草g剛が演じる羽鳥善一が『ブギウギ』を支えている。いや、支えているというようなガッシリしたものではない。ふわふわとブギウギ世界を漂う天使のように、ブギウギの空気を温める。

 草g剛の役者としての力量について、今まで考えてみたことがなかった。草gくんが出るドラマをあまり見ていなかったせいもある。『ブギウギ』で服部良一がモデルの羽鳥善一という役をやることになって、どんなもんなんだろうと評判を探っていたら「草gくんは演技が棒」というのがやたら出てきた。つまり演技派ではない(婉曲表現)と。まあ俳優が本職ではないしな……と、そのつもりで見ていたのだが、羽鳥善一が『ブギウギ』に登場して以来、「この羽鳥さんがいなきゃ『ブギウギ』は成立しないかも」というぐらいの存在感である。

 この羽鳥善一という作曲家は、ジャズを愛するジャズバカ。体から音があふれてきてしまうから、そのあふれたやつを吸い取ってそこから芽をぶわっと吹き出して、どばっと花を咲かせてくれる人を欲している。そして見つけ出したのが福来スズ子なのだ。

『ブギウギ』の主人公はスズ子であるけれど、「花田鈴子という少女」が「福来スズ子」になるための生命を吹き込んでるのは羽鳥善一だ。USK時代にはまだ掴み切れていなかったものを、羽鳥との出会いで掴む。

 そんな音楽家の羽鳥さんは、音楽の中に入り込むあまり浮世離れしちゃっている。テレビドラマにありがちな、「こんなやついねえよ」という、不自然なまでに誇張したキャラとして描かれているのに、草g剛が演じると「ああ羽鳥善一というのはこういう人なのね」と納得してしまう。

『ブギウギ』は、大阪局制作だけあって(偏見)、主人公のスズ子をはじめアクの強い登場人物が多い。そんな中でも羽鳥先生はひときわ「天才ゆえのエキセントリックさ」がすごい。無邪気な子どもみたいな音楽家なのだ。そういうのって、演じるのすごく難しいじゃないですか。見てて恥ずかしくなるような「そういう登場人物」は多い。

 でも羽鳥先生は恥ずかしくない。それは「草g剛の演技がうまい」からじゃなくて「草g剛の演技の唯一無二のヘタさ」から来ているのではと思う。

 これは悪口ではなくて、そういう役者である、という話だ。たとえば笠智衆はヘタな役者だと言われてたが別にそれは誰も問題にしていないし、「笠智衆にしか出せないあの味」として認められてるわけで、草gくんの羽鳥先生はその域に達している。羽鳥善一役に草g剛をキャスティングしたプロデューサーはえらい。草g剛は令和の笠智衆だ。演技が巧みならいいってもんじゃないのだ、俳優は。

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