【音楽】1983年に発売されたアルバム・ベスト67:40年前に生まれた名盤たちをランキング ★2 [湛然★]
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1983年に発売されたアルバム・ベスト67:40年前に生まれた名盤たちをランキング【動画付】
Published on 1月 18, 2023 uDiscoverMusic https://www.udiscovermusic.jp/stories/best-1983-albums
1983年に発表された名作群は、ポピュラー音楽界に起きていた変化を映し出している。当時、世界屈指の人気バンドだったポリスは、その作品の中でパンク、ニュー・ウェーヴ、レゲエの要素を融合。ライオネル・リッチーは、“ソフトなソウル・ミュージック”と呼ぶべきジャンルの完成形を提示した。また、R.E.M.が驚くべき傑作を立て続けにリリースし始めたのもこの年からだった。要するに、音楽シーンは“何でもあり”の不思議な時代を迎えていた。このランキングが読者にとって、不可能など存在しなかったこの一年を掘り下げるきっかけになれば嬉しく思う。
■1983年に発売されたアルバム・ベスト67
1位:ポリス『Synchronicity』
2位:R.E.M.『Murmur』
3位:ライオネル・リッチー『Can’t Slow Down』
4位:マドンナ『Madonna』
5位:ハービー・ハンコック『Future Shock』
6位:ヴァイオレント・ファムズ『Violent Femmes』
7位:ポインター・シスターズ『Break Out』
8位:アル・ジャロウ『Jarreau』
9位:U2『War (WAR [闘] )』
10位:ニュー・オーダー『Power, Corruption & Lies (権力の美学)』
11位:メタリカ『Kill ‘Em All』
12位:マイナー・スレット『Out Of Step』
13位:デフ・レパード『Pyromania (炎のターゲット)』
14位:デヴィッド・ボウイ『Let’s Dance』
15位:トム・ウェイツ『Swordfishtrombones』
16位:シンディ・ローパー『She’s So Unusual』
17位:ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース『Sports』
18位:カルチャー・クラブ『Colour By Numbers』
19位:フーディーニ『Whodini』
20位:サイボトロン『Clear』
21位:メイズ・フィーチャリング・フランキー・ビヴァリー『We Are One』
22位:ZZトップ『Eliminator』
23位:アイアン・メイデン『Piece Of Mind (頭脳改革)』
24位:スティーヴィー・レイ・ヴォーン『Texas Flood (テキサス・フラッド~ブルースの洪水)』
25位:トーキング・ヘッズ『Speaking In Tongues』
26位:ビッグ・カントリー『The Crossing』
27位:モトリー・クルー『Shout At The Devil』
28位:カメレオンズ『Script Of The Bridge』
29位:高田みどり『Through The Looking Glass (鏡の向こう側)』
30位:坂本龍一『Merry Christmas, Mr. Lawrence (戦場のメリー・クリスマス)』
(※31位以下は省略)
1位:ポリス『Synchronicity』
ポリスが初めて全米1位を獲得した作品にして、現時点での彼らのラスト・アルバム。最終作という点を考えるとほろ苦いアルバムにも聴こえてくるが、いずれにしても、驚くべきキャリアの締めくくりに相応しい名盤であることに変わりはない。
2位:R.E.M.『Murmur』
名曲「Radio Free Europe」も収められた、オルタナティヴ・ロック・バンド、R.E.M.のアルバム。デビュー・アルバムとしてはロック史上屈指の完成度を誇る名作である。
3位:ライオネル・リッチー『Can’t Slow Down』
『Can’t Slow Down』は、爽やかでポップなソウル・サウンドにより一世を風靡した名盤。「Hello」と「All Night Long」という大ヒット・シングルも収められている。
(※以下略、ランキング詳細は引用元サイトをご覧ください。)
前スレ(★1=2023/01/20(金) 00:04:31.49)
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1674140671/ 同じく名盤として後追いで聴いてたから20年くらい前に感じる ユニバーサルの旧版売り込みキャンペーンだからな
前スレでさんざん出てたから書いておこう 当時、洋楽を聞き始めた中学生でライオネル・リッチーを好きだった人は皆無だと思う
あの頃は今以上にルックスが重要だった しかもこのリンク先の日本語のjpサイトが最低
なんとWebサイトのAboutが404 Not Found だ
こんなのはいまどき中華サイトでも出会わない
ブラックの最たるもんだ
こんな会社の記事あげてたらあげた記者は剥奪もんだ
英語のサイトはまともだぞ
正真正銘のユニバーサルだ
記事載せるなら日本語載せるな
英語サイトそのまま載せて英語サイトにリンクしろ
日本語サイトは闇サイトレベル
開くな危険レベル
これユニバーサルジャパンが外部委託して作らせてるだろ
全く責任感のかけらもないサイトだ
最低! >>12
年で覚えてるならそれだけですごい
オレそれが80年代前半だったくらいだ >>10
これ通じないか
x 記事載せるなら日本語載せるな
o 記事載せるなら日本語版は載せるな >>10 > WebサイトのAboutが404 Not Found
ちょw metallicaの1stなんて当時誰も聞いてなかったでしょ サザンなら綺麗の年だね
原坊ならミスヨコハマダルト >>20
売れなくてラウドネスの高崎をスカウトしたんだっけ アイズレーのBetween the sheetsやデバージのIn a special wayみたいなソウルは無いのか >>23
1999
リーレコルベッット売れてないっけ? ひーーーー40年前になるのか
おっさんおばあになるわけや 結局、ウイアーザワールド
に出たて奴らが当時のトップ連中なわけか >>28
80年代はスカした奴はお呼びじゃないんだよ
バカになってなんぼ シングル単位ならグレッグ・キーンのJeopardyがファンキーで好きだったな 洋楽なんか聴いてるとバカになるよ
ここの人たちを見てみなさい (´・ω・`)俺が生まれた頃やん。
何が流行ってたの?親の幸せいっぱいの頃。 >>36
スリラーだな
日本だとビリー・ジーンよりビート・イットが流行ってた >>37
アルヤンコビックがイートイットを歌い
ひょうきん族でウガンダがスリラーを踊ってたな ハングリーライクザウルフと君は完璧さってアメリカだと1983年のヒットだったっけ? >>23
1999の後映画やらせてくんなきゃアルバム出さないってゴネた
でパープルレインを企画して83年はそれにかかりっきりだったのでアルバムは出してない >>37
㌧、歌えないけど知ってるわぁ。
40年前は名曲が多いのかな、youtube見てくるわ この時代でサビだけ覚えてる思い出の曲あるがタイトルもアーティスト名も全く出てこない
鼻歌検索しても出てこなかった
永遠に分からないまま人生終わりそう 1曲 で言ったらブルーマンデー!あとアートオブノイズの12’シングルIntoBattleのBeatBoxな R.E.M.が所属していたIRSレコードを設立したのはポリスのスチュワート・コープランドのお兄さんなんだっけ
変なとこで繋がってるな Journey のFrontiers
Michael Schenker Group の Built To Destroy >>49
英語苦手やったら無理せんとカタカナでええんやで >>28
分派したtones on tailやlove and rocketsの方がキャッチーで好き ロックウェルもこの頃かな
ホワイルユーシーアチャンスやベティデイビスの瞳はもう少し前か ああジャマラディーンタクマのショーストッパーとジェームズブラッドウルマーのオデッセイとビルラズウェルのベースラインズは今でも良く聴くなあ~ ビッグカントリーっていたねえ
バグパイプみたいなギター
メンアットワークとかカモン・アイリーンの人とかあんまり他が真似できないような独特な音楽があった時代だった >>1
この中だとU2が一番出世する感じだろ
実際ここからとんでもないバンド
になってくる 83年といえば愛のかげりで復活のボニー・タイラー faster than the speed of night で決まりや 1983年 アルバム年間ヒットチャート(ビルボード)
1 Thriller / マイケル・ジャクソン
2 Business As Usual / メン・アット・ワーク
3 Synchronicity / ポリス
4 H2O / ダリル・ホール & ジョン・オーツ
5 1999 / プリンス
6 Lionel Richie / ライオネル・リッチー
7 Jane Fonda's Workout Record / ジェーン・フォンダ ※エアロビアルバム
8 Pyromania / デフ・レパード
9 Kissing To Be Clever / カルチャー・クラブ
10 Olivia's Greatest Hits Vol.2 / オリビア・ニュートンジョン
11 TOTO IV / TOTO
12 Frontiers / ジャーニー
13 Rio / デュラン・デュラン
14 Built For Speed / ストレイ・キャッツ
15 Cuts Like A Knife / ブライアン・アダムス
16 Get Nervous / パット・ベネター
17 The Distance / ボブ・シーガー & ザ・シルヴァー・ブレット・バンド
18 Get Luckey / ラヴァー・ボーイ
19 Mountain Music / アラバマ
20 フラッシュダンス(サウンドトラック)
21 Hello, I Must Be Going / フィル・コリンズ
22 Night And Day / ジョー・ジャクソン
23 Spring Session M / ミッシング・パーソンズ
24 Kilroy Was Here / スティクス
25 War / U2
26 Duran Duran / デュラン・デュラン
27 Always On My Mind / ウィリー・ネルソン
28 Let's Dance / デヴィッド・ボウイ
29 The Closer You Get / アラバマ
30 Combat Rock / ザ・クラッシュ >>63
改めて見るとすごい年だったのがよくわかる
半分くらいアルバムもってたな 1982年のエイジアがすごく売れてた。
ジョンウェットンはこの世にいないんだよなぁ。 本音は1984年や1985年の方が豪華だと思ってるけど前スレでは言えなかったな >>47
豆
スチュワート・コープランドの父はバイオリニストで世界を回りつつCIAエージェントだった
スチュワート・コープランド自身はポリス以降悠々自適で好きなことやりつつ映画音楽でも認められた >>45
豆
アートオブノイズはバグルズであてたポーカルベースのトレバーホーンが作ったZTTレーベルの初期ヒット
ZTTはサンプリングでヒット量産した初期のパイオニア的レーベルでフランキーゴーズトゥハリウッドがいちばんのヒット
その後グレースジョーンズや808 Stateもここ
トレバー自身はジョンアンダーソンクリススクワイアが一時期抜けた穴のその2人分を1人で埋めてイエスでも曲出してる
そんでイエスはトレバーホーン抜けたあとトレバーラビンが入ってのジョン戻ってのオーナーオブアロンリーハートはそのサンプリング技術のオーケストラヒットを一躍世界に広めて日本も含めて世界中の誰もが使うようになったそのきっかけ(最近の奴らは嚆矢こうしとか書くのなこれ嫌いよ) >>12
83年はフラッシュダンスとマイケルのムーンウォークかな
84年はブレイクダンス
エアロビクスも流行したしみんな踊る楽しい時代だったわ >>65
エイジアでスティーブハウが抜けて解散状態からのイエスはジョンとクリスが戻ってのトレバーホーンのプロデュース兼曲才能でのオーナーオブアロンリーハートの大ヒット
ここで先スレでよく
コアなイエスファンはこれを嫌うとか書いてるやついた
ところがこれこそ80年代以降のサンプリングを先取りしていた代表曲 >>63
アメリカじゃLet’s Danceってこんな低いの?年間トップ10に入ってるぐらいの騒ぎ方じゃなかったか U2より下なのビックリ
ラヴァー・ボーイ 、ロマンティックスみたいなバンドってこの辺が最後だよね パンクでもなくオルタナでもなくヘヴィメタルでもなく もしボンジョビの髪型が短かったらこの系譜と位置付けられるかもしれないけど >>32
マイケルのアルバムスリラーは1982年発売
通算で37週間1位を獲得し1983年と1984年のビルボードアルバム年間チャート1位
同一アルバムで年間チャート2年連続1位は
マイケルジャクソンとアデルの二人のみ >>43
YouTubeで年度ごとのビルボードヒットチャートや年度ごとのロック曲ベスト100ポップスベスト100とかあるからその辺聴き漁ればすぐ見つかるはず
フーターズやヒューバートカーなんかもそこで見つけた >>70
この辺りがマイケルジャクソンヒットと合わせてのMTVビデオと音楽が始まったんだよね
そこから音楽はレコードだけじゃなくなってビデオも普及してその時からダンスもかパフォーマンスも音楽と同じくらい売上に繋がるようになった
もう音楽を売るための宣伝用の付録的なプロモーションビデオPVじゃなくなりダンスやパフォーマンスやスリラーのようにストーリーも見せるミュージックビデオMVの時代が始まってた
これがダンスボーカルグループにもなり
ネットになってYoutubeはビデオ主体
エンタメはネットで
宝塚とかオペラとかと同じ
その場の体験を得るようになったんだよね
古い人たちはまだ「音楽」を聴きてると思ってるがそれは「レコード」を売るための業界の刷り込みだったわけ
劇場とか映画を見た後にその感激を得るのがレコードの音楽コピーしかできなかったから
レコード変えなかった時代はラジオだったし音だけだった
レコードもなかった時代は楽譜が売れた
しかしネットの現代は映像込みでエンタメ
そしていつでも誰でも発信できる
だから
子供がネットにあげたグミのASMRと「音楽レーベルがメジャーデビューしました」ってやつが対等に時間を取り合う時代
年寄りはイエスのサンプリング以前がコアなファンと思い込んでるのと同じくらい音楽だけ聴くのがコアなファンだとまだ思い込んでる
宝塚の最初の時と同じように
ダンスもエンタメの中心に「戻り」
グミの音も大道芸の時代のようにまちかどで面白いことして楽しんでたエンタメの基本に戻ってるだけよ
投げ銭して
今はネットのおかげでエンタメの基本に戻れた時代
そして著作権なんていうアナログフィジカルコピー文化をベースとして利権組のために作られた法律は陳腐化して使い物にならなくなった時代
デジタルでインターネットの時代になってよかったね >>72
低いんじゃないんだよ
日本と違うんだよ
どれもすげーんだよ >>59
そわなのいつの時代でもあるよ
今の方がネット時代でたくさんわかる 貸しレコード真っ只中だったので
エイジアのアルファ
スティービーニックスのワイルドハート
だけを買った
結局どっちとも前作が良かったという印象
曲で言えばエイジアのはヒートゴーズオン、ニックスのはイウエニワンフォールズがすごく良かった AC/DC - Flick of the Switch (1983)
https://www.youtube.com/watch?v=7DAwO9rtC00
1983限定なら正直一番聴き込んだわ >>72
ビルボードの年間チャートは締め日、月の関係で大ヒットアルバムでも発売時期によって二年間売れ続けたりすると
一年目の年間チャート35位2年目の年間チャート29位なんてこともある
マドンナのトゥルーブルーとかマイケルのBADなんかもこの関係で年間チャートではあまり上位にこれなかった
逆にこれがうまくいくとジョージマイケルのように80年代で唯一のビルボード年間シングルチャートと年間アルバムチャートの同一年度一位という快挙ができる スリラーとか83年末にMVが公開されて、アルバムが日本で売れたの84年だろ?
デュランデュラン、カルチャークラブ、ワム!あたりのイギリス勢がブレイクしたのも84年くらい
あとはマドンナにフットルースのサントラなんかも
83年は洋楽ブームの前段階で84年はからが本格的なブームだと思う 昔はイギリスのミュージシャンが全英ヒットしてから全米デビューして全米ヒットするまで一年ぐらい時間差あるの当たり前だったから、どの年のヒットかって記憶がやや混乱する
日本での人気は基本的に全英ヒットと同じ時期で全米が遅かったと考えていいんだよね こういうランキングのリリース年と体感は少しズレる事がある
当時は海外の情報が入ってくるのは遅いし、本国と日本でリリース日が違う事なんか普通だし ビルボードシングル年間1位
1980年ブロンディ コールミー
1981年キムカーンズ ベティデイヴィスの瞳
1982年オリビアニュートンジョン フィジカル
1983年ポリス 見つめていたい
1984年プリンス ビートに抱かれて
1985年ワム ケアレスウィスパー
1986年 ディオンヌ&フレンズ 愛のハーモニー
1987年バングルス エジプシャン
1988年 ジョージマイケル フェイス
1989年 シカゴ ルックアウェイ ビルボードアルバム年間一位
1980年 ピンクフロイド ザウォール 二位マイケルジャクソン オフザウォール
1981年REOスピードワゴン 禁じられた夜
1982年 エイジア 時へのロマン
1983年 マイケルジャクソン スリラー
1984年 マイケルジャクソン スリラー
1985年 スプリングスティーン USA
1986年 ホイットニーヒューストン そよ風の贈り物
1987年 ボン・ジョヴィ ワイルドインザストリート
1988年 ジョージマイケル フェイス
1989年 ボビーブラウン ドントビークルーエル 84年は小林克也のMCでグラミー賞の生中継やって最後にノーカットでスリラーのMV流したの覚えてるわ
日本で洋楽が一番盛り上がったのが84年というイメージだな >>63
デュランデュランがデビュー作と2ndと2作入ってるけどこの年にアメリカでブレイクしたのか イギリスシングル年間一位
1980年 ポリス
1981年 ソフトセル
1982年 デキシーミッドナイトランナーズ
1983年 カルチャークラブ カーマは気まぐれ
1984年 バンドエイド
1985年 ジェニファーラッシュ
1986年 コミュナーズ
1987年 リックアストリー ギブユーアップ
1988年 クリフリチャード
1989年 ブラックボックス イギリスアルバム年間一位
1980年 ポリス
1981年 アダム&ジアンツ
1982年 バーブラストライサンド
1983年 マイケルジャクソン スリラー
1984年 ライオネルリッチー
1985年 ダイアーストレイツ
1986年 マドンナ トゥルーブルー
1987年 マイケルジャクソン BAD
1988年 カイリーミノーグ
1989年 ジェイソンドノバン 84年からa-haが出てきたりUSA フォー・アフリカがあった85年、ギリ86年くらいまでがピークかな?
このあとにバンドブームが来て洋楽離れが始まる
当時、中高生の体感で、すでに大人だった人達がどう感じていたかはわからないが デュランデュランのリオはアメリカ向けにリミックスされたほうで売れてんだよね 1980年代全米ナンバーワン獲得数
マイケルジャクソン 9曲
マドンナ 7曲
フィルコリンズ 7曲
ホイットニーヒューストン7曲
ジョージマイケル 6曲
ホール&オーツ 5曲
ライオネルリッチー 5曲
プリンス 4曲
ボン・ジョヴィ 4曲
ポールマッカートニー 3曲
スティービーワンダー 3曲
ビリージョエル 3曲
ヒューイルイス&ザニュース 3曲
スターシップ 3曲
ビリーオーシャン 3曲
リチャードマークス 3曲
ポーラアヴドゥル 3曲 1983年 アルバム年間ヒットチャート(UK)
1 THRILLER/マイケル・ジャクソン
2 Let's Dance/デヴィッド・ボウイ
3 COLOUR BY NUMBERS/カルチャー・クラブ
4 NO PARLEZ/ポール・ヤング
5 TRUE/スパンダー・バレエ
6 FANTASTIC/ワム
7 BUSINESS AS USUAL/メン・アット・ワーク
8 SYNCHRONICITY/ポリス
9 GENESIS/ジェネシス
10 18GREATEST HITS/マイケル・ジャクソン&ジャクソン 5
11 SWEAT DREAMS (ARE MADE OF THIS)/ユーリズミックス
12 CAN'T SLOW DOWN/ライオネル・リッチー
13 LABOUR OF LOVE/UB40
14 THE LUXURY GAP/HEAVEN17
15 THE HURTING/ティアーズ・フォー・フィアーズ
16 STAGES/エレイン・ペイジ
17 THE VERY BEST OF THE BEACH BOYS/ビーチ・ボーイズ
18 TOO LOW FOR ZERO/エルトン・ジョン
19 SNAP! /JAM
20 RIO/デュラン・デュラン >>88
クリフ・リチャードすごいな
ビートルズが出てくる前にイギリスで人気だった人だろ 80年代シングルチャート一位争い
プリンス対スプリングスティーン
84年6月30日
一位 リフレックス デュランデュラン
二位 ダンシング スプリングスティーン
三位 ビート プリンス
翌週誰もがスプリングスティーンの発のシングル一位を疑わなかった!だが!しかし
7月7日
プリンスがスプリングスティーンを飛び越えて一位
スプリングスティーンフアンはまぁプリンスが落ちるまで待とう
だが!しかし!またしても
プリンスはここから5週間連続一位
スプリングスティーンも必死に二位をとり続けるが力つきる
ちなみに年間チャートでは
プリンス ビートに抱かれて1位
スプリングスティーン ダンシング14位
デュランデュラン リフレックス16位
相手が悪すぎた…… マイナースレットがしれっと上位にあるのが海外ランキングって感じでええな 80年代アルバムチャート一位争い
プリンス対スプリングスティーン再度激突
84年7月7日大ヒット映画フットルースを蹴落としスプリングスティーンがついに第一位にその後4週間連続一位ついにスプリングスティーンの時代かと誰もが思った!だが!しかし!またしてもアイツがやって来た!
翌8月4日プリンスのパープルレインは一位を獲得するとそこからなんと24週間連続一位 ちなみにこの24週間連続一位はマイケルのスリラーもやったことがなく、スリラーは途中でポリスやらクワイエットライオットやらライオネルリッチーやらに一位をとられながらの通算37週間一位
最近ではアデルのセカンドアルバムが24週間連続一位を獲得している
世間はマイケルの次はプリンスの時代とスプリングスティーンフアンは苦汁を飲まされていた
だが!しかしこの24週間一度だけマドンナのライクアバージンに二位をとられるものの、ぐっと二位に張り付きながらプリンスの足を引っ張り続けた
そしてついに85年1月19日一位に返り咲き3週間一位
プリンスのパープルレインの24週間一位に対してスプリングスティーンは7週間の一位
しかしどちらもこの時点で売上1000万枚ごえ
マドンナのライクアバージンも600万枚ごえ
MTVでは星条旗をなびかせるアルバムタイトル曲のMVがへヴィローテーション
そして年間チャートの発表1985年年間チャート一位ボーンインザUSA
勝ったスプリングスティーンがプリンスに勝った
全米のスプリングスティーンフアンはこの日ボーンインザUSAを大合唱しながら泣き崩れたという マイケルのスリラープリンスのパープルレイン、スプリングスティーンのUSA
フットルース、フラッシュダンス
ロングセラーが多かったせいでデュランデュラン、シンディローパー、マドンナとか代表作が全米ナンバーワンとり損なったっていうのが多いんだよね >>90
大体あってる
無個性なデジタル音が汎用化して浅漬けみたいなユーロビートが節倹するとダンス族以外は洋楽から離れた
細かくいうというMMPが停滞したとかデビーギブソンチャーリーセクストンみたいな才能の早潰しもあるんだけど >>94
クリフリチャードはイギリスチャートで1950年代から2000年代までそれぞれの10年間のうちに1位をとってる唯一のだってよ
オリビアニュートンジョンがソロ前にコーラスやってた
竹内まりやがソロ前に杉真理バンドのコーラスやってたけどね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています