【訃報】1960年代のポップ・デュオ「ポールとポーラ」の「ポール」、レイ・ヒルデブランドが82歳で死去 [湛然★]
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The ‘Paul’ of 1960s Pop Duo ‘Paul & Paula,’ Ray Hildebrand, Dies at 82
Aug 19, 2023 5:13pm PT
Variety ※DeepL翻訳
https://variety.com/2023/music/news/ray-hildebrand-dead-paul-paula-pop-duo-1235700560/
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ポール&ポーラ・デュオのメンバーとして1960年代にポップ・チャートのトップを飾ったレイ・ヒルデブランドが金曜日、カンザス・シティで82歳で死去した。死因は明らかにされていない。
ポール&ポーラは1963年、ヒルデブランド自身が作曲し、デュエット・パートナーのジル・ジャクソンとお互いの名義で共演した大ヒット曲「ヘイ・ポーラ」で1位を獲得。この曲は1962年にリリースされ、翌年2月にビルボードの2つのチャート、ホット100とホットR&Bシングル・チャートで最高位を記録した。
ポール&ポーラがホット100にランクインさせた4曲はすべて1963年中にランクインしている。「ヘイ・ポーラ」に続く「ヤング・ラヴァーズ」は、彼らの唯一のトップ10ヒットとなり、6位を記録した。1963年、彼らは8ヶ月というコンパクトな期間に、合計3枚のアルバムをリリースした。
ジャクソンは、ヒルデブランドが大学生時代に住んでいた下宿を経営していた男の姪だった。1965年、ふたりは別々の道を歩むことになったが、1970年後半まで散発的にシングルをリリースし、21世紀に入ってもオールディーズ・ライヴや特別なイベントで再タッグを組むことがあった。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
●Paul & Paula - Hey Paula (1964)
https://www.youtube.com/watch?v=xJz8Dii-kW4 ヘイヘイホー
覚えてるかい
ヘイヘイホー
あの日から Paul & PaulaのPaulと言えばわかる。本名のRay Hildebrandだと自分でも"誰、それ?"と思ってしまう。
"Hey Paula"は言うまでもなく名曲。それ以外は"First Quarrel", "Young Lovers"くらいしか
知らない。このデュオも数年後はヒットチャートから消えることになる。
この時期だと他にもNino & April, Dale & Grace, Dick & Dee Dee, Inez and Charlie Foxxなどの
デュオもいたが、Paul & Paula同様、栄光を掴めた時期はほんのわずかだった。 ラングレーは不幸な車だったな。ラングレー自身には罪は無いのに。逆にアプローズは喝采→火災とか言われてたな。車が原因だったから車は悪くない…とは言えなかった。なんか同じくらいの時期な印象。 >>25
自己レスだが検索したら同じくらいの時期だったわ… よほどインパクトあったんだろうな当時。 屁どばとダビデっつうのが直美の夢うたってたな、なおみよ〜TBC >>20
突っ込みたくなる
ロザンナは最近日本に帰化した 子供の頃やたらにこの歌モノマネとかで歌われてたな
嫌いだった歌 PaulaことJill Jacksonは64,5年にはソロでシングルを数枚出したが、アメリカでは全て不発に終わっている。
だが、"涙のキッス〜All Over Again"は当時、日本でシングルでリリースされ、ヒットもした。
"Pixie Girl"も60sガールポップスファンには知られているナンバー。 Paul & Paulaの日本盤CDは80年代に出たことがあったが、2015年までは1枚も
出ることは無かった。昔、レンタルでこのCDを見たことがあったが借りて聴く程
興味はなかった。 >>32
内田や長谷部のチームメイトだったイケメンな ポールとポーラ デイルとグレイス ニノ・テンポとエイプリル・スティーヴンス
60年代の一発屋デュオ HeyHey,Paula Iwant to marry you 売れない時代に世話になったポール牧の名前を売れてから連呼し続けたビートたけし >>36
前者の2デュオは2,3曲ヒットを残してすぐに消えたが、Nino & Aprilは66年の
"All Strung Out"(#26)が最後のヒットとなった。この後もいくつかはチャートに入ったが、
100位程度でヒットとは言えるものではなかった。
今ではソフトロック好きに知られている"You'll Be Needing Me Baby"が
当時133位だったとは・・・ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています