2023年07月09日

「24時間テレビ」で障害者と初めて触れ合った田口は、その後も不思議な縁で障害者と接点を持ち続ける。そして逮捕のドン底を経て、障害者支援へ踏み出すことを決意した「思いがけない体験」について語った。(前編・後編のうち「後編」)

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「僕とガルヒの社長を引き合わせた人物は最初、僕にガルヒの広告塔や宣伝に関わる仕事などを勧めるつもりだったようです。僕がこれまでの障害者との接点を彼に話していたことが背景にありますが、僕のほうは仕事に繋がると思って会ったわけではありませんでした」

 しかし今春、社長に誘われて宮崎県にあるガルヒの施設を見学すると、大きく心を揺さぶられることに。

「ガルヒの施設の特徴はITに特化した点で、入所者がプログラミング言語やデザインソフトの使用などを学び、そこから現実の仕事にまで繋げていた。入所時にはワードやエクセルしか使えなかった人が、いまやVR(バーチャルリアリティ)制作にまで取り組んでいる様子を目にして、何ていうんでしょう……、“ここには夢しかない”と思ったんです」

 田口自身、子供の頃からパソコンをいじったり、ゲームに慣れ親しんでいたため、入所者のやっている作業はごく身近なものに感じられたという。

「ITというのは、要はプログラミングですから、必ず正解があります。たとえるならパズルを正しく組み立てるのと同じ要領のため、軽度障害者であれば健常者と伍して戦える分野なのだと理解しました。あと印象深かったのは障害者の方々が皆、明るく楽しそうに仕事をしていたこと。その姿を見ながら“彼らと一緒に何かやりたいな”や“僕で応援できることはないかな”と自然に考えている自分がいました」

 とはいえ、この時点ではまだ「運営」に乗り出すことにはためらいがあったという。

「僕の原点」

「やっぱり施設運営って、入所者の“人生を左右しかねない”ものなので、責任の大きさから“自分にはとても務まらない”と考えていました。ただ施設に足を運んで入所者と話をするうち、僕のなかの障害者というイメージがどんどん塗り替えられていった。一言でいえば、“ああ、自分と変わらないんだ”と。また僕自身が7年前に個人事務所を立ち上げ、いろいろと苦労にも直面した経験から、入所者が自分の力で仕事を生み出していることに対し、素直に尊敬も覚えました」

 一人になって考える時間が増えるにつれ、決心は徐々に固まっていったという。

「逮捕以降、自分自身を見つめ直す機会は多くありました。そんな時、“自分はなぜ、いまもこの仕事をしているんだろう?”と考える時があった。僕が芸能界に入って、いまもエンターテイメント業界に身を置き続けている一番の理由は、僕の根底に“人を楽しませたり、喜んでもらうのが好き”という性質があることだと自覚しました。障害者支援事業といっても、僕の場合、上から目線で手助けしようなどという気は一切ありません。僕も大好きなパソコンを使って、彼らと一緒にITビジネスを立ち上げたいといった気持ちからスタートしています」

 見学の際、障害者のつくった恐竜のCGグラフィックや石垣島を再現したVR空間などを目にし、そのクオリティの高さに驚くとともに、潜在的なビジネスチャンスも確信したという。

ジャニーズ性加害問題については…

 今後の抱負について訊ねると、目を輝かせてこう言う。

「支援施設の仲間たちと世界でメガヒットするようなゲームソフトをつくれたら最高です。これまでにない麻雀やポーカーゲームのソフト開発など、夢と可能性は無限に広がる思いです。これからは東京と熊本を往き来する慌ただしい生活になると思いますが、いまは期待とワクワク感しかありません」

 最後に、今年3月にイギリス公共放送BBCが報じ、日本でも究明の声が高まっているジャニーズ事務所創業者・ジャニー喜多川氏(故人)の性加害問題について訊ねると、

「この件についてはノーコメントです。ただ僕個人はジャニーさんには感謝しかありません。ジャニーズ事務所があったから今の自分があるわけで、それを否定することはできません。それ以上のことについては、僕の口からは何もお答えできません」

 と話した。

 過去のあやまちは消せないが、それでも自分の力で道を切り開こうとする、田口の試みに注目が集まる。

https://www.dailyshincho.jp/article/2023/07091104/
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前編
https://www.dailyshincho.jp/article/2023/07091103/