【音楽】元たま・石川浩司「解散3日後にはヨーロッパツアーに行ってました」『さよなら人類』でNHK紅白出場のたま「解散の真相」 [湛然★]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
元たま・石川浩司「解散3日後にはヨーロッパツアーに行ってました」『さよなら人類』でNHK紅白出場のたま「解散の真相」
8/17(木) 7:32 双葉社 THE CHANGE
https://news.yahoo.co.jp/articles/fa9a6bc731ddd85a1fe6122e023c7ffc0a4ad2fe
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20230817-00000237-fchange-000-1-view.jpg
◆いきなり忙しくなったので、とりあえず事務所に入った
(※中略)
「いきなりすごく忙しくなっちゃって、最初はレコード会社との契約とかそういうこともよく分からなかったので、とりあえず知り合いが所属している事務所に入ったんです。P.C.Mという『筋肉少女帯』とか『GO-BANG'S』とか『有頂天』とか、そういうバンドがいた事務所です。
でも、契約期間の2年間所属したあと、もう独立して自分たちで有限会社を作っちゃって、そこからセルフマネージメントでやり始めたんですよ。当時ネットもなかったから、途中に悪意がなくても、伝言ゲームのように人を全員回っていくうちに、思っていたことと違う結果になることが多かったんです。
たとえばCDのジャケットをこうしたいみたいなのがあっても、反映されなかったり……。“自分のしたいことだけをしたい”というのがメンバー間で共通してあったんですね」
特殊な2年間を過ごしたあと、メンバーは徐々に元の生活に戻っていったという。
「僕らもあのとき10代だったら、そのまま大人に言われて変になってたかもしれないですけど、売れたとき年齢的には20代後半、もう30に近かったので、こんなのに浮かれるのはやめようと。最初からこれは一過性のものだから、今“わーっ”て言ってるけど、本来そういう音楽じゃないし、と、そこは結構メンバー内で確認し合っていました。
“やりたくないことはあまりやらずにいこう”とか、“ここはちょっと妥協してやっとくか”という、そういうのもバランスをとりながら、“落ち着こう”というのを、常にメンバー同士で確認し合ってやっていたんです。
『イカ天』に出る前にもみんな『たま』をやりながらソロもやってたし、他のユニットみたいなのもやっていた。それが元に戻ったような感じでやっていたら、だんだん『たま』よりも他のバンドとかが忙しくなって、メンバー同士のスケジュールが合わなくなっちゃったんですよ」
◆メンバー脱退、バンド解散
メジャーデビュー5年目の1995年にキーボードの柳原幼一郎がソロ活動のために脱退、その後は知久寿焼、滝本晃司と3人で活動を続けた。
「もともと“商業的に売れよう”というのはなかったですが、売れたらお金が入るから他の仕事をしなくていいので、バイトもやめられたし、それはよかったんです。
でも、セルフマネージメントだと、やっぱり宣伝とかあんまり積極的に動く人がいない。そうなると、テレビとかメディアとかもあんまり出なくなりますよね。普通はレコード会社とか事務所の人が、そういうところに“うちのバンドどうですか”みたいなのをプロモーションするんですけど、そういう人が誰もいなくて(笑)。メンバーも、“いいよ別に出たいわけじゃないから”って、逆にそっちの方がやりたいことだったという感じでしたね。
当時は最終的に八王子に事務所とスタジオを持って、事務員とかも一応雇ってたんです。でも『たま』の仕事をあんまりやれなくなると経済的にはね、そういう人たちに給料も払わなくちゃいけないし、スタジオとか事務所の家賃とかもあるし、そういうのはちょっと厳しくなっていきましたね」
2003年に「たま」は解散し、メンバーそれぞれの活動に入る。
「そうやって他のバンドの活動が忙しくなったってことがあって、『たま』は解散したんですけど、僕自身は解散した3日後くらいには『パスカルズ』のヨーロッパツアーに行ってしまったんで、解散の感傷に浸っている暇なんか全然なくて、常に次にやりたいことが忙しくてっていう感じでした。
最初に抜けた柳原は、『たま』とは違うソロ活動をする覚悟があったから、けっこう頑としてその後もメンバーと絡むセッションとかライブはしてないんですけど、メンバー間の確執とかでは全然なくて、ベースの滝本とは8月にも一緒に2マンライブを京都で昼夜公演にやったりしますし、知久とは今も『パスカルズ』で一緒です」
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。) さよなら人類ってそんないい曲?
ミリオンが信じられない アルバム聴いたらちゃんとした曲が沢山あって、いい意味でびっくりした 当時八王子に事務所とスタジオあったのは地元だが全く知らなかったわ イロモノに見られがちだけど
しっかり実力あるバンドだったな
お芝居みたいな世界観 石川さんと話す機会があったから聞いてみたけど、石川さんドラム叩けない言ってたよ
足を使うバスドラムとかハイハットが全然わからない言ってたな >>12
いい曲かどうかは主観だが、日本人が好みそうな要素が詰まった曲ではある >>9
だいたい自作の桶を叩いていて普通のドラムを叩いてる動画がなかなか見つからない
楽器に対するこだわりが凄い酷いなんだろう おかっぱはヒガシマルうどんスープの歌うたってるんだな
ちびまる子のエンディングとか「らしい」味を出していたな。
俺には合わなかったがw >>9
本人曰くシンバルないからドラムじゃなくてパーカッション >>29
>>31
ググったら夕暮れ時のさびしさにって曲がオリコン初登場9位だった 本人たちがあまり商売っ気なかったんだろうけど個人的には1stアルバムと2ndシングルのオゾンのダンス出すタイミングが逆だったら今みたいに一発屋扱いされることはなかったと思う
1stアルバムにオゾンのダンス収録しちゃったもんだからその後シングルカットされたけどさっぱり売れなかったんだよな
さよなら人類で火がついた直後にキャッチーなオゾンのダンスを2ndシングルで発売してその後アルバムって流れでやってればさよなら人類だけの一発屋みたいな今の評価にはなってなかったと思うわ >>35
一発屋でもいいじゃん
その当時ヒット曲連発してても
いまでは全く覚えられてないのもいるし。
石川氏とか今でもたまにダウンタウンに
擦られてるし。 柳原と知久は随分なパヨク爺さんになっててびっくりしたわw
でも孫みたいな若い客がめっちゃ付いてるのよな 関ジャムで令和のアーティストが選ぶ平成の名曲でさよなら人類が上位に入ってて驚いたな
逆にリアルタイム世代の方がコミックバンドだと思って評価してない傾向がある 柳原以外の3人の作る曲がアングラ臭が強すぎて一般受けほぼしないからどのみち長続きはしなかっただろうね >>41
ルックスだけじゃ評価されないよ
人間椅子も自分の周りじゃ
音楽性の高さで話題になってたし。 石川と知久のビジュアルが今となっては諸刃の剣だったと思う
インパクトは絶大だったけど反面常に色物バンドとして世間からは見られてたイメージ >>1
なにもインタビュー受ける時に裸の大将のコスさせられなくても ミュージシャンにとって売れることは実は大したことじゃないってはっきり示した人たち >>35
ファーストアルバム出す時期が早すぎたのは同意だな
もう少し引っ張って満を持して出したほうが良かったとおもう >>41
リアルタイム世代はある意味何でも選べたからなあ丁度氷河期世代だろうけどホコテンバンドからジャニーズ洋楽にビジュアル系の出始めにアニソン系アジアポップス何でもありだ
この頃友達はバクが一人ガンズが一人私がSOFT BALLETで筋少も居たなあ何でもありだな >>16
他の人は知らんが滝本は町田の団地に住んでてNTTに務めてたくらいだし八王子もなんとなくわかるわ、他メンバーも近隣だったのだろう 昔の動画見ると若い時の知久の顔は精悍でカッコいいな
軽量級のボクサーみたいな雰囲気がある
<豆知識>
大ヒットした「さよなら人類」の著作権は柳原がもっていて「たま」には無い。
だから石川はコンサートなど商用でその曲を演奏できない。
「大都会」をアフロヘアが歌ってはいけない、チェッカーズの名曲を藤井が歌ってはいけない
のと同じ そういや若い頃北池袋に住んでたとき
近所の銭湯に王様いたけど
いまなにやってんのかなー 当時、年齢の高い評論家ってのが褒めまくってたな、東洋のビートルズだって、世界でもウケるって
俺も友達も一発屋としか見てなかったから、評論家の意見は本当に意味が分からんかったわ
多分、当時の流行りについていけなくて燻ってたときに、やっと自分が理解出来るモノが出てきたから飛びついたんだと思うわ
それをキチンと覚えておこうと思う…いまは俺がおっさんだから
理解出来るモノだけを評価してはいけないってね >>58
たまは曲を作ったメンバーが歌うルールだったから柳原が抜けた時点でさよなら人類は封印するのは必然だったわけで 今日人類がはじめて木星についたよ
ピテカントロプスになる日も近づいたんだよ 再結成なんかしなくていいから
死ぬ前に4人で集まってさらっと昔の曲やってほしいな >>20
ガチで叩いたらすごいのかもと妄想してた
勝手にガッカリした >>1
当時はあまり好きではなかったけど、若者が多かったから「たま」のような新しいバンドが出てくる状況は本当に楽しかった。
「さよなら人類」は、裸の大将の「着いたー!」や
おかっぱ頭の絶妙な合唱や「はぁあああぁぁ〜」があって
あの世界を作っている。柳原のピアノと歌だけではない。
一緒にやれば会場を満員にできるのにもったいないことだ。
よほど何かあったのだろう( ´Д`)y━・~~ >>12
帰ってきたヨッパライ
みたいな特殊な枠の流行歌に感じている >>66
お前は昔も今も
理解出来るモノだけを評価する奴やん
まあ音楽なんてそれでいいんやで 正直、裸の大将がいなきゃ
記憶に残ることもなかったバンドよな 柳原以外の3人は今でもたまに一緒にライブやってるよな >>75
言われれば、そうだなw
ただ、俺の周囲はコミックバンドと捉えて、その評論家たちの意見は「世界が驚く革新的なバンド」ってのと違いすぎてねw >>12
当時ジャカジャカしてやかましいか曲調かスローなん恋愛バラードみたいのが多かったからこういうフワッとした連中のフワッと歌がウケたんだろうな
まさに何が当たるか分からなかった時代 さよなら人類の編曲はピチカートファイブの高浪慶太郎で、小西康陽じゃないというのは面白い。当時は二人共無名だったけど。
この高浪のアレンジが駄目だというものを時々見かけるが、自分は逆に高浪がみんなにわかりやすい形で落とし込んだから大ヒットしたんだと思ってる。それだけメンバーの個性が突出してて、これ以後の楽曲が癖強すぎて、ついていけない人が続出したんだと思う。 とりあえず一人だけ異様に仲が悪いのがいて
再結成できない系の話なんだなってのは分かる感じww >>89
柳原だけかなり無理してる感じはあったな
ソロになってからの曲調がたま時代と全然違う
かなり気を使っててストレスがあったんだろう
他の3人はソロでもほとんど変わらない 桜井「たまはクソでしたねw」
タモリ・桑田・ASKA・HYDE・SPEED爆笑 確執ないとか言ってるけど、当時の宝島のたまの連載コラムでは柳原と他メンバーが音楽的に対立した話とか普通に語られてたな
柳原が作ってきた曲を皆に聞かせたら誰かが「時間の無駄だった」と言い放ち、それに対し柳原が「それならもう僕はたまでやれる事はない」とキレて、石川が「おいおいシビアすぎるぜ今日は」となだめるといった内容だった
脱退したのはそこから数年後だったと思う みんないいとこのお坊ちゃんなんだよな、たしか
別に働かなくてもいいご身分な人が暇にあかしてやってただけだもんな >>78
そんなもんだろ
お前の好きなものも他の誰かにとっては大した事無いものだ ああいう曲でああいう売れ方したバンド、他に存在しなかったな
ちょっと人食ってるようでいて、レトロで、なんとも切ない感じが好きだった PCMの社長とかかなり儲けたのかな?
バンドブームで1番儲けたのって誰だろ?
もちろんバンドメンバーではないと思うけど コミックバンドみたいな扱いだったけど
曲も演奏も化け物レベルだったよな >>97
バンド続けてる人なんてだいたいそうだよ
働かなくていい人 定期的に露出するrこういうインタビュ―含めて 「いかにも」で だからどうしたの?インタビュー受けんの好きなんだね昔話好きなんだね で終わり さよなら人類って子供の頃曲は聴かずに歌詞だけ読んで知ってたんだけど、タイトルも歌詞も怖いってイメージが強くて、いまだにあんまり聴けてない 出張中LINEで現地についたら
「今日人類が初めて~木星についたよー」って入れると
「ついたー!\(^o^)/」って嫁さんが入れてるれるぞ
まあ嫁いなくて嘘なんだけど立派に生きてる >>101
理由も書かずに罵倒してくるヤツが多い中、キチンと注意してくれてありがとう
俺が書かないといけない言葉はこっちだなw
さっきの俺の最後の言葉は完全に負け惜しみだわ、恥ずかしいw ぼぼぼぼくは、おおおおにぎりがほしいんだなあ、の人? >>2
この人が目立ちすぎて他のメンバーが嫉妬したんだろう >>95
それは興味深い
無駄なんてそんなこと言ったの誰だろ >>89
再結成も何も元々ソロでやってた4人のユニット
だから「四人でバンドとして世に出る」ってのが当時はイレギュラーな発想だった
結局バンドとして世間に認知されたことで数年間はいろいろやりにくくなったってのは全員言ってる 強烈な個性だったよな
確かに日本だけより世界でツアーした方が受けそう 「きみしかいない」はすごく怖い歌だった
石川や知久のルックスに合いすぎて >>54
やっぱり多摩地区だから「たま」だったのかな? いやいやいや。柳原さんと知久さんの間には確実に確執があるでしょ。 そんな自由に活動しててもちゃんと食えてるのが凄い
もしかしたら「たま」での稼ぎが未だに残ってたりするのかね >>58
藤井フミヤ(チェッカーズ)は芹澤と和解しているから今は歌っているよ カラオケにさよなら人類だけでなく他の曲もなくて、どんだけ金に執着のない連中だよと思ったな
カラオケにあったら地味に何度か再評価されて今でも流行っていたかも 文中にもあるけど解散3日後、ベース抜きでフランス行ったって話だろ
マーシーとヒロトがハイロウズやってるのと近いべ 4人の副業は何してんの
音楽だけでは食べていけないでしょ >>58
ジャスラック管理曲ならお金払うだけで権利者がどうのとか確認がどうのとかない
それがジャスラック委託するって事だから >>66
竹中労は「たま」に限らず優れた音楽評論をいくつも残してる
お前はバカだからこれまでもこれからも何一つ理解できないまま死ぬんだよ >>66
竹中労は「たま」に限らず優れた音楽評論をいくつも残してる
お前はバカだからこれまでもこれからも何一つ理解できないまま死ぬんだよ ギロチンにかけられた人魚の首から上だけが人間か人魚か分からない
とかやべー歌詞の曲もあった さよなら人類がすごく好きでアルバム買って聴いてみた
クソだった 柳原と石川は二十数年ぶりに偶然会って話をしたと言ってたな >>128
たまは結局知久と石川のバンドだと思うんだよなあ
柳原は一生懸命合わせてたんだろう
滝本は気にしない人だから長くやれたw ボブ・ディランをカバーした麦茶をもう一杯は無茶苦茶かっこよかったぞ >>151
知久のギター凄いよね
石川と柳原はあのギターに惹かれて集まったような気がする 二酸化マンガン吐き出して
あの娘が胡弓を弾いてるよ さるーさるーさるーさるー
さるーさるーさるーさるー >>41
なにより驚きなのはあの曲、平成だったんだな 知久さんは地に足が付いてるよな
色んなフェスとかイベントで見かける >>40
右翼なんてネットにしかいないよ
あとはヤクザと統一教会だけ ファーストアルバムは
音や写真ともに最悪だった。
デジタル音楽全盛期で
アナログ楽器をどうやって録音するのか、忘れちゃってたんだろうね。
独立して出したアルバムのほうが音質悪いけど
まともなレコーディングになってた。 知久は原マスミのライブのゲストで数回見たが声の区別がつかない
てかたまって原マスミのパクリと思ってたよ イカ天のグランドチャンピオンかかった週にハムカツだからな
凄えわ >>119
イカ天が無ければそれぞれの活動の一つにたまってのがあってたまに集まってたんだろな 平成2年 シングル売上ランキング
1おどるポンポコリン B.B.クィーンズ
2浪漫飛行 米米CLUB
3今すぐKiss Me LINDBERG
4さよなら人類 たま
5OH YEAH! プリンセス・プリンセス
6Dear Friend 中森明菜
7情熱の薔薇 THE BLUE HEARTS
8くちびるから媚薬 工藤静香
9真夏の果実 サザンオールスターズ
10イフ・ウイ・ホールド・オン・トゥゲザー ダイアナ・ロス 人類が初めて木星に着いたよ。
人間は無理だろ。そもそもどうやって着陸するんだ? テレビ出演時に、ギターを耳に当てながらの演奏はパフォーマンスかと思ったらイヤホンが故障して仕方なく即興で行った演奏だったと知った >>160
平成名物TV イカすバンド天国 出身だもの 当時のイカ天はWWEみたいなギミックに満ち溢れていたな >>176
科学文明が究極に達したという例えだ
その先に何が待っているのかを問うている曲 >>53
氷河期と言っても頭の団塊ジュニア世代は同調圧力少なくて
みんな好きなもん聞いていたな
お陰で音楽業界は不況と言われたが たまって完成度はかなり高いとは思うけどすぐ飽きられて長続きはしない一発屋タイプだから仕方がない >>183
2001年オマージュ
デヴィッド・ボウイへのアンサーソングみたいだ
非ラブソングでこんな社会現象みたいに売れたのが凄い
ニューウェイヴの時代だからか 海にうつる月聴いてよ
石川さんが桶をたたかずにオルガンかなんか弾いてるよ 今もそうだけど、不思議ちゃんキャラとか「自分流の自然体です」的キャラの人って、
すごく嫌われるじゃん。「ぜったいに正体あばいてやる」みたいに敵視する人が多い世の中だから、
たまみたいな人ってメジャーにいるとけっこう苦労するんだと思う。 ファン以外知らないけど好きな曲。
「ねむけざましのうた」
「サーカスの日」
「326」
「ねこをならべて」
「ガウディさん」
「デキソコナイの行進」 イカ天の優勝者でバンドバンドしてなかったのはたまだけ。フライングキッズ、ブランキー、人間椅子、宮尾、マルコシアスバンプみたいな名前のヤつら、、みんなテクのあるバンドだったから。世界観だけで圧倒したのはすごい。 こういう露出の高い服を好んで着る人が
痴女に襲われても自業自得というか自己責任な シチュエーションは完璧なバンドだったけど実際にはエンジンである柳原幼一郎があってこそだったから、抜けたらどうにもならん
そしてその柳原自身、自分の音楽性を自由自在に求め出してから、それらしい成果にたどり着いていないことが、『たま』というバンドが如何に奇跡的な成功例であったかを物語る なんか音楽に夢が見れた時代で思い出話としてはいいかな、と >>22
この人は高橋幸宏のお下がりのタムを使ってる 他の音楽家のたまに対する印象を聞きたいな。
何人かの意見は知っているけど、それ以外で。
たまに限らず、お互いをどう思っているのか
大々的にコメントを取ったら面白そう。 >>181
ライフでこのクオリティなのかよ
すげーな 超毒舌イカ天審査員吉田ケンが
滝本氏に「いいベース使ってますね」とコメントしてて
コイツらタダ者じゃねえと思わされた夏 >>181
この演奏を聴く限り石川が普通のドラムを演奏できないというのは嘘だろうな
楽器に対するこだわりが強すぎて普通のドラムを叩きたくないというのが本当のところなんじゃないか >>183
我々は木星でピテカントロプスになるってことか… 座敷童子みたいだったボーカルの人を、最近、近所のスーパーで見かけた
なんか肉体労働とかやってそうな精悍な雰囲気で、イメージしてたのとかなり違ったわ
もっとフニャフニャして、デタラメな感じなのかと思ってたのに
ちゃんと自分の足で立って稼いで生きてるオッサンって感じだった
当たり前といえば、そうなんだけど あと、石川さんも前に近所に住んでたから、たまに見かけた
学者さんみたいな雰囲気で、ちょっと気難しそうな顔して歩いてる人だったわ
これもテレビで見たランニングのイメージと全然違った たまと人間椅子は何故かよく覚えてる。
人間椅子のギターほ見た目量産型なのにとんでもねえテクの持ち主 >>209
技術が進化すると、人間は退化する。
不便の方が便利より大分いい。 >>210
髪型と声で錯覚しがちだが、知久は元々非常に精悍な顔付きをしている
昨日のインド無人探査機「今日人類が初めて月面南極に着いたよ」 キモかわビジュアル系
女にめちゃ人気あった
とにかくあの頃は女子ファンがいないと売れてない判定されてた時代 >>177
違う
ギターの音が出なくてボーカルマイクにギターくっつけて弾いた
全員カラオケのMステで新人のくせに生演奏させてくれって生意気言ったからスタッフにいやがらせされた説あり 柳原の作る曲が一番良かったんで抜けた時点でおしまい 巨額入ってきたけど散財や豪遊する人たちでもないからとりあえずその金でスタジオ作ったので
その後もずっと音楽制作は楽に続けられた、って話が好き >>180
カメラの前でパンツ脱いだ女もいたしなw 最近Spotifyで聞いてる
そんなぼくがすき
星を食べる
さよなら人類 が好き 今こんなバンド出てきたらちゃんと評価されてたんじゃないかなあ。
当時は色物バンドて売り方されて技術云々とか全然話題になかった気する。 イカ天ってのは、オーディション番組じゃないの?
別に売れたくないっすって態度のバンドが出ててもOKな空気だったの? 柳原はイカ天&さよなら人類はおろか滝本加入の前から辞めたいって言ってたらしいからな 3人は今でも仲良いみたいね
三十年近く経っても柳原だけ全く交流が無いってある意味すごいな
アーティストってよくわからん >>228
開始時は単なる巷のアマチュアバンド紹介
しばらくして「武道館でアマチュアバンドだけのお祭りやろう」がテーマになったそれだけ
最後まで三宅は「これはオーディション番組ではありません チャンピオンになったからといってプロになれる保証はありません」って言ってた >>228
途中からはインディーズ発掘番組になってきてて、スタッフがそこら中に出演打診してたみたい
というかそんな自然発生的な応募だけであれだけのクオリティと期間を続けられるわけがない
一時期なのか一部なのか分からないけど結構上から目線のスタッフもいたみたいで、当時のインディーズ界では反発するバンドも多かったとか >>237
またウソばっか
出演打診してたのは番組開始前から始まって1ヶ月程度
井口さんがライブハウスや大学サークルに足運んで頼んでたが全然信用されず苦労してた
フライングキッズあたりで流れが変わり応募が殺到しだして応募ビデオ毎日徹夜で見ることになった 神保町に顔のワイシャツを見に行った。店はないけど看板はまだありました >>49
売れて有名になりたい人とミュージシャンは違うよね 地元出身のLiSAさんが彼らのように割り切れてたら悪い大人たちに言い含められてアニソン面に落ちることもなかっただろうな。
彼女はホントに可哀想だった(泣) 完全に一発屋扱いだな
独立したというより用済みだったんだろう >>239
フライングキッズに出演打診したのは番組がが始まる4ヶ月前ですでにメンバーは就職活動中で一度断ってる
その後井口さんがライブハウスに足運んで一曲だけでいいからとお願いした
出演時はもう浜崎も就職決まってて卒業の思い出として出てキングの間は普通にサラリーマンやっててグランドキングになってようやく今後プロでやれるか話し合った あのランニング姿のまま電車で横に座ってきたらめちゃ警戒するよな >>12
およげたいやきくんみたいな感じだから売れた ラッタッタをパリの路上でやっていてシルク・ドゥ・ソレイユにスカウトされたのは有名な話 さよなら人類なんてたまの中じゃたいした曲じゃないし他にも素晴らしい楽曲たくさんあるよ
ただ世界観がアングラだから好き嫌いが分かれるよね 柳原が抜けるのは必然だった
でも知久と柳原のハーモニーは絶品だった たまはデビュー前から完成されてた
そもそもが表現者4人の集まりでしかない >>246
ジャクソン井口が出演依頼したっていうのは読んだことあるけどもうその時点で事務所には入ってたんだろうなと想像してた
本当に素人だったのかよ意外 誰のヨーロッパツアー見にいってたの?
何か所回ったの?
動員数どうだった? >>221
その映像、前YouTubeにあったのに消えてて、また見たいなぁって思ってる。
ギターなくても柳原さんのピアノで成り立ってた印象ではあった。
途中から知久さんが頑張ったお陰でマイクがギターの音を拾って音が聞こえた。
あぁまた見たい見たすぎる >>12
元ネタの2001年宇宙の旅と同じ感じ。
いい曲かどうかはわからんが名曲。 >>12
フォーククルセイダースのオラは死んぢまっただと同じ枠 >>80
当時はバブル期真っ盛りでワーカホリックだらけで24時間戦えますか~♪と言われてた時代だしな
そこへ突然やってきたフワッとした歌 ・ボーカルが複数いる
・作詞、作曲者が複数いる
・歌手とバックバンド形態ではない
この辺がビートルズと似てる 「さよなら人類」が入った黄色い箱型のジャケットのCDをまだ持ってる >>235
みんなそうだよ
第1回イカ天グランプリのBEGINが凄すぎたから、第2回イカ天グランプリのたまも凄いんじゃないかと勘違いした
だが、そうではなかったんだ >>269
BEGINは2代目グランドイカ天キング
たまが3代目 FLYING KIDSとMOON CHILDを
混同しがちになる >>264
全曲聴いてる上でそれ言うんなら聞く耳もつがな >>280
4→5→6ですね。ビジュアル系御用達の進行とも言われるやつですな 竹中労さんが本を書いてたな。あの人、「鞍馬天狗のおじさんは」のマキノの序文、自作自演だからどこまで信用していいのか分からない人だった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています