【サッカー】「フットボールの世界はクズばかり」なぜジーコ兄弟は“父が猛反対”→名手になれたか…日本代表W杯惨敗の真相も兄が明かす [ニーニーφ★]
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「ジーコの兄」として知られるエドゥーに鹿島アントラーズと日本代表ウラ話、日本人ファンが意外と知らないフットボーラーとしての足跡などについて聞いたインタビューの続きです。
(全3回の第2回/第1回、第3回に続く)
ジーコの兄であるエドゥーは、日韓W杯後に日本代表監督に就任した弟を支える立場となった。その経緯、そして当時の日本代表の状況とはどのようなものだったのだろうか。
アジア杯優勝で「この強化を続ければ…」
――2002年のW杯終了後、ジーコが日本代表の監督に就任。あなたがテクニカルアドバイザーを務めたわけですが、そのいきさつは?
「ジーコから『日本サッカー協会から、代表監督へのオファーを受けた。引き受けようと思うが、兄さんにもスタッフに入ってもらいたい』と言われた。鹿島のコーチになったときと同様、二つ返事で引き受けた」
――当時の日本代表は、「黄金のカルテット」と呼ばれた中田英寿、中村俊輔、小野伸二、稲本潤一、さらにはFW高原直泰、キャプテンのCB宮本恒靖ら日本のフットボール史上最高とも評されたタレント揃い。2002年の自国開催で初のベスト16入りを果たしており、メディアと国民は非常に大きな期待をかけていました。ジーコと共に、どのようなチーム作りを目指したのでしょうか?
「優れた選手を集め、彼らの個性を組み合わせてチームを編成し、試合を重ねながら連携を熟成させようとした。ブラジルスタイルと言っていい。ジーコとは『創造性溢れる攻撃的なチームを作って世界を驚かせよう』と話していた」
記事全文はソースをご確認ください
https://news.yahoo.co.jp/articles/0a90856f30c14690b2586aa397f206ef7755f941
Number Web
依頼
http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1693634162/175
熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
鹿島の「ジーコスピリット」を言語化したのは“世間的にあまり知られてない兄”だった? 陰の仕事人エドゥーが明かす“弟ジーコ裏話”
全3回
https://number.bunshun.jp/articles/-/858650
https://number.bunshun.jp/articles/-/858651
https://number.bunshun.jp/articles/-/858652 色々言われたけど中国でやった大会はくっそ面白かったよ
優勝もしたし >>1
>ジーコとは『創造性溢れる攻撃的なチームを作って世界を驚かせよう』と話していた」
一番創造性溢れる小野伸二を最後適当に扱っちゃったじゃん 守備がしっかり構築出来ないと
勝てるチームは作れない 強さなら今の方が上だろうけど、当時のほうが観て面白かった
あー
でも日本に限らないなw アンチェロッティ招聘で結論出てる
ブラジルの戦術じゃ勝てない >>9
いきなり俊輔と三都主がPK外したけど、
川口が神まくりだった >>9
あれジーコ時代だったかもう忘れてた
キーパー川口と場所入れ換え要求のキャプテンの人だけ強烈に覚えてる 日本の黄金カルテットはドゥンガが居なかったのが致命的だったな >>3
あん時の決勝の中国戦の勝利が今までサッカー見てきた中で一番嬉しかったわ 確かにオーストラリア戦
先制した後の相手はラインを無意味に上げて同数とかでも守ってたから前線の数人だけで良いから相手の心を折るぐらいまで得点を重ねないといけなかったし色んな意味でそんな準備も必要だった >>20
まさにそれ
選手交代かま下手過ぎた
さっさと前線の先週変えて突き放すべきだった
FW陣は明らかに動きが鈍ってた 1対1で勝てないのに黄金もクソもねえわ
今考えるとお笑い 選手もファンも未熟だったからな
今でも引きずってる奴いるけど、
技術対フィジカルとか、戦術対個人技とか2択論がやたら多かった。
三笘とかが出て来てようやく目が覚めたみたいだけど。 世界で4-2-3-1が流行り出したタイミングでジーコ就任で化石フォメの4-2-2-2採用でびっくらぽん(しかも本番は時代遅れになった3-5-2)
当時は日本代表フォメがJにも影響与える時代で、有望なウイングになれる素質の多かったアテネ世代はジーコに犠牲になった ヨーロッパ遠征の352が好きだった
小野 俊輔 ドラゴンが輝いてた あの当時は攻撃はまあまあだったけど
守備が弱かった
オーストラリアに徹底的に高いロングボール放りこまれて競り負けた ジーコ時代はウイングぽい事できたの若かりし松井大輔くらいしかいなかったから442なるのは仕方なかった 何故外人が監督だったのか意味不明だよな
トルシエとか まずは外人監督を呼んで、コーチに日本人を置いてた。
JFAは日本人指導者を育てようとしてた。 >>28
尚、W杯本番ではその松井すら外して初戦352で挑んで豪州にボロ負けしたらまた442に戻す迷走ぶり‥
中盤にドリブラーいない、CBに身長あるの中澤しかいないのに442に戻してクロアチアに押し込まれ、ブラジルには虐殺される始末 ドイツW杯とブラジルW杯の日本代表がそっくりな結果なんだよな
いろいろ原因はあるだろうけどジーコとザッケローニが共通して言ってる事は初戦先制したけど同点に追いつかれた後ビビって逆転負けした事
選手が自分達を信じられなかった事と語ってるな >フットボールの世界はクズばかり
やっぱ南米人の目から見てもそうなんだな。
色々言う奴いたけど日本人の感覚の方が正しかったじゃないか。 このエドゥーって鹿島の監督やってたんだ
つかジーコよりこっちのほうが代表監督やれたんじゃね ドイツ大会の豪州戦は無能ジーコとヒディンクの手腕の差が露呈したよね 自分だってクズじゃん
94年代表ボロクソに貶してマウロ・シルバあげつらったこと忘れないわ
んでロマーリオに
あれだけの同僚がいたのに結果出せなかったザコが
おれの仲間を貶す権利なんてない
って言い返され、キレて協会に入りずっと粘着妨害するようになった小物だし 日本人がジーコに対し勘違いしていること
・ジーコ は「やせっぽち」から採られたあだ名ではない
・ブラジルでは「サッカーの神様」と呼ばれてはいない
・鹿島時代、常に怒ってたイメージだが実は陽キャ
これ豆知識な 日本人監督は弱者の戦術とるが日本人にもっとやれるってのを植え付けさせようとしてたな 南米あたりではファミリーでのビジネスになりがちなので使える親族が居たのは良かったね >>37
つうか、ごく短期間だけどエドゥーはブラジル代表の監督もしてる ジーコジャパンの頃が観ていて面白かったな
今はまったく観なくなってしまった 当時の代表って身体能力低くてフィジカル弱くて遅くてドリブルも出来なくてテクニックもなくて
今の日本代表と比べると超弱いよ
W杯惨敗して当たり前 ブラジルのサッカーはクズが多いのは事実だな
それなりのいいとこのボンボンなら反対されるだろう
フォルランもウルグアイの名家出身で私立のエリートスクール出身だったけどプロサッカー選手になるのを親戚の反対されたと
いいとこの家庭出身でもプロアスリートになる人が多いのは日本くらい 多彩な経歴の人なのに話が全然面白くないね
ビックリするくらいに ジーコ時代って結構重要だったと思うよ
スター上から順に並べても強くないってサポーター側が理解することができた
だから以後の代表では地味なタイプも受け入れられるようになった ネイマールも若い時は現地の監督からも「こんな教養のない選手は初めて見た」とか言われるレベルだったんだろ?
コロガールは標準じゃなくて異質の方だったんだよ DFの組織を作れる人を呼ぼうとしたら予算がないって言われたらしいね >>4
退任した時の「やっぱりフィジカルが足りない」が忘れられないわ
選手選考は素人レベルでスーパースターの勝ち運だけでアジアカップを勝てただけと言っても過言では無い >>3
試合展開や劇的さは確かに凄かったけど、試合内容はつまらなかった
レフリーのジャッジの偏りもかなりあったしね ジーコもアレだけどファルカンジャパンとは一体何だったのか 黄金のカルテットが呆気なく敗れた因を理解してないジーコは、とことんヘヂング脳 昔負組4人を集めてW杯を振り返るインタビューでイタリア戦について
ジーコセレーゾソクラテスは「自分達の方が内容が良かった。勝利に相応しかった」
ファルカンは「両サイドバックが上がり過ぎて守備が疎かになっていた。10回試合したら10回負ける」 >>63
やっぱりアホですね。
イタリアは前の試合から中5日。一方のブラジルは中2日。
セレソンは疲れてた。要は日程に負けた。 マッチメイクの御威光はすごかったし、当時のへなちょこレベルの日本にとって、頼むよと一声かければ世界に話が通る監督は貴重だった >>52
根が真面目でキッチリしてる人だから公の場だと波風立てないように当たり障りのない事しか言わない
それをしなかったのがハリルホジッチかな。結果 >>36
>>49
またスレタイだけでわかった気になってるアホがいる
>――『息子たちをプロ選手にしたくない』と言いつつ、フットボール三昧の環境を準備してやる――。完全に矛盾していますね(笑)。
>「そうなんだ。でも、当時はプロ選手の社会的な立場が低かった。今では考えられないくらいに収入が少なかったし、『遊びの延長のようなことを仕事にする奴は、碌な者じゃない』と一般に思われていたんだ。 宮本が史上最高のタレント扱いって酷い時代だったな… オーストラリアはあの国のサッカー史で最も選手層が厚かった時代で
それに加えてヒディンクが狡猾だったよ
俊輔や柳沢という攻撃のキーになる選手を計画的に削って、イエローもらった選手を交代させるという
あの後オーストラリアはAFCに移籍してきて、その後何度も日本代表と戦ってるけど
06年W杯の時ほど強いオーストラリアはまだ一度もない >>65
94年、ピッチが40度近くて走れないから省エネカウンターサッカーやったのに
ブラジルらしくないと優勝後に代表クソミソに貶したのがジーコ >>3
玉田が強烈だったのも覚えてるわw
中村俊輔の左足アウトのゴールも
トルシエのころは先取点とって逃げる、って感じだったが、逆転だらけの試合でシビれたわw
ワールドカップの本番以外は楽しめたなぁ…w ジーコ時代で覚えてるのはドイツ戦かな
めっちゃ速いカウンター >>72
ヨルダン戦前はボロボロよ
コンディションも戦術もよくなくて中国人は大喜び
玉田の確変と茸のFK頼み
ヨルダン戦だって先手取られてPK戦持ち込むのがやっと
観てる方も疲れ切ってる中で最期に観せられたのが茸とアレックスのスリップ
川口がどれだけ凄かったかは、リアルで過程追い続けた人しかわからん
森保も退任後は監督ジーコみたいな扱いだろうな もうPKだけで勝敗決めればええやん糞つまんねーから 静岡ユースがまさにこのパターン。SBSカップなどは毎回前日召集で初戦は主部の連携がかみ合わず敗戦か引き分け。
それでも二戦目以降は「チーム」になって最終戦で必ず圧倒的に勝利(今年はU18日本代表が完敗したU18韓国代表を圧倒)する。
残念なのはその大会でチームが解散してそれぞれの学校やクラブに散ってしまうこと。県協会の方針はあくまで勝利ではなく成長だから
それでもいいわけだが。 ブラジルのように
日本がなれるわけ無いのだが、考えたのが失敗。
まぁ創成期の二部チームなんかをみてたジーコからすれば、
あの時代に急激にレベルが上った選手たちなら出来ると思ったのかな。
すでに駒は揃ってたし。
でも失敗したジーコもザッケローニも途中までアジアカップまではよく完成してんだよな。 >>33
特にj組は、普段から試合やってる相手と圧が全く違ったからねぇ
今の代表はドイツスペイン相手にも「一点ビハインド程度ならまだ全然いける」と思えるメンタルが頼もしいわ
>>24
ファンに対しても過去の失敗全て成長に繋がってるね
ジーコの失敗でスター並べる危険性を学び、二期岡田でドン引きカウンター一本槍で勝ち上がる難しさを知り
ザッケローニでスカウティングされることの危険性やコンディションの大切さを痛感し
西野で「層が薄いと連戦はどこかでギャンブルが必要になる」と学び
森保で「スカウティング外せば短期奇襲は有効、上に行くにはPKでも(勝てる)と思えるメンタルが必要」とか
まぁ、やっと中堅国が長年藻掻いてる分厚い壁に辿り着いた感がある ジーコ父のいうサッカー選手って今で言うとYoutuberみたいなもんか 圧勝したインド戦(アウェイ)じゃ、犬が乱入したり停電したり
停電した際に、警備関係者がジーコにサイン求めてきて
ジーコが仕方なくサインしてやるような事態に
そんなインドもプロリーグ発足、アジア杯2連続出場、FIFAランク99位(ベトナム95位)
最終予選出場国の1つレバノンに勝利と、少しは強くなっとる >>72
トルシエ時代と違い守備組織ガタガタで、アジア勢には打合いに持ち込んで何とか勝つのがジーコ時代だからな
引いて守られたら俊輔らのセットプレーで何とか出来た時代だから今よりだいぶ楽だよね
個々の力は今より上がって流れの中で点取れてるけど5バックで引いて守られたらキツいしな 鹿島アントラーズでも日本代表でも、指導者として申し分のない結果を残したとは言い難い。
それでも、彼がジーコを支えながら日本のフットボールの発展のために尽力し、貢献してくれたのは確かだろう。
? >>18
ダメ押しを決めたときのセルジオの「やったー、勝った勝ったー」が今だに脳内再生されて笑える >>3
今ならFW1枚削ってるしファンタスティック4共存できるな >>89
解説席や日本サポーターにゴミが試合中投げつけられる中、セルジオは投げ返して応戦してたから。ブラジルならいつもの事だと笑ってたけど。 黄金世代を無駄にした暗黒の4年間でサッカーファンは皆しらけてたのに
2002年からサッカー見始めたニワカとの温度差がすごかった
思い出補正も加わってるからいっそう議論がかみ合わない >>69
というかジーコが宮本に守備戦術丸投げにしてたのが原因で外したくても外せないという有様だったからな
それに異論唱えてた松田が外されたり、そういう独裁的な一面あったから中澤とかも文句タラタラだったしね
まあ今の森保も現場監督レベルの権限与えてた吉田をW杯まで同じ様にポカしまくっても替えられずに自ら首絞める結果になったけど‥ >>80
アジアカップって前任者の遺産だよ
半年や1年で自分色のチームを作れるものではない >>94
青森町田は2週間だそうだ
だから新加入がスタメンで出まくる
難しいことは何もしてないってポープ言ってた ジーコジャパンて今見ると笑えるくらい守備がザルw
中盤にパサー3人とかw
むしろ守田みたいなのが3人必要だった 加地がシュバインシュタイガーに壊されたせいで計画が狂った
あの時の加地さんは全盛期で内田や酒井に匹敵するハイクオリティプレーヤーの状態だった
あと今見たら駒野がPA内でオーストラリアに思いっきりスライディングタックルされたのどう見てもPKだからな
なぜ誰もあれに言及しないのか謎
あの時にVARあったら結果も変わってただろうな ・宮本→闘莉王
・松井
これだけでだいぶ違った筈
コンディション悪い俊輔はベンチに置くべきだった >>94
ジーコ時代のアジア杯はW杯の2年以上後だクソニワカw >>26
あれ楽しかったな
結局中田がガンだったんだと思うよ ジーコサッカーは確かセットプレー重視の
今ではあまりお目にかかれない年代物の戦術だったよね。
ジーコ自身がフリーキックの名手として世界的に有名だからね。
まあ、当時の日本代表にブラジルのような個人技で
切り崩すサッカーは無理だったと思うけど、
それでも当時は戦力的にはそろってたから空中分解は残念だったね。
あのあたりからだからね、W杯で日本が逆転負けする癖がついちゃったのw
スタミナ配分考えずに飛ばすからw
森保監督はその流れを完全に断ち切った点だけでもすごいよw >>101
戦力が揃ってたのはまだ選手も若く期待も込みの日韓後であって
ドイツ大会では欧州組は殆ど劣化、クラブでレギュラー落ちしてたわ
ベンチにすら3大リーグレギュラー抱えてた豪州の方が確実に格上 ジーコさんを監督にしたこと自体が間違ってるもんね
協会幹部たちが世界の潮流を知らなすぎた時代だった 相手に対抗しながら前にボール運べるのが中田だけ、その他は緩いプレスでしか技術披露出来ない方々。
それを黄金世代と言っちゃってたのがお笑いなんだよ。ファンも未熟だったという事。 トルコのクラブを率いてCLベスト8のジーコ
優勝したチェルシーとも1勝1敗(チェルシー唯一の黒星) >>102
>戦力が揃ってたのはまだ選手も若く期待も込みの日韓後であって
>ドイツ大会では欧州組は殆ど劣化、クラブでレギュラー落ちしてたわ
何を言ってるんだ?
劣化とか失礼な事を言ってるが
それなりに戦力が揃ってたのは間違いないだろうが。
相手がヒディンク監督じゃなければ普通に決勝に行けてただろ。
というか、当時の試合を見てなかったのか?
オーストラリアはそこまで強くなかったぞ、
当時の日本代表がいろいろと試合中に空中分解しただけで。
本当に後付けの難癖付けはうっとうしいよな、
今の俺にそんな激しい口調の難癖付けのレスをしてくるのは
中国朝鮮のスパイかなりすましだけだからな。 私はもちろんジーコの事も責めてないからね。
ジーコも非難されて怒るのはもっともな話で
ジーコもあの状況じゃ仕方ないでしょう。
まあ、唯一責める相手がいるとしたら、例のあの朝鮮企業ですかね。
結局問題のすべては連中に行きつきます。 >>111
欧州レギュラーはスコットランドの俊輔、落選したフランスの松井のみ
この時点で戦力なんてクソみたいなもん
豪州はクラブ実績が段違いの格上
特に交代選手の決定力が全然別物だった 素人のジーコに代表任せて
そのジーコは能力よりも身内起用のアホと来てる
こんな馬鹿なこおをしてたからあの時代はクソだったんだろうな 一番熱心にサッカー見てた時期だったからW杯での惨敗は堪えたが、ジーコには感謝しかない >>99
そうだったな納得
だからあそこまで酷いチームになったんだった >>105
未熟じゃないファンもいた
そういう危機感ある人たちが起こしたのがジーコ解任デモ
選手としてのジーコは好きだったが日本サッカーへの思いから断腸の思いでデモに参加したという人のブログが今も印象に残っている >>93
松田が外されたのは代表でバックレやったから。バックレってのは、代表の活動中に無断で帰宅して戻らないこと
松田はトルシエの時にもバックレをやってる。トルシエもペナルティとして松田を代表から外したが、最終的には戻している
ジーコは最後まで松田を許さなかった >>98
ジーコは闘莉王みたいな守備のバランス崩してまで上がりまくって攻撃参加するDFが嫌いだからな 解任デモって決行日の前日かなんかにジーコジャパンがネドベド率いる当時のチェコに勝っちゃったから
タイミング悪くなってデモ中止でそのまま解体してたやつか
あいつらジーコにしてやられたわけだし見る目なんかないだろう >>3
反日デモ連日やってた時だったっけか
超アウェーでよくやった感あったわ 宮本はネット上の宮本ファンの評価補正が酷かった
和製バレージかベッケンバウアーか
あれも現実が全部崩壊させた
背がないから高さばかり言われたが、致命的なのはむしろ足が遅いことだった
しかも一対一が弱い >>118
直接はそれだけど松田はその試合前から宮本に守備戦術丸投げすんの危険だってジーコに言いまくってて、それに中澤も同調して松田や田中誠とかをたまにはリベロの位置で使ってくれと思ってたらしい
しかし松田が呼ばれなくなり、田中誠が怪我で離脱して本番は宮本と心中する羽目になったというね‥ >>119
オシム、岡田はちゃんと操縦してた
監督の能力の問題でしかない >>122
本当それよな
足も致命的に遅いからハイライン無理
知ったかぶりのクソニワカがラインコントロールとかほざいてたが大嘘
クロアチア戦のPK献上が高さ、強さ、速さの全てが足りない証明シーン >>26
>>100
とても分かる
あれで夢を見れたよ >>117
いや、そういう人たちが未熟だったんだよw
自称玄人の未熟者。
そもそも勝てる戦力なんて無いですよねってのがまともな見方。 >>128
だからこそせめて監督だけでもマトモな人にしてほしかった
「黄金世代だからジーコでもW杯行けるだろう」って
川淵はサッカーを舐めてたね
本当無駄な4年間だった 少年サッカーブームやJリーグ発足とかの影響で急にレベルが上がってトントン拍子に進んでいたからか
世界のレベルがすぐそこまで近付いてるかのように錯覚してしまってたな >>122
それでも3バックなら何とか誤魔化せてたけどジーコがいきなり4バックに戻して宮本使ったから、真ん中でプルソやクラスニッチらに翻弄されて、見事に化けの皮剥がれた感じした
挙句に試合中川口に面と向かって叱責喰らう始末でもはや主将としての面子丸潰れだったしな 今の代表も現時点であまりにも戦力揃い過ぎてるから06、14と同様に本番で既に下り坂ということになってしまわないか心配だな ジーコ
「プロとアマの違い。それは自己管理能力だ。ブラジルには、私より上手い選手がたくさんいた。
もし私が周りの選手たちと同じように遊びたい誘惑に負けていたら大成できなかった。
だが私はサッカーのマイナスになることは一切しなかった。
毎晩10時には帰宅し、パーティーに付き合うことがあっても、翌日トレーニングがあることを忘れない。
それができなければプロとしてやっていけない」 >>134
代表監督としては金儲け優先しすぎてプロじゃなかったジーコ マスコミ受けだけは異常に良かったなこの監督は
久保武司もジーコとは仲良し 黄金の中盤
ソクラテスだけが日本で監督やってないな ジーコに言いたいことはたくさんあったなあw
闘莉王を一度も呼ばないなんてありえないし
せっかく協会が、アジアカップ直前に強化試合2試合組んでくれたのに
アジアカップに行かない柳沢を2試合とも使ったちぐはぐさ
ジーコの、柳沢への愛が、本物だということを確認できた4年間だったな ジーコジャパンはオージー戦の逆転負けが全て
ザックジャパンはコートジボワール戦の逆転負けが全て ジーコとザックの共通点
イニシャルZ
ハゲ
アジアカップ優勝
世界最速でW杯予選を通過、本大会出場を決める
コンフェデでは母国相手に善戦するも勝てず
W杯初戦は逆転負け
2戦目は欧州チーム相手にスコアレスドロー
3戦目は南米シード国相手に1-4で負け >>122
たたワールドカップに関しては(2006年のほう)、宮本は体張って頑張ってたと思うよ
彼の100%は出し切った
Jリーグでは、ガンバが失点した時とか、自分がカメラで抜かれてるの分かってて表情作ってる宮本が間抜けだったけど >>29
オフトで飛躍的に伸びたからな
他の競技だって外国人呼んで伸びたやつあるだろ
ラグビーのエディー・ジョーンズとかバスケのトム・ホーバスとか、あと男子バレーのフィリップ・ブランとか ジーコは選手の個性を殺せないからな
闘莉王呼んでおいて上がるなとか言えないわ 今だったら宮本なんか代表入らないだろうな
坪井の方重宝される だいたい、トルシエジャパンでもキャプテンは森岡なんだよ
シドニー五輪では予選は宮本がキャプテンやってたけど、本大会ではオーバーエイジで森岡が入って宮本は控え
宮本はそのくらいの選手
だけどネット上では最近でいうと内田ババアみたいな宮本ババアどもがハードワークしてたよな >>81
森保はドン引き回帰
特別交代枠頼りの戦法をやったが
DFは休ませられなかった >>88
鹿島選手時代は実質コーチの一員でもあったから
成功した期間もあった 麻阿宮本よりジーコエドゥの責任が重いけどな
ジーコジャパンがクソなのは
試合見てられなかったもの >>148
まあ電通が完全にゴリ押ししてたわな
これは噂とかじゃなくてCM出まくってたし
一応ユースから代表だからそれなりの実力はあったが
ワールドカップのCBとしては無力だった 特にCB(3バック込み)のレベルが完全に別物
<ジーコ>
宮本、中澤、坪井、茂庭(田中誠)、中田浩
↓
<森保>
吉田、板倉、冨安、谷口、伊藤 >>49
国を問わずサッカーは底辺がやって底辺が見る下層階級のスポーツじゃんw
フライドチキンって黒人のソウルフードで安っすいファーストフードなのに日本ではなぜか高級品扱いみたいな世界だよ 2006年W杯オーストラリア代表
【GK】
シュワルツァー27試合/*0G(英)ミドルズブラ
【DF】
ムーア *8試合/*0G(英)ニューカッスル
ニール 35試合/*1G(英)ブラックバーン
チッパーフィールド 28試合/*5G(瑞)バーゼル
【MF】
エマートン 30試合/*1G(英)ブラックバーン
ウィルクシャー36試合/*5G(英3部)ブリストルシティ
クリーナ 23試合/*0G(蘭)PSV
グレッラ 35試合/*1G(伊)パルマ
ブレッシアーノ32試合/*8G(伊)パルマ
【FW】
キューウェル 27試合/*3G(英)リヴァプール
ヴィドゥカ 27試合/*7G(英)ミドルズブラ
【交代】
ケーヒル 32試合/*6G(英)エヴァートン
ケネディ 26試合/*7G (独2部)ディナモドレスデン
アロイージ 33試合/10G(西)アラベス みんな兄弟多いけど、超一流になるのは一人だけが多いな・・・
外でもそういうのが多いし。 >>155
KFCは昔も今も一貫して安飯の代表格の一つだったが頭大丈夫か?
まさかクリスマスにいちいち鶏の丸焼き作るのが面倒だからお得セットとして売れるだけの話を
「ジャップにはフライドチキンがご馳走」という悪意に満ちたデマを間に受けたのかww >>149
中盤底の遠藤、守田、田中碧、柴咲に強度高い中での展開力がないから強豪相手だと押し込まれはするし、前後分断気味だけどドン引きではないやろ >>159
出し手の問題に取られがちだけど
受け手も受けられる位置にいない
チーム内が没交渉でシュート練習も無言
打ち合わせしてくれるのも柴崎くらいって外部に喋ったのが
古橋が干された理由 >>162
ニワカが無知だからw
解任デモとかやってた連中の痛いところは、
「日本は黄金世代であれだけの戦力あったのに」と
盛大に勘違いしてたこと。 >>156
これをメディアがちゃんと伝えるべきだったのに電通とグルだったからなあ
逆に後半終盤あわや勝利まで行ったのは頑張った方よ
交代のケーヒル、アロイージの決定力がやばかったわ >>164
問題はそこじゃなくてチームとして機能してなかったことなのにね
今も宮本叩いてる奴いるし
マスコミに載せられすぎ アンチジーコ厨=チョン=犯罪者
【サッカー/Jリーグ】横浜ダービーで場外乱闘、傷害容疑でマリノスサポーターを逮捕、横浜FCサポーターに暴行
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1200042943/
逮捕されたのは、マリノスサポーターの中心グループ「JUST GEDO(ジャスト・ゲドウ)」リーダーの
会社員清義明容疑者(40)?横浜市中区山元町四丁目。調べでは、清容疑者は昨年八月十日午後十時半ごろ、
同市港北区の日産スタジアム南ゲート前で、二十〜三十歳のFCサポーターの男性三人に殴るけるの
暴行を加え、五日〜二週間のけがを負わせた疑い。
マスタロウ=清義明=サッカー速報24プロデューサー=ジーコ解任デモ首謀者
wikiより
この内容を「苦戦」であるとした一部のサポーターが解任デモを行った。
しかしデモの参加者は当事者が想定した人数を大幅に下回り、
このデモに対するコメントを求められたベッケンバウアーには
「勝っているのにそういうことをするのは日本人がサッカーを知らないからだ」
と切り捨てられ、当時ブラジルの監督を勤めていたパレイラも
「W杯予選では勝ち点を取る為の戦い方が必要なのをジーコは分かっている」
と同様の見解を述べる等、世界的な有識者からの顰蹙の声も相次いだ。
更に後の欧州遠征の結果を受け、デモ行進の当事者達が当初から計画していた
二回目以降のデモは延期という名目のもとに消滅した。
尚、この解任デモ主催者のマリノスサポーターは、2007年に
日産スタジアム南ゲート前で、二十〜三十歳の横浜FCのサポーターの男性三人に
20余名で取り囲み、殴るけるの暴行を加え、五日〜二週間のけがを負わせた疑いで翌年に逮捕。
横浜出場の公式戦から永久追放となった。 >>165
確かにあの頃のオーストラリアは強かった
けど2010覚えてるか?
ジーコ時代より海外組少なかったわけで
試合に出たのは3人、あとはJリーガーだ
カメルーンや、デンマークの選手がどこに所属してたか調べてみれば? >>162 >>165
加藤浩次は大会前から、オーストラリアはプレミアでやってる選手多いし
普通に日本より強いと思うんですよ、って言ってたよ >>166
チームとしての完成度に問題がなかったとは言わんけど
宮本は普通に力不足だったよ
そういう無理な擁護がダメなんだよ >>168
北京世代がその後どういう道辿ったかなんて常識だろバカw
ジーコジャパンの誰が大会後にステップアップしたんだよクソニワカw >>171
おいおい、w杯後まで持ち出すのかよw
でも、まあ同じことだろw
カメルーンや、デンマークの選手がどこに所属してたか調べてみれば? >>14
キャプテンは宮本だな
日韓W杯のときにはフェースガードしてた >>172
そらピークアウトばかりのジーコJと、そこから成長した岡田Jじゃ同じJリーガーでも全く別物だろw
あと所属じゃなくてそこでレギュラーかどうかが重要なんて当たり前の事だろクソニワカw ジーコは退任時に「まだ俺のほうが上手いレベル」みたいなこと言ってたな >>174
何言ってんだ?
闘莉王なんて2004からベスト11だぞ
宮本なんて優秀選手賞からも漏れるような選手だろ
松井だって2010より2006のほうがピークだったろうに
闘莉王を一度も呼ばないことがありえん
岡田が選手に恵まれてたといえば、そうかもしれんが
岡田は若手も積極的に起用してたし、レギュラークラスでも、
コンディション悪けりゃ外すこともいとわない
勝つためにどうすべきか、ジーコよりはるかに、悩み、考えてただろうな >>175
引退する理由は体力の衰えであって
技術力はそれよりはゆっくり衰えるものだからな
リトバルスキーだっけ監督やってた時
うちのチームで一番の技術力高いのは監督だって選手も言っちゃったの 途中は別として本番はトルシエジャパンの方が強いだろう
選手達が若くて怪我も殆どなくちゃんと走れるし
足元の基礎技術も別に低くない >>173
マンCに知らないグヴァルディオルがいた >>162
「サッカー不毛の地」と侮蔑しきってたから。
大会前にUSと練習試合したけど、その際もサカ豚は同じ反応してた。で、完敗。
「米国恐るるに足りず!」と軽蔑してたら返り討ちにあった過去の戦争と同じでした(笑)(笑) 今の代表見てると、あの頃より本当にレベルが上がったなあと思うわ。
2002~2006の代表のメンツで
今の代表に入れる選手って何人いるか。 >>181
楢崎と高原はスタメン
中田はサブになる可能性はあるが和を乱すから入れない方がいいだろう
他はそれなりに良い選手はいるが特に必要ない >>182
楢崎はねーよバカw
シュミットと中村いるのにスタメンな訳ねーだろキチガイw >>181
小野
技術の高さは勿論、実は体も強い(脆いけど) 逆に>>156にあわや勝利までよく行ったわ
この時のオージーはトーナメント初戦でも優勝イタリアに0-1(PK献上)の惜敗で強かったし イギリスでもサッカーやってると言うと上流階級には入れないらしいな ジーコ、ザッケローニ
結果は悪かったがサッカーが1番盛り上がってた頃だな
ジーコの頃は親善でフランス行った時、試合後わざわざプラティニが挨拶に来てたからな >>166
宮本は自分で認めるくらいに力ないだろw
よく2002の時点でバレなかったと言うレベル。
あんなフィジカルとかな。
足が遅いだけなんてレベルじゃなかったろ >>181
鎌田の控えで中田、負けてる時のギャンブル枠をキノコ、ドリブラー松井、パンチ力の堂安で1枠争いかも
小野は走らないし得点力もなぁ
まだ小笠原の方が可能性ありそう
あと加持さんは控えに入るかも >>191
こういうバカって自国開催のW杯すら見てないのか?
トルシエの時は走って守備してたし、だからこそスタメン起用だったのに
無知にも程があるわ >>175
ジーコがくっそ上手いだけ。日本代表の選手たちは決して恥じる必要はない
クライフが監督やってた時のバルセロナも、選手の誰よりも監督がうまかったので選手たちは逆らえなかった お前らイタリアで一時代を築いた名将を素人と一緒にするのは失礼すぎるぞ >>193
ジーコがやりたかったのは82年セレソンの黄金の中盤の日本版だったんだろう
コンフェデのブラジル戦だったり直前のドイツ戦みる限り期待値は高かったよ
正直技術より仲がイマイチだったって気がするけどね >>196
怪我恐れない試合強度、直前のスカウティング
これがあるとないとで日本は別物になるのよな
今はかなり改善したけど >>17
ブラジルの黄金のカルテットはジーコ、ソクラテス、トニーニョ・セレーゾ、ファルカンじゃないのか フランスリーグでバリバリ1vs1こなしてたドリブラー松井の落選が本当意味不明
若干衰えた南アフリカ大会でもサイドからチャンス作ってたし
すげー勿体ない事した >>192
今2002見たらホントもうあらゆる面で軽いし(全員に言えるが)、スプリントのスピードも微妙だぞ
視野の広さと止める蹴るは流石だけど 視野の広さとかキックの技術はジーコジャパンの頃の方がずっと上だな
今はまともなセットプレーのキッカーすら居ないしな
ここら辺はさすがに黄金世代
当時の代表に三笘を加えて見てみたい でも全体的な足下の上手さ、特に最終ラインとか当時より断然上だし
ドイツ戦の決勝ゴールも板倉の正確なFKから うちの母校ではサッカー部はヤクザ予備軍だったからな 鎌田とか小笠原以下だろw
代表でいいプレーしたとこ見たことねえよ ジーコジャパン発足時の期待の高さはヤバかっただろう
Jリーグ開幕から全てが右肩上がり
自国開催W杯ベスト16の若手メンバー達が4年後どこまで行けるのかという
1993年 Jリーグ開幕
1995年 ワールドユースベスト8(初)
1996年 五輪出場(28年ぶり)
1997年 ワールドユースベスト8
1998年 W杯出場(初)
1999年 ワールドユース準優勝(初)
2000年 アジア杯優勝
五輪ベスト
2001年 中田セリエA優勝(初)
2002年 小野UEFA杯優勝(初)
W杯ベスト16(初、自国開催) >>202
まず中盤の選手に許される判断の時間とフィジカル的な余裕が当時ほどない
ジダンやカカですら「今はトップレベルで自分のやれるポジションがない」と言うぐらい別物
全盛期中田なら下手なりに球際デュエルできるし、キノコぐらい止まったボール蹴るの上手ければギャンブル枠もあるけど小野は中途半端過ぎる
若い頃から今の基準でトレーニングしてたら別だろうけどね 本当無駄な4年間だった
ド素人を要職に就けた川淵の罪は2050年になっても消えんよ >>207
J開幕前後が一番ワクワクしたな
92年のアジア杯初優勝、プレ大会も盛り上がったし
ドーハはテレビにかじりついて見たわ
あの頃でアジア2枠にあと一歩だから実はその後とあまり変わらんのよな >>208
フィジカルは当たり負けしたのをみたいことないレベルで強かったよ
判断の早さも尋常じゃなかったから、そこらへんはむしろスペースや時間のない現代サッカー向きの選手
小野の問題はそこじゃなく致命的なほどのオフザボールの悪さだよ 全盛期の小野はインサイドハーフがベスポジだっただろうな
中田、鹿島復帰後の小笠原とかも同じ
シドニー世代でこのシステムの恩恵受けられたのは遠藤だけ まぁ馬鹿に限って当時が最強
時間の無駄や
なんて頭悪い事を言うんだが(笑)
全く海外で通用しかった連中だろ
遥かに現代のがレベル高い トルシエ時代ほどでないにしても
ジーコの時代は中田が代表でトップの選手だったと思う
その中田にチームをまとめる能力が皆無だしジーコも同じ
この時のメンバーでオシムかザッケローニならなんとかなったかも
トルシエはやっぱり統率力あったと思う
ジーコは長谷部キャプテン時代ならもう少し結果出せたかもね
中田がいるとキャプテン長谷部でも無理かもしれないが >>216
ザック時代にキャプテン長谷部であの体たらくだが?
キャプテンの力なんてたかが知れてるわw これで
松井 久保 俊輔
三都主 遠藤 福西 加地
闘莉王 田中誠 中澤
川口 今なら冨安や遠藤、鎌田、経験なら南野や香川みたいに中田と対等のレベルでサッカー経験したうえで話できる奴が居たら良かったのかなぁ
性格的に人に合わせるのが下手な中田一人だけ、基準値が突出してたのが不幸だった >>181
イングランド戦で怪我する前の稲本なら田中碧よりは…って感じかな トルシエはホーム開催で日本が強豪のいない組分けに優遇されてたから
アウェー開催のジーコとは比較は無理かな >>216
トルシエなんて、W杯で勝ったことがない経験不足の日本代表で
自国開催だったから、選手も我慢できただけで
あんな指導、今なら選手ついてこんぞw
ベトナムがどうなるか楽しみだがw <DF>
06年 22年
中澤 ≒ 吉田
宮本 < 板倉
茂庭 < 谷口
坪井 < 冨安
浩二 < 伊藤 ・川口←英2部、デンマークで戦力外
・宮本←場違い
・中田←股関節怪我後劣化
・俊輔←コンディション不良でボロボロ
・小野←フェイエで怪我後まともに走れず
・稲本←イングランド戦怪我後劣化
・松井←フランスでレギュラーでも何故か落選
・柳沢←イタリアで戦力外
・久保←コンディション不良で落選
ジーコ就任時の期待が凄かっただけで
本番なんて劣化多すぎて豪華メンバーには程遠かった >>225
これも追加
・闘莉王←高身長2年連続Jベスト11なのに落選 >>225
宮本ワロタw
実力不足なのにCM出まくったり、カメラ抜かれる度にキメ顔したり、スポンサー移籍したり酷かったなw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています