0001フォーエバー ★
2023/11/11(土) 18:51:10.18ID:qYprWVJH9ENCOUNT
大学で腐っていた自分が本気で音楽に 「異常なストイックさでした」
2ndソロアルバム『Over-Saturation』を発売したギタリストの戸谷勉
副業のつもりで始めた仕事が本業にプラスになった経験を持つ人は多いだろう。ギタリストの戸谷勉は、バンド活動の傍ら、プロレスラーの入場テーマ曲作りに携わった。武藤敬司、佐々木健介らの名曲を筆頭に、生み出したプロレス関連の楽曲数はおよそ100。2ndソロアルバム『Over-Saturation』を発売した戸谷に、これまでの歩みと入場テーマ曲作りの秘話を聞いた。
【写真】若かりし頃の戸谷勉と佐々木健介の2ショット、実際の写真
ギターを始めたのは中学校のときですね。文化祭で先輩たちが演奏するのを見て俺らもやろうよと。ちょうどハードロック、ヘヴィメタルのジャンルが出てきた時期で、ちょっと後にイングヴェイ・マルムスティーンというギターの早弾きのすごい人が登場したんですよ。その人にはかなり憧れたというか、影響を受けましたね。その人みたいになりたくて練習している中の1人でした。
高校ではギター部に所属。普段は何も活動しなくて、文化祭のときだけやるような感じでした。その頃から同級生の中に自分でオリジナル曲を作って発表するバンドが、ポツポツ出てくるわけですよ。自分も影響を受けて、高校3年生のときには曲を作って、文化祭でもやりましたし、同じような活動をしているバンドが各学校にいたので、集まってイベントをしたり、市のホールを借りて活動をしました。
卒業後は埼玉大学に進学しました。大学に行きたいというよりは、東京に出たかった。家にお金がなかったから、親からは「国立のみね」と、言われていました。ただ、第1希望の大学ではなかったから、つまらないわけですよ。就活のとき、バブル世代だったから企業から社員募集のパンフレットがダンボールで2箱も3箱も来る。みんなそうやって就活して、意気揚々としているんだけど、自分的にはもう腐っているんですよ。でもこっちに出てくる口実にはなったから、やりたいことをやろうかみたいな感じで、みんなが就活する時期に本気で曲をちゃんと書き始めて、練習もものすごくするようになったんです。
親には「せっかく大学まで出させてもらったんだけど、申し訳ないけど、3年俺にチャンスをくれ」とお願いして、デビューするためにどうしたらいいか逆算しました。「お前、何言ってる。バンドでデビューなんて絶対無理」ってほぼ100%の人に言われましたね。当時から付き合っていたうちのかみさんだけ、1人だけ賛成してくれたので結婚した感じです。
そこからはものすごく密度が濃い3年間でした。お金もないので、かみさんのアパートに転がり込んで、1分1秒を惜しんで練習の毎日。印刷会社の夜勤をやっていたんですけど、バイト先にもギターを持っていって、夜の休憩時間にギター弾きました。本当に鬼気迫るというか、あらゆる余暇をシャットアウトしました。彼女いるから普通だったらデートや旅行に行くじゃないですか。一切行かない。もうそんな暇ない、ごめんと言って。異常なストイックさでしたね。
ライブをやった後って大体、出演したバンドみんなで和気あいあいと飲むじゃないですか。朝まで夢を語り合う。初めの1時間はいいんですけど、自分にとっては無駄な時間にしか思えなかった。みんな言うだけでやらないんですよ。それよりも、その日のライブでうまくできなかったことが頭から離れない。悔しくて、飲んでなんかいられる気分じゃない。でもお付き合いなので1時間だけしたら帰るよと言って帰って、ライブの録音テープを聞き返して、朝までひたすら練習をしていました。
全文はソースでお確かめください
https://news.yahoo.co.jp/articles/70835e038bd799b1704a08c1da26468fe079f88b
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20231111-00540180-encount-000-4-view.jpg?pri=l