12/1(金) 17:06配信 サンケイスポーツ
https://news.yahoo.co.jp/articles/16ad9c88d48632cc61f8d72b8f84ce14be3f9069

広島商高で選手、監督として全国制覇を果たした迫田穆成(さこだ・よしあき)さんが1日、がんのために広島・三原市内の病院で死去した。84歳。通夜は3日午後5時、葬儀・告別式は4日午前11時、広島県竹原市東野町甲885、長善寺で。喪主は弟、守昭(もりあき)氏。

迫田さんは主将として出場した1957年夏の甲子園で優勝。73年は監督として、選抜準優勝、夏は日本一を達成した。93年に三原工(現如水館)の監督に就任。同校を8度の甲子園出場に導き、19年からは竹原を率い、今秋の広島大会でも指揮を執っていた。

73年の選抜準決勝では作新学院の江川卓投手を攻略。怪物の連続無失点記録を139回で止めると、1-1で迎えた八回2死一、二塁から重盗を仕掛けて、相手捕手の悪送球で決勝点を奪った。同年夏の決勝(対静岡)は九回1死満塁、カウント2-2からサヨナラスクイズに成功。緻密な作戦で全国の強豪校に立ち向かった。

当時の主将で広島商、法大で監督を務めた金光興二氏(68)は「言葉では言い尽くせないほど、たくさんのことを教わった。指導者としても迫田さんを目標にやってきたが、高い壁だった」と名将の死を悼んだ。