0001征夷大将軍 ★
2023/04/29(土) 20:10:29.09ID:2aEi4Qg49https://news.yahoo.co.jp/byline/ueharashinichi/20230428-00347218
■神宮に戻って来たコロナ前の応援風景
100年近い歴史がある東京六大学野球にとって、あって当たり前なのが、各校の応援団(応援部)による洗練された応援だ。この応援を楽しみに神宮球場に足を運ぶファンも多い。
今春、コロナ前の応援風景が戻って来た。応援団はマスクを外すことが許され、応援席に一般の観客も入れるようになった。声出し応援も解禁となり、従来の形である、応援団と観客が一体になっての応援が繰り広げられている。
応援団の学生にとっては、長い道のりだった。パンデミックの影響で、2020年春のリーグ戦では、応援団の姿がなかった。秋からは応援ができるようになったが、感染リスクがあることから、外野席での応援に。昨年春の最終カードより、内野席応援が許可されたが、一般客とは別エリアだった。
ようやく復活した本来の応援の姿。東京六大学の応援団は(基本的に)、「学ラン」を着て勇壮な応援を繰り広げる「リーダー」、心沸き立つ音色で盛り上げる「吹奏楽」、そして、華麗な舞いで彩りを与える「チア」の三部から成るが、みな、その喜びを感じているようだ。どの顔も光り輝いている。
立教大学体育会応援団の第九十二代団長の金子愛弥さん(4年。以下、敬称略)は言う。
「(リーダー台から)見える景色が違います」
金子団長と、リーダー部長の岸野稜さん(4年。以下、敬称略)が先頭に立つ立教大学の応援席では、「学ラン」姿の女子リーダーが懸命に観客を盛り上げている。清水香央里さん、中村仁香さん、そして、林田萌恵子さんの3人の2年生である(以下、敬称略)。2年生の女子リーダーはもう1人おり、現在は休部中だが、近々復帰予定だという。
4人は今年で創設92年目を迎える立教大学体育会応援団にとって、初の女子リーダー部員。他大学でも「学ラン」姿の女子リーダーを目にするようになったが、4人もいるのは稀有なことであろう。
■立大初の女子リーダー誕生のいきさつ
初の女子リーダー部員誕生の裏には、リーダー部存続の危機があった。「実は、僕たちの下の学年に部員がいませんで…入部した者はいたのですが、続かなかったのです。2学年続けてとなると、部の歴史を途絶えさせてしまうと、昨年度から、女子の入部も可としました」(金子)。
こうしたなか、リーダー部の門を叩いたのが、清水、中村、林田らの4人だった。多様性の時代と言われる。男だから、女だからという垣根は低くなりつつあるが、応援団のリーダーは、世間一般的には“男臭さの象徴”と見られている側面もある。
なぜ、4人の女子はリーダー部を選んだのか?休部中の部員を除く3人に理由を聞くと…
「高校時代はソフトボール部でしたが、人付き合いがあまり得意ではなく、大学では何をしようかと考えていたところ、新歓(新入生歓迎活動)で、応援団の方に声をかけてもらいまして。ブースで応援活動の動画を見せてもらい、入るならリーダー部だと。学生服を着ることにも抵抗はありませんでした」(清水)
「中高一貫の学校では、中学までバレーボールに打ち込んでました。高校では部員不足で続けられず、帰宅部に。不完全燃焼感があったので、大学では思い切りサークルで楽しむか、体育会に入るかのどちらかと決めていたところ、やはり体育会だと思いまして。なかでも一番厳しいところに身を置くことにしたのです」(中村)
「他大学の応援団(吹奏楽部)にいた両親の影響が大きかったです。幼少期から東京六大学のリーグ戦に連れて行ってもらい、応援団はいいよ、と聞かされていました。小、中、高と吹奏楽だったので、その道もありましたが、楽器の適性が自分にはないと感じたのと、(仮入部の際に連れて行ってもらった)神宮で間近に見たリーダーの先輩に憧れまして。ここに入るしかないと、直感で決めました」(林田)
3人とも、リーダー部は上下関係も厳しいところ…とわかった上での入部だった。
清水は「ネットなどで応援団についていろいろと調べてました」と言い、中村は「踊るバレエをやっていた時、レッスンがかなりのスパルタだったので、免疫はできているつもりでした」と話す。林田は、両親の知り合いに立教大の応援団OBがいたことから、その人からもリーダー部の実情について聞いていたという。
実際に入部して戸惑ったのは、常に「学ラン」を着用しなければならないことだという。
「本音としては、通学時は私服を着たいです。厳しい応援団の学生だと好意的な目で見てもらえる反面、そうでない視線もあるので。やはり気になります」(中村)
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