『どうする家康』でド肝を抜いた「まるで平城京」清須城の規模に発掘中の研究者からも疑問が「今年の大河はファンタジー」の声も [朝一から閉店までφ★]
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
エンタメ・アイドル 投稿日:2023.01.31 16:50FLASH編集部
NHK大河ドラマ『どうする家康』の第4話が1月29日に放送された。世帯平均視聴率(ビデオリサーチ調べ、関東地区)は13.9%で、第3話の14.8%からやや下落した。第4話では、松本潤演じる松平元康(のちの家康)が、信長(岡田准一)の尾張・清須城へ向かい、木下藤吉郎(ムロツヨシ)や、市(北川景子)らを紹介され……という話が展開された。
この第4話に出てきたシーンに関する、あるツイートが注目を集めている。
【関連記事:「有村架純が可愛すぎ」と評判の『どうする家康』史実を知る視聴者からは「歴史を変えて!」早くも飛び交う悲鳴】
《あの~、いま私たちは清須城を実際に発掘調査してるんですが、いったい清須の近くのどこにあんな山や丘陵があるんでしょうか?》
「考古学研究者」だという人物によるこのツイートには、元康と市が山の上から、清須城とその城下を見下ろすシーンのテレビ画面が添付されている。城などの風景はCGのようだ。
ちなみにこのシーンは、静岡県浜松市北区滝沢町にある展望台で撮影されたことが、浜松市の公式Twitterで明らかにされている。
さらには、
《何度見ても、これが濃尾平野とは思えんわ… それにこの時期の清須城はこんな大規模じゃないし》《(清須城が)まるで平城宮の第一次大極殿院のようだ。おそらくモデルは秦の阿房宮か漢の長安城ってとこだろう》と、考古学研究者の嘆きツイートは続いている。
「清須城は濃尾平野のほぼ中央部に位置し、周囲の地形は真っ平です。また信長時代の清須城はそれほど大きなものではなく、ドラマに出てきたような、まるで中国の紫禁城を思わせるほどの規模とはまったく別物だと、多くの人が指摘しています。『どうする家康』は放送開始直後から、あまりに史実とはかけ離れた演出が物議を醸しており、大河ドラマらしくないという声も多くあります」(テレビウオッチャー)
SNSには
https://smart-flash.jp/entame/220046 >>870
そこは来年度『やっちゃえ家康』としてドラマ放映しますww そもそも一向一揆自体が家康の三河に対する圧政への反発やからな
それを後世いかにも一向宗が原因みたいに改竄しとる >>524
鎌倉殿で架空の人物がどんどん人を殺しまくるから、従来の大河ファンが逃げてしまった >>868
>当然ながら斯波氏の人間が居城としたことはない
なんでそういう嘘八百を真顔で語れるの 家康は小牧長久手の頃も記録に残るぐらいの圧政を三河に対して行っとるし
御三家置くのも尾張やし
隠居城も駿府やし
ハッキリ言って三河大嫌いやろ >>867
>>440に画像あるけどそれにしても長すぎるし段差も不自然
そもそも松潤の視点が明らかにそこまで遠くを想定して見てなかったし、
CG班がちゃんと現場と連携して作ってない。雑な仕事ってだけにしか見えんよ
手抜きCGに対してあれこれ意図を妄想して擁護する方が虚しい >>871
非道の限りを尽くす実録『やっちゃえ家康』
嫌過ぎるw >>875
三河になんの思い入れも無いのは初回でやってたよ >>877
一向一揆の印象が悪かったから
単なる家康に対する反乱を一向一揆って事にしたんやで
そうしないと家康のイメージ悪くなるし反乱側に着いた家臣とその子孫も居心地悪くなるし >>817
父系と母系がごちゃ混ぜになってて草
なんの意味もないやんそれ >>880
それ初回だけで後はやたらと三河の住民の為アピールしとるやん
実際は死ぬまで三河嫌いとしか思えん圧政者やぞ 今年は完全にファンタジーものとしてみていけばい子の作品も決して悪くない。光秀が誰になるかが楽しみだ。おととしの作品の俳優陣も出てきてほしい >>879
清洲に1回も居たことのない ハイソース! 石川氏なんかは三河門徒の中心みたいなもんだろう
大久保だって改宗して家康についてるし
当時の感覚でいうと家来ほとんど一向宗じゃね >>865
バタフライもはぁ?だし
せなもはぁ??の流れになるのか?
大河でやるなよ
なんで許可するわけ >>876
これはCGで寸法を忠実に作ったあと、映像にしてみたら建物が大きすぎて画角におさまらなくて、カメラ画角を広角に設定した感じだね >>887
当時の武士に門徒って意識薄いけどな
そういうのは檀家制度が整った江戸時代のイメージや
単に家康から寺社に主人を鞍替えしただけやで >>877
ことの発端は、家康の兵糧略奪だからなぁ
一向宗門徒側も生死が掛かってるんだよ
普通に略奪からの治安悪化、野盗の出現。光栄ゲームコースだしw >>888
雑コラで草
一人一人の兵士をアルゴリズムで動かしてたロードオブザリングって何年前の作品だよ まあそういうファンタジー路線なんだろ
俺はもう見るの止めたけど 今年のやつはもう諦めてるよ
中国や韓国のファンタジー時代劇と同じ目線で楽しむことにした 他にも画像あったけどこれは松潤の視線が明らかに合ってない
現場で合成撮影してるときはここまで広い想定してなかったはず
https://i.imgur.com/f7QKWDC.jpg
こっちは人が背景にめりこんじゃってる、日本で一番金がかかってるドラマとは思えない雑な仕事
https://pbs.twimg.com/media/Fn8z8tHakAU7aPh.jpg
単にCGが酷すぎるって批判だけでいいと思うな。まぁ他にも武田家とか信玄が達磨大師で山梨が中国の山奥の秘境になっちゃってるとか
全体的に中華の会社に外注してるっぽく見えるからそっちに引っ張られてるんだろうな >>898
CGの作りそのものより、画角広くしすぎたり
色あいが寒色系に寄ってたりと
映像の演出側に変な人がいそう
火縄銃連発も全部映像演出の欲求だろあれ >>875
何回も言ってんだろう
物知らない田舎者だな
頼朝が推薦した鎌倉御家人は、三河守、駿河守、武蔵守
三河の先輩たる源頼朝に倣っただけであり、頼朝が駿河守を推薦していなければ、駿河に隠居してない
三河 生誕の地
武蔵 幕府開府
駿河 終焉の地
元暦元年(1184)6月20日
臨時除目
頼朝推薦
権大納言:平頼盛
侍従:平光盛
河内守:平保業
讃岐守:一条能保
三河守:源範頼
駿河守:源広綱
武蔵守:平賀義信 >>875
全て、家康の手本は三河の先輩たる源頼朝
源頼朝
滝山寺(大樹寺)
http://takisanji.net/jihou_hou_seikanx.html
源頼朝の歯と顎髭が埋め込まれた、頼朝等身大の聖観音像
徳川家康
大樹寺
https://okazaki-kanko.jp/point/484
歴代将軍家等身大位牌
源頼朝
誓願寺(静岡市駿河区)
源頼朝創建
父:源義朝、母:由良御前を菩提する寺
徳川家康
久能山東照宮(静岡市駿河区) >>875
名古屋城は、足助氏、今川氏の血を引く家康が、万年植民地の那古野を完全な植民地としたメモリアルな城
パゴヤの田舎者、良くこんなダセー町に愛着があるよなw
■那古野荘(名古屋)
・開発者:小野法印顕恵(東大寺別当)
藤原顕隆→顕頼→小野法印別当
藤原顕隆→顕頼→女→平滋子(建春門院)
■平安時代
・小野法印顕恵が開発
・小野法印顕恵は姪の平滋子に領家職を譲る
■鎌倉時代初期~中期
・領家職は、小野法印顕恵の兄、惟方の孫である経長に移り、女系が伝領する
■鎌倉時代末期~南北朝
・足助氏(三河国賀茂郡足助、三河県豊田市)が領家職となる
■室町時代
・今川那古野氏が領家職となる
初代は、名越高家と今川国氏(三河国碧海郡今川、三河県西尾市)の娘の子である名越高範か?
・1522年頃、今川氏親(三河国碧海郡今川、三河県西尾市)が那古野城築城
■江戸時代
・徳川家康(三河国額田郡菅生、三河県岡崎市)が那古野の呼び名を名古屋に固定、名古屋城築城
■現代
・豊田佐吉(三河吉田藩山口村)がトヨタグループを発祥させる >>875
では三河は?
譜代藩主は幕政を動かし、旗本への三河の天領安堵は最高のご褒美だった
岡崎城はパゴヤ城の4.5倍の城郭を持ち、幕末に改築した姫路城に抜かれるまで、江戸城、大坂城に継ぐ城であった
日本の全てを決めてきた田舎者憧れ山手線内、江戸城中の人
■関が原の戦い以後に生まれた三河譜代藩主の老中
【三河県幸田町】三河深溝藩
・板倉重矩(1665年 - 1668年、1670年 - 1673年)
【三河県田原市】三河田原藩
・戸田忠昌(1681年 - 1699年)
【三河県豊橋市・豊川市】三河吉田藩
・小笠原長重(1697年 - 1705年、1709年 - 1710年)
・久世重之(1713年 - 1720年)
・松平信祝(1730年 - 1744年)
・松平信明(1788年 - 1803年、1806年 - 1817年)
・松平信順(1837年)
【三河県岡崎市】岡崎藩
・水野忠之(1717年 - 1730年)
・松平康福(1762年 - 1788年)
・本多忠民(1860年 - 1862年、1864年 - 1865年)
【三河県刈谷市】三河刈谷藩
・本多忠良(1734年 - 1746年) >>904
続き
【三河県碧南市】三河大浜藩
・水野忠友(1781年 - 1788年、1796年 - 1802年)
【三河県西尾市・豊田市】三河西尾藩
・松平乗完(1789年 - 1793年)
・松平乗寛(1822年 - 1839年)
・松平乗全(1845年 - 1855年、1858年 - 1860年) ドラマとして面白けりゃ
「細けぇことはいいんだよ」と言うけど
面白くないんで困るんだよな 家康は三河政権たる室町幕府を関東に置いただけで、足利将軍家と何ら変わらんつーの
だから、室町期江戸期を三河期にしろと言ってんだよ
家康は足利将軍家の三河幕府のラスボス
家康を倒して、初めて下剋上が成立する、家康は下剋上される側
だが家康は倒されず、三河幕府を関東に再興した
室町期、江戸期を三河期に変えろ
三河期足利将軍期、三河期徳川将軍期と
三河期は530年続いたつーわけだ
◆室町幕府(1338~1576年)◆
【勝者】足利尊氏:三河守護
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国幡豆郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱(1467~1477年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・ ”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆明応の政変(1493年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・半将軍と呼ばれ、幕政を完全に掌握、事実上日本のトップに立つ
◆関ヶ原の戦い(1600年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
◆江戸幕府(1603~1868年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)
◆大坂の役(1614~1615年)◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:本貫地/三河国加茂郡松平 早く魔法を使ったバトルが見たい。
((o(´∀`)o))ワクワク よって、我々の信じている歴史もほとんど誇張の入った嘘ということです。 関東に拠点を置いた足利氏が、すぐ三河に拠点を移したと同じように、徳川も、三河を豊臣から取り返すと、すぐさま三河に拠点を移した
三河に拠点を持つ武士、所領を持つ武士が、武家政権の上層に君臨し幕政を牛耳るのは室町幕府、江戸幕府何ら変わらないつーの
1181年 源義兼、足利荘獲得、源姓足利氏の誕生
1221年 足利義氏、三河国守護職獲得
義家流源氏は関東にとっては侵略者
足利氏は、下野に進出したが、わずか40年後に三河の権益を得ると、下野で勢力拡大に熱意なく、義氏は祖母の地たる三河に舞い戻ってきた
■樺崎八幡宮(元は法界寺)
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/023/935/11/N000/000/011/138960094181861421228_s-CIMG3574.jpg
>生母菩提の為
生母
三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流)
家祖:藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)
系図:藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→→藤原範忠→女子→足利義兼 >>914
続き
その三河の祖母の親戚とは
⑥藤原季範
・藤原範忠(後白河院上北面、大宮司、三河国滝山寺大檀那、室は美福門院女房上総)→⑦へ
・藤原範信(式部丞、上野介、大宮司(星野大宮司)、三河国神谷御厨給司、三河国星野荘荘司、初代星野氏(三河国宝飯郡星野))→⑧へ
・藤原範雅(後白河院上北面、大宮司)→⑨へ
・藤原範綱(大学助大夫)
・藤原範智 (法眼、園城寺)→三条局(源実朝御所縫殿別当)
・三河祐範(法橋、三河国滝山寺、園城寺、頼朝伊豆配流時代の支援者)
・粟田口長暹(法眼、三河国滝山寺、仁和寺、守覚法親王近習)
・千秋尼(上西門院女房)
・大進局(待賢門院女房)
☆由良御前(上西門院女房か?)→源頼朝(上西門院皇后宮権少進、征夷大将軍)
★女子(養女(実父は藤原範忠)→足利義兼(八条院蔵人、上総介)→足利義氏(足利氏として初めて三河守護)
⑦藤原範忠
・藤原忠季(大宮司、刑部丞、蔵人所雑色)→藤原忠兼(備中守、大宮司)→海東忠成(猶子、大江広元の四男、初代海東氏、大宮司)
・野田清季(大宮司(野田二郎大宮司)、三河国野田城主、初代野田氏(三河国設楽郡野田))→鷹司朝季(鷹司冠者)→野田朝氏(大宮司、室は足利義兼の娘)
・藤原能季(相模守)
・藤原範高(検非違使、蔵人所、大宮司)
・寛伝(額田僧都、日光山満願寺19世座主、三河国滝山寺)
・任暁(仁和寺)
★女子→足利義兼(八条院蔵人)→足利義氏(足利氏として初めて三河守護) 清洲城があれなら
安土城はどうなるんだ
万里の長城の中にある巨城か >>364
三谷は歴オタじゃなくれきししょうせですオタだろ
司馬を下敷きに色んな所からつまんでる あっちが関わるコンテンツは腐る、、ただ、ただ、腐って劣化する。 今の日本のメディアや報道は、トンスルメディアとレッテル貼るのもいいかもネ。 >>858
2話の織田軍がひいた後の口論の話じゃないの?
重臣2人が命懸けで織田に降ることを主張した時の「儂は駿河へ帰る!」は単なる現実逃避だし
1人で戦を放り出してって意味じゃないでしょ >>917
三谷の歴史好きの入り口は司馬じゃなくてみなもと太郎
まぁ誰だってそんなもんだろ。この大河も明らかに無双やBASARAから入った歴女ターゲットだし >>918
ある意味文化の断絶なんだろうね
外国の歴史大河なんて見て育っていないだろうから、作りたいように作ったらなんかおかしいなと思うものができるよ。 毎週炎上してるな
こういう大河久しぶりじゃないか? みなもと太郎さんの漫画をそのままできる限り忠実にコミカルで真面目に、、どっか作らないものかなぁ、、 >>928
いや、1話と2話と4話は炎上しても仕方ない内容だったけど、
3話はそうでもない >>929
やはり三谷幸喜しか。
幕末の続きも含めてやってくれんかな。 もう史実に近いような骨太の時代劇を視たがる年寄りは少なくなったから
こんなもんで良いんでしょ >>933
正直あれ見てこの人美人だなと思ったわ。 >>923
昭和の娯楽時代劇を知らないスタッフが増えてんだろうね
良くも悪くも時代劇の様式にとらわれないw スタッフの学歴は知らないけれど、公立なら社会の先生が授業中小話でするような火縄銃連発できない話も、それをスタッフが知らないということは、朝鮮学校では日本史教えてないからかなと思ったり。 >>924
プロデューサーが一桁の常習犯だからな
>>925
全部ただの見た目でしかない
制作陣に恵まれなかった脚本家がかわいそうだな 昔の時代劇は史実に近いというより
歌舞伎、落語、狂言その他の影響下にあるという方が正しい >>865
もともと瀬名は悪役するほどのもんでないし
後ろ盾のいない正室ってメリットない
対立した息子のついでにこれ幸いと消した可能性 >>930
俺3話のラストでちょっとだけ見直したんだよね。そうしたら4話でとんでもないの来やがった
>>937
たすけて せなはさすがに脚本じゃないの
それ以外のダメだしほぼ演出と演技とCGのクオリティだから
まぁ古沢ばかり叩かれてもな、とは思う >>941
「たすけてせな」は古沢は当時の仮名で書いてくれるものと思ってただろうし、
気が狂った氏真による挑発行為でしかないと解釈するなら別に貶すようなもんでもないと思う 次回「空飛ぶ元康、空中から攻撃だ!」
お楽しみに!
知らんけど 気が狂っているにせよ氏真がアレで元康を欺けると思っていたとか、
「たすけてせな」が狡猾な罠として作中で扱われるとか、
そういう事が今後起こればオイラも「どうした古沢」って言うけどね こんだけファンタジーやるなら、大河ドラマへうげものできるだろ >>898
これってグリーンバックじゃなくてヴァーチャルスクリーンじゃないの?
ヴァーチャルスクリーンなら目線が変にはならないはず 仮に源義朝が真福寺に埋葬されたのなら
家康とやらの時代、これだけ関連史跡があったわけだな
内、妙源寺にあった頼義相伝の守本尊は、現在は黒本尊として増上寺にある
源義朝 真福寺(三河県岡崎市) 東谷中世墓遺跡
源頼朝 滝山寺(三河県岡崎市) 歯と顎髭が納められた頼朝等身大の聖観音像
源義経 妙源寺(三河県岡崎市) 黒本尊(頼義流源氏守り本尊)
源頼朝 御劔八幡宮(三河県西尾市) 鎌倉将軍家宝
黒本尊
製作:恵心僧都源信
所有者の変遷
源頼義
↓
源義家
↓
源為義
↓
源義朝
↓
平重盛
↓
平清盛
↓
常磐御前
↓
源義経
↓
明眼寺(現在は妙源寺、三河県岡崎市)
↓
徳川家康
↓
増上寺
恵心僧都源信創建
源空寺(三河県岡崎市)
誓願寺(三河県岡崎市)
源頼義創建
長瀬八幡宮(三河県岡崎市)
上の宮熊野神社(三河県碧南市) >>950
補足説明だが
頼朝の仏像がある滝山寺からすぐ近くに、聖徳太子建立四十六ヶ寺に数えられる真福寺がある
この真福寺に鎌田政清の兄貴(大無房)が坊さんやっていて、野間で義朝が暗殺されると、胴3体を真福寺に引き取り、埋葬した逸話がある
その墓があると思われるのが真福寺東谷中世墓遺跡だ
ただ、胴体3体の正体は明らかではない
この真福寺、縁起によると足利義兼、足利頼氏、足利尊氏も関係しているらしい
法華堂は武蔵守足利義兼三河守護たりし足利義氏の父の建立、證菩提院は三河守足利頼氏(義氏の孫)持地院は足利尊氏の建立であつたと。
■源為義乳母父:首藤資道
首藤資清(初代首藤氏、三河国住人)→資道(源義家郎党、三河国住人(尊卑分脈))
■源義朝乳母:鎌田通清(初代鎌田氏)の嫁
首藤資清(初代首藤氏、三河国住人)→資道(源義家郎党、三河国住人(尊卑分脈))→鎌田通清(初代鎌田氏)→政清(源義朝乳母兄弟)
■源頼朝乳母:山内首藤俊通(初代山内首藤氏)の嫁(山内尼)
首藤資清(初代首藤氏、三河国住人)→資道(源義家郎党、三河国住人(尊卑分脈))→親清→義通→山内首藤俊通(初代山内首藤氏)→経俊(源頼朝乳母兄弟) >>943
脚本家って大河の現場に来ないみたいだね
この前の特番で知ったよ 一向一揆が激烈化した理由
三河は寺社が多いが
武士と密接に関係した寺社が多すぎなたんだわな
しかも親鸞は源頼朝と従兄弟関係
真宗は義家流源氏の宗派でもあった
■正法寺(三河県豊川市赤坂町西裏69)
創建年:弘仁7年(816年)
開基:万巻上人
中興:了信坊(源範円)
・源義朝→源範頼(三河守)→源範円(正法寺(三河県豊川市)僧侶)→源為頼(初代吉見氏、室は小山朝政の娘)
正法寺の創建は聖徳太子が赤坂の地を訪れた際、太子堂を建立したことが始まりと伝えられている
弘仁7年(816)、万巻上人が病により太子堂で亡くなったことから、上人を開基と定め寺院として開山する
当初は天台宗の寺院でしたが貞永元年(1232)に親鸞が太子堂の参拝に訪れた際、当時の住職範円(源範頼の子息)が親鸞に教化され浄土真宗に改宗する >>944
現場で働いたことあるなら全員知ってる
脚本家やPは基本いない
だから監督が指揮を回す 三河はウンザリするほど寺社がある
何処に行っても源頼朝、足利尊氏縁故の寺社がある
三河が農村とか、物を知らない田舎者にも程がある
源頼朝関連史跡
■三河七御堂(西尾市、豊橋市、蒲郡市、豊川市、新城市)
源平合戦で死んだ将兵を弔うため発願し、文治~建久年間に安達藤九郎盛長(三河国小野田荘地頭、のちに三河守護)に命じて造らせた
東三河に集中しているのは、盛長の出自が東三河(現在の豊橋市石巻小野田町)だったからと推測する
一覧
【西尾市】光福寺/現在の金蓮寺、弥陀堂【豊橋市】赤岩寺/弥陀堂、普門寺/観音堂【蒲郡市】長泉寺/弥陀堂、安達藤九郎盛長の墓あり、全福寺/現在は廃寺、丹野御堂【豊川市】財賀寺/観音堂【新城市】鳳来寺/弥陀堂
■滝山寺(岡崎市)
母方の一族である藤姓熱田大宮司家氏寺、伽藍造営、源頼朝の歯と顎髭が埋め込まれた等身大の聖観音像あり
北条政子13回忌に、足利義氏(3代目足利宗家)が源実朝、北条政子の遺骨を分骨
■その他
【岡崎市】
・光明寺/堂宇を再建
・夏山八幡宮/梶原景時を名代にして参拝、社領寄進
【幸田町】
・浄土寺/寺領700石寄進
【豊田市】
・平勝寺/元の名は大悲密院(南北朝時代に平勝親王が改名)、寺領寄進
・二井寺(普賢院)/寺領寄進
・猿投神社/藤姓熱田大宮司一族氏神、大社に改築 >>956
続き
【知立市】
・牛田八幡社/頼朝の目代(大江氏か?)が鶴岡八幡宮を勧請
【西尾市】
・瀬門神社/1195年に源頼朝が社殿を再建
【豊橋市】
・普門寺/堂舎再興、寺領寄進、化積上人(叔父、藤姓熱田大宮司一族か?)が学頭、頼朝等身と伝わる不動王あり
・吉田神社/社殿は安達藤九郎盛長が造営、天王社勧請
・鞍掛神社/愛馬の鞍を奉納
【豊川市】
・財賀寺/本堂・仁王門再建、寺領寄進
・宮道天神社/安達盛長に代参を命じ、京からの帰路、鞍馬装束を奉納
・八幡宮/寺領(1000町歩)寄進
【蒲郡市】
・八劒神社/社殿は建久元年(1190年)、頼朝の命により安達藤九郎盛長(三河国小野田荘地頭、のちに三河守護)が造営
【新城市】
・鳳来寺/再興、三重塔造営、寺領寄進
・今水寺/寺領寄進 足利尊氏関連史跡
■天恩寺(岡崎市)
足利尊氏遺言の寺、3代将軍足利義満建立、4代将軍足利義持の祈願所
■勝楽寺(西尾市)
創建、お手植えの松あり
■その他
【岡崎市】
・滝山寺/足利宗家の氏寺、寺領寄進
・高隆寺/七堂伽藍造営
・真福寺/持地院建立
・満性寺/太子信仰、足利尊氏弓矢の守護神、伽藍造営
・竜泉寺/日静(尊氏の母の弟)開基、元は上野一族(足利一族)の竜泉寺城
・総持寺/高一族屋敷跡に、高師泰(高師直の兄)の娘が建立、足利尊氏と足利義詮の支援あり
・長瀬八幡宮/社殿(火災による消失)復興、板倉氏(足利一族)を神主に
・糟目犬頭神社/庇護(百貫文寄進)、三河鈴木氏ゆかり、新田義貞の首塚あり
・八剣神社/足利尊氏の墓あり、近くに大門屋敷(足利宗家の屋敷)があった
【豊田市】
・長興寺/三河利生塔、全国66ヶ国2島の利生塔の一つ
・猿投神社/東の宮創建、槍と鏡奉納
【幸田町】
・安国寺/三河安国寺、全国66ヶ国2島の安国寺の一つ、等持院末寺 >>955
モブキャラがCGのチビばかりだったら面白いかもな >>958
続き
【西尾市】
・実相寺/安国寺(全国66ヶ国2島の安国寺)に指定、尾張国の安国寺の代わりらしい(尾張国にあった記録なし)
・金蓮寺/真言宗光福寺の子院を現在の場所に移転、金蓮寺として再興
・饗庭神社/新田開発し、一宮、二宮、三宮を鎮守、その内の二宮、饗庭命鶴丸氏直(花一揆武士団大将)が関係
・幡頭神社/参拝、弓矢奉納
【豊橋市】
・赤岩寺/阿弥陀如来坐像奉納
【新城市】
・冨賀寺/真応上人(尊氏の従兄弟)が住職、祈願寺として寺領を寄進し、本堂・中堂・護摩堂・阿弥陀堂等造営 武田軍がチャリオットに乗って、
三方ヶ原で家康軍を蹂躙するぞ。 こんなのが許されるなら一年かけてゴールデンカムイの実写ドラマやってほしいわ で、信長も秀吉も何時になったらマゲ結うんだよ
麒麟がくるの長谷川も結わなかったよな >>965
清州城は三河武士が建てた城
嘘バレバレや
義重が墓参りするとーちゃんが建てた族寺は、三河県岡崎市にあった
永源寺
中世、三河国碧海郡碧海荘内にあった禅寺。管領斯波義将が1380年代に創建。南北朝時代の禅僧義堂周信の詩文集『空華集』に収める「贈雲谿首座赴永源命詩并序」にみえ、錘秀山と号した。
「序」に三河国碧海荘は斯波義将の先祖の墓所のあるところであるといっており、家氏以来斯波氏が伝領してきたのであろう。所在地は「碧海之東」とあるのみでどこであるか不詳である。
応永4年(1397)5月18日、のちに建仁寺61代住持となる玉岡和尚が将軍義満より住持職に補任された(『蔭涼軒日録』文明17年9月15日条)。
清洲城の築城者は、元岡崎市民と西尾市民の娘の間の子供の斯波義重
斯波義重
・斯波氏(武衛家)6代当主
・管領
・越前・尾張・遠江・加賀・信濃守護
・正三位
父:斯波義将
・斯波氏(武衛家)5代当主
・管領
・越前、越中、信濃守護
・従三位
母:吉良満貞の娘
・父は西条吉良氏
・父は三河国西条城主
・父は引付頭人
空華集 「東海道三河州碧海荘,寔今政府左金吾(斯波義将)祖宗九京(初代から先代)之地也」
「三河国碧海荘は管領家斯波義将の先祖の墳墓の地である」
初代斯波氏である足利家氏は、祖父足利義氏から三河国碧海荘を相伝し本拠とした レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。