2/2(木) 19:48配信

 阪急の捕手として4度のリーグ優勝に導いた岡村浩二さんが1月29日、肺がんのため高松市内の病院で死去したことが分かった。82歳だった。葬儀は家族葬で執り行われた。喪主は次男の克也さん。4月29日には高松市内のホテルでお別れの会が予定されている。

 岡村さんは1940年、中国・天津市生まれ。幼き頃に丸亀市に引き揚げた。高松商では2度甲子園に出場し、ともに8強入りした。立大を中退し、1961年に阪急入団。4度のリーグ優勝に貢献し、69年には南海・野村克也との争いを制して、捕手のベストナインに輝いた。

 同年の巨人との日本シリーズは語りぐさだ。巨人と阪急とのマッチアップは3年連続。巨人が2勝1敗で迎えた10月30日の第4戦(後楽園)で“事件”は起きた。

 阪急が3点をリードして迎えた4回裏、巨人の攻撃は無死で一塁に王貞治、三塁に土井正三を置き、打者・長嶋茂雄。フルカウントから投手・宮本幸信が6球目を投じると同時に、王がスタートした。長嶋のバットは空を切り、岡村さんは二塁に送球。その時、土井が本塁に駆け込んできた。ダブルスチールだった。

 二塁手の山口富士雄が素早く返球し、岡村さんはホームベースの前へ出てブロック。足を伸ばした土井はライン外側へ倒れ、本塁突入は阻まれたかに見えた。

 だが、岡田功球審の判定は「セーフ!」。岡村さんは「ベースの前に左足を出して完全にブロックした。土井の右足は踏む場所がなかった」と激怒、球審の胸を強く突いた。「退場!」。そう告げられた岡村さんは、なおも左ストレートを顔面にたたき込んだ。西本幸雄監督はベンチを飛び出し、岡田球審の襟を強く引っ張って抗議した。岡村さんはシリーズ史上初の退場処分となった。

 72年に東映に移籍。74年に引退するまで、14年の現役生活を送り、球宴出場は5度。1370試合に出場し、通算成績は打率2割2分4厘、85本塁打、395打点だった。

 引退後は高松市内で焼き鳥店「野球鳥おかむら」を開業。現在は克也さんがオーナーを務め、野球ファンが集う名店として親しまれている。

 克也さんはスポーツ報知の取材に「5月から闘病中でしたが、高松商の後輩である浅野翔吾選手の奮闘を喜んでいました。背番号29だった父が1月29日に亡くなるのも何かの縁。お別れの会も4月29日に行う予定です」と話した。

 パ・リーグを代表する熱い心を持ったキャッチャーが、天国に旅立った。

報知新聞社
https://news.yahoo.co.jp/articles/952f89c30a7b893eea6475857ff005dfc0e2fe69