【音楽】水樹奈々“のど自慢荒らし”と恐れられていた中高生時代に聴いていたJ-POP [フォーエバー★]
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2022年12月18日 6時0分 女性自身
歌を歌い始めたのは、父親の影響だという水樹奈々
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住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、人生を変えてくれた音楽の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。
「物心ついたときから歌に囲まれて育ったのですが、聴くジャンルは演歌とアニソンのみと、かなり偏っていました。そんな私が中学生のときに小沢健二さんの存在を知り、J-POPにも興味が。それをきっかけにロックをはじめ、いろんなジャンルを聴くようになりました。私の音楽の世界が大きく広がったのは、小沢さんのおかげです」
こう語るのは、声優で歌手の水樹奈々さん(42)だ。歌を歌い始めたのは、父親の影響だという。
「父は昔、歌手を夢見ていたのですが、かなえることができず……。その夢を娘の私に託すように、『おなかの中にいたときから、いろんな音楽を聴かせてもらっていた』と母が言っていました」
自宅で流れる音楽は、昭和演歌。5歳のとき、自治会の会合で初めて人前で歌ったのは高峰三枝子の『南の花嫁さん』(’42年)という懐メロだった。
「母お手製の白いドレスを着て披露すると、おじいちゃん、おばあちゃんが『こんなちっちゃな子が歌ってくれるなんて』って、すごく喜んでくれたんです。それがうれしくて“もっと歌いたい”と思うように」
ちょうどそのころ、父親が自宅の一室を使ってカラオケ教室を始めた。
「新しいもの好きだから、当時は最先端だったレーザーディスクカラオケや“集音性が優れている”と自慢をしていたドイツ製のマイクを導入。夜な夜な、近所の大人たちが歌の練習をしている様子を見ているうちに、『私もやりたい!』とお願いして父のレッスンを受けるように」
中学生になるころには、数々のカラオケ大会やのど自慢大会に出場し、地元では有名な存在に。
「イベントなどで歌うと、おひねりがもらえることがあったので、それをお小遣いとして貯めて、漫画の単行本や、中古のゲームソフトを買っていました」
ゲームやアニメに熱中したことで、歌手だけでなく、声優という新たな夢も見つかった。
「じっくりと主人公を成長させるロールプレイングゲームが大好きで、『ドラゴンクエスト』シリーズや『ファイナルファンタジー』シリーズに夢中になりました」
熱中するあまり、親にゲーム機を隠されてしまったことも、’90年代あるあるだ。
「でも、子どもには独特の嗅覚があって、ひな人形がしまってある、1年に一度しか開けないような押入れにゲーム機が隠してあるのを見つけて、両親の留守中に遊んでいました。せっかく強い敵を倒したのに、両親が急に帰ってきてしまい、データを保存できないまま電源を抜いて慌てて隠したことも。アニメは『魔法の天使クリィミーマミ』(’83〜’84年・日本テレビ系)の時代から大好き。おもちゃのステッキを買ってもらって、こたつの上で主題歌を歌って踊ったり。『美少女戦士セーラームーン』(’92〜’97年・テレビ朝日系)は欠かさず見ていたし、『スラムダンク』(’93〜’96年・テレビ朝日系)の主題歌だった大黒摩季さんの『あなただけ見つめてる』(’93年)もよく歌っていました」
■寄り添ってくれたのはMDに録音した“オザケン”の楽曲
アニメだけでなくゲームからも、声優の仕事に興味を持つきっかけを与えられた。
「当時はキャラクターの声が入ったゲームは少なかったので“将来、声が入るようになったら、このキャラを演じてみたい”って思うようになったんです」
同級生は光GENJIやSMAPの話題で持ちきりだったが、水樹さんが興味を示したのは演歌とアニソンのみ。
「’90年代の初めは歌番組自体が少なく、私が見ていたのは『ふたりのビッグショー』(’93年〜’03年・NHK)と、年に1回の『紅白歌合戦』くらい。J-POPに触れる機会はほとんどありませんでした」
そんな水樹さんが小沢健二を知ったのは、’94年ごろ。
https://news.livedoor.com/article/detail/23396281/
https://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/c/9/c9018_1212_82d44751_9d39cf86.jpg 90年代はオザケンみたいなのがイケメン扱いされてたんだから不思議 のど自慢って普通に上手いだけの人は一部しか選ばれず
ちょっとへたっぴだけどキャラが立っている地元の一般人
が優先的に選考されるんじゃないの >>2
そういう長い洗脳があって
ホシノがガッキーをものに >>1
>>3
大丈夫
子供で上手なら、それだけでキャラが立っている 高校時代はともさかりえと同級生だったんだよなあ
トーク番組でお互い名前で呼び合ってるけど
当時売れまくってたともさかりえと皆勤賞の水樹奈々って設定あったのかな >>2
おじさんが世界的指揮者だし東大というブランドもある。 >>8
超絶じゃなくて超越?
通じない事はないけど、そういう場合普通は超絶の方を使うぞ 昔、小さな町のカラオケ大会で亜麻色の髪の乙女を歌ったり審査員してた成り済ましの人いたよな >>6
KinKiの剛も同級生でしょ。
剛も水樹奈々には
近藤さんって本名て呼んでるし。 >>22
地元が隣同士の市なんだよな
遠い親戚かも 水樹さんがのど自慢ゲストの時に彼女の曲歌って優勝した声優志望の高校生の娘が本当に声優になってて驚いた
しかも割とメジャーな作品の主演やってるし >>32
ヘイヘイヘイでサラッとそのことを暴露してダウンタウンがどういうリアクションしていいか一瞬戸惑って大笑いしていたな
ゴールデンでそんなこと言って大丈夫かよと思ったが
実際大丈夫じゃなかった
しばらくしたら活動休止だもん >>6
堀越のタレント集めた芸能コースだからもっといる >>10
兄貴が居たり、父親が持ってたのとかならあるかもな 水樹さんは上手いんだけど何歌っても民謡風味だからなぁ >>20
当時はリンゴちゃんと呼んでたと言ってたな アニオタだが、声優というより歌手としてのイメージが強すぎる >>43
転スラのリルムね
それ見てた業界人とかがいたのかもな 1994年
アルバム『LIFE』 収録曲
愛し愛されて生きるのさ
東京恋愛専科・または恋は言ってみりゃボディー・ブロー
ラブリー
ドアをノックするのは誰だ?
今夜はブギー・バック
ぼくらが旅に出る理由
1995年
カローラIIにのって
痛快ウキウキ通り 同級生は光GENJIやSMAPの話題で持ちきりだったが、
いやいや、SMAPはともかく光GENJIは世代はるかに上になるだろ >>42
声量も技術もあるので上手いけど表現力がないと言われていてなんとなくわかる
声質に個性が薄い、平凡な声質なんだろうな >>2
当時から広末涼子に似てるなと思ってた。
広末涼子も何でこんなに人気があるのかわからなかった。 やっぱりトップを走るような歌手は子供の頃から人の目を引くもんなんだな。 >>51
83年生まれだけど、保育園や小学校のイベントではパラダイス銀河流れまくってたし、スーパー5なってからやけど忍たま効果で光GENJIは歌ってたよ。 エピソードが俺と同い年のババアみたいな内容だなw
と思ったら同い年だった 上沼恵美子もちびっ子のど自慢あらしだったそうだが、天童よしみとかちあってあまりの差に絶望して歌手を諦めたそうな 小島監督に付いていったからコナミから仕事の依頼がなくなった
とかあるのかな? >>66
めちゃくちゃ羨ましいな。
高校生には遠くて行けなかった。
次の年のLive Attraction2002で初めて見たよ。 この人ってアンチ少なくない?
芸スポ情報しかわからないけど
あまり叩かれていない気がする >>4
オザケンは身長がそこそこあって肩幅もあるから服が似合った
そこが星野とは決定的に違うな 堀江美都子の紅三四郎がすごい
12歳とは思えない歌唱力 >>53
アメリカで大人気の片付け術の近藤麻理恵に似てるだろ >>47
バブル崩壊後の残り香
多幸感
2010年代以降の低成長感に比べれば90年代はまだ
日本はなんとかなるんじゃないか
また雄々しく復活できるんじゃないかって雰囲気があった >>1
オザケンとペアだった小山田君の名前も出してあげればいいのに オザケンなんか聴いたらまじで耳が腐った
破壊的な音痴王で衝撃受けた クリィミーマミと光GENJIで43歳は計算が合わないんだけど? >>50
90年代に本当に近藤奈々という歌手がいたけど売れなかった >>2
でも全体でみると身長高くて小顔でかっこいいよ >>68
そのときに購入したグッズ家にまだあると思う。昔過ぎて何買ったか忘れたが。
あと来場者全員に当時出演してたCMの商品「冬の淡雪」というチョコレートが配られた。
ほぼオフィス街の中だったんで終演後外出たら中の熱気と真反対の静けさが印象に残ってる。 >>15
J-POP聴いてオシャレだと勘違いしてる痛いおっさん乙 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています