『どうする家康』でド肝を抜いた「まるで平城京」清須城の規模に発掘中の研究者からも疑問が「今年の大河はファンタジー」の声も [朝一から閉店までφ★]
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エンタメ・アイドル 投稿日:2023.01.31 16:50FLASH編集部
NHK大河ドラマ『どうする家康』の第4話が1月29日に放送された。世帯平均視聴率(ビデオリサーチ調べ、関東地区)は13.9%で、第3話の14.8%からやや下落した。第4話では、松本潤演じる松平元康(のちの家康)が、信長(岡田准一)の尾張・清須城へ向かい、木下藤吉郎(ムロツヨシ)や、市(北川景子)らを紹介され……という話が展開された。
この第4話に出てきたシーンに関する、あるツイートが注目を集めている。
【関連記事:「有村架純が可愛すぎ」と評判の『どうする家康』史実を知る視聴者からは「歴史を変えて!」早くも飛び交う悲鳴】
《あの~、いま私たちは清須城を実際に発掘調査してるんですが、いったい清須の近くのどこにあんな山や丘陵があるんでしょうか?》
「考古学研究者」だという人物によるこのツイートには、元康と市が山の上から、清須城とその城下を見下ろすシーンのテレビ画面が添付されている。城などの風景はCGのようだ。
ちなみにこのシーンは、静岡県浜松市北区滝沢町にある展望台で撮影されたことが、浜松市の公式Twitterで明らかにされている。
さらには、
《何度見ても、これが濃尾平野とは思えんわ… それにこの時期の清須城はこんな大規模じゃないし》《(清須城が)まるで平城宮の第一次大極殿院のようだ。おそらくモデルは秦の阿房宮か漢の長安城ってとこだろう》と、考古学研究者の嘆きツイートは続いている。
「清須城は濃尾平野のほぼ中央部に位置し、周囲の地形は真っ平です。また信長時代の清須城はそれほど大きなものではなく、ドラマに出てきたような、まるで中国の紫禁城を思わせるほどの規模とはまったく別物だと、多くの人が指摘しています。『どうする家康』は放送開始直後から、あまりに史実とはかけ離れた演出が物議を醸しており、大河ドラマらしくないという声も多くあります」(テレビウオッチャー)
SNSには
https://smart-flash.jp/entame/220046 紫禁城とかさ
中国とか韓国に似てるだろーとかさ
似てないよ? >>379
それ見たいw
でも利休の性格的にはネルドリップだと思う 秀吉がキモいのも実は天性の洞察力を持つ神君家康公の目線での見え方って考えると腑に落ちるな 大河は史実と捉えてる層がいるみたいだから
思い切り嘘っぽくしてフィクションと解らせようとしてるのかも >>705
CGを誇張させてるからファンタジーにみえるんだろうな
保守系の批判某はドラマ見てないと思う 何故日本は、三河が勝つように出来ているのか
現代社会においても、最後の砦(トヨタグループ)なのかを描かなければ駄目なんだよ
【三河最強伝説】
■源義家軍
総大将:源義家
本体:三河武士(郎党1 兵藤正経 三河国住人、郎党2 伴助兼 三河伴氏 三河国住人)
■源頼朝軍
総大将:源範頼(三河守)
本体:三河武士
■足利尊氏軍
総大将:足利尊氏(三河守護(但し当時は喪中))
本体:三河武士
■徳川家康軍
総大将:徳川家康(三河守)
本体:三河武士
■トヨタグループ
総大将:トヨタ自動車
本体:三河武士 そろそろ大河も「影武者徳川家康」みたいな完全なファンタジーをやってもいいと思う
信長が本能寺で死んでない設定の大河もいいな >>592
麒麟の方がよっぽど信長の描写ぶっ飛んでたよな 中途半端なんだよね
時代考証無視の壮大で華麗な歴史絵巻やりたいならしっかり腹を括ってやればいいのに
そういうドラマなんだと分かれば信長が小型飛行機から颯爽と降り立って機関銃ブッ放しても平常心でいられる
皆様の受信料で作られると思うと微妙だけど今のモヤモヤした状況よりマシかもしれない 歴史ガチ勢ってマジでうるせーよな
耳元ペロペロしちゃうぞコラ 「なんじゃあこりゃあ」
視聴者のセリフを織り込んだ高度なネタ
歴史コメディなんだろ 問題は面白いか面白くないか
史実から離すのなら相応に面白くしてくれ
おれさまがかんがえたさいこうのきゃくほん
おれさまがかんがえたさいこうのえんしゅつ
ぶっちゃけ白けてつまんねーんだわ >>484
この図でも石畳と段差は描かれてないし
中国っぽく見えるのはそれもある >>718
英霊化したノッブがシエに語りかけてきた!「シエよ…」
あれもコメディだったな
真面目に見るもんじゃない
それこそ大豪院邪鬼とか北斗みたいに身長10mやモヒカンヒャッハー登場させればもっと分かりやすくなるのに何故しないんだろうな
もっとネットmeme混ぜ込んでカオスにするべき お市とのロマンス要らんかったよな
あれなければあるはずのない山作る必要もなかったし「たすけて せな」も必要なかった
というか先週の話丸々必要なくね このドラマの一番の問題点は史実云々でも主役が云々でもなくて
おじさん構文化してて誰にも響いてない点だな
共産党とか立憲の支援者のほうがまだ一部の支持者の心をつかんでる
今大河はジャニオタですらついていけなくなってる 氏真に家臣殺された、妻も人質に
今川許すまじ、助けに行くぞー
これだけで十分だよね >>728
視聴者に氏真ヘイトを溜めさせて
スカッと家康が復讐するんだろうか
氏真は最近評価上がってるのに
酷い扱い 今朝も韓流ドラマのごり押しをねじ込んで来てたな。このハングル放送協会はw 大高城でわざと負けて油断させる作戦すごい!みたいな話でもう無理ってなった >>728
どうしようどうしようってやってるだけの松潤に
そんな気概があるわけない 普通に考えたら寝返った元康が悪いよね
氏真さんは悪くない >>734
内輪ノリを作って盛り上げるのが上手いタイプだってね
その技法が歴史モノでは通じなかっただけ >>733
正直それが癌だよな
この先もただ家康が腹黒いだけなのにそれを正当化するための無駄な創作エピソードぶっ込んで来るわけだろ 古沢が歴史ヲタクだった世界線では狡猾でエゲツない家康を愛すべきクソ野郎として描く方に腹括って名作を書いてると思う 大体だな、支配階級と無縁な物を知らない田舎者が脚本やるのが間違ってんだよ
家康は足利将軍家の三河幕府のラスボス
家康を倒して、初めて下剋上が成立する、家康は下剋上される側
だが家康は倒されず、三河幕府を関東に再興した
室町期、江戸期を三河期に変えろ
三河期足利将軍期、三河期徳川将軍期と
三河期は530年続いたつーわけだ
◆室町幕府(1338~1576年)◆
【勝者】足利尊氏:三河守護
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国幡豆郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱(1467~1477年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・ ”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆明応の政変(1493年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・半将軍と呼ばれ、幕政を完全に掌握、事実上日本のトップに立つ
◆関ヶ原の戦い(1600年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
◆江戸幕府(1603~1868年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)
◆大坂の役(1614~1615年)◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:本貫地/三河国加茂郡松平 >>738
本能寺後になんやかんやあって腹くくりました、って流れになるんじゃないかなぁ 大体だな、松平が室町幕府中の家であったのを知れよ
何でその守旧派、中の家たる松平が、室町幕府を滅ぼすんだよ
岡崎城のご近所に足利尊氏の屋敷があった最低限の事実すら知らんのだろう
支配階級と無縁な物を知らない田舎者たる脚本家はよ
尊氏は妾の子で、貞氏は死ぬまで家督を尊氏に譲らなかった
つまり尊氏は貞氏から遠ざけられ、元服するまで鎌倉に行った事すらなく三河で生まれ育った可能性が高い
足利尊氏の生誕地は、家康の生誕地から直線距離で約1.5キロしか離れていない
おそらく足利尊氏、直義は、足利氏の大門屋敷の南方すぐ近くにあった上杉氏の日名屋敷で生まれた
■上杉氏
太田亮
上杉-勧修寺家支流と称するが疑問が大きい。
丹波国何鹿郡上杉庄より起り、上野を本拠として、越後や関東各地等に分る。
『東鑑』を含め確実な史料には、先祖重房の下向記事が見えず、足利家家人の上椙三郎入道(上杉頼重)より前は不明。
その出自は難解であるが、三河の日下部(穂国造一族か)と関係をもった場合も考えられ、その場合は、同国の足利被官で藤姓を称した杉山氏や大草氏と同族か
足利尊氏、直義が生まれただろう日名屋敷
■日名屋敷(事実上の始祖である上椙三郎入道(上杉頼重)の 屋敷)
鎌倉末期に三河国額田郡日名(三河県岡崎市)にあった上杉氏の屋敷。
足利貞氏室となり尊氏・直義を産んだ上杉頼重の娘清子が、暦応2年(1339)10月15日に丹波国光福寺(現綾部市安国寺)へ日名屋敷を寄進、
翌年4月5日に清子の甥上杉重能がこの屋敷を光福寺雑掌へ渡すよう岩堀右衛門三郎に命じている。
頼重は額田郡を含む足利氏所領群を管理する奉行人のひとりであったから、現地支配の拠点として上杉氏がこの屋敷を所領とし、頼重から女子清子に譲与されたものであろう。
日名屋敷跡伝承地の近くの墓地に14世紀後半の宝塔の笠1個がある。 >>740
今後のスケジュール予想あったけど本能寺相当あとっぽいんだよなぁ
築山殿も相当生きるし。まぁ岡田も有村架純も早期退場させられないという事務所事情 初めからそういうコンセプトだって言ってんのに今さら? >>743
むしろ事前の宣伝では今年は時代考証が売りだつってたんだよなぁ 普通に考えろ、これ見りゃ家康以外が収まるのは不自然だろう
大河ドラマ、常に勝つ三河を描かなきゃ駄目なんだよ
日本の歴史(中世~近世)
◆鎌倉幕府(1185~1333年)◆
【勝者】源頼朝:藤姓熱田大宮司一族(本貫地/三河国額田郡乙見)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮宮司)→由良御前(源義朝の室)→源頼朝
◆室町幕府(1338~1576年)◆
【勝者】足利尊氏:三河守護
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国幡豆郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱(1467~1477年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・ ”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆明応の政変(1493年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・半将軍と呼ばれ、幕政を完全に掌握、事実上日本のトップに立つ
◆関ヶ原の戦い(1600年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
◆江戸幕府(1603~1868年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)
◆大坂の役(1614~1615年)◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:本貫地/三河国加茂郡松平 >>746
支配階級と無縁な物を知らない静岡の田舎者に歴史考証やらせるからだろう
この田舎者の間抜けな発言
家康は最初から力があったわけではない 自分は天下取るぞ みたいな人間ではなかった
という描きかたは正しいと思います 神君でもないタヌキでもない 「人間家康」が描かれたらいいと思う >>517
三英傑言いながら、大河人気は豊臣秀吉が抜けてるな
信長伸び悩みは何でだろう? たかがドラマでそんな突っ込まなくてもいいのに
走る馬に乗る北川景子を撮りたかったんだろ
そんな場所山で撮るしか無いだろ
あとは山に行く理由付けが必要なんだよ 三河の先輩たる足利尊氏が倒幕の意思を表明した矢作宿は、岡崎城のすぐ近く、隣接地と言っても良い
その野心溢れた土地柄に生まれ育って、そんな弱々しく育つわけ無いだろう
呑気な駿河の糞カッペとは違うんだよ、三河は
関西(六波羅探題)、関東(鎌倉、中先代の乱)を同時にヌッ殺したのは三河国だけだよな
足利尊氏は、後醍醐天皇を討伐すべく、鎌倉を出発した。
途中、三河の矢作川のほとりの矢作宿(三河県岡崎市)で三河の足利党19家の兵馬の出迎えをうけたが、ここで倒幕の決意を固めた。
19家とは
01.西条吉良氏■後に将軍御一家
02.奥州吉良氏■後に奥州管領家、関東公方御一家
03.今川氏■後に九州探題、守護職
04.一色氏■後に四職家、九州探題、守護職
05.仁木氏■後に室町幕府執事、守護職
06.細川氏■後に管領家、守護職
07.斯波氏■後に管領家、守護職
08.戸賀崎(荒川)氏■後に守護職
09.畠山氏■後に管領家、守護職
10.桃井氏■後に守護職
11.渋川氏■後に将軍御一家、九州探題
12.上野氏■後に奉公衆
13.岩松氏■
14.石塔氏■後に奥州総大将、守護職
15.鹿島氏■
16.粟生氏■後に奉公衆
17.倉持氏■後に奉公衆
18.高氏■後に室町幕府執事、守護職
19.上杉氏■後に関東管領家、守護職
太平記第20回「足利決起」 >>750
昭和の頃は信長って残虐なイメージで女性人気無かった >>750
三英傑から家康は外せ
家康は室町幕府サイド、守旧派の人間
家康は足利将軍家の三河幕府のラスボス
家康を倒して、初めて下剋上が成立する、家康は下剋上される側
だが家康は倒されず、三河幕府を関東に再興した
室町期、江戸期を三河期に変えろ
三河期足利将軍時代、三河期徳川将時代と
三河期は530年続いたつーわけだ
◆室町幕府(1338~1576年)◆
【勝者】足利尊氏:三河守護
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国幡豆郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱(1467~1477年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・ ”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆明応の政変(1493年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・半将軍と呼ばれ、幕政を完全に掌握、事実上日本のトップに立つ
◆関ヶ原の戦い(1600年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
◆江戸幕府(1603~1868年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)
◆大坂の役(1614~1615年)◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:本貫地/三河国加茂郡松平 >>3
この指摘は脚本ではなくプロデューサーと演出、監督の問題だし 支配階級と無縁な物を知らない田舎者にはウンザリだ
例えば日光東照宮
日光東照宮が日光に造営された理由は何だろうか?
https://www.nikkotoshogu.com/html/tuite/tuite3.html
高藤氏は「東照宮を江戸城の真北に祀るということは都城制における大内裏の位置を北端に設けるのと同様の意味があったのではないか、 すなわち久能山において神として再生した東照大権現が、江戸城の真北に遷座することによって、 その神格が宇宙を主宰する神と一体化されたことを意味しよう。
高藤さんがどなたは知らんが
まさにコイツも支配階級とは無縁の物を知らない田舎者こと小和田とやらと同じ輩
物を知らない田舎者、部外者が歴史に口出しするとこうなる
日光東照宮にしろ、三河の先輩たる源頼朝の後追いに決まってんだろう
日光が頼朝縁故地でなければ日光東照宮など作ってねーわ
三河の源頼朝(征夷大将軍)=三河の徳川家康(征夷大将軍)
寛伝(三河の藤姓熱田大宮司家)=明智一族?(進士氏(三河の藤姓熱田大宮司家)) >>757
続き
三河の源頼朝は、三河にあった自身の母方の菩提寺の僧を日光に送り込んだ
■日光山
源頼朝が、三河の母方従兄弟を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて東国の宗教的権威の一中心であり続けた
源頼朝
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→女(由良御前)→源頼朝
寛伝(母方従兄弟、三河国滝山寺僧)
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→寛伝 >>746
時代考証はするが、反映するとは言っていない 目前の山の上から清洲市街と小牧山を見下して2人が会話する空想世界脚本を書いて置いて
脚本家「無罪!」はちょっと厳しいかもしれないねw
1.絵面優先で知っててやりました
2.地理的無知で知りませんでした
3.演出が捻じ曲げた
どれだ? 北川景子が14歳のお市の方を演じてる時点で無理。
あんな14歳がどこにいるんだよ。 どうせNHKだからCGを中国の会社にでも発注してるんじゃね? そのうち「この物語はフィクションであり云々」のテロップでも入るんじゃないの?w たぶん三方ヶ原の戦いで信玄と家康が一騎打ちする
ワイヤーアクション使ってカッコよく戦う
面白ければいいじゃないか いちいち事実に忠実にやってたらみんな似たような作品になっちゃう 韓国の歴史ドラマがファンタジーって言われてるから、
ジャップのもファンタジーじゃんって言わせる為にNHKがわざとやっているようにしか見えない >>700
物語はファンタジーとして見えても主演の演技がアレじゃ無理
そもそも割り切ってまで見るほどの価値がないからお前が言うように1話で気付いた時点で見限ったわ イメージだけど、中世ヨーロッパの騎士物語みたくしたいのかな?とは思う
作者がいいと思ってやってることが合わないからもう脱落するわ ファンタジーにしなくても面白いのが歴史上の人物なんだが。 >>763
いだてんはそれ入れてたよな、「このドラマは史実を基にしたフィクションです」って
つまり余りに突飛なことやるなら大河でも注意書き入れるってルールはNHKにも既にあるはずで
やっぱり狙い通りこれやってんじゃなくて、そもそもの制作側の感覚がズレてるんじゃないかな 三成主役で堺雅人主演にしてペラペラ喋りまくる嫌われ者主人公だったら見たい
家康は生瀬勝久で秀吉は里見浩太朗 優柔不断男の成長物語ってのは、家康大河の切り口としては面白いかと思ったんだが流石に切った 松潤だと晩年の狡猾な家康が想像出来ないんだよな
全部家臣の進言によるものとするのかな 家康が主人公というのがなぁ
本多忠勝とかにしたら良かったんじゃね >>742
そこまでの家康を丁寧に描くってのならそれはそれで面白い手法だと思うけど
これまでの流れ見るにそういうわけでも無さげ
瀬名にしろ信長にしろ
織田との関係性や今川との関係性を丁寧に描かないとわかんないのにそこらへんは適当だし
一体何やりたいの?という感じ >>766
韓流や華流の歴史ファンタジー物やりたいのならそれはそれで良いけど
それならきっちり面白い話を作ってほしい
ぶっちゃけ二次創作のつまんない話をドヤ顔で豪華本にしてる寒いサークル感すごい 寝る前に酒飲みながら観るにはちょうどいいな
内容が退屈だから、戦国のノリが収まらずに
ついつい信長の野望を起動したくなる、
なんてこともないし お市の方と家康の恋仲描いたのってトンデモ歴史ドラマ数あれど初めてじゃね >>1
そもそも退化ドラマに史実性を期待するのが間違い 家康のキンキラ甲冑は史実通りで三河
武士団のワラ甲冑は創作。
豆な。 >>406
韓国はファンタジーを教授までが信じ込んで広めようとしてるけど、日本は一般人でも矛盾を指摘する
その差は大きいと思うけど
>>491
ここから「どうしよう」してる金吾に大砲ぶっ放つ家康にどう成長するのか期待してるわぁ
>>771
このPって自分の頭の中で考えた世界を構築するのに夢中になってて
けっこういろんな矛盾点に気付かずにドヤ顔してる人なんよ
清盛でも外へ出たことないのかってよく言われてた
清洲の風景見る山も浜松で撮影したらしいけど、海近くまで山がある静岡と濃尾平野のど真ん中の清洲を一緒にするとか呆れるわ >>785
金陀美具足は現存してるってだけで、少なくとも兜はデザイン的に間違いなく桶狭間の頃に使われたものじゃないよ
時代考証の平山先生も普通に考えてあの甲冑自体桶狭間で使われた訳がないと
https://twitter.com/HIRAYAMAYUUKAIN/status/1612071294094438401
また、金陀美具足を義元が家康に贈り、息子と呼びかけるのは、義元と家康の親密な関係性を表現してあまりあると思いました。
もちろん、金陀美具足は、当時のものではなく、もっと後に家康が着用したものでしょう。ただ、久能山東照宮に今川義元から拝領し、
桶狭間合戦で着用したとの伝承を活かしたものです。これが、義元と家康の関係をよく表現するものだと製作陣が採用したのです。
ここは史実と相違することを、あらかじめご承知おきいただければと思います。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>790
今回の大河はヘアメイク上がりの人が人物デザイナーとやらの肩書で
衣装から何からトータルでコーディネイト()してるんだっけか? 別にファンタジーでもいいけど城の形とかガワぐらい正確に再現してくれよ >>791
調べたらこの人も清盛に関わってるな…
一度大河失格の烙印押されたスタッフをなぜ再集結させるかね、そら同じような評価になるだけだろうと
まぁ岸辺露伴でNHKに貢献したっぽいから抜擢なんだろうが 三河武士団を整備したのは足利義満、三河国が貧乏国なわけないだろう
足利義満(3代目足利将軍、1358~1404)年表
【1351年】高師泰・高師直他高一族8人が、摂津国武庫川で殺害される
【1351年】仁木義長(兄の仁木頼章は幕府執事(管領の前身))が、三河守護(前任は高師兼(高師直の猶子)になる
【1357年頃】明阿(父:高師泰、夫:高師冬(高師直の養子))が、三河国額田郡菅生郷(三河県岡崎市)に、一族を菩提する総持寺を創建する、住持は兄・高師世の娘
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【1358年】伊勢貞継(初代伊勢氏・伊勢俊継の孫)の屋敷で生まれる
【1360年】大島義高(新田氏流)が三河守護になる(新田義重―里見義俊―義成―大島義継―時継―盛義―義員―義昌―義高)
【1367年】足助重宗(足助重範の孫)の子・重政(寛立上人) が、松平郷主・在原信重の支援を得て、三河国加茂郡松平郷に寂静寺(高月院の前身)を開創する
【1368年】管領・細川頼之を烏帽子親として元服する
【1368年】三河国額田郡片寄郷(三河県岡崎市)に、天恩寺を創建する、足利尊氏遺言の寺、開創は永源寺2世弥天永釈、4代目将軍足利義持の祈願所
【1369年】三河国宝飯郡御馬郷(三河県豊川市)に御馬城築城を、管領・細川頼之に命ずる、頼之は弟の頼有に命ずる
【1370年】三河国設楽郡(三河県新城市)に甘泉寺創建か?、天恩寺と同じ永源寺2世弥天永釈開創、御朱印高48石、山林境内20余町歩を寄進する
【1379年】管領・細川頼之失脚、斯波義将が管領になる(康暦の政変) >>795
続き
【1379年】伊勢貞継(初代伊勢氏・伊勢俊継の孫)を政所執事に任ずる
【1379年】一色範光(侍所頭人、若狭守護、、尾張国知多郡・海東郡の分郡守護)を三河守護に任ずる
【1380年代】管領・斯波義将が、斯波氏先祖代々の墓所がある三河国碧海郡(三河県岡崎市)に、永源寺の創建を申し出る、これを支持し将軍家安泰を併せて祈願
【1380年代】三河国額田郡(三河県岡崎市)の滝山寺本堂(4度目)を建替える
【1382年】源信氏(細川一族か?)が義満誕生日祈祷の為、三河国額田郡片寄郷(三河県岡崎市)など4ヶ所を天恩寺に寄進する
【1387年】三河国額田郡下和田郷(三河県岡崎市)を、京極高詮に還付する
>>359
続き
【1388年】富士山遊覧、三河国額田郡(三河県岡崎市)の矢作宿に宿泊する
【1388年】一色詮範(侍所頭人、若狭守護、尾張国海東郡・知多郡分郡守護)を三河守護に任ずる
【1390年】管領・細川頼之が、三河国額田郡細川郷(三河県岡崎市)の屋敷跡に、蓮性院を創建する
【1390年代】足助重宗(足助重範の孫)に、尾張国野間荘を還付する、当時の野間荘は、高師直領を将軍家預かりとなっていた模様
【1391年】伊勢貞行(伊勢貞継の孫)を御料所三河国額田郡山中郷(三河県岡崎市)の代官に任ずる、山中郷の法蔵寺は6代目将軍足利義教の祈願所
【1392年】細川頼之死去、葬儀は義満が主催して相国寺で行われる
【1394年】出家する
【1397年】三河国碧海郡(三河県岡崎市)の永源寺(創建:斯波義将)に、後に建仁寺61代住持となる玉岡和尚を住持職に補す
【1397年】三河国渥美郡(三河県田原市)を京極高詮に還付し、守護使不入の地とする
【1399年】三河国額田郡菅生郷(三河県岡崎市)の乙川六名堤造営を、管領・畠山基国にを命ずる、下和田郷が水不足に陥り、領主・京極高詮から苦情が入る
【1399年】三河国額田郡比志賀(三河県岡崎市)の深恩院に、高一族の比志賀郷の旧領を寄進する >>797
続き
【1404年】松平和泉守源信光が誕生する
【1406年】一色満範(義満偏諱、侍所頭人、若狭守護、丹後守護、尾張国海東郡・知多郡分郡守護)を三河守護に任ずる
【1408年】死去する
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【1440年】松平信光(3代目松平氏当主)、三河国額田郡(三河県岡崎市)の滝山寺寺領内に、神のお告げで万松寺を創建する >>639
これそもそも源頼朝は河内源氏だし
熱田神宮も尾張やろ
しょっぱなからあたまおかしいこじつけやんけ >>799
こいつ単なる荒らしだからかまうだけ損
史実検証とかせずにひたすらコピペしてる奴 これCG作成を中国に外注してないか?
清須城もそうだし1話の信玄が座ってた場所も中国かインドの山奥っぽかったし 誰一人として月代すら剃ってない時点でファンタジー漫画大河なのは目に見えてたろ
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