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『どうする家康』でド肝を抜いた「まるで平城京」清須城の規模に発掘中の研究者からも疑問が「今年の大河はファンタジー」の声も [朝一から閉店までφ★]
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0001 【凶】 @朝一から閉店までφ ★
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2023/02/02(木) 21:31:13.69ID:O2Ar9HzC9
エンタメ・アイドル 投稿日:2023.01.31 16:50FLASH編集部

 NHK大河ドラマ『どうする家康』の第4話が1月29日に放送された。世帯平均視聴率(ビデオリサーチ調べ、関東地区)は13.9%で、第3話の14.8%からやや下落した。第4話では、松本潤演じる松平元康(のちの家康)が、信長(岡田准一)の尾張・清須城へ向かい、木下藤吉郎(ムロツヨシ)や、市(北川景子)らを紹介され……という話が展開された。

 この第4話に出てきたシーンに関する、あるツイートが注目を集めている。

【関連記事:「有村架純が可愛すぎ」と評判の『どうする家康』史実を知る視聴者からは「歴史を変えて!」早くも飛び交う悲鳴】

《あの~、いま私たちは清須城を実際に発掘調査してるんですが、いったい清須の近くのどこにあんな山や丘陵があるんでしょうか?》

「考古学研究者」だという人物によるこのツイートには、元康と市が山の上から、清須城とその城下を見下ろすシーンのテレビ画面が添付されている。城などの風景はCGのようだ。

 ちなみにこのシーンは、静岡県浜松市北区滝沢町にある展望台で撮影されたことが、浜松市の公式Twitterで明らかにされている。

 さらには、

《何度見ても、これが濃尾平野とは思えんわ… それにこの時期の清須城はこんな大規模じゃないし》《(清須城が)まるで平城宮の第一次大極殿院のようだ。おそらくモデルは秦の阿房宮か漢の長安城ってとこだろう》と、考古学研究者の嘆きツイートは続いている。

「清須城は濃尾平野のほぼ中央部に位置し、周囲の地形は真っ平です。また信長時代の清須城はそれほど大きなものではなく、ドラマに出てきたような、まるで中国の紫禁城を思わせるほどの規模とはまったく別物だと、多くの人が指摘しています。『どうする家康』は放送開始直後から、あまりに史実とはかけ離れた演出が物議を醸しており、大河ドラマらしくないという声も多くあります」(テレビウオッチャー)

 SNSには
https://smart-flash.jp/entame/220046
0988名無しさん@恐縮です
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2023/02/03(金) 22:35:13.68ID:k/KvSC+Y0
そもそも
三河の血入ってない
京都の人が前提にしてる時点で
ヤバい奴だから
0989名無しさん@恐縮です
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2023/02/03(金) 22:37:53.43ID:Kt06RFf/0
>>986
三河の源頼朝は、父方には憎しみを三河の母方には愛情を注いだ
その愛情が三河への信頼となり、幕政幹部を狭義では三河の藤姓熱田大宮司縁故者、広義では三河縁故者で固めた
これが三河の源頼朝が構築した三河システム(三河縁者が武家社会を牛耳るシステム)だ
三河の足利将軍家も継承した三河システムを、三河の徳川家康はどう継承するかだけを考えていたにも関わらず、人の話をよく聞くだとか、許して迎え入れるだとか、何甘えた事言ってんだ、支配階級とは無縁の田舎者は


北条が乗り越えられなかったのは、頼朝が構築した三河システム(三河縁者が武家社会を牛耳るシステム)
男系、女系共に源頼朝に近い足利氏が使命感をもって、武家社会を源頼朝の三河システム(三河縁者が武家社会を牛耳るシステム)に戻したんだよ
その三河システムの存在は政子ちゃんは周知の事だ

頼朝やその息子孫がいなくなって、政子が頼りにしたのは三河で繋がる人々だったのは明白だろう、政子の葬儀奉行は三河守護の足利義氏だった


・金剛三昧院(本尊、愛染明王は北条政子が、当時仏師として世間に名を広めていた運慶に依頼し、頼朝公の等身大の坐像念持仏として作成)
・建暦元年(1211年)、北条政子の発願により源頼朝菩提のために禅定院として創建する
・承久元年(1219年)、源実朝菩提のために禅定院を改築して金剛三昧院と改称し、以後将軍家の菩提寺として信仰する
・貞応2年(1223年)、北条政子が禅定如実として入道し、建立奉行を葛山景倫(願性)・安達景盛が務め、源頼朝と源実朝の菩提を弔うための多宝塔(国宝)を建立する
・嘉禎4年(1238年)、足利義氏は政子の十三回忌にあたり、当院に大仏殿を建立し、丈六の大日如来像を奉安して、政子と実朝公の遺骨を納める

・源実朝
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→由良御前→源頼朝→源実朝

・葛山景倫(願性)
藤原実範(三河守)→女(藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)の妹)→高橋惟康(三河国高橋荘領主)→鮎沢惟兼→葛山惟忠→景忠→景倫(願性)
0990名無しさん@恐縮です
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2023/02/03(金) 22:39:08.73ID:KEXqs38o0
>>987
NGまみれでなんも見えねえ
0991名無しさん@恐縮です
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2023/02/03(金) 22:39:16.81ID:Kt06RFf/0
>>986
続き

・安達景盛
小田野兼広(三河国八名郡小野田)→安達盛長(三河国小野田荘地頭、三河守護)→安達景盛(三河国小野田荘地頭、1221年まで三河守護だったか?)

・足利義氏
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→女(養女)→足利義兼→足利義氏(三河守護)
0992名無しさん@恐縮です
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2023/02/03(金) 22:41:04.73ID:Kt06RFf/0
頼朝自身がご先祖様と言ってんだから、カッペの意見などどーでもいいわ


>これもご先祖様のおかげの良いかたみだと大変お喜びになられましたとさ。

源頼朝の歯と顎髭が埋め込まれた聖観音像(三河県岡崎市)
http://takisanji.net/jihou_hou_seikanx.html

頼朝の母方菩提寺にある、頼朝等身大の聖観音像


吾妻鏡
文治四年(1188)十一月大九日庚子。頼朝様の甥(従兄弟の間違い)に当たる僧の任憲が参りました。
未だに会った事も無く良く分からないので、質問してみると、故祐範の子供だと言っております。そこで、北の私邸の客間へお呼びになり、丁重にもてなしました。
その祐範は、季範様の息子で頼朝様のお母さんの弟です。お母さんが早死にした時に、七日目毎の供養に(故祐範が)澄憲法印をお呼びになり、成仏のためお経を唱えさせました。それだけにおわらず、永暦二年に伊豆国へ流された時に、下男一人を付けさせて送って来てくれ、それから毎月使いをよこしました。
そのような恩義を忘れる事はありません。そこへその息子がたまたまやってきたので、これもご先祖様のおかげの良いかたみだと大変お喜びになられましたとさ。


季範は頼朝の祖父、熱田大宮司
祐範は三河法橋祐範といい三河国滝山寺僧
祐範は、三河国滝山寺で姉である由良御前を菩提
澄憲法印は信西の息子で、由良御前のハトコ
祐範が頼朝につけてやった下男一人とは安達盛長と思われる
0994名無しさん@恐縮です
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2023/02/03(金) 22:43:33.49ID:Kt06RFf/0
生前、源頼朝は、源実朝の正室に足利義兼の娘(足利義氏の姉)を考えていた
実現していたらこうなる


三河でガッチリ固めて、まんがな


・源頼家(2代目鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市))→由良御前→源頼朝 →頼家→公暁

・辻殿
足助(加茂)重長(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)→辻殿(母親は源為朝の娘)→公暁



・源実朝(3代目鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市))→由良御前→源頼朝 →頼家→公暁

足利義兼の娘
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市))→女→足利義兼→女
0995名無しさん@恐縮です
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2023/02/03(金) 22:44:32.92ID:k/KvSC+Y0
こいつの存在で
三河嫌いが増えるから
ええやろ
みんな大嫌いなんだけど
三河人はあんま認識してないんだよな
0996名無しさん@恐縮です
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2023/02/03(金) 22:44:44.84ID:QrZoTP+D0
>>992
頼朝の由緒のある寺なんてそれこそいくらでもあるやん
記述一個で大喜びしてる君がカッペやで
0997名無しさん@恐縮です
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2023/02/03(金) 22:45:57.91ID:Kt06RFf/0
>>996
一箇所、こんなに固まっての無いが

鎌倉の10倍以上だ
0998名無しさん@恐縮です
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2023/02/03(金) 22:46:52.92ID:Kt06RFf/0
>>996
三河はウンザリするほど寺社がある

何処に行っても源頼朝、足利尊氏縁故の寺社がある
三河が農村とか、物を知らない田舎者にも程がある


源頼朝関連史跡

■三河七御堂(西尾市、豊橋市、蒲郡市、豊川市、新城市)
源平合戦で死んだ将兵を弔うため発願し、文治~建久年間に安達藤九郎盛長(三河国小野田荘地頭、のちに三河守護)に命じて造らせた
東三河に集中しているのは、盛長の出自が東三河(現在の豊橋市石巻小野田町)だったからと推測する

一覧
【西尾市】光福寺/現在の金蓮寺、弥陀堂【豊橋市】赤岩寺/弥陀堂、普門寺/観音堂【蒲郡市】長泉寺/弥陀堂、安達藤九郎盛長の墓あり、全福寺/現在は廃寺、丹野御堂【豊川市】財賀寺/観音堂【新城市】鳳来寺/弥陀堂

■滝山寺(岡崎市)
母方の一族である藤姓熱田大宮司家氏寺、伽藍造営、源頼朝の歯と顎髭が埋め込まれた等身大の聖観音像あり
北条政子13回忌に、足利義氏(3代目足利宗家)が源実朝、北条政子の遺骨を分骨

■その他
【岡崎市】
・光明寺/堂宇を再建
・夏山八幡宮/梶原景時を名代にして参拝、社領寄進

【幸田町】
・浄土寺/寺領700石寄進

【豊田市】
・平勝寺/元の名は大悲密院(南北朝時代に平勝親王が改名)、寺領寄進
・二井寺(普賢院)/寺領寄進
・猿投神社/藤姓熱田大宮司一族氏神、大社に改築
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