4years.
最終更新:2023/03/12
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中央大学は箱根駅伝で歴代最多の出場回数(96回)と優勝回数(14回)を誇る。前々回の箱根では10年ぶりにシード権を獲得し、今年1月の第99回大会は22年ぶりのトップ3となる準優勝に輝いた。2023年度は出雲駅伝、全日本大学駅伝、箱根の学生3大駅伝三冠を目指し、「再び動かす真紅の歴史」をチームスローガンに掲げる。ロードで抜群の強さを発揮する湯浅仁(3年、宮崎日大)が新たな駅伝主将に就任し、エースの吉居大和(3年、仙台育英)や副主将の中野翔太(3年、世羅)らとともに大目標に挑む。

1月の箱根駅伝で湯浅は2年連続の9区を任され、1時間8分54秒の区間6位で躍進の一翼を担った。しかし前年が1時間8分31秒の区間3位で、今回は「1時間8分20秒ぐらいで区間賞争いをできたら」と考えていただけに「(単独走で)難しい展開だったけれど、もう少し自分の力を出したかった」という悔しさが残った。

それでも3位以内の目標を上回る結果で終えたチームについては、「やってきたことというか、努力の方向性は間違っていない」と手応えをつかんだ。

湯浅はその後、1月下旬の全国男子駅伝で宮崎県チームのアンカーを務め、2月26日には大阪マラソンに出場。昨年3月の東京マラソンに続き、2度目のフルマラソンを2時間15分12秒の自己ベストで走破した。湯浅はマラソンへの挑戦をこう捉えている。

「中大は藤原正和駅伝監督や山本亮コーチなど、スタッフのマラソン経験が豊富で、自分もいずれはマラソンで勝負したいと思っています。大学生では4年生でマラソンに初挑戦する人が多いですが、早い段階で経験しておくのも今後にプラスになると思ったので、スタッフにお願いして2年生の時から走らせていただいています」

もちろん、年間を通してマラソンに特化したトレーニングを積んでいるわけではない。「普段はみんなと同じ流れで箱根駅伝を目指した練習をして、箱根後にマラソン練習をしています」。ただ「その取り組みや練習過程が自分に良い影響をもたらしてくれる」と確信している。

小中学生の頃は野球に熱中した。生粋のジャイアンツファンで、宮崎市選抜に入ったこともある。木花中3年の時、駆り出されて出場した駅伝で初優勝。湯浅はアンカーで区間賞に輝き、宮崎日大高の藤井周一監督から勧誘を受けた。

「正直、野球を続けたかったですが、自分は体も大きくないですし、上に行くには難しい。これからのことを考えたら走った方が可能性があると思って、高校から陸上を始めることに決めました」

宮崎日大では全国高校駅伝(都大路)を目指し、2年生の時には前年まで20年連続で都大路に出場していた強豪・小林高を破って県高校駅伝で初優勝を遂げた。「勧誘の際、藤井先生から『チームを都大路に連れていってほしい』と言われ、先生に良い思いをさせたかったので、本当にうれしかったですし、県大会の初優勝は今でも印象に残っています」

3年ではキャプテンを務めた。冬は2度目の都大路で7位入賞を果たしたチームは「練習になればスイッチが入って頑張ってくれる」メンバーばかりだった。一方、部員全員が寮で暮らす生活は「みんなが言うことを聞かなくて、365日ずっと大変でした」。湯浅は苦笑いを浮かべながら当時を振り返る。

「食事の制限や寝る時間、携帯電話の回収時間などは厳しいルールがあって、それをみんなに守ってもらうのは難しかったです」

今となってはそれらも懐かしい思い出だ。2020年に中央大に進んだのは、藤井監督が背中を押してくれたからだった。藤井監督は西脇工高の一つ先輩にあたる藤原監督を尊敬している。

大学陸上界の中でも屈指の伝統校である中央大だが、湯浅が入学するまでの数年間は苦しい時期が続いていた。湯浅は当時、世代のトップレベルとは言えず「しっかり練習を積んで、まずはチームの一員として力になれるような選手を目指して」大学生活のスタートを切った。入学早々にコロナ禍となり、試合の中止も相次いだが、「大学で頑張るぞという気持ちでいたので、練習のモチベーションが落ちることはなかった」と語る。

こつこつと練習を継続する努力が実を結び、10月の箱根駅伝予選会には1年生ながら出走メンバーに選ばれた。初のハーフマラソン(1時間4分06秒)はチーム最下位に終わったものの、湯浅は「良い経験ができた」と前向きに捉えた。しかし、本戦ではエントリーメンバー16人に入れず、その悔しさを2年目の活力に変えた。

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