【音楽】伝説のバンド、サディスティック・ミカ・バンドとは? 元メンバーが明かす魅力「世界にも似たバンドは一つもない」 [湛然★]
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伝説のバンド、サディスティック・ミカ・バンドとは? 元メンバーが明かす魅力「世界にも似たバンドは一つもない」
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https://news.yahoo.co.jp/articles/85caa1b6404ccbcff680a1378f3c6756ad5c800d
サディスティックミカバンド『黒船』メンバーショット、再結成時の写真
https://encount.press/wp-content/uploads/2024/01/02153701/9709fa93be2cdb5eded95dd935219cb2.jpg
■ベーシスト小原礼が語ったミカバンドとロックな半生
サディスティック・ミカ・バンド。故・加藤和彦さん、故・高橋幸宏さん、ミカ、つのだ☆ひろ(ドラム)、高中正義らが名を連ねた伝説のバンドで、今年は日本のロックの名盤と呼ばれる1974年のアルバム『黒船』発売から50年を迎える。初代ベーシストの小原礼は黄金期のメンバーで、同バンドの特徴を「オリエンタルで不思議な世界観を持っていた」と表現した。脱退後は渡米してキャリアを積んだ72歳が、ミカバンドと自身の歩みを語った。(取材・文=福嶋剛)
サディスティック・ミカ・バンドとは、どんなバンドだったのか。小原が分かりやすく説明した。
「日本の音楽、グラムロック、ソウル、ウェストコースト……メンバーはそれぞれいろんなジャンルの音楽が好きだったから、『それを掛け合わせたらどんなものが生まれるんだろう』と考えていました。そんな好奇心の塊みたいな遊び心が、ミカバンドの音楽につながっていたと思います。ミカという強烈な個性を持ったボーカリストもいて、まるで多国籍料理みたいなオリエンタルで不思議な世界観を持っていました。日本はもちろん、世界にも似たようなバンドは1つもいないという珍しいバンドでしたね」
ミカバンドは71年、加藤さん(ボーカル、ギター)、ミカ(ボーカル)、つのだ☆ひろ(ドラム)で結成され、後に高中(ギター)が加入。翌年、つのだがバンドを離れた。
「トノバン(加藤さん)とは初めて会った時から気が合う仲間でね。僕はまだミカ・バンドに参加していなかったんだけど、『ドラム(つのだ☆ひろ)が抜けるから誰が知らない?』って相談されたんです。僕には中学校から一緒の林立夫と高校の頃に知り合った幸宏という2人のドラマーがいて、林はアメリカっぽいサウンドが得意で、幸宏は当時のロンドンとかぶっ飛んだ音楽も好きだったから、『幸宏っていうのがいて、すごく音楽の趣味も合うと思うよ』と推薦したんです」
その後、高橋さんもミカバンドに加わった。
(※中略)
73年、加藤さんを中心に高橋さん、ミカ、高中、小原の第2期メンバーによってファーストアルバム『SADISTIC MIKA BAND』が完成した。
「ロンドンに影響された僕たちは『ブギーやロックンロールだけじゃない、いろんな音楽を入れよう』と話しました。ミカバンドは2枚目の『黒船』が有名だけど、あれはコンセプトアルバムだったから、みんなで好きな音楽を持ち寄って作ったファーストが『一番ミカ・バンドっぽい』と今でもそう思います」
ファーストアルバムは、作家の今野雄二氏によって英国に渡った。
「僕が聞いた話だと、今野さんがロンドンに行っていろんな関係者にアルバムを聴かせたら『こいつらは誰だ?』って、ちょっと話題になったそうです。それをクリス(トーマス)が聞きつけたのか、誰かが彼に頼んだのかは覚えていないんだけど、とにかく彼とつながった。これが『黒船』誕生のきっかけです」
音楽プロデューサーのクリス・トーマス氏はビートルズの『ホワイト・アルバム』(68年)でアシスタント・プロデューサーを担当したことで知られる。(※中略)
メンバーに今井裕(キーボード、サックス)も加わり、日本のロック史に残る名盤『黒船』が誕生した。
「できあがってみんなで『やったぜ!』でしたよ。周りは髪の長いちょっと汚い感じの格好がイケているような時代の中で僕らはおしゃれにきめていました。トノバンがイギリスから日本に初めてPAシステムを導入して、他のバンドとは比較にならないデカい音でやっていたし、とにかく『日本初』という話題の多いバンドでしたね。でも、反応はイマイチだった。今でこそ『名盤』とか言ってもらえるけれど、当時はあんまり受けなかったと思う。客席から小石を投げられたこともあったけど、こっちとしては『良いものが作れた』という満足感があった。だから、『そのうち何とかなるんじゃない』と思っていました」
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。) >>1
1975年にイギリスの老舗音楽番組オールドグレイウィッスルテストに出たミカバンド
https://youtu.be/hd5ztTz1564 これ語れるって65以上か?
さすがに年寄りすぎるだろ >>13
そのジュラシックパークやのになんでティラノサウルスやねん!
みたいなツッコミw 復活して桐島かれんをヴォーカル起用したのよかった
かれんさんの声が非常に魅力的だった
そしてかれんさんミカバンドは伝説とかよりも
きちんとした音楽を作りましたって感じだった
桐島洋子は初代ミカ・バンド知ってたからかれんが入るって
報告受けたときに大変だ無理なんじゃないかとかいろいろ
思ったようだが 初代のミカさんが一番魅力的なボーカルだった
他の人はまとまりすぎて普通 カバーされてるのもあるけどタイムマシンにお願いの認知度は結構なもんだよな >>19
それは再結成の方だろ
俺は56だけど初代の方全然知らんぞ 演奏力の高さにビビる
Sadistic Mika Band in UK TV show “Old gley whistle test “1975
https://www.youtube.com/watch?v=hd5ztTz1564 俺は62だが初代のほうは90年代に入ってからCD買った、黒船はよく聴いたなあ ミカバンドはファースト以外はゴミ
やっぱりトノバンがプロデュースしなきゃダメ >>17
木村カエラのイギリス人の爺さんは、カエラが三代目ボーカルになると聞いて「すごいじゃないか!」と驚いたらしい
ミカバンドは音楽好きのイギリス人になら普通に名前を知られてるというエピソード
1975年当時イギリスでテレビにも出たしロキシーミュージックと1か月間イギリス中をツアーしたからな >>27
それは3代目
2代目3代目は俺も知ってるが リアルタイムじゃなくても人脈豪華だし後追いでも知ってる人は結構おるやろ つべでたまにタイムマシンにお願い聴いてるわ
あの曲のミカのヴォーカルは癖になる
カエラとかじゃやっぱつまらん ミカバンドの前はマイクもギターアンプにつっこんで鳴らしてた
足元にモニター置く発想すらなかった 俺、黒船よりファーストの方が好き
別に通ぶってる訳じゃなく、聞き比べたら誰でも思うはず シャレオツなトノバンは一方
京都のアングラ連中ともつながりがあった 日本語じゃロックは無理とか言われてた時代に素直な発声だったからな。捏ねくりまわしてた桑田佳祐や佐野元春より前の時代に 『日本の偉大なギターアルバム100選』
ギターマガジン2020年7月号
ギタリスト555名の投票による選出
…人名はギタリスト/ボーカル
──────────
11位『東京事変/大人(2006)』…浮雲/椎名林檎※女性ボーカル勢第1位
…44位『椎名林檎/無罪モラトリアム』…西川進・鈴木玲史/椎名林檎
…90位『東京事変/娯楽』…浮雲・伊澤一葉/椎名林檎
…93位『椎名林檎/勝訴ストリップ』…名越由貴夫・西川進・浅井健一・戸谷誠・椎名林檎/椎名林檎
──────────
15位『ジュディアンドマリー/POWER SOURCE(1997)』…TAKUYA/YUKI※女性ボーカル勢第2位
…65位『ジュディアンドマリー/FRESH』…TAKUYA/YUKI
…94位『ジュディアンドマリー/WARP』…TAKUYA/YUKI
──────────
17位『荒井由実/COBALT HOUR(1975)』…鈴木茂/荒井由実※女性ソロアーティストでは1位※鈴木茂は自身のソロアルバムではチャーに続く総合第2位
──────────
39位『YEN TOWN BAND/MONTAGE(1996)』…名越由貴夫 他/CHARA
──────────
48位『サディスティックミカバンド/黒船(1974)』…加藤和彦・高中正義/ミカ
──────────
99位『PLASTICS/WELCOME PLASTICS(1980)』…中西俊夫・立花ハジメ/チカ
──────────
※女性ボーカルがメイン(またはサブ)は以上です
━━━━━━━━━━
参考)
第一位『Char/Char』
第二位『鈴木茂/BAND WAGON』
第三位『ミッシェルガンエレファント/ギヤ・ブルーズ』他に複数作品選出
第四位『ブラッドサースティ・ブッチャーズ/kocorono』
第五位『エックス/BLUE BLOOD』他に数作品選出
第六位『ブルーハーツ/ブルーハーツ』他にハイロウズからも選出 リアルタイムで初期を語れるのは65才以上だろうな
俺も高中正義のファーストから遡って聴いたくらいだし
高中のファーストはミカバンドの影響がまだ色濃くて、まだサンバやメロディックさはほぼなかった イギリスのテレビに出たときの動画見たけど
バンドが演奏してる中ひたすらボーカルが踊ってるだけっていうシュールな画面だった >>53あれがなけりゃ日本の音楽全てが変わってただろうな >>14
50の私が再結成がドンピシャだしねえ
桐島かれんのあの浮遊感ある声が独特でおしゃれでよかった PCエンジンのゲームで聴いた『タイムマシンにお願い』
内容は覚えてない >>14
今59だけどアルバム初めて聞いたときには既に伝説のバンドだったな >>64の結果凱旋公演出来ず消滅。福井ミカは無名のまま 福井光子 (ミカ) の実家は山をいくつも所有する材木商で高校生の頃には車を買って貰い車で通学
フォークル時代の加藤和彦の大ファンで追っかけをやっていた あのイギリスのTV番組に出た時のYouTubeで一気に好きになった
めちゃくちゃカッコイイ イギリス公演で1番人気があったのは後藤次利
次利はガイジンにもモテた強者 やたら通()に持ち上げられてる印象で
高校んときにCD借りて聞いてはみたけど全く良さがわからず
最近も名前聞く度にYouTubeなんかで良いのか?と聞いてはみるけどやっぱり良さが分からないバンド なんで70年代あんなかっこいいことやってた日本人が
80年代にたのきんトリオとかおニャン子クラブとか
退化しちゃうのか意味が分からない 音楽通()にやたらもてはやされてる印象だけど自分には一ミリも響かないむしろ嫌いという意味では
自分の中じゃ椎名林檎と同じ枠 >>73その頃カラオケが普及しだして素人が自分でも歌える曲が売れた >>73
あれは音楽じゃないから進歩や退化ではない ミカの爆発的ボーカルの魅力。カエラや桐島らが束になってかかっても、10分一のパワーもない。
イギリス人プロデューサーはミカを加藤から寝取ることによって、ミカバンドを潰した。 当時人気だった桐島かれんがvocalなったのは憶えてるけど歌はイマイチだったような
その前後はわからん 加藤和彦はロールスロイス買いにバンドメンバー連れてイギリス行っちゃうほど大富豪だったから
ミカバンドは遊び半分だったんだろうな
>>4
ミカバンドはキャロルと対バンすることはあったけど、
矢沢のバックをやったのは解散後のサディスティックで当時は日比谷の一回だけ
家遊びに行ったり娘の結婚式に呼ばれるほどの仲だけど矢沢ファミリーじゃないね 加藤和正が話してたが木村カエラを起用した理由の一つに
歌の言葉をきちんと発声して歌うのが理由と語ってた
英語っぽくむにゃむにゃした発音で歌う奴は嫌いだと 私の認識では
PAは個人的に持っていた
御坊ちゃま成毛滋が最初だと
思ってた
70年前後にコンサートに
貸し出していたとか
どっちが先でも2人共偉い >>1
「世界にも似たバンドは一つもない」は確かにそうだな
はっぴいえんどはバッファロースプリングフィールドに似てるけど
ミカ・バンドっぽいバンドは今でも思い当たらない 唯一無二の日本のバンドといえば人間椅子だろ
あんな世界観日本人以外には作り出せないと思う >>2
プラスティック・オノ・バンドをもじったジョークね >>56
50だが中学の頃に姉が読んでた宝島に福井ミカのインタビューがあったがかなりオバちゃんだったぞ。最近見た例のイギリスの番組のYouTubeでようやく魅力がわかった。 サディスティック・ミカ・バンドといえばこれも。
1985年「今だから」
作詞・作曲 松任谷由実、小田和正、財津和夫
編曲 坂本龍一
ヴォーカル 松任谷由実、小田和正、財津和夫
キーボード 坂本龍一
ドラム 高橋幸宏
ベース 後藤次利
ギター 高中正義 高中や小原、松任谷正孝は71〜73年頃、拓郎のバックでやってたな
高中と小原はそのあと、ミカバンドに行った
入れ替わりで後藤が拓郎のバックに入る はっぴいえんどの「風街ロマン」が邦楽ロックの傑作って言われると
ちょっと違和感があるけどミカバンドの「黒船」なら分からなくもない ボーカルが有名プロデュ-サーと寝たから売り出してもらえたバンド でしかない バンドの主力のミカを失ったショックから加藤和彦は一生立ち直れなかったことを見れば分かる。
ミカバンドが順調に行けば、凄いことになってたろう。
>>103
加藤はミカの魅力を分かってたから、ミカをプロデューサーに売るとか考えられない。 当時のメインチャートにいたわけじゃないからこのバンドに世代とかないだろ
はっぴいえんども同じ >>106
あんな低レベルなゴミバンドと一緒にされてもなあ
向こうは今聴いたら鼻くそ以下のカスだけどこっちは今聴いてもかっこいいだろ >>105安井かずみと再婚して意識他界系になっちゃったからな ユーミンとかサディスティックミカバンドはあの時代相当衝撃だろ。当時の人がどう思ったか知りたいわ。 >>5
皆肌がツルツルで脚が長くて小顔で生き生きとしてるな
これが「若さ」なんだけど50年近く経つとシワシワ垂れ乳BBAとか顔デカ小太り親父とか既にこの世にすらいなかったりする
今は小顔で脚が長く爽やかな若者も年を取れば老いるし今は禿げてる親父も20代前半のときは莢やかだった
高画質で生まれるより前の映像を見ると少し悲しくなるな >>110
ピンクレディー登場の衝撃でそれどころじゃなかった つのだひろってミカバンドだったんだ
すごい能力高い一発屋だと思ってたら メリジェーンオマママァーーー!!とか熱唱スタイルがダサいよな 欧米に似たバンドあるよ
書いたら叩かれるから書かないが >>82
元記事にあるけど、アメリカで修行してきた大村憲司に触発されたみたいだな
帰国してソロを出したときのサンプラザを観に行ったけど
ビーチボーイズに一瞬いて、のちにストーンズのコーラスをやる
ブロンディ・チャップマンがVoで
ライブのアンコールに幸宏と高中とトノバンが出てきて演奏したのが
ミカレンバンドに繋がっていったのに
そのミカレンバンドのほうを生で見られなかったのはいまでも悔やんでる 黒船のジャケットがあまりにも酷いから聴く気にならない 加藤さんてさ不思議なピーチパイとか
テレサ野田のトロピカルラブとか
ピエールバルーのぺぺとかホントいい曲書くよな
もったいない 加藤和彦が存命だったらのん(能年玲奈)が4代目になっていたかもしれないとかいう説。 >>7
欧米では透け乳首当たり前なんだよね
Tシャツとかドレスとかノーブラで着るのも普通
ミカも外国かぶれしたんだろう
加藤の後妻の安井かずみもノーブラ派だったし 怪傑シルバーなんとかって曲のドラムが凄くてループして聴いていたことがある >>101
二大過大評価バンド
ごく一部の信者しか聴いてないのはSpotifyの再生数からも明白 Spotify月間リスナー数
はっぴー 5.5万人
ミカ 2.3万人→全アルバム揃ってる
実際、俺も目を疑ったがこんなもんよ
解散っ! 地元のCMソングに使われてたから知ってる
大好き好きな!茶!茶!お茶でも!
湯呑み1つ!2つ?
みたいな歌 >>120初代がああなってなかったら加藤さんは自殺しなかっただろうな 世代じゃないから最初CMで聞いた時
パフィーが歌ってるのかと思った >>5
この中に出てくるミカが演奏中にポラロイドを撮る演出は、
ミカいわくブロンディに真似されたそうだ。 >>73
70年代にはミカバンドは日本でほとんど人気がなかったので
コンサートも客が来なくて、ヤケになってフリーコンサートをやったほど
シングルのハイベイビーは千枚くらいしか売れなかったとか >>80
ミカからアプローチしたんじゃなかったか?
クリストーマスとは事実婚で入籍していなかったとかなんとか >>82
>>117
小原はフュージョンやファンクに傾倒していて、
ポップなミカバンドが物足りなくなったみたい。
あとアメリカ帰りで、高中正義と鈴木茂が「俺より上手い」と驚愕した大村憲司とバンドやりたくなったんだろ。
小原のソロコンサートは汐留の期間限定でやっていたホールで観たよ。
一曲目が「ボーントゥビーワイルド」
大村憲司がギターで、ゲストに忌野清志郎と坂本龍一が来ていた。
坂本は安っぽいポータブルシンセみたいので延々とソロを取っていた。
清志郎は「上手いバンドだな」と呟いていた。
あと、ミカレンバンドも観たよ。
カレンが華があってよかったし、大村憲司のギターも渋かった。 >>87
加藤和彦は「日本語のロックという問題はない。何語だろうが格好いいかどうか」と言ってる。
そういえば加藤や加藤の関わった歌で、巻き舌の英語風日本語の歌はないね。 >>88
成毛滋と加藤和彦はこの頃よくつるんでいたから、
PA会社も二人で立ち上げでは?
違うかな?
加藤が高中正義を初めて観たのも、
成毛と一緒だったというし。 >>105
加藤いわくクリストーマスとミカが付き合う前から、
ミカとの仲は冷え切っていたと。
夫婦仲が冷えていてミカバンドはサードの頃はピリピリしていたとか。 >>109
家に炊飯ジャーは置かないとか、
メイド服を着たメイドを雇うとか、
家でもネクタイを締めるとか、
日本人が来ない秘境のリゾート地でひと月夏休みとか、
ルイビトンを全型買うとか。
欧州貴族みたいな生活を本当にやっていたんだよね。 >>124
Spotifyの再生回数は他アーティストとのコラボ曲の数と公式プレイリストにどれだけ多く入ってるかで決まる >>134
汐留PITの小原礼スーパーバンドは最前列で見てた
龍一はカシオのデジタルホーンを吹いてたはず
まだほとんど無名の小林武史がサポートしていて
バンドのなかではいちばん下っ端だったな めちゃくちゃBlondieにてるでしょ
シーナアンドロケッツも元ネタここだし
甲本ヒロトのボーカルの元ネタの1つだし
結構日本に影響与えてる 新年あけましておめでとうございます。
新型コロナは今月中に終息確定です。
今年からは、感染力が新型コロナ並みで、致死率はただの風邪以下で、天才か身体能力の高い人が、このウイルスか細菌に感染すると、
失明して聴力を失い、声を発することが出来なくなって、半身不随になり、重度の精神病であり、最重度の知的障害になる病気が千年間以上世界中で大流行してパンデミック状態になり、全人類が超人に進化するといいですね。 >>141
加藤和彦がシナロケをミカバンドのパクリと御立腹みたいなのを読んだ記憶が >>141
ブロンディは演奏が下手なので。。。
パンク上がりだし、ファンキーさやフュージョン臭もないね >>34
YMOがはじめてロンドンでライブしたときは
「ミカバンドのユキヒロの新しいバンド」
という認識だったらしいし >>139
コラボは置いといて公式プレイリストがないってことは需要がないんちゃうの?
前座努めたロキシーも300万弱だから、意識高い系ろっくはそんなに聴かれてねえってことだしょ ミカバンドがロキシーのツアーの前座として同行
それを客席で見ていた10ccのメンバーが「これだ」と
10ccの進むべき方向を決めたと言うのは有名な話
事実10ccは最初から多国籍でいろんなジャンルの曲を作った
つまり影響されたもしくはパクられたとも言える 加藤和彦いわく、スティングもミカバンドを知ってると
ロキシーのライブを観に行って前座のミカバンドも観たとさ 今井がやっていたイミテーションというミカバンドの二番煎じみたいのは、
全く売れなかったな。。。 >>145
龍一がアカデミー賞を取ったあと初めて国内で人前に出てきたのに
アロハとバミューダパンツでデジタルホーン吹きながら転げ回って
「いけないルージュマジック」を演ってて、
清志郎が「ノーベル賞おめでとう!」とか言ってた記憶
なにしろ矢野さんがピアノでいたので鍵盤弾くわけにはいかなかったw
その後、矢野さんが六本木ピットインでやってた大村憲司とのデュオライブで
憲司が病欠したときのサプライズゲストで出たときも
ピアノじゃなくてシンセ弾いてたんだよな
それほど「アナタってほんとピアノ下手ね」って言われたのが堪えたんだろう >>152
アカデミー賞の直後だったのか
忘れてた
ピットインの矢野と大村のデュオライブは観に行ったよ
梅雨時だかで蒸し暑くて矢野が不機嫌だったわ ディーボもミカバンドのファン
レコードも持っていたと、幸宏との対談で話してた
デュランデュランもミカバンドのレコードを持っている
イギリスの音楽関係者はたいてい持っているとか ユキヒロによると最初ミカバンドとしてロキシーと同行した時
ブライアンフェリーはユキヒロが挨拶しても軽くあしらってた
ところがYMOとして売れた後はフェリーの方から擦り寄ってきた
非常に姑息な奴だとわかった(これは俺の感想) トノバンはクリス・トーマスにねとられ
後年、ユキヒロはビル・ネルソンに
ねとられ
でもふたりとも、素晴らしい女性と
再婚して悲壮感はない >>111
大人になっても頭蓋骨は成長するし脂肪が顔につくしなにより頬も垂れる
顔デカオジサンオバサンの出来上がり アリエヌ共和国は好きな曲だったが
モット ザ フープル にそっくりな曲があってガッカリした つのだはジャックスとか伝説のバンドにかかわってるよな
本人はメジャー志向なのかもしれないけど 渡辺貞夫バンドでモントルージャスフェスティバルで大人気だったつのだひろさん
ナベサダ、成毛滋、ジャックス、ミカバンドと幅が広すぎる
当時、日本でZEPのグッドタイムズバッドタイムズのイントロを完コピできたのはつのだひろしかいなかったそうで、
それくらい日本のミュージシャンは層が薄かったのか。 演奏がすごいと思うし曲も好きなんだけどミカのボーカルがなぁ…勿論ミカの声がいいからボーカルに起用したんだろうけど
上でパフィーみたいな声って書いてる人がいて腑に落ちたわ ミカさんの頃はリアルタイムで知らなくて
もっぱらトノバンとズズさんに憧れてたわ
ズズさん亡くなって割とすぐ中丸みちえと再婚したのも
中丸と離婚後に軽井沢での死もショックだった イギリスで評価されてるか?
当時たいして売れてないのにおりじなのレコードたいして値上がりしてない
ファーストだけUK 途中で送信してしまった
ファーストだけUK盤ジャケット違いもあり昔からちょっとだけ高かったけど
今レコード人気もあり評価高いのは値上がり凄いのに >>131
キャロルとかの前座?だったんだろ
打ち上げで一緒に飲んでたらしいな リアルタイムで聴いてたけど、「タイムマシンに〜」は衝撃的だったよ >>170
そんなに売れてないし後で再評価されたはず >>169
その頃は日本のバンドは集客力がショボくて何かにつけてジョイントコンサートをやってたわ >>20
桐島かれんのどこが型に嵌ってんだ、良くも悪くも一番かれんがアバンギャルド 邦楽ロックあまり聴かないけど、クリストーマスとか名前出てるが初期のロキシーみたいな音なの? 前に、イギリスの番組でスタジオライブしてる映像を見た限りでは、思いっきりスライ&ザ・ファミリー・ストーンの出来損ないみたかったけどな ミカバンド見たクリス・トーマスというイギリスの女衒野郎が「こらいかん、イエロージャップに
イギリスのロックが負けてしまう。ワシのチンポでミカを逝かしてまわんとwww」 チャリンコブギーみたいな曲も好きだがあれはたまに何で俺こんなの好きなんだろうと思うことがある
サイケ+GS+おちゃらけ+歌謡ロック。たしかに唯一無二かもね まぁ、ミカがノーブラでセクシーなヒッピーぽくてめちゃくちゃ魅力的だから、その点ではスライ&ザ・ファミリー・ストーンと違いはあったかもね
スライのとこの女メンバーは控えめだったから タイムマシーンにお願いって初めて聞いたときパフィーの曲かと思った >>5
約50年も前にこんなバンドいたんだな、すご >>171
確かに大人気ではなかった(というかレンタル無い頃だし)けど、聴いてる奴も少しはいたさ
土建屋の息子が友人で、小遣いたんまり持っててそいつに貸してもらったんだよ >>20
時代背景もあるよね
ミカボーカルの映像は曲調、衣装、一番しっくりくる 黒船が五万枚くらい売れて当時の日本のロックでは異例のヒットだったとか何かで読んだような記憶
記憶違いかもしれんが >>182
奥田は明らかに狙ってるし隠すつもりもないだろ
サーキットの狼だとかあのへんも影響受けてるというかリバイバル的に狙ってる
みんなタイムマシンにおねがいくらいしか知らんからあんま気づかれにくいが >>159
あの曲はサビの部分もストーンズのブラウンシュガーのパロディ
みたいだ この当時のロックバントで女性ボーカルって珍しかったのか
確かにあまり思い浮かばないな 桐島かれんでなく
レベッカ解散後のNOKKOが最初の候補だったらしい ジェファーソン・スターシップ では?
グレース・スリックはユーミンの憧れの女性ボーカリスト
ウッドストックのライブが衝撃だったらしい
ジャニス・ジョップリンでなくグレース・スリックなのが
ユーミンらしい ユーミンはキャロルキングリスペクトかと思ってたけど違うのか(´・ω・`) >>28
インストだと上手いけど
ボーカルが入ってくると急に学園祭バンドみたくなるな イギリスの(おそらく生放送)TVで堂々とパフォーマンスできるだけでぶっ飛んでるでしょ
今もイギリス在住で料理研究家をしてるのかな? 桐島かれんのミカ・バンドが好き
オリジナルのはやたら古くさい ヒットしやすい曲よりも、むずかしい曲
という考えだったから、とうぜんヒットしないが
日本人も、むずかしい曲やれるようになった
という点で、当時は前人未到
あれから日本人全体も、ある一定のレベルに達して
ミカバンドに、申しぶんのないおおきな意義があるんだが
技術レベル以上の存在に、その後日本人が達したかどうか
これがやはり、まだ、というしかない
まあ、たしかにこういうのはたいへんだが >>194
ミカののぺーっとした声質に近いかもね。 >>201
分かる。
スゴい時代を感じ過ぎて自分も苦手だった。 細野晴臣が一瞬メンバーだった
小原が辞めて加藤が細野に電話してオファー
この頃のこの二人の対談を雑誌で読んだわ
ただ細野も忙しくてライブを少し付き合っただけで辞めたが >>148
how dare youアルバムの1曲めのインストはもろミカバンドをパクってる 元々はトノバンがロックやるときのためのユニットだったわけで、メンバーも当時のいわゆるセッションマン揃えただけだよね
伝説云々は後付け 加藤和彦はミカと離婚してなかったらあの作詞家と結婚できなかっただろ
その後の名曲の数々が無かった >>162
当時の海外と日本の物理的な距離感を考えれば
「同じような演奏を目指す」というだけで如何に重要な命題だったか
たまに見られる映像だって個人で再生する手段はないし
耳で聴いて拙い知識で追いかけるだけで充分すごかった
むしろ当時のミュージシャンのほうが年齢と技術では
いまのプレイヤーより上だったりするしね >>191
そもそも民生はけっこうカバーを演ることがおおい
真心ブラザーズとmy back pageを出してたはずだし
PUFFYにサンハウスのビールスカプセルを歌わせてたのはびっくりした >>212
後藤次利はチョッパーベースをラリーグラハム?だかの、
ライブのFM放送のチアチェックを聴いて覚えたらしいね。
そんな後藤がイギリスでチョッパーをやったらイギリス人がびっくり。
ロキシーのベースは、「前座にあんな上手いベースが出たら困る」と嘆いたとか。
あと細野晴臣はツーフィンガー奏法をレコードジャケットで知ったとか。
情報もない中でよく英米の音楽を真似したと思うわ。 >>5
ちなみにこの時のベースは小原礼ではなく後藤次利な つのだ☆ひろは文字列だけ知っているけど、昔のミュージシャンだったのか ミカさんはイギリスでパティシエやってる、と
かなり以前の番組でみた
相変わらず綺麗だった
今どうしてるのかな >>1
写真家のトシ矢嶋がイギリスの音楽が好きで、半世紀も前だがロンドンから国際郵便で有名な音楽新聞のNMEを取り寄せて読んでたんだよな。
そしたらミカバンドのファーストがイギリスで売られてもないのにNMEのレコ評欄でべた褒めされていたと。
それが多分、ここで小原礼が言ってる今野雄二が向こうの業界人に渡したレコードだったんじゃないかな。
そして当時トシ矢嶋が青山ユアーズという高級スーパーでバイトをしてたんだが、そこに加藤和彦ミカ夫妻が買い物に来たんだと。
もうこれは絶対に声を掛けないとと思ったトシ矢嶋は、トノバンに声をかけて件のNMEを渡して「ミカバンドが載ってますよ」と教えた。
トノバンはその記事のことを全く知らなかったらしい。
しかしそれを契機にトシ矢嶋はトノバンに可愛がられて、ロンドンにも同行するようになった。
トシ矢嶋は高橋幸宏や細野さんとも仲良くなって、80年頃には当時ロンドンに住んでたトシ矢嶋が現地でビビッときたニューウェーブのレコードをカセットテープに録音して日本の高橋細野に送っていた。
二人はトシ矢嶋のカセットテープがなかったらYMOのBGMはああいう作品にならなかったと言っている。
ことほど左様にトシ矢嶋ってこういう音楽界隈の重要人物なのに、あんまりそういう著作がないんだよな。
重要な歴史的証人だと思うんで、聞き書きでもいいからぜひ自伝を残してほしい。 セックスピストルズをクリストーマスに紹介したのはミカ
新しモノ好きのミカがクラブで見つけた 平成元年。世はバンドブーム。レピッシュの
「パヤパヤ」、ミカバンドの「ボーイズアンド
ガールズ」スターレットとファミリアのCMソング・
ボーイズ-はタモリ倶楽部のOPみたいな曲だねw SMBを知ったのは1987年頃の宝島でだったの思い出した。ロック好きの先輩にカセットに落としてもらってよく聞いてた。 ミカさんがプロデューサーとできちゃったのが
つくづく勿体ないなー
あれなかったら、活動続いて、もうちょい売れてたやろ ミカいわく、英国のレコード会社がアメリカに売り出すバンドとしてミカバンドが候補になっていたが、
加藤夫妻の離婚で解散してしまい、クイーンに変わったとか。 >>204
近いけどその人の歌声は凄く苦手だわ
ミカは好きだけど >>214
そういやアコギで世界の終わりやってたな >>209
言われてみればそうかも
ただし10ccは才能の集まりで単なるパクリで終わらず
10cc独自の音を多く作り出した
ちなみに桐島かれんミカバンド時代、加藤和彦作曲でいかにも
10ccに影響されたと思われる曲「ダシールハメット〜」がある
これはお互い様という感じ リアルタイム年代だけど タイムマシンにお願い しか覚えてない
これより 四人囃子 のほうに衝撃を受け大好きだった 3大カバー曲が本家越え
木村カエラのタイムマシンにおねがい(厳密にはカバーじゃないけど)
坂本冬美のまた君に恋してる ワカチコ ワカチコ もミカバンドが一番最初にやってるっぽいけどどういう意味なんだ…
タイムマシンにおねがいってミカバンド自身にも類似曲が無いのよね >>116
グラムロックからWA-KAH! CHICOのようなプログレ・フュージョンみたいな曲まで
ミカバンドは幅が広く、掴み所ないからな
そんなバンドちょっと思い当たらない 怪傑シルバー・チャイルドのしょっぱなに「・・・(聞き取り不能)でいいですけど」という加藤和彦の声が入っているのが
逆相で聞くとはっきりわかんだね ファンキーマージャンはオリジナルよりも1989年桐島かれん時代のこのライブバージョンが好きだわ
ユーロビートをパロディにした冗談みたいなアレンジなんだけど、アップビートでカッコいい
https://youtu.be/qhAqyRe6Z7I >>98
小田和正はミカバンドのファーストアルバムでピアノ弾いてるんだよな
加藤和彦はオフコースの初期に曲を提供していて、小田にミカバンドに入らないかって誘ったけど断られた ミカの歌はどう聴いても素人
声もオノヨーコ並みにひどくて聞いてられなかった
日本で売れなかったのは納得 >>240
シルバーチャイルドはイントロの高橋幸宏のドラムブレイクをサンプリングしてネタ使いしてるDJが海外にいたりする
あのドラムはクールだもんな
https://youtu.be/Tgfs2k23uqY NOKKOさんじゃなくて結果的によかったのかも
ミカさんのたたずまいは好きだけど歌はあまり好きではない
続くミカさんがわりのVoはミカさんの要素を少しづつ持ってるね
かれん派です HOT! MENUは小原の声がないから物足りない
ベース以上にボーカルとしての必要性が高かった >>243
加藤和彦もミカバンドのファンもミカバンドのボーカルに歌の上手さなんか求めてないんだよ
ミカバンドのボーカルはミカバンドのコンセプトを表現できる洒落たセンスが重要 景山民夫のエッセイに、加藤和彦にロールスロイスを買いに行くのに付き合わされたってのがあったけどおもしろかったなぁ
ホントかウソかわからないけど、景山民夫が加藤和彦の運転手役をやらされるという しゃれたセンスはカエラはともかくかれんは音楽素人だもんなあ
ミカ、かれん、カエラ、それぞれちょっと近寄りがたい雰囲気があって
男女問わず美人だねって言われる雰囲気持ち
動きはカエラが一番つまらないとは思う ミカバンドは洒落たセンスが重要だから
加藤和彦はミカバンドやる時は坂崎幸之助を呼ばなかったんだな >>73
そこからさらにアニソンや韓国ポップスを大喜びで聴くどこまで日本はまで堕ちぶれたぞw >>220
CXの作ったドキュメンタリーで話してたね
ああいう番組は文化遺産的に遺してほしい
>>242
トノバンがなくなる3年前だったか
吉川忠英のやったヤマハのイベントで
六本木の千人収容のホールで共演したのを見たんだけど
あの誰にたいしても態度がでかい小田和正が
トノバンの前ではガッチガチになってておもしろかった >>260
他の界隈でも腰低いので有名だったので、小田は権威的なものに
やたら弱いのかも
どこでも腰低いのかと思ってた・・・ サディスティック・ユーミン・バンドってあったような 今まさに書こうとしてたw
今だからを披露したオールトゥギャザーナウ?でその時だけユーミンボーカルで演ったんだよね この辺の日本のニューロック系の
主にフュージョン寄りのバンドはヴォーカルが総じて糞
当時のミュージシャンのインタビューを読んでも
「演奏上手い奴が一番で、出来ない奴がヴォーカルだった」的なのが多い
だから演奏は出来ても売れないバンドが多かった
ただ、そういう意味で能力よりも魅せ方へ
ヴォーカルにスポットを当てる意識を持ったバンドではあった >>1
「塀までひとっとび」で歴代ボーカルの比較動画
https://youtu.be/krWV8H4Pnnw
俺はかれんとミカが同率1位で好きで、カエラはイマイチだな
なんかカエラの朗々と歌い上げるところがあまり好きじゃない
演奏はかれん時代が、世の中はバブルだしメンバーの技術も脂が乗ってる頃だし最高だな あと一人 思い出せない ミカバンド
誰のことなのか 高中が消防団の法被着てギター弾いてるのがカッコイイ
ミカさんはポライロイドカメラ撮ってるし 長くてゴメンやで
中学の時にラジオで初めて聴いて感銘を受けたんだけど、バンド名と曲名を失念して誰が歌ってるのかわからなかった。当時流行り始めた女性ボーカルのバンドといえばシーナ&ザ・ロケッツだったから多分この人達の新曲なんだろうなと思った。
でも全然世間的にそういうプロモーションもないし、持ち歌の中にそれらしい曲はないんでおかしいな、あの曲誰なんだろうってずっと疑問だった。
そんなある日、小学生の時見てた飛び出せ青春かなんかのドラマの再放送でゴーゴー喫茶?のシーンでジュークボックスからこの曲が流れてきたんでビックリ。
そんな古い曲だったんかい!って。で、最近の曲じゃないって事はわかったけど結局アーティストは分からずじまい。この後もしはらく誰の曲かわからず、高校に入ってマイケルシェンカー好きの同級生から借りた黒船のレコードでようやく解決した。そんな思い出の曲 タイムマシンこれはこれで大好きではあるがこれが代表曲のように言われるのだけは許せない
ミカの曲としてもミカバンドの曲としてもベターであってベストではない >>137
加藤和彦はミカに出ていかれた後ずーっとメソメソしてた
って吉田拓郎が言ってた
相手の残していったもの眺めてメソメソしてるんで、いい加減そんなの捨てろよ
と言ったとかなんとか >>191
タイムマシンに~もジェット警察は似てるが90年代のPuffyだと他は似てるかってとそうでもないわな
タイムマシンとELOを合体させたらジェット警察になる >>237
また君に~はビリーバンバンの方が好きだがなぁ >>257
>>262
と言うか坂崎とやるのはフォーク畑での仕事限定だろうしな >>120
のんは無いなYoutube でタイムマシンにお願い歌ってたのあったけどジャイアンリサイタルだったよ GSブームの頃にフォークルでフォークに流れを代えて
フォークブームになったらミカバンドだから加藤和彦は凄い
普通は、かまやつひろしや泉谷しげるみたいにフォークが流行ればフォーク、ロックが流行ればロックに行く >>73
世界的に見てもそんな感じでは
自分は80年代に青春時代を過ごした世代だけど
60年代〜70年代の映画や音楽に触れたときは腰抜かしそうになったもの >>279
ミカ;時代を感じさせてべったりと耳に引っかかる
カエラ;上手いし声質も相まってサラサラと流れていく
かれん;その中間
で自分もかれん派
ソロアルバムも持ってる >>237
「東京ラッシュ」は森高千里カバーの方が好き >>281
常にロンドンあたりの流行を見ていた人だからね
初期にやたらとブギーが多いのは
マークボランの影響であろう あの当時の洋楽志向な奴らってみんな学生のころからの知り合いばっかだからなぁ
東京のボンボンの
高橋幸宏は兄貴もそういう中に居たから兄貴繋がりだろ >>273
>相手の残していったもの眺めてメソメソしてるんで、いい加減そんなの捨てろよ
と言ったとかなんとか
逆に安井かずみが亡くなった時は、死後すぐに安井かずみの物を全部捨てちゃったんだよね。
遺族に片見分けもせずに。
下着も透明ゴミ袋に入れてゴミで出していたとか。
それを安井の妹が批判的に暴露していた。
あと、安井かずみと付き合ってからは、
ミカの痕跡を全部安井に消させられた。
大好きだったロンドン行きも「ミカに再会するかも?」という懸念で、
安井に禁止されて。
安井かずみと一緒になって、加藤はロックをやらなくなったね。 >>273
ミカと別れた後に一人でアジア旅行をして感傷に耽っていたとか。 >>287
幸宏の兄貴の高橋信幸だっけ?
その人がTwitterで幸宏の死後に幸宏の子供の頃や若い頃のことを詳しく語っている。
幸宏がスタジオミューシャンになったのも、
兄貴の関連の仕事が始まり。 そう言えば80年頃のプレイヤー誌に、加藤和彦がミカバンド時代に使っていた、
白いフライングVの売出しの告知があったな。
35万円くらいだったかな?
普通は思い出に取っておきそうだが、
過去を引きずるのが嫌いなのかな? >>286
ロンドンに頻繁に通って、レコードや楽器やPA機材やら買い込んでいたからね。
イギリスで流行り出したレゲエもいち早くやっていたし。 >>287
武田鉄矢もなぎら健一もロックはドラムやアンプとか機材に金がかかるから、
生ギター一本でできるフォークをやったとか言ってる。
当時アマチュアでロックができるのはボンボンが多い。 >>292
>ロンドンに頻繁に通って、レコードや楽器やPA機材やら買い込んでいたからね。
スゴいね。
ついでに(年取ってからなんだろうけど)スーツも作りに行っていた。
安井かずみは同じ理由でパリに通っていた。
高橋幸宏も生まれたお家にドラムセットがあったんだよね(お兄さんの?)。
クラシックはもちろんだけど基本音楽でご飯食べて行けるなんて
異次元のお金持ちだわ。 ロキシーとともにサウンドもファッションも
70年代の最先端だったなw&ミカのキャラクター。 >>294
幸宏がドラムを選んだのはドラムを叩けるような家に住んでいたからだと。
それくらい大きな家だったと。 >>295
ディーボも幸宏との対談で、
「ミカバンドは音もビジュアルも時代を先取りしていたね」と褒めていた。 YMOトランスアトランティックツアーか
グリークシアター公演だったかミカが
YMOの楽屋訪問してる映像あったなw >>293
日本には全く情報がないからロンドンに度々行くとかボンボンしか出来ない >>293
武田鉄矢やなぎら健壱の話は「話し半分」で聞き流せ
海援隊は元々ロックバンドでドラムの上田雅利を財津和夫に引き抜かれてフォークになった 日本ロック史における金字塔
サディスティック・ミカバンド、カルメン・マキ&OZ、BOWWOW、BABYMETAL
試験に出る一般常識
四人囃子、クリエーション、ラウドネス 老人が老人を持ち上げているだけ。
股の緩いあばずれをありがたがっているだけ。 >>300
海援隊、キャロルのラストライブにゲストで来てたんだよな
違和感あったがロックバンドだったのか トーキング・ヘッズの初来日の時のインタビュー(jamって雑誌だったかな?)で(日本のバンドで)ミカバンは知ってるって言ってたと思う >>14
来年50の俺が生まれたとしのバンドだからな お好きならYouTubeで検索してね
ミカ、サディスティック・ミカ・バンドを語る 1989 サディスティックミカはバンドを離れてからは
一般人でもないけど特に脚光を浴びることもないという微妙な位置で終わったようだ ライブ・イン・ロンドンとか音質が悪すぎる。もともとカセットテープだったらしいが >>296
実家は床屋でぼんぼんでもないのに才能だけでのし上がった
つのだひろのほうが再評価されるべきだな
ミカバンドを早々にやめて始めたバンドの貴重な映像 歌いながらこのパワフルなドラミング
https://www.youtube.com/watch?v=--gj-8Apa0A タイムマシンにおねがいだけで死ぬほど価値あるバンドだよな
他の一発屋とはレベルが違う >>312
高橋幸宏の実家は味の素の瓶を製造する会社を経営していたが乗っ取られて、母親が自殺して本人もうつ病に >>314
ナイフを懐に忍ばせて街を徘徊するようになるわけだな >>231
10CCのoriginal soundtrackからの1曲め組曲 one night in Parisは名作
もっと評価されていい >>314
幸宏の母はくも膜下出血だかで亡くなったような
乗っ取られた後の混乱期の急死なのは違いないが >>317
クイーンのボヘミアンラブソディはその曲のパクリ
とは言わないがかなり影響受けてると思う >>312
ボンボンルート以外にバンドボーイ、
ボーヤからの叩き上げルートもあった。
使い走りに殴られるのも当たり前の修行生活。 >>314
瓶じゃなくて缶な。あの赤い長方形のやつ
乗っ取られなくてもいずれ製造終了で終わってただろうな
あと自殺じゃなくて死別だろ >>320
つのだひろは高校からジャズの富樫雅彦に師事して
その頃からすごい演奏力で目立って引く手あまただよ
あとは兄のつのだじろうが漫画で売れて急に裕福になったから好きに音楽やれたとか
これは地上波でも話してたはず >>324
恐怖新聞は1973年だからメリージェーンのヒットの2年後だぞw
その10年ぐらい前からギャグ漫画で売れてたんだよ 少女漫画でも トノバンってのはドノバンが由来だってね
サンシャイン・スーパーマンはサイケの傑作でペイジさんもいい仕事している名曲だ
昔オールナイトニッポンの2部で、CM取れなかったところの埋草に延々と流れていたわ 「花のピュンピュン丸」とか「泣くな10円」とか面白かったな >>312
パワフルでありながらジャズドラムがめちゃくちゃ上手いので重宝された
佐藤允彦のとこからジャックス→URCを一通りこなしてナベサダバンドでもやる
そこから「戦艦大和」と言うバンドをトノバンと組んで始めたら
ミカ入れるって話で揉めて脱退してミカバンドができたって流れだったかなあ
>>302
フードブレインなしで日本のロック語るとかw かれんのときはサディスティック・ユキヒロ・バンドとか言われてたね
あの再結成時が一番好きでいまでも普通に聞いてるわ >>334
知らなかったら参加しようとしなくてもいいよ 知らんくせにわざわざスレ開いて書き込む意味がわからん
「存じ上げないのですが一言」でお馴染みのヤフコメ民か>>334 サウンドストリートで人気投票したら恋のミルキー・ウェイが1位になって高橋に
「何でこんなのが」
とか言われてたな 岡崎友紀のドゥー・ユー・リメンバー・ミーを後追いで聴いて
あの時代にああいう音作りとは加藤和彦は天才だな
と単純に思ってしまった
今年は『トノバン 〜音楽家 加藤和彦とその時代〜』という映画が公開予定らしいので
見て見たくなりました >>334
知らねーなら態々書き込むな
テメェが無知アピールしてるだけだタコが >>288
その辺の事、自殺で亡くなった時にテレビでなかにし礼があんな素敵な人と結婚して亡くなったらすぐ次の人と…みたいな事を嫌そうに語ってたな
加藤和彦絡みのBOX企画とかって何かポシャるらしいんだが単純に売れないからかな… ミカ そこらの金持ちあばずれ放蕩娘が好き勝手気ままに参加して離脱した危うさが魅力
廻りの男達は連れてきた男とライブハウスに集まった仲間でもない顔見知りたち酔った勢いで鳴らし始めた奴等
かれん 仕事とストイックとパンクが混在の歌舞伎者
廻りの男達は連れてきた男と目配せしたら集まったミュージシャンの素の姿
カエラ 歌うの大好きな娘っ子
廻りの男達はそんな娘っ子をダシに同窓会気分で楽しむやんちゃなオヤジたち >>319
バリーライアンって人のエロイースって曲がヒントになったらしい
こちらは正直クソ曲だけど ムーグ野郎のギンガム集団 アロハのドーナツ
ロンドン帰りのサディスティックミカバンド
将軍・加藤和彦の底知れぬ世界! >>265
はっぴいえんどなのに
松本さんがエレドラ叩いていたときかな?w >>342
それ見たわ
ワイドショーで亡くなった人に対して物凄い貶しててどうかと思ったわ
みんなのアイドルだったと安井和美さんのことはベタ褒めしてた >>347
北山、松山、安井、それぞれ特色あるけどミカバンドの世界観は松山猛じゃなきゃ描けなかっただろう >>122
あれはすごいな
クレイジーケンバンドがパクってた もっとぶっ飛んだのをイメージしてたんだが
なんかテクニック自慢バンドみたいな感じだったな 1stがエグすぎる
あの時代にあんなん作られても誰も追いつけんわ >>5
今で言うとsuperorganism枠だな >「世界にも似たバンドは一つもない」
プラスティック・オノバンドは? つのだ☆ひろはテクはある
ジャズからハードロックまでちゃんと叩けるし
高橋幸宏はテクというより妙にタイトなリズムだわな
例えば、ポリスのスチュワートコープランドとかrushのニールパートと似たような部類
ビートに特徴がある >>2
ネタ元がジョンの魂って知るとなんかダサいよねw どんだけパクっても許された時代の汚物だろ
馬鹿なこと行ってんじゃねぇよ ミカバンドは先鋭的だったけど
その点くらいかなと思う
中途半端だった
そりゃぁ、クイーンを推して売ったレコード会社が正解
ミカバンドでクィーンみたいなヒット曲つくれないしアルバムも作れない
ミカバンドは先駆者だけど、完成品を作れなかったと思う
ボーカルはやっぱり弱かったと思う
ロキシー・ミュージック後期 10CCのアルバムのがずっとやっぱり上。
加藤和彦の海外三部作のがはるかに傑作だった。 サディスティック・ミカ・バンドは
ファッショナブルのが売りはいいけど、
曲自体は最先端でもなかったし、ヒット性もそんなになかった
タイムマシンにお願いも名曲かといわれればそこまでと思わない
決定的なメロディラインの曲はなかった
伝説のバンドでしかなかったのにはそれなりに理由ある
大ヒットを出すバンド・アーティストはやっぱり力あるんで
演奏力あってもそれだけの曲・アルバムがなかった
歴史的価値でいうならそりゃぁYMOのがはるかに重要。
たしかにミカはかっこいい存在だったけど
グレース・スリック並みのボーカル力あればなぁという感じでは
あるよね
外見先行
後継者の桐島カレンもカエラも外見先行だよねぇ・・・ 加藤和彦はフォーククルセダーズで当てて金持ってたんじゃないの
実家も金持ちだったのかな
フォークルってミリオンヒットが3つぐらいあるでしょ >>366
とは言え加藤和彦の永遠のミューズはミカだったんだろうなと思う
ズズはミューズじゃなくてメンター 加藤和彦は浪費癖がなおらず
最後は借金まみれになってうつ病になったらしい
亡くなった妻の資産家の安井かずみの財産も使いつくしたんだから
どれだけ金をたれながしたのかと
ミカも別れて正解としかいいようがない
加藤和彦は資産も才能も仕事もそれなりにあったのだから
本来悠々自適の生活で拓郎みたいな余生をおくれたのにとも思う
あの当時、加藤和彦 今野雄二 中村とうよう
とたて続けに自殺してショック大きすぎた
自殺することは影響うけた人にどれだけ負担かけるか考えてほしい
ゴダールも安楽死を選んだし身勝手だと思う
麻薬や酒で死んだほうがはるかにましです ロマン・ポランスキーも
死んじゃったように勘違いしていたけど
ウィキみたら存命だった
どんな形であれ自殺なんかしないで生きていてほしい
やっぱり生きていてくれれば安心する 高橋さんのYMOのドラミングはどことなく窮屈で好きじゃなかったが
亡くなったあとにスタジオミュージシャン時代の音源を聞いたら全然違っていた
あの人はYMO時代よりテンポがゆったりしたもので真価を発揮するんだね
他のミュージシャンが絶賛するわけだよ >>368
フォークルの「帰ってきたヨッパライ」は自主制作盤で、
それが記録的な大ヒット。
原盤権がフォークルにあって、印税も桁違いに高い。
それで加藤は二十歳そこそこの若さで億万長者になったんだよ。
解散後に欧米に長期旅行できたのも、
この印税のおかげ。
あと加藤の自伝によると加藤の実家は資産家というほどでもなさそう。
父親は技術系の会社員、祖父が仏像の修復師。 >>370
北山修の話だと、晩年の加藤は曲の権利なんかも売り尽くして一文無しだったとか。
安井かずみの評伝には、加藤が渡辺プロの渡辺美佐に金の無心をする話が出てくる。
渡辺は加藤に金を貸したと。
加藤のカーコレクションが雑誌の見開きグラビアに載ったけど、
ベントレーやフェラーリだか超高級車が五台くらいあった。
そんな生活をしたらそりゃ金に詰まる。 >>1
小山田 ロキシー・ミュージックとの全英ツアーも伝説ですよね。
高橋 ロキシーは『ラブ・イズ・ザ・ドラッグ』がチャート1位になって飛ぶ鳥を落とす勢いだったから、ツアー初日なんて彼らにとってはゲネプロみたいなものだったらしいけど、こっちは心臓バクバク。
まだ海外にコンプレックスがあった時代だから、大和魂でいくしかなかったんだよね。
『メロディメーカー』などイギリスの音楽誌はこぞって絶賛してくれたけど。
小山田 音楽的にもかなり衝撃だったんでしょうね。
高橋 後藤次利は「フラメンコギターのような驚異的なベース」と書かれたし、演奏力に関してはイギリス人も驚いていたみたい。
YMOの時はロックは西洋人の民族音楽だという居直りがあったけど、ミカ・バンドは幕の内弁当的なロックと言ってたのかな?
でも、それがどこまで通用するかはまったく未知数だったね。
小山田 うちの父の従姉妹にあたるおばさんが昔、ブライアン・イーノと付き合っていたらしいんですよ。
『007は二度死ぬ』にも出ていたみたいなんですけど、そのおばさんいわく、「圭吾ちゃんの音楽はイーノみたいね」って(笑)。
高橋 トンでるおばさんだね。でも、ミカ・バンドもある意味、プログレッシブロックみたいなところがあったと思う。
小山田 想像だけど、ロキシーより絶対うまかったと思いますよ。
サディスティックス(*8)のライブ映像をYouTubeで見たんですけど、演奏がメチャクチャうまい!
高橋 ただ、サディスティックスはあのまま続けていたら、フュージョン色がどんどん強くなりそうだったからやめたんだよ。
だから細野さんからYMOに誘われた時は、渡りに船でね。でも契約の問題があって、それも細野さんが話をつけてくれた。
あそこで細野さんが見せた男気は、一生忘れられない。
小山田 幸宏さんは60年代から70年代の、ロックが変革していくど真ん中のいちばん幸福な時代にいたわけですよね。
高橋 そうね。ビートルズもモータウンもサイケデリックもヒッピーも、その時代に経験してきたから。
小山田 僕らは、何もなかったと言われる80年代から90年代世代だから、ある意味うらやましいです。
https://brutus.jp/takahashiyukihiro_oyamadakeigo1/ >>359
バンド名を洒落でパロディしただけで、サウンドは全く違う フラワー・トラベリン・バンドのSATORIの方が個性的で衝撃だった 加藤和彦は帰ってきたヨッパライのヒットもあったが他人に書いた曲だけで3000曲の印税収入があった
二人目の嫁さんの安井かずみも作詞家として膨大な作詞印税があってそれも加藤和彦は相続しただろう
でも六本木のど真ん中に地下に本格的商業スタジオを構えた一軒家を建てて住んで、自宅にはメイド服を着たメイドがいた
家具も服も食事も旅行も夫婦二人で最上級の贅沢をしていた
マウイ島にも別荘を持っていた
こういう豪奢でスノッブな生活から加藤和彦の美意識を反映した作品が生まれたわけだが、浪費が限界に達したのか晩年はナベプロの渡辺美佐から借金するまでになっていた
うつ病もあったがまああれ以上生きてるのは本人も嫌だったのかな 世界三大ミカ
ミカ・ハッキネン
ミカ・サロ
叶美香 坂崎幸之助も和幸のレコーディングで、
加藤がebayとかで戦前のマーティンとか超高額ギターを気軽に買うのに驚いたそうだね。
加藤の浪費は安井かずみの死後、加速したように思う。
中丸を世界的な歌手にするために散財したり。 2週間ぶりに5ch来たが
相変わらずつまんねーと思ってたら老人スレ見っけ
そりゃつまらんわけだ >>373
その話は有名だが、帰ってきたヨッパライのwikiではこんな事が書かれている
作詞者の松山猛のもとに最初に入ってきた本作の印税収入は50万円、次も50万円で、トータルでも数百万円程度だったという。 >>379
カラオケの普及で安井かずみの昔の曲の印税収入が増えて、
それで夫婦してあまり働かず散財するようになったとかなんとか。
吉田拓郎も加藤夫妻とアルバム制作した時期のことを、
「俺も加藤も安井もあまり働かない時期だった」 中丸のサポートするイメージは、
海運王オナシスのマリアカラスのサポート
世界一の大富豪みたいなことをしようとしていたとか、
誇大妄想的というか躁病的だね 70〜80年代の業界話っておもしろい
こないだ林真理子がデビュー前後のことをテレビで話してたのもおもしろかった
ほんとに魅力的な時代だったんだろな 3代目と言うほど活動したわけじゃないけど
木村カエラを起用したのは声が合ってて良かった。 >>383
そら松山は作詞はしたがレコーディングに参加したわけではないし >>379
フォークルだけでも「悲しくてやりきれない」もヒットしてたし北山との「あの素晴しい愛をもう一度」もヒットしてるしな >>379
あと北山が加藤が死んだ直後に「加藤はとにかく現状に満足できず上を目指す人で、ケーキ一つ取っても世界で一番のものにこだわってた」みたいなことを話してたな。
坂崎と作った「七色の光の中で」の2番の歌詞にそのエピソードが「例えこの財産全てを投げ捨てても構わない、世界で一番のケーキ探して旅に出る」と綴られてるが。 >>384
カラオケで歌われる歌も変遷激しいから徐々に廃れて行くよね…
>加藤和彦、CDが売れなくなった途端に生活苦しくなってたようだし
印税で寝てても食えるというのはアイドルやアニメや演歌にも書きまくってた秋元松本筒美阿久みたいな一部の商業作家くらいでは
あとは直撃世代に楽曲が歌い継がれ、新譜を買ったりツアーに行く信者を一定数抱えてるニューミュージックとか矢沢永吉みたいな人たち >>384
拓郎なんて働いてない時期ほとんど無かったけどな 安井かずみも70年代は超売れっ子作詞家だったが、
加藤と結婚して、仕事より生活中心になったね。
ヒット曲もなくなって第一線から降りたような。
安井かずみは加藤に、「高中やYMOみたいに頑張って」とかハッパかけていたとか。 >>394
作詞も作曲も印税収入がどんどん入ってくるときはもう働かないでも
一生安泰だと思うかもしれないけれど、音楽は流行り廃りが激しいから
本人達の思ったようにはいかないよね。 アーティストって資産運用できない人が多い
加藤和彦も小室哲哉も散財したあげくなにもかも失った
小野洋子はジョン・レノンの資産を運用して
拡大した点で評価されている
やっぱり安田財閥直系の人間だけある
デヴィッド・ボウイはボウイ債券をだして
はじめてアーティストで金融商品だしたけど
あまり成功はしなかった
それでも巨額の資金調達を可能にした
アーティストはそんなに巨大な資産形成はできない
結局ミュージッシャン崩れの前澤友作の
資産3000億円に達するアーティストとか
世界的にもいない
ビートルズより上になってしまう
ZOZO創業>アーティストの活動
今はアーティストより企業創業に夢をもつ若い人が多いらしいけど
そりゃぁビル・ゲイツ、ジョブズ、ザッカーバーグ、ジェフ・ベゾス、
イーロン・マスクのほうが人生の可能性はあるよね
結局、音楽は趣味でしかない ホリエモンも「金持ちになるなら起業しろ」と言ってるなぁ
バブル期の芸能人で一番の金持ちは、
美空ひばりでも矢沢永吉でもなく、
不動産業を興した千昌夫だったしなw 幸宏は借金返し終えてからどうだったのだろう?
まぁ金に困ってるようには到底思えないけど 幸宏の借金とか知らんかった
晩年に軽井沢に瀟洒な家を建てたし金には困ってなさそうな気がしてた >>63
まぁ当時からトノバンの由来でパクりの加藤さんとよく言われてたから
楽曲の方もグラムだスライだとそんな目で見られてたな >>399
千昌夫は時代背景があったから。
自己破産せずに最後は全部無くなったんだっけ?
>>401
ロンドンに住んでラシーンに乗ってたよね。 >>402
高嶋ちさ子の父親がテレビで喋ってたけど、まあ昔はやりたい放題だったよねw
服部家、大瀧詠一、山下達郎… アーティストで事業で成功した人はそんなにいない
コッポラは2度破産したけど
ワイン事業で大成功して富豪にになったね
多分金あるから映画も作らなくなったんだろう
スティーブ・ジョブズはビートルズに影響受けて事業をやっていたような
もんで半分アーティストだけどな >>405
海外のミュージシャンがいかに上手に他からパクって良い曲を作ってるかを知ってるだけの音楽的な教養があったか、それとも単純に「オリジナル」だと思っているかの違いだな
当然、加藤和彦も音楽的な教養があった側のミュージシャン 〜JACKS〜Sadistic Mika Band〜Marry Chain〜
伝説のバンドを渡り歩きいまだ現役、
まさにリヴィング・レジェンドのつのだ☆ひろさんについて語るスレッドはありますか? >>405
その辺は単なるパクリというより方法論だからなあ
筒美京平なんかはモロだけど お姉さんが立ち上げたブランドを発展させる形でBricks Monoというブランドをやっていてトノバンや松山氏も関わっていたとかなんとか >>406
そのワイナリーがブドウの不作かなんかで傾いちゃって
慌てて作ったのが「ゴッドファーザー パート3」w >>372
個人の感覚は否定できないから反論ではないけど、
個人的に幸宏のドラムはテンポが速い方が活きると思う。
彼はテンポは先天的に普通の人よりもちょっと走ってるから
だからノリのいい曲は凄いグイグイくるんだよね。
なので彼のカバーしてる動画見るとどうしてもモタって聴こえてしまう >>279
ステージングは一番だったと思う。
他の超一流のメンバーを従える女王様って感じだった >>367
インソムニアとかモロだけど
でもクラフトワークだけじゃないよ。
色んなとこからパクってるw
でもそれがオリジナルになってる ワカチコ加藤さんは
一度ジョージ・クレバリーのトランクショーでお見かけしたな 結局、海外じゃ通用しなかった日本のバンドを持ち上げてみても哀れというもんだ
現在に至っても海外で通用した日本のバンド、
もっと言うとアジアのバンドなんていない
ベイビーメタルとかいう色物バンドで
日本のアイドル文化を持ち込み
別評価されたことはあってもな
ロックは黒人が作って白人が発展させたもの
黄人は入り込む余地が無かった >>333
賑やかな孤独とか薔薇はプラズマ、いいですよね! IDコロコロして後出しじゃんけんでさんざん言われたネタを
自分の意見みたいにぬかすバカは
年齢に関係なくただのゴミクズだよ423 構成メンバーはたしかにすごいけどこのバンドの音楽自体はそんなに良かったか? 50年前の日本のロックバンドなんて全く聴く気にならん。ムダムダムダ 桐島かれんで再結成の頃かな、とんねるずのANNで「すげーぜ後藤次利、だてにサディスティック・ミカ・バンド再結成しても呼ばれねえぜ」っていうネタハガキ読まれてたな >>427
クラフトワークとかドイツの一連のものの方がインパクトあったのでは?
その中でYMOが抜きんでた評価をされてたとは思えん 今井裕が再結成で呼ばれなかったのはなんか可哀想だった >>431
YMOはわりと売り込むつもりで枚数刷ったから
それがすぐ安値のカット盤コーナーに溢れて
結果的に当時のお金ないニューウェーブキッズによく聴かれてたとやり取りしてるアメリカのディーラーから聞いた事あるな >>432
今井自身は何年か後のインタビューで「自分から断った」みたいなこと言ってたけどね。そのとき自分がやってた音楽とミカバンドがやろうとしてることが合わない、みたいな。だけど当時は「トノバンが今井の現在の知名度を考えてあえて呼ばなかった」みたいな憶測が飛んでた気がする。 >>427
当時の宣伝がまだ効いてるのかな
日本では売れてたけど欧米ではマニアだけでしょ 加藤和彦さんのボーカルがまずすぎて
バンドとしては弱かったね
その後の彼のソロアルバムはとても声質にあったいいアルバムだけど
スモールカフェとか、あんな曲調のがあう
ロックはだめだよ加藤さん >>397
アーティストのモチベーションが世界一の金持ちになるだったらシラけるしカッコよくないじゃんwラッパーはその方がらしいけど >>394
安井って60年代のカバーポップス時代もみナみカズみ名義で売れっ子だったのよな >>436
まぁ加藤は完全にフォーク向きの声だから >>433
そもそも「抜きんでた評価をされてたとは思えない」が
なぜか「評価なんかされてない」に変換されてるのがおかしい >>443
「そういう形でわりと受け入れられてたらしいよ」という向こうのリアタイ世代の感想を言ってるだけで
評価されてない訳がないなど誰も言ってないんだが...
抜きん出た評価って言うけどCANも向こうじゃカット盤の常連だしジャーマン系はクラフトワークのポップヒットが知られてるぐらいだよ
アメリカでの再評価は90年代以降の事 いつだったかミカがテレビに出てたけど
喉が潰れていて日常会話でも聞けたもんじゃ
なかった。 1974年、ムッシュかまやつと一緒にトーク番組に出た加藤和彦ミカ(当時25歳)夫妻
https●://youtu.be/LFPYnaPh8LI
1989年、密着取材に応じた当時40歳のミカ
https●://youtu.be/GwNWGqvOzCE
同年復活した桐島かれんミカバンドについては、「トノバンから全く断りがなかった」とご立腹だったとか
1996年、荒井由実復活コンサートでユーミンとタイムマシンにおねがいを歌う当時47歳のミカ
https●://youtu.be/Bjp2fp_ZozM
>>1 日本で最初に⭐︎を名前に入れたのはつのだ⭐︎ひろ? 売り上げ的にメインストリームでそこそこ通用したと言えるのってラウドネスぐらいで、後はサブカルの面白いバンド扱いじゃない? ここの人に聞きたいんだけど
80年前後のいわゆるパルコ文化的なものを解説したり研究してる本とか知りませんか? >>451
あるいは当時のファッションとかデザインを集めたカタログ的な本とか そして加藤はクリス・トーマスにミカを寝取られたというw
しかし2枚は確かに名盤
再結成時の桐島かれんのも良い曲はあるw >>451
西武のクリエイティブワーク
セゾン文化は何を夢見た
私、デザイン 石岡瑛子
パルコのアド・ワーク 1969-1979
デザイン系の古本屋にたまにあるけどわりと高額 >>451
広い意味ではセゾン文化ということになると思うが、永江朗の「セゾン文化は何を夢見た」はどうかな
あとは鈴木 哲也「セゾン 堤清二が見た未来」とか
そして「STUDIO VOICE 1992年 12月号 vol.204―特集:YMO環境以後」
これはYMOの三人が中心になって展開された80年代カルチャー、とくにセゾン関連広告のことにも触れて特集してる有名な号
セゾングループのリブロやWAVEに当時置かれていた雑誌からは当時の空気を垣間見れるだろう
スタジオボイスもそうだし、WAVE、銀星倶楽部、夜想なんかも古本で読むと面白いよ
自分は後追いでこういうカルチャーが好きになったので、昔梅田のいろんな古本屋でこういう本をこつこつ買いためた
今はメルカリやアマゾンでも中古が手に入るから便利になったね 資生堂宣伝史っていう本もいい
1979年までの花椿抄を掲載してある
後は花椿抄と仲條なんかも良いけどレアだし高額 ヴィンテージギター買いまくりスタジオ機材買いまくり車買いまくり何でも買いまくり借金だけ残った >>455,458
>>456
ありがとうございます!そう、セゾン文化っていうんだった…
参考にさせて頂きます。
パルコのアドワーク欲しいけど、高。。。 >>446
1996年のミカのボーカルは上手くなってないか? バンド名はプラスティック・オノ・バンドのパクリ
知らなかったやつはモグリ あまり持ち上げてもなーとは思う
そりゃぁ10CCやロキシーミュージック後期のアルバムのが上
いくら演奏力あっても、キング・クリムゾンよりいいわけないし
中途半端だったと思う
ミカのボーカルが弱かったし曲作りの完成度はまだまだだった
それこそ、XTCみたいな路線にいっていたら道はあったかと
加藤和彦の海外3部作のがはるかに傑作アルバム
てゆうか当時のクィーンにサディスティック・ミカ・バンドが
対抗できるわけない
QueenⅡ>>>>黒船 は明かだもの カレンが入った時に「ピッチが合うなら後は何とでもなる」みたいな事をメンバーの誰かが言ってた気がするがそういうことだったのかw まじで知らないよおっさん
俺が知らないってことは相当なじじいしか知らないぞ >>467
50年前のバンドだからファン層は70歳くらい 「ハイハイハイ ハハイ♪」って歌ってるの見たことあるけど良さが分からんかったわ うんうん、今聴くと1枚目が一番良いよね。
怪傑シルバーチャイルドとか最高。 結局ボーカルの力ないとダメだよ
国内も海外も
成功するのは1にも2にもボーカルの力
例外はピンクフロイドくらいかな?
マドンナもシャキーラもレディオガガも
歌上手いよ 「黒船」の最後の曲のビブラートかかった歌唱法はドノヴァンの一部の曲によく似てた >>465
クイーン不感症の自分にはミカバンドの方が面白いが…
紅白のクイーンもキチンと演奏しているなぁというだけでつまらんかった
まあアメリカ市場開拓としてはクイーンの方がいいに決まっているか >>456
池袋がおしゃれだった頃…
池袋近くの学校に通ってたんで
近くの他校に通う友達とwaveの
ティールームで待ち合わせとかした >>300
なぎらってメモ魔で、それだけで中津川フォークジャンボリーに関する本を書いたほどなんだけどね
ただ、銀座のど真ん中で生まれたくせにあんな下町風に見せてるから、そういう雰囲気を見せるためにいろいろ言ってるのかもね
>>373
北山がラジオの番組で、加藤は就職先が決まってたけどフォークルで活動するにあたり断ったと言ってたな >>473
>結局ボーカルの力ないとダメだよ
だね。
プロデューサーとスタジオミュージシャンで音はいくらでも作れるけど、
声は替えが効かないしな。 Old gleyに出演したミカのバンダナ巻きをスティーヴ・ジョーンズがGodSaveTheQueenでパクったって本当なの? アイデアのバンドという意味で
XTCに近いと思うけどあそこまで完成度高くなかったしな
かといって、フリートウッド・マックみたいなスタイルの
音楽を加藤は想定できなかったろうし結局力不足
本当に世界的に成功したアーティストといえば
もう坂本龍一までまつしかなかったと思う
坂本の売り上げは限定的だけど名声は本当に世界的だった もう少しバンド続いてニューウェーブ的アプローチとかちょっと見たかった >>451
80年代のマーケティング専門誌「アクロス」や
当時の博報堂生活総合研究所が出してた「生活新聞」が
そのあたりをリニアにフォローしていたけど
いま国会図書館とかでもあるのかなあ ようするに加藤さんには
ユースカルチャーを代弁する感じがなかったというか
それよりも自分の才能を次々具現化する方向がメインだったというか
そういうとこが最終的には引っかかるんだろうな
そもそもが当時の洋楽をいち早く真似できるのが偉いというのも日本人的な変な行為というのもあるよな
そこにはマインドがないからね いくら才能だけで真似がうまかったとしても
誤解を恐れずにいえばあれだ サイモン&ガーファンクルを結局一番日本的に血肉化できたのは
あのねのねなんだよな そういうことだ結局 >>5
やたら細かく弾いてるけど全部が何か奇妙なんだよな
ミカのハイハイハイハイあたりから笑けてくる >>84
塀までひとっとびとか酷すぎだろ
糞みたいなグルーヴ
あの曲がアルバムの品位を下げてるわ
結局、得意なのは四季唱歌とかの日本人的な演奏だけなんだよな
それが悪いとはいわんが >>34
馬鹿馬鹿しい
レコードを売ったわけでもない、曲がバズった事実なんて一切ないんだから極一部にしか知られてないよ
坂本九とかラウドネスみたいに曲がりなりにもセールスがあったならともかく
この辺は布袋がおもいっきり馬鹿にしてたな
ミカバンドは成功なんてしてない、ロキシーミュージックとやりました商法、ロキシーなんて金出せば誰とでもやるんだよ、ってな
少年ナイフ持ち上げてるバカと一緒だろ
現地じゃ誰も知らんよ >>449
そういうことだよな
ノイズとかもマニアしか知らんし >>473
国内は上手い奴のほうが少ないし意味不明なんだけど >>491
ロキシーとの共演、というかツアーの前座はノーギャラ。
英国内の移動と宿は提供されたが、
英国までの移動は自腹。
加藤はJALの広告をレコードのインナースリーブとかに載せて、
JALにただで英国まで乗せてもらおうとしたが、
東芝レコードが待ったをかけた。
結局、交渉で東芝が飛行機代を出すことに。
ミカバンドは伝説は残したけど、
再結成以前は金にならないバンドだった。 >>73
芸能になにを期待してるんだよ
真面目なバンドなんていつの時代でもいるっつーの >>1
「こんな音痴なボーカルのバンドは一つもない」 >>367
明確なメロディが存在する時点でまったく違うだろ
バカなの? >>486
あのねのね
赤とんぼの歌のヒットでイロモノ扱いされて青春フォーク大全集みたいなオムニバス盤には収録されないが
当時フォークデュオで絶大な人気があった
フォークルもヨッパライの後に悲しくてやりきれないのヒットがなければイロモノ扱いされていた フォーク・クルイセダーズと言う名前自体がジャズ・クルセイダーズのパクりだからイロモノで良い >>502
良いものもある、だけど悪いものもあるよね >>486
米米CLUBが落語や浪曲やお笑い要素でもって
日本人なのにファンクを血肉化することにある程度成功したようなものか
土着からは結局逃れられないのだな 自分は後追いだが、加藤は完全にフォークの人だと思ってた
サディスティックの後しか知らなかったから >>504
確かに当時の多くの人はフォークルをコミック バンドだと思っていて、
フォーク グループと認識していたのはコンサートに来るファンくらいだった
それは、あのねのねも同様
海援隊やアルフィーもコミック バンドみたいな時期があり、
初期のサザンはいとしのエリーのヒットまでコミック バンドだと思っていた人もいた
サザンが全員集合に主演した時に桑田佳祐はいかりや長介に気に入られ「君おもしろな、ドリフに入らないか」と誘われる ジャズ・クルセイダーズってなにって思ったけど
クルセイダーズって元々そういう名前だったのね フォークルはジャズクルセイダーズとは関係ないネーミング 世界三大クルセイダーズ
十字軍
ザ・クルセイダーズ
民謡クルセイダーズ >>434
俺が昔2chで見た噂は、
加藤元夫妻の離婚に関して、
他のメンバーは皆トノバンの側についたが、
今井だけはミカを擁護するようなスタンスをとったから、
というもの。 卑近な例だけどあの素晴らしい愛をもう一度とか愛・おぼえていますかとか
どっちもBメロというのか?詳しくないのですまんが繰り返してくる所で胸が締め付けられる サディスティックスってシティポップとかで取り上げられないの? >>464
それをさらにパクったのがクレイジーケンバンド >>512いや、加藤和彦等が高校時代にジャズ・クルセイダーズにならってつけたのがフォークル >>423
ラウドネスは80年代のメタルシーンにめちゃくちゃ影響与えたぞ
メタリカのジェイムズとカークがESP使ってるのは高崎晃の影響(たぶん サブスクで聞いたけどサディスティックスなんてつまらなすぎん?
原始的で単純
コンピューターでつくった音楽批判する人もいるけど
楽器演奏に関してはポピュラーミュージックってものすごく高度に進化してると思う >>518
シティポップスレでサディスティックスのこと書くけどスルーされるなあ
外人さんが気付いて小バズりでもしたら日本人も追随するんじゃないかな 高中正義はシティポップ的にYouTubeでも外人が沢山コメントしているね。 >>523
変な名前、コミックバンドか?と思って検索して聞いてるけど
段違いにすごい
基本曲がいいし、サンバかと思いきやビーチボーイズもサイケも?みたいな
これはいいの教えてもらった、ありがとう サディスティックスは、リリース当時は1stは評価されたけど2ndは某音楽雑誌で20点(100点満点で)だったんだよね。 白人プロデューサーに股開いて
無給で人気バンドの前座をやらせてもらっただけのバンドを神格化しすぎだろ >>518>>524
一応何年か前に出たレコード・コレクターズの特集、シティ・ポップスベスト100(70~80年代限定)にはランクインしてた 荒井由実と中島みゆきはフォークソングだったのにいつの間にかニューミュージックになってるしな >>523
ムタンチスは好きだけどトロピカリズモ時代
ザッパとサージェントペパーの影響ど真ん中の時期除けばただのプログレになっちゃうからな >>531
別に過大評価でもないだろ
ここで引き合いに出てるロキシーは方向性違うしXTCはだいぶ後だし
英ではAWBもハミングバードもいたけどこんなにPOPじゃない
あの時代にSMBみたいなバンドは他に見当たらないのよ アメリカのフュージョンやファンクとイギリスのグラムを合わせただけでも、
当時としてはかなりオリジナリティがあるわ。
現にロキシーのベースは後藤次利のチョッパーにビビってたし。 >>123
アホくさ
新古の違いでしかないだろ
こいつはYOASOBIやらBTSやらの再生回数が多い=普遍的な評価だとでも思ってるのかね? >>537
反論されたら過剰反応ってダッサ
だいたい何かのスレたつと必ずそれより○○○の方がってマウントとろうとする奴いるけど
一つ二つあげたところでだからなんなんだよとしか言いようがないよ
しかもテクニックが上とか部分的なものでしかないし NTRで空中分解してもバンド名にミカってつけたばかりに
名前はずっとそのままなのキツいよな
別れたのに付き合いたての頃若気の至りでその女の名前のタトゥー掘っちゃって一生残っちゃうみたいな >>543
ホンマになw
なんかこだわりあったのかな?
サディスティックカレンバンドでもサディスティックカエラバンドでも何とでもなるのにな 芸スポの音楽スレは「シティポップ」と「フュージョン」をNGワードにしてIDごと見えなくするといいよ。
あとなにかと山下達郎の名前出してる奴もNGでいい。 >>491
ロックの歴史を変えたカート・コバーンがファンだったってだけでも
とんでもないレベルのレジェンドだろナイフは >>549
日本のインディーズはアルケミー、PSF、タイムボムなどあの当時普通に向こうで流通してて流行りだったからな
ボアダムスやソロ関連、メルトバナナ、ソープ嬢変死、ルインズ、銭ゲバ、赤痢、灰野敬二なんかと一緒によく名前が出ただけで「とんでもないレジェンド」はちょっと言い過ぎだろう
どうせカートが知ったのはサーストン・ムーアのお薦めだろうし >>491
ロックの歴史を変えたカート・コバーンがファンだったってだけでも
とんでもないレベルのレジェンドだろナイフは
こういう親父が多いからニルヴァーナって今K-POP聴いてる若者層から滅茶滅茶嫌われてるんだよなあ。 カート・コバーン自体がめちゃくちゃ過大評価だからなあ
カート・コバーンの趣味ってミーハーなインディーファンっていうか
基本なんでも好きなスタンスだっただけだからな
少年ナイフって向こうで日本のおばちゃん3人がユルいロックやってるって場違い的スタイルだけで
当時の逆の意味で自由なDIY感が評価されてただけだし
有名なインディーオムニバスに場違い的に入っただけでカートが推すのも当たり前の流れ
ニルバナ以前からインディーの流れ知ってた層からすると
カートを神扱いしてる薄い層を見ていつも苦笑してしまうよな ミカバンドが1970年代に英国遠征したときのMelody Makerで、
「日本人はSEXしないからロックはわからない」という記事が出た
当時もあった、今でいえば「日本はアジアなのでホモ弾圧の歴史ある」といった英国人の偏見そのまま >>5
先月これ見て、俺の生まれる前にこんなすげえのがあったのかとすぐアルバム買った
演奏がやべえ!クソかっけえ >>552
少年ナイフは変身キリンやシェシズ、須山公美子なんかがいたかなり尖って知的なイメージのゼロレコードでも
DIYなニューウェーブサウンドに童謡やアニソン感覚の歌が乗る変わり種
あちらではジャパニーズシャッグスと言われて評価された
同じプリミティブさを味わう面白がられ方でも日本人とはちょっと感覚がズレてる感じがしたな 1970年代の英国プレス(Melogy Makerとかそれ以外でも)ではミカバンドは評判散々だった
鈴木杏樹アイドルとどっちがひどかったのは知らないが タイムマシーンにお願いしか知らんけどクセになる下手くそさだよね >>123
この2バンドが過大評価なら適正な評価のバンドって何?X JAPANか?(笑) 下手だけど音楽的には合ってたんじゃないかな
吉田美奈子や他の上手いボーカルではどうだったろうか >>558
まぁでもイギリスで10万枚セールスで6位まで上がったが
日本じゃ不評で3万枚しか売れてないんだよな
チャートも30位
加藤和彦はフォークルでミリオン出した後は不思議なピーチパイまでヒットとは無縁 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています