明する。

健康状態についても「ドクターチェックもしてますし、診断書も渡してます。それはクリアしてないと(試合に)出れないですし」と、不安はないという。

レスラーとしての本能が、リングという場所を強く求めていた。「そこでしか得られない刺激があるんです」と目を輝かせた柴田は、新たなホームリングでの戦いに胸を躍らせる。「自分にしかできない試合をしていきたい。ワクワクしてるんですよ。まだやってない選手と試合したいし、やっぱりブライアン(ダニエルソン)とはやりたいなっていうのがありますね。日本で一緒に練習したこともありますし」と腕をぶした。

古巣となった新日本は、昨年12月に盟友の棚橋弘至が新社長に就任。再びそれぞれが違う道を進むことになるが「一人の人間としてサポートできることはするし『もしかしたらどこかで試合があるかもしれないね』って話はしました。どこでどうなるか分からないですけど、このタイミングはそれぞれの運命的なものを感じますね」。文字通り波瀾万丈のレスラー人生を歩むザ・レスラーの、新たな挑戦が始まる。

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2024年1月9日 05:00
東スポ