関東に拠点を置いた足利氏が、すぐ三河に拠点を移したと同じように、徳川も、三河を豊臣から取り返すと、すぐさま三河に拠点を移した

三河に拠点を持つ武士、所領を持つ武士が、武家政権の上層に君臨し幕政を牛耳るのは室町幕府、江戸幕府何ら変わらないつーの


1181年 源義兼、足利荘獲得、源姓足利氏の誕生
1221年 足利義氏、三河国守護職獲得

義家流源氏は関東にとっては侵略者
足利氏は、下野に進出したが、わずか40年後に三河の権益を得ると、下野で勢力拡大に熱意なく、義氏は祖母の地たる三河に舞い戻ってきた

■樺崎八幡宮(元は法界寺)
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>生母菩提の為

生母

三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流)

家祖:藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)
系図:藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→→藤原範忠→女子→足利義兼