中日スポーツ 9/15(金) 16:28

◇記者コラム「Free Talking」
 2021年11月27日、夕暮れの埼玉スタジアム。「背番号22」のユニホームに身を包んだ阿部勇樹(現浦和ユースコーチ)は、引退セレモニーで感謝の言葉を紡いだ。

 「声援が、拍手が、後押しが、ピッチの上で何度も倒れそうになった僕を立ち上がらせてくれました。本当に、ありがとうございました」

 浦和サポーターが醸し出す圧倒的な熱量はJリーグ黎明(れいめい)期から随一。結束した野太い声は大音量のエールとなり、浦和の選手たちの背中を押した。目に見えない圧力として対戦相手に襲いかかった。

 1992年にサポーター集団「クレイジー・コールズ」が立ち上がり、その硬派な応援スタイルは紆余(うよ)曲折を経て、派生しながら受け継がれてきた。選手と同じ目線で戦う応援文化に魅了され、ゴール裏に集った老若男女はいまや数え切れない。

 もっとも、功もあれば、罪もあった。発炎筒騒動、公序良俗に反する示威行為…。高まる熱量を自ら制御できず、間違った方法で発露することが多々あった。

 浦和でコーチ、監督を務めた原博実さん(現大宮フットボール本部長)は「激しかったな。勝てないと『おまえら、プロだろっ!』って言われて、バスに卵とか石を投げられることもあったな」

 サポーターグループは複数存在するが、そこにヒエラルキーはない。性別も年齢も、応援歴も関係ない浦和レッズに強く引きつけられた単なる集合体。歓喜、絶望、共闘、共感、笑顔、涙。言葉にできぬ熱狂、カタルシス、その対極にある秩序もそろって、世界にはないJリーグだけの存在意義なのだ。

 クラブ側との対等な信頼関係が「重し」となり、浦和サポーターは失敗を繰り返しながらも、最低限の秩序を保ってきたという。だが、そのバランスは徐々に傾いた。負ければ騒ぎ、社長や強化責任者を当然のように呼びつける。子供たちの目の前で選手や審判を汚くののしる。チームバスを止め、一方的な対話を突き付ける。弱腰に映るクラブの対応を横目に社会規範は崩れ、8月2日の天皇杯4回戦・名古屋戦後には自制心を失った一部の熱狂者たちが暴徒化した。

 「自称サポーター」にレッドカードを突き付けただけでは、失った信頼と決壊した秩序を取り戻すことはできない。クラブの本物の覚悟が、問われている。

(サッカー担当・松岡祐司)
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グラウンドに入り名古屋サポーターに抗議する浦和サポーター、8月2日(一部画像処理)https://i.imgur.com/LfCd8AT.jpg

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