「すぐに意気投合しました」坂本龍一が語った山下達郎・大滝詠一・細野晴臣・矢野顕子との「最初の出会い」
4/22(土) 17:12 文春オンライン
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 今年3月に亡くなった、坂本龍一さんの自伝『 音楽は自由にする 』より、人生に影響を与えた4人との出会いをお届け。山下達郎さん、大滝詠一さん、細野晴臣さん、矢野顕子さんとの出会いはどんなものだったのでしょうか?(全2回の1回目/ 後編 を読む)

(※中略)

■山下達郎くん

 そんなふうに人脈が広がってきたころ、山下達郎くんに出会いました。たしか荻窪ロフトで初めて会って、音楽関係の共通の友人もいて、親しくなりました。

 山下くんの音楽は、ぼくが日比谷の野音などで聴いていたロックやブルースとはぜんぜん違うもので、とても驚きました。言ってみれば、ものすごく洗練されていて複雑なんです。ハーモニーも、リズムの組み合わせも、アレンジも。とくにハーモニーという面では、ぼくの音楽のルーツになっているドビュッシーやラヴェルなんかのフランス音楽とも通じるところがある。

 こっちは一応音大に、実際にはほとんど行ってないですけど、まあとにかく行って、何年もかけて勉強したのに、ロックやらポップスやらをやっているやつが、どこでこんな高度なハーモニーを覚えたんだ、どういうことだ、と思いました。

 それはもちろん独学で、耳と記憶で習得したわけです。山下くんの場合はアメリカン・ポップスから、音楽理論的なものの大半を吸収していたんだと思います。そして、そうやって身についたものが、理論的にも非常に正確なんですよ。彼がもし違う道を選んで、仮に現代音楽をやったりしていたら、かなり面白い作曲家になっていたんじゃないかと思います。

 もちろん、複雑なハーモニーのことを突っ込んで話せる相手なんてお互いそういませんでしたから、2人はすぐに意気投合しました。山下くんのレコーディングに参加するようになってしばらくして、はっぴいえんどのヴォーカリストで、山下くんの師匠ともいうべき、大瀧詠一さんに紹介されました。

■同じ言葉を持つ人たち

 大瀧さんともすぐに仲良くなり、福生にある大瀧さんのスタジオ、というのはお風呂場なんですが、そこでレコーディングをしたのが、75年から76年にかけてのことです。そこに、細野晴臣さんが現れた。それが細野さんとの初対面でした。

 このころにはもう、はっぴいえんどのことはぼくも知っていて、細野さんのソロ・アルバムも聴いていました。

 細野さんと出会った時に感じたことは、山下くんの時とよく似ています。ぼくは細野さんの音楽を聴いて「この人は当然、ぼくが昔から聴いて影響を受けてきた、ドビュッシーやラヴェルやストラヴィンスキーのような音楽を全部わかった上で、こういう音楽をやっているんだろう」と思っていたんです。影響と思われる要素が、随所に見られましたから。でも、実際に会って訊いてみたら、そんなものはほとんど知らいという。たとえばラヴェルだったら、ボレロなら聴いたことがあるけど、という程度。

 ぼくがやったようなやり方で、系統立てて勉強することで音楽の知識や感覚を身につけていくというのは、まあ簡単というか、わかりやすい。階段を登っていけばいいわけですから。でも細野さんは、そういう勉強をしてきたわけでもないのに、ちゃんとその核心をわがものにしている。いったいどうなっているのか、わかりませんでした。耳がいいとしか言いようがないわけですけれど。

■矢野顕子との出会い

 もう一人、同じような驚きを感じたのが矢野顕子さんです。彼女の音楽を聴いたときも、高度な理論を知った上でああいう音楽をやっているんだろうと思ったのに、訊いてみると、やっぱり理論なんて全然知らない。

 つまり、ぼくが系統立ててつかんできた言語と、彼らが独学で得た言語というのは、ほとんど同じ言葉だったんです。勉強の仕方は違っていても。だから、ぼくらは出会ったときには、もう最初から、同じ言葉でしゃべることができた。これはすごいぞと思いました。

(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)

坂本 龍一/Webオリジナル(外部転載)