文春オンライン 1.31
https://bunshun.jp/articles/-/60134

■「川口浩探検隊」ネタばらし特番の真実
「85年に川口浩さんがガンになって番組をお休みして1年間くらい療養してたんですよ。それで、復帰したときにすべて本当のことを話そうっていうことになったんです。特番を組んで」

 ──それは誰の考えだったんですか?

「加藤プロデューサーのアイデアです。番組をやっていた当時も『ヤラセ、ヤラセ』ってバカにされてるところもあって。まあ当然そういう番組なわけですよ。あのときはずっと本当だって言って放送したけども、そのままそれをやり続けるのは得策ではないというか、もう限界っていうかね。みんな嘘だってわかってるわけだから。じゃあ全部バラそうって。それでもうネタも決めたんですよ」

 私はいま、とんでもない事実を聞いている。呆気にとられたまま小山の話を聞き続けるだけだ。

 ──ネタばらし特番のネタはどういうものだったのですか?

「台本(になる)まではいってないけどね。ロケ先は決まって、それで2班編制で撮ろうと。いつもは1カメでやるんだけど」

 ──え! すごい!

「すごいでしょ。この話は内輪でもあまり知られていない。それで、1台のカメラはいつものように川口隊を撮ると。で、もう1台のカメラは、俺がやるはずだったんだけど、レポーターのコーナーが あったじゃないですか、女の子の。その女の子がホテル前に立ってると。で、『我々はいまなんとか ホテルの庭に来ていますけども、ちょっとこちらをご覧ください』ってカメラを振ると、探検隊がホ テルの庭でオイオイとか掛け声かけながら隊列組んで行進してきて(笑)。『庭でロケをやってますが、どんな画面になるんでしょうか』って言うと探検隊の絵がデデンと」

 つまりロケの様子と、その映像が“完成”されたあとを公開してしまうというのだ。早すぎた『大改造 劇的ビフォーアフター』でもある。それにしても長く続いた人気番組の“作り方”を見せてしまうなんて、どう考えても前代未聞の番組ではないか。

「隊員が『おりゃー!』とか『木が邪魔だー!』とか言ったりしてね(笑)。正月特番だったんだけどね。正月に全部バラそうって。それ以降、川口探検隊はドラマをやろうって決めてました。海外で撮影した冒険ドラマをね」

 そういえば元ADだった内藤が「『川口探検隊』は『インディ・ジョーンズ』をやりたかったんです。バラエティでもない、ましてやドキュメンタリーでもない。目的は娯楽大作」と言っていた。その言葉がよみがえる。

 川口浩探検隊は特番でネタばらししたあと、堂々と“和製インディ・ジョーンズ”の制作に取り掛かるつもりだったのだ。これは“30年後のスクープ”である。

「ネタばらし」が幻になったワケ
 ──つまり、完全にエンタメ宣言をして、それまでのネタばらしをしてリセットしようと?

「そうそう。特番をやって告白して、それ以降は川口隊でドラマをやろうっていう構想でした。冒険ドラマという形で海外ロケをしてね」

 そこまで話が進んでいたとは。放送を考えていたのは「88年の正月」だという。川口隊長の病気療養明け、復帰での特番。まさに華麗なる転向である。川口隊長復帰とともに番組も再デビューならインパクトは大きい。タイミングとしても絶好だったはずだ。しかし特番は結局のところ幻となった。なぜか。

「川口さんが亡くなったからです(87年11月)。なので特番の計画もなくなりました」

 ──あぁ……。

「川口さんは1年間番組を休んで体力も戻ってきた。じゃあ、いよいよロケに行こうとなったんです。出発前に念のために病院で検査したらガンが転移していて……。再手術したけどそのまま病院から出てこれなくなって」

 ──そのあとも特番をやるという計画は一切なかったのですか?

「川口さんは世間に対しては『我々は本当の冒険をやってる』っていう立場で亡くなったわけですよ。だから、そのあとにネタばらしをやっちゃうと、川口さんのことを茶化すことになってしまいかねない。いまだにそうですよ。あれから30年近く経ったけど番組の内容をいろいろ話してしまって、結果的に川口さんがインチキだみたいに思われるのは、僕らはすごく……」

 このときわかった。小山が最初に「みんなはどこまで喋ってるの?」とこちらに聞いた意味が。どこか重みのある響きだった意味が。

「川口さんはあのまま(ネタばらしのないまま)亡くなられたからね。それで番組は終わっちゃったから、みんな喋っていいかわからないんじゃない?」

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