【ファミスタ】ありがとう「もんた」!『ファミスタ』で振り返る野球ゲーム史屈指の強打者・門田博光の偉大さ [愛の戦士★]
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baseballking 2/3(金) 7:08
「もんた」から知った偉大さ
◆ 野球ゲームの移り変わりから見るプロ野球史~番外編:門田博光
80年代、多くの野球少年にとって、パ・リーグの試合観戦はハードルが高かった。
毎試合地上波テレビで中継されていた巨人戦がリアルな日常の風景ならば、パ・リーグの試合はある意味“ファンタジー”だった。
子どもが夜遅い時間の『プロ野球ニュース』を見るのは難しく、もちろんまだDAZNやパ・リーグTVは存在しない。コロコロコミックの漫画『かっとばせ!キヨハラくん』や、毎年日本シリーズに出る黄金期の西武ライオンズ以外、関東近郊で関西のパ・リーグ球団を1試合がっつり見る機会は皆無に等しかったのである。
そんな時代に子どもたちは、ファミコンの野球ゲームからパ・リーグの選手を覚えた。86年12月10日発売の記念すべき『プロ野球ファミリースタジアム』第1作目、パ球団はライオネルズ、レールウェイズ、フーズフーズの3チーム。
阪急・近鉄・南海の関西鉄道連合チームという括りのレールウェイズは、チーム打率.292・258本塁打・代打打率.282とすべて全チーム中1位の猛打がウリだったが、そこで左の代打の切り札として控えるのが、打率270・26本塁打のベテランスラッガー「かどた」である。
もちろん、モデルは南海の背番号60・門田博光だ。ホームランはヒットの延長的なその一発の魅力と、走力4の恐ろしい鈍足ぶりに少年たちは戦慄した。
◆ ゲームでも存在感抜群の「もんた」
シリーズ2作目の『ファミリースタジアム’87』では、阪急がブラボーズで独立して、レールウェイズは南海と近鉄の混合チームに。そこで四番を張るのは、打率.302・30本塁打の「かどた」である。
今作でもチーム1の鈍足“走力4”は変わらず。なお、このシーズンの門田は39歳にして史上24人目の通算2000安打を達成。そして、88年シーズンには44本塁打・125打点という凄まじい数字で打撃二冠を獲得してみせる。40歳の狂い咲きで“不惑の大砲”と社会現象となるも、所属する南海ホークスはダイエーへの身売りが発表されて消滅してしまう。
『ファミリースタジアム’88』では、ついに南海もホーネッツの単独チーム扱いで収録されるが、メジャーリーガーズに対抗する日本人選手屈指の強打者として四番を打つのは、もちろん「もんた」しかいない。
打率.308・38本塁打に、もはや鉄板ギャグ化する走力4。なお、これはブラボーズの「ぶうまん」と並んでリーグワーストの鈍足設定である。南海と阪急の身売りという衝撃的なニュースで、伝説のレールウェイズの歴史も、昭和の終わりとともにこうして幕を閉じた。
さて、88年シーズンのMVPに輝いた門田は関西でのプレーを希望して、福岡行きではなく、近鉄との争奪戦を制した新興球団オリックスへトレード移籍。89年のオリックスブレーブスは3番ブーマーが打率.322・40本塁打・124打点。4番門田は打率.305・33本塁打・93打点。さらにその前後を松永浩美、石嶺和彦、藤井康雄らの強打者が固める“ブルーサンダー打線”を形成して球界を席巻する。
ペナントで開幕8連勝を飾り、序盤から独走態勢。8月には一時2位に転落するが、そこから盛り返し121試合目にマジック9が点灯。近鉄とともに王者西武をあと一歩まで追い詰めるが、ホームランを打った門田が出迎えた巨漢ブーマーとハイタッチして右肩を脱臼するというなんだかよく分からないアクシデントにも見舞われ、首位近鉄とゲーム差「0」の2位に終わる。
※全文・詳細はリンク先で
https://approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=https://news.yahoo.co.jp/articles/f369b5578867dbb5a41a2ca182608f69250533fa&preview=auto
https://i.imgur.com/9r5Gjai.jpg Nチーム(ナムコスターズ)
打順 守備 選手名 打席 打率 HR 走力 モデル選手
1 中 まつぴ 左 .270 3 16 マッピー
2 左 ばろん 左 .280 4 12 バロン
3 一 ふあいか 右 .310 10 11 ファイガ
4 三 ぱつく 右 .300 20 3 パックマン
5 捕 にやむこ 右 .290 13 2 ニャームコ
6 遊 ぎる 右 .275 4 8 ギル
7 二 いんで 左 .270 3 13 インディ
8 右 らりいX 右 .240 2 16 ラリーX
代打 - ぷうか 右 .290 6 0 プーカ
代打 - ぴの 左 .260 1 24 ピノ
代打 - とふかふ 右 .250 1 12 トプカプ
代打 - へろへろ 左 .280 1 4 ベロベロ
タイプ 選手名 投法 防御率 球速 体力 右 左 縦 モデル選手
先発 ぴぴ 左 4.50 150 40 3 8 1 ポール・ポジション
先発 せひうす 右 3.40 135 30 6 6 9 ゼビウス
抑え ぼすこ 右下 2.40 130 15 11 6 2 ボスコニアン
抑え きやらか 左下 2.80 138 15 14 14 0 ギャラガ >>356
豆っていうか広く知られてるでしょw
当時の中日は郭源治とゲーリーがいたから、外国人一軍登録2人制じゃ2軍でいくらホームラン打っても
一軍に上がれる見込みがなくてブライアントも「人生で最悪な期間」と言うほど腐ってた
そこに近鉄がちょうどデービスが大麻で解雇されてすぐに使える外国人を探してたんだよな
それが大当たりして、星野が「返せ」と言ったとかw >>358
森西武だからどのみに今の制度でも守備重視だから出れなかったろうね
変化球弱いのに変化球が多いセ・リーグはよけいに合わなかったね
アレンとバークレオがいた記憶 ファミスタの打撃のBGMはカープの応援歌なんだよな >>345
第3外国人というから調べてみたらバークレオは前年の1987からいたんだな
1987はブコビッチがいたから二軍だったわけか >>366
たしか練習生扱いでバイトしながらファームにいたとか当時なにかの記事で読んだ記憶 王、野村の全盛時を知る人は少なくなったけど
門田の全盛時はまだまだ知ってる人は多いはず >>369
ボリューム世代の団塊ジュニア世代が見ていたからね 中高時代ゲーセンのワールドスタジアムに糞ハマって多分60万くらい俺は冗談抜きに使ってると思うわ >>129
びののホームイン時に門田はセカンドに辿り着いてない 勘違いしている人がいるがファミスタは初代と87年版の選手の名前は実名だったんだよね
きよすく とかの名前になったのは88年版から >>376
ワールドスタジアムアーケードも初代はジャイアンツ以外は実名だった
翌年から変な名前になってたな ファミスタのプログラマは天才だと思うよ
あの時期にあれだけの処理できるアルゴリズム、関数をわかって作ってた
ちゃんと野球の醍醐味が味わえたもんね
変化球や速球の緩急で討ち取ったり、打者は流し打ちも引っ張ることもできる
ダブルプレーとかできたし、試合の演出、テンポもよかったね。10~15分くらいで1試合できたし。対戦はガチで燃えた
燃えプロなんてほんとひどかったもんwジャレコとナムコの違いを感じた 燃えプロはカクカクしてたね
バントてホームランとかとんでもプレーがあったり >>376
最初はファミスタも燃えプロも実名だった
昭和は色々大雑把な時代だったし今みたいに五月蠅くなかったからな
それでもやはり多少はプロ側から抗議も来たらしく、結局実名じゃなくなった
スーパーリアルベースボールだったか、初めて公式に実名使用許可をとって、
当時それをめっちゃ売りにしてたな まつなな
いしみえ
ぶうまん
ふざい
もんた
強い >>309
しかも基本3900円で安かったんだよな。
当時コスパが1番良かったのがナムコのソフトだった。
ノブヤボ全国版が9800てのは衝撃的だったな。 燃えプロはあんなひどいクソゲーでも150万本以上売れたからな
今でもどこの中古ショップでも燃えプロはあるw
買いたくさせるツボはついてたけど、いざやってみるとほんとにゲームに全くなってないうんこ >>383
今でこそクソゲーの代表みたいになってるけど
当時はめっちゃ画期的だったんだよwクソゲーなんて誰も言ってなかったw
プロ野球中継を観るような画期的な視点、判定に声が出るとか
とにかく斬新だったな >>384
ジャレコってアイデア先行でソフトの完成度が低かったイメージ。 ゲーセンのナムコの野球ゲームで実際に乱闘した選手に当てると
乱闘になってピッチャーのスタミナが乱闘後にゼロになってるのがあったな
ダイエーの山本和に当てたら乱闘になってたわ >>386
まあ確かにその傾向あるかも
でも、じゃじゃ丸くんは秀逸だぞw >>378
ファミスタと燃えプロは初代の完成度に天地の差があったな。
バントでホームランとか、今となってはネタになるけど。 >>387
当時の野球ゲームで何だったか忘れたが、
乱闘になったらAがパンチ、Bがキックみたいな感じで
相手を倒したらその選手を退場にできるとか、そんなのまであったw 誰かバッターかどた(もんた)で、フォースプレイ発生しない条件で、ライトゴロではなくてレフトゴロやった(やられた)猛者いる? 燃えろプロ野球(笑)
https://youtu.be/t9KbFg9KgW4
今みると超絶ショボイな
ファミスタは今見ても面白そうなのに 燃えプロで何か良かったかと言うと
選手の数が圧倒的に多かったことかな >>393
名前は覚えてないけどそれかも
あんまり売れた記憶は無いな >>395
やったことはないけどファミ通かなんかで読んだ記憶
俺はPC98のミスタープロ野球にもハマってたよこれ
https://youtu.be/3w6jRwcuiZg
同級生の家に中学時代行ったらこれがあって何だこのゲームは!と
めちゃくちゃ感動して親が98
買ったからすかさず購入した記憶 >>384
ゲームバランスさえまともなら神ゲーになり得たよな >>392
でも投手の背番号が見えたり、オーロラビジョンに映る演出とか、ファミスタと全く違う映像が当時は堪らなくカッコよく見えたんだよな。
名球会選手を集めたオールドスターズみたいなチームもあったし。 >>398
俺はあのカキーン ワーッ!
の音に爽快感を感じたよ >>399
ターイム、ピッチャー交代
が好きでしたw >>396
これってベストプレープロ野球みたいな監督視点のゲーム?
ベストプレープロ野球もエポックメイキングな野球ゲームだったよな。
ファミコンのプロ野球ゲームといえば、ファミスタ、燃えプロ、ベストプレープロ野球の3本だと思う。 俺が幼稚園の頃に駄菓子屋とかにあった謎のゲーム
https://youtu.be/-1xuCe1Vmww
すげー俺には難しくてわけわからなかったわ >>397
だろうね
でもまあの時代だし健闘したほうかなと
>>398
4番に座るミスタGが最初何のことか分からなかったw
長嶋の選手時代とか第1次監督時代はさすがにリアルじゃ知らなかったし >>402
パソコンのプロ野球シュミレーションゲーム
88で発売されて98に移植された
たしかボブホーナーがヤクルトにいた年に登場した
ヤクルトにホーナー
中日に移籍した落合がいたわ ベストプレープロ野球も面白かったが難しかったな
中日の抑えがかくげん
だったな ピノは足速すぎて挟み込めないから一塁越えたらランホ確定だよな 秋葉原と神楽坂のゲーセンになぜかファミスタがあってやってたわ
相手が盗塁する時十字キーを下にするとスライディングできなくする
裏技があったよね
そうするとかなり速度が落ちて刺せる >>6
お前くにおくんの大運動会でもれいほうばっか使ってたろ >>396
てめえ自分のゴミみたいなYouTubeチャンネルここに出してんじゃねえよ
てめえコメントすんなよ声がきたねんだよ
クソゴミ死ね ワールドスタジアムの初代のヤクルトの3番にルーキー長嶋一茂が
じゅにあ
という名前で入ってたな >>384
そりゃ当時はクソゲーなんて言葉なかったからな >>128
野球ゲーム全体のシステムとしてはフォロワーに過ぎないよ
投球システムに関しては根本から変える発明だったね >>415
そういう価値判断せずに遊んでたんだよね俺ら子供だったから
子供がおとなになって振り返った時あれは名作、あれはクソゲー、とかそういう判断がはじめて出てくるんだよね
類型を仕分けたりして客観視できるようになるというか
当時は俺たちガキはとりあえず手元にあるソフトで遊ぶしかなかった >>417
多分ファミ通とかゲーム雑誌が出て
PCだとログインだったかな
評価が発売前に書かれるようになってそこからクソゲーだの評価がなされる風習になったんじゃないかな
大学の時もゲームの雑誌見て買うかどうか決めてたし フーズフーズ、レールウェイズって選抜メンバだから強いんだよな
地味だから選ばないけど >>418
でもねファミ通の評価って、買う前に役立つだけで
あとファミ通って結構、後発雑誌だからそれほど初期ファミコンソフトの売上を左右してなかったと思うね
ファミ通ってアスキー系だからパソコン大好き人間の作ってる雑誌って感じでお兄さん向けというか対象年齢高めだったし
今になるまで生き残ってるのがファミ通だけだから、なんか今となっては権威があるようにみえるけど
ファミ通クロスレビューってもっとスーファミとかPCエンジンとか出てからが本領という感じ
あの頃ファミコンソフト買い支えてたのってやっぱ子供で、
親に買ってもらうわけだから、親の判断、
野球ゲームなら健全だからまあええか、みたいなそういうの重要だったと思う >>421
そうなのか
あの時代はファミコン自体がステータスだったもんな
PCエンジンがちょい遅れて出て
その後スーパーファミコン
プレステーション
3DO
セガサターン
ネオジョー
だったかな
懐かしい 当時はガキだしソフト買ってもらえる機会も限られるから
失敗が許されなかったんだよな
ネットも無い時代だし、友達の口コミとか友達から借りて面白かったとか雑誌の評価とか
そういうものが凄く重要だった >>421
当時小学生だった俺は徳間書店が出してたファミマガ派だったわ。 ファミコンって発売が1983年7月なんですよ
ファミ通創刊が1986年6月なんだよね
実に3年もタイムラグがあって、かなりファミコン情報誌としては後発なんだよね
ファミスタは86年12月
燃えプロは87年6月 >>424
そうそう
失敗は許されなかった
ドラクエが出た時に秋葉原でスパルタンXと抱き合わせで売られていて
大人はきたねーなと思ったわ >>424
でもさ、結果的に手に入ったソフトを遊び倒して、クソつまらなくても面白さをなんとか見つけるしか無かったからねw当時は
その中でやっぱ面白いゲームは、子供の柔らかい頭だから記憶に残ってる
でも燃えプロはマジでつまらないし、試合がかったるいから1試合通して遊んだ経験はほとんど無かったと記憶してる。途中で飽きてリセットw
テンポが悪すぎるしトンデモなく点数が入っちゃうから野球っぽい展開にならないんだよw
今で言うゲームバランスとテンポっていう概念が皆無wほんとにうんこゲームだよ >>429
高橋名人が当たったから、ナントカ名人がいっぱい作られたんだよな
橋本名人はまだ知られてるほうだと思う あの時代は今みたいにネットもないし便利ではないけどなんか良かったな >>426
そう。最初はファミマガだったよね。
ウルテックイズには悩まされたし
水晶のドラゴンの野球拳にはもんもんとした。あれがウソだったというのは一気に読者減らしたんじゃないか? >>430
でも雑誌映えは抜群だったんだよな。
だからこそあれだけ売れたんだと思う。 >>401
80年代からライオンズファンだったがそんな名前の選手いたかな?
ライオンズのショートは 石毛 → 田辺 しか知らんわ >>435
藤野は後に大洋にきたから覚えているよ
中村日出夫も駒崎も青山も長見も西武から移籍してきたな
清水と村岡は西武に移籍したが ゲームのお陰でパリーグのマイナー選手知ったわ
ぱとなむ、でびと、ぶりゅわ PCエンジンでワールドスタジアム出てメガドライブでもナムコが野球ゲーム出すっていうから期待して待ってたら球界道中記出た時はそりゃないだろと思ったな。 フーズとかレールより阪神の方が強かったよね
20本はあんまり意味無かった ファミスタか燃えプロか忘れたけど人気球団の選手は成績が露骨に水増しされててむかついた記憶がある ファミ通ふろくの選手パラメータ表付き下敷きを使ってた 燃えプロのペナント戦は毎試合バイオリズムでホームラン打者が変わるのを探すのが好きだった >>427
83年84年はそもそもゲーム機情報誌やゲーム攻略本というジャンルが少なくとも一般書籍や雑誌では存在しなかった >>421
どちらかというと早くからハドソンとガッチリ癒着してたコロコロコミックとかのほうが売上左右してたような
あと、堀井雄二達と癒着した週刊少年ジャンプ
ちなみにファミコン初期は堀井雄二が結構いろんなゲームをレビューしてたりする 二代目燃えプロはほとんどが桑田フォームだった
残り山田久志ガリクソン山沖鹿取村田兆 >>414
右ボタン1個で各塁送球とか
自操作以外の野手がオートで動くとか(その前は塁カバー以外一緒に動くのが普通だった)
それに伴って中継プレイが出来るようになったとか
細かいとこでも色々やってたんよ >>261
もっと凄まじい隠しチームがあったはずだが出し方忘れてもうた。どなたか親切な方教えてくだされちなみにPCエンジンは現役(;^ω^) >>449
>自操作以外の野手がオートで動くとか(その前は塁カバー以外一緒に動くのが普通だった
実はファミコンの任天堂ベースボールでは野手がオートだったりする
ピッチング&バッティングについては似たようなシステムを先に元燃えプロスタッフがエモやんで実現させてる。パワプロのミートカーソルはそれを真似たわけではなく「車輪の再発明」みたいなものだと思うけど ゲーセンに実名版のファミスタあったな
あれは改造したのかな >>19
たきだし→にしざき
母音揃えにもなっていない
呂明賜がらりるれってゲームもあって感心した >>326
アンダースロー投手は何故か逆打ち設定になっていた >>332
体力ないけど、ヤクルトのやすだが一番じゃね? 門田の走力は2だったよな
1ではなく2だった所に優しさを感じた
まぁ外野の間を抜いても2塁には行けないんだけどねw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています