3/19(日) 17:01配信

週刊女性PRIME

 今年、デビュー50周年を迎えた宇崎竜童(77)。歌手、作曲家であり、俳優としても人気を集める。

【写真】ギターを持つ姿がカッコいい宇崎竜童

山口百恵のヒット曲を量産した裏側
 東京・赤坂─。数え切れないほどのギターが置かれた宇崎の仕事場を訪ねると「買ったことを忘れちゃったギターもあるんだよね」と、笑顔で迎えてくれた。とても77歳とは思えないスタイルの良さ。50周年という節目の年について話を向けると、

「コツコツ、という感じですね。コツコツやってきたら50年になっちゃった」

 と振り返りながら、

「今ね、“うちの町でコンサートやってくれ”というオファーをたくさんいただくんです。呼ばれればどんな小さな町や村、山の中だろうが平気で行きますよ。こんなふうに呼ばれなくなったら引退なんだろうな、と思っているので」

 さまざまなアーティストに楽曲を提供してきた宇崎だが、中でも“伝説のアイドル”山口百恵さんに、妻で作詞家の阿木燿子とのコンビで書き下ろしてきた曲は、今も色褪せずに歌い継がれている。彼女のヒット曲を量産した“裏側”について聞いてみると、

「百恵さんに書いているときは、阿木が詞を先に作っていました。その詞に僕がメロディーをつけてね。いわゆる“詞先”でした。それが’90年代に入るころ“この生みの苦しみを味わいなさい”と彼女に言われて(笑)。そこからは逆に、僕が先に曲を作るスタイルになりました」

 このスタイルになってから、作曲するのがツラいんですよ、と宇崎は苦笑いする。

「まず1曲できたら阿木に聴いてもらう。そこで彼女が1回でも首を傾げたら、すぐに引き下げます。それでまたゼロからスタート。多いときで1作品のために15曲くらい作るときもありますね。そう、阿木にプレゼンしているんですよ」

夫婦で作り上げた百恵さんの黄金期
 百恵さんへの提供曲は、『横須賀ストーリー』(1976年)に始まり、最後は『さよならの向う側』(1980年)、まさに“詞先”の時代の産物。阿木&宇崎コンビの楽曲が抜擢された理由を聞いてみると、

「実は僕らを指名したのは、百恵さん本人だと聞きました。彼女は自分からマネージャーに“あの人たちに作ってもらいたい”って言ってくれたらしいんですよ」

 始まりはアルバム『17才のテーマ』中の4曲についての依頼だった。しかし、そのうちの1曲だった『横須賀ストーリー』はアルバム曲から外され、後日シングルとして発売されると66万枚という大ヒットを記録。

 その2か月後には『横須賀ストーリー』というタイトルのアルバムが制作され、A面の楽曲すべてを阿木&宇崎コンビが手がけることに。

「横須賀は百恵さんが育った街。だから横須賀をテーマにした女の子の歌を作ってもいいよね、と阿木とプロデューサーと話したんです」

 百恵さんと仕事をするうちに、宇崎はその才能に驚いたという。

「毎回、(曲の)主人公は違ってましたけど、僕らに作品のインスピレーションを与えてくれる見事な才能を持った人でしたね」

 彼女は特に何も言わずに、ただ一生懸命歌うだけだったのだが、独特の振り付けやしぐさ、表情などは自分で拵えたものだという。

「主人公になりきる。ああしようこうしようじゃなくて、セルフプロデュースが自然にできちゃう。いろいろな人が彼女の曲をカバーしているけど、僕らから見ていても、作品の世界観をちゃんと出しているのは百恵さんだけですね」

 宇崎は、百恵さんの引退はどう思ったのだろう。

「“あれれ?” という驚きがまずいちばん。それと“ほっとした”という気持ちがありました。そのふたつが五分五分かな。もう作んなくていいんだ、というね(笑)。

 だって、レコード会社からは“次はもっと売れる曲”というリクエストが来ますから。これはプレッシャーですよ。で、レコード大賞を絶対獲るというのが目標。そういう気迫をレコード会社から感じるわけです」


全文はソースでご確認ください

https://news.yahoo.co.jp/articles/493a4f4ad0fcc4aa5c11114a825379b4478cd926?page=1

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