春夏の甲子園大会で計7度の優勝を誇るPL学園野球部が復活へ動き出したことが5日、分かった。1年生の1人が
入部を許可され、既に練習を開始。来春以降は入部希望者の新入生を受け入れる方向で、さらに部員が増える
可能性がある。15年度から新入部員の募集を停止し、16年夏の大阪大会が最後の公式戦。17年春に大阪府高野連を
脱退していた。

休部状態になっていたPL学園野球部に復活の光が差した。1年生1人が今春から「部員」として学校グラウンドで練習に
打ち込んでいることが分かった。

学校を運営するPL教団の関係者によると、当該生徒は教団敷地内にある初代教祖の墓参りを重ね、「硬式野球部を
復活をさせてほしい」と願っていたという。中学時代はバスケットボール部に所属した野球未経験者ながら、熱意を
くみ取った教団幹部が活動を容認。教師に見守られながら、清原和博、桑田真澄(現・巨人ファーム総監督)の
「KKコンビ」ら数多くの名選手が汗を流したグラウンドで、1人でノックを受けたり、打撃練習に励んでいる。

近年の同校はPL教信者の家族、ゆかりのある生徒しか入学を受け入れておらず、現在の生徒数は1学年20人程度に
とどまる。教団の体制が徐々に変わりつつあることで、早ければ来春以降に広く受験・入学ができるようになり、
野球部入部を希望する中学生にも門戸が開かれる方向だ。

ただし「完全復活」へのハードルは多い。16年夏の大阪大会を最後に17年3月には「部員募集再開のメドが立っていない」
ことを理由に大阪府高野連を脱退した。現状では他校との合同チームとしても参加できず、再加盟には同高野連の審理を
経なければならない。

ある高野連関係者は「申請には9人以上の部員がそろっていることが条件」との認識を示し、「1人部員」で承認される
可能性は低い。少子化に伴う野球人口や加盟校減少を受けて「9人必須」の条件が今後緩和される可能性はあっても、
公式戦参加については来春以降の入部希望者数にも左右される状況だ。加えて技術指導する監督もまだいない。

春夏の甲子園大会に計37度出場し、プロ野球選手も数多く輩出した名門中の名門。13年に部内暴力が発覚してからは
野球経験のない監督が就任するなど混迷の一途をたどっても、高校野球ファンの記憶の中では生き続ける存在だ。

今年1月には野球部のOB総会が3年ぶりに開催され、桑田真澄会長が「全く前進がない。何とか復活してもらいたいと
いうのがわれわれの思い。粘り強くサポートしたい」と願っていた。「PL」への憧れを持つ1人の高校生の熱意によって
開かれた扉。くしくも、6日には夏の甲子園大会が開幕。“永遠(とわ)の学園”の校歌が再び聖地で響く日は訪れるか。

▽PL学園硬式野球部 
1956年4月創部。62年選抜に甲子園初出場して8強入り。78年夏に初優勝を飾った。81、82年選抜を連覇し桑田真澄、
清原和博が在籍した83年夏からは5季連続で甲子園に出場し2度の優勝、2度の準優勝と黄金時代を築いた。87年には
立浪和義らの活躍で史上4校目の春夏連覇。98年夏の準々決勝では横浜と延長17回に及ぶ名勝負を繰り広げた。
甲子園春夏通算で37度出場し歴代3位の96勝(30敗)、優勝7回(春3、夏4)を誇る。

https://news.yahoo.co.jp/articles/fa7f9fdb75c0c1be538f47ba0de0cb8972a80835