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リンク先に出てる有名な埋蔵金専門家の八重野充弘氏はギミアぶれいく放送当時から「場所が違う」と言ってたな
赤城山にあるのは確かだが本当は片品村だと
以下の記事部分も、八重野氏の本でこれまでも触れられてること


「それから十数年がたった2006年のことです。私はHさんの訃報を聞きました。そして、私たち宛てのメッセージがあることを知ったのです。

そのメッセージは『昭和30年代、坑口がまだある頃、私は仲間とふたりで金山跡の坑道に入り、左奥の立て坑の底に徳川埋蔵金の一部と思われる16個の千両箱を見つけました。

そして、金貨の入った千両箱をひとつ回収することに成功したのですが、そのとき、仲間が誤って穴の底に落ちてしまい、どうしても助けることができませんでした。その仲間の供養をお願いしたいのと、残り15個の千両箱を取り出して世の中の役に立ててほしいのです』という衝撃の内容でした。

それで、2009年から金山の坑口を開ける作業を再開しました。多いときは十数名がかりで、土嚢(どのう)や木枠で上から落ちてくる土砂を止め、坑口のある場所まで掘っていきます。そして、ついに坑口が見つかりました。

人がひとりやっと入れるようなスペースを開け、亡くなったHさんの仲間のためにお線香を持って中に入ると、Hさんから聞いたとおりの坑道がありました。

そして、左奥の立て坑をのぞくと中に水がたまっていて、腐った木のようなものも見えました。日を改めて立て坑の水を抜き、底に下りていくと......そこには、仲間の遺骨も千両箱もありませんでした。

Hさんが、こんな手の込んだ嘘をつくはずがありません。結局、私たちの出した結論は、『死んだと思っていた仲間は死んでいなかった。そして、千両箱を運び出し、坑道の別の場所に隠した』というものでした。

『村まで持って帰ったんじゃないか』という意見もありましたが、小さな村なので持って帰れば噂が立ちますし、15個の千両箱をひとりで運べるような帰り道ではありません。ですから、一番可能性があるのは『徳川埋蔵金は、まだ坑道の中に隠されている』です。

実は後になってから坑道内に1ヵ所だけまだ探していない場所が残っていたことに気づいたのです。現在、この金山跡の調査を再開すべく準備中です」