【ラジオ】吉田拓郎 ANN最終回で泉谷しげる&井上陽水らに怒りこみ上げるも…「遅いか、言ったって今ごろ」 [湛然★]
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吉田拓郎 ANN最終回で泉谷しげる&井上陽水らに怒りこみ上げるも…「遅いか、言ったって今ごろ」
[ 2022年12月16日 22:50 ] スポニチ
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/12/16/kiji/20221216s00041000441000c.html
吉田拓郎 Photo By スポニチ
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ニッポン放送をキーステーションに、全国ネットで月に1回放送されている「吉田拓郎のオールナイトニッポン GOLD」が16日に最終回を迎えた。
(※中略)
吉田はラジオ関東での思い出を振り返りつつ、そこで09年10月に長野・軽井沢のホテルで死去した元「ザ・フォーク・クルセダーズ」で作曲家の故加藤和彦さん(享年62)と最初の出会いを果たしたことを振り返った。
加藤さんとはラジオ番組で初対面して対談した。その時について「僕が駆け出しだったにも関わらず、彼のいわゆる動物的な勘なんでしょうか。(人の)好き嫌い、この男は好き嫌いが激しかった。僕のこと好きだったらしくて。で、楽器のことやレコーディングの仕方のことなんかを僕にアドバイスくれた」と思い返した。
加藤さんと出会ったことで楽器へのこだわりが始まったという吉田。「この男、おもしれぇや」と親交を深めていった2人。吉田は「加藤の方がちょっと僕より年下なんだけど、僕は加藤くんって呼んで。向こうは僕のこと…」と話した途中で何かに気付いた。
それは「あれ、僕、今気付いたけど、僕のことをみんな年下のくせに“拓郎”って呼び捨てにするのは何なの?今、ふと怒りが(こみ上げてきた)」と、年下の人たちから呼び捨てにされていることだった。これに「みんな“拓郎さん”って言えよ」と伝えた。
だが、「遅いか、言ったって今ごろ」と笑い「ずーっと、みんなから、泉谷しげるからも“拓郎”。(井上)陽水からも“拓郎”。なんで“拓郎さん”って言わねぇんだ、お前たちは本当に。加藤和彦も“拓郎”だったよ」と振り返った。
(おわり) >>157
松山は音楽の才能がど素人なのに何故か態度がデカいからなぁ。歌も本人が思ってるほどうまくないし癖も強いその上味があるとも言い難い かっこいいだろーどこかのボンボンみたいな拓郎ちゃん >>294
はっぴいえんどの偉大さは散開後にメンバーがそれぞれの場所で芽吹かせてジャンルの地平を拡げたことだな
彼等の撒いた種子は拓郎にも届いててローリング30を産み出してる >>301
たまには間抜けなボンボン野郎
それでもなんとか絵にはなりますよ〜♬
ハッ! ホイッ! フジカラー! タモリ(年上)「タケちゃん」
たけし(年下)「タモさん」 大瀧詠一はラジオ好きだから晩年は拓郎ラジオを聴いてたと思う
坂崎のラジオにもゲストで何回も出てるし 大瀧は元々拓郎がCBSに移籍したあとに
その穴を埋めるように泉谷とともにエレックの推しとなり
シュガーベイブも同じくエレックの大瀧ナイアガラレーベルから始まった
サイダーCMソングは拓郎のフジカラーの成功がヒントになった
大瀧と拓郎の奇妙な因果関係は調べると怖くなるほどのものがあって
これについてのサイトがあったくらいである
山下達郎が初めて拓郎のラジオに出た翌新年、恒例の二人の新春放談が消えている
そしてくしくも大瀧が最後に出演したメディアが、坂崎のラジオとなる >>303
山口百恵の「くっきり~すっきり~フジカラー」も拓郎作だったよな。 >>198
山下達郎は中学生くらいでラジオの公開収録に当選して、そこでジャニーさんと会ってると自分のラジオ番組で言ってた。
ジャニーさんは洋楽にも理解があって、ジャニーズのアイドルがアメリカでの洋楽カバーをレコーディングなんてのをやってて、
その音源も山下達郎が自分のラジオ番組で流してる。
さすがに中学生山下達郎をスカウトはしなかったが、音楽的には話ができる関係だったんじゃないか? 吉田拓郎も大瀧詠一も大好きだけど
なんだ?拓郎が道を作って後続が拡大整備した感じだな
だから音楽性うんぬんで語るのはナンセンスだと思う >>307
エレックの末期は楽器や家具に差し押さえの赤紙がベタベタ貼ってあったらしいな >>315
どういうこと?
意味不明にもほどがあるけど
吉田拓郎デビュー以前から存在した日本の音楽文化はなかったことになってんの? ロッキンあたりが吉田拓郎を全く取り上げなかったから、はっぴいえんどの方が上だって思ってる人多いよね。
どっちも素晴らしいけどね。 拓郎から始まったことはビジネス面では単独コンサートツアー、
そして地元興行手配師を排除したチケット制、
アーティストによるプロデュース制、歌謡界への楽曲提供etc
しかし最も大きいのはその音楽性だよ
日本語ロック論争は拓郎の登場で嘘のように消える 日本語ロック、これは厳密に言えばブラックミュージックな部分を
日本語で歌った
GS時代までも一部そういうグループがあったかも知れないが
大衆化させたのは拓郎。
簡単に言えばブルースであったということ
ミュージックマガジン系が拓郎をひたすら無視しはっぴいえんど史観を植え付けたかったのは
自分の推測では執筆陣が関西人中心で関西フォークや岡林など左派系を中心にしなきゃいけなかった
政治色を排除した拓郎、日本語ロックをあっさり歌った拓郎が彼らにとって都合悪かったんだろう ニックネームみたいなもんでもあるんだろうけど
キャラがそうさせるんだろうな
兄貴肌なのに軽くみられがちというw >>319
左系には目の敵にされてたみたいだね
>>316
そんなこと一言もいってないよ
ただ明らかに業界のフォーマットが吉田拓郎前、吉田拓郎後で変わってるんだよ
あとは調べてね 拓郎のイメージの詩、
これはうっかり聴くと分からないが
♪いい加減な奴らと口を合わせて俺は歩いていたい、の部分は
完全に思想や政治を語るやつらにケンカを売っている
そりゃ高尚なミュージックマガジンなんかからしたら腹が立っただろう
人間なんても同じだ。♪空に浮かぶ雲は(風に吹かれて)飛んで行くのだ
そこに何があるかなんてわかるわけねーだろ、と歌っているのだ >>319
政治色を排した日本語ロックってそれはっぴいえんどじゃん
内に秘めた黒さの部分でもディスコの箱バン上がりの細野や松本の方が吉田よりもよっぽど上だろ 歌謡界は拓郎に否定され、拓郎は音楽雑誌に否定され、音楽雑誌系も洋楽至上主義者からは否定され
何とも面倒臭い世界だったんだなあ 政治色を排した日本語ロックなんてGSの時代から存在してる >>324
はっぴいえんどに黒い部分なんて感じないけどな
ロックっぽい曲のはいからはくちにしても普通に音符に乗った歌でしかない
彼らはバッファーロー・スプリングフィールドやCS&Yなど当時流行りの
白人フォークロック路線という感じ >>328
そりゃそうだろうよ
はっぴいえんど自体はバッファロースプリングフィールド辺りをお手本にしたバンドなんだから
個人の資質としての話だよ
大体吉田の楽曲のどこがどう黒い? 細野の音楽性はバンバータまで届いたけれども
吉田の音楽性は団塊と団塊ジュニア辺りまでしか届いてない >>329
ブルースであること、と書いてるだろ
いちいち説明しなきゃなんないのか
割と新しいほうの曲でも例えば「とんとご無沙汰」の
出だしの部分でいきなりたった一つの音符に「♪慌ただしい」と歌い出してる
後は拓郎の真価であるシャウトの部分だな
他では例えばキャンディーズのやさしい悪魔にしてもあれはブルーノートがベースにある >>331
それボブ・ディランが黒人音楽に強い影響を受けてたってだけの話じゃん 戦後日本の若者向けポピュラーミュージックの中で黒さを感じないものを探す方が難しい >>332
そりゃそうだ
ただ拓郎は日本の土着音楽にも興味あったせいか
どうしてもバックにスチャラカ系のグルーヴがあるんだな >>332
だから日本でロックをやっていたのはロック派ではなくフォーク派なんだよ
そして重要なのは詞先であることだ
ブルースは言葉だからね。曲先の連中はブルースの派生であるファンクなどになる >>335
GSからニューロックに至る流れを何で無視するの?
ロックの本場である欧米で評価されてんのはこっちの方だろ >>336
GSにも一部あるだろうとは書いてるよ
しかし大衆化させたのは拓郎と書いてる
カーナビーツの好きさ好きさ好きさにしても所詮カバーだ
ゴールデンカップスは大衆化したか
ただのマニアックで前衛的なものだろ 日本の大衆にロックを伝えたのは吉田拓郎であり、桑田佳祐だろうね
細野大瀧はロック路線で売れずに、ようやく80年代にテクノとポップスでそれぞれ売れてる 大衆にロックを伝えたのは
タイガース、スパイダース
キャロル、ダウンタウンブギウギバンド
ツイスト、RCサクセション など
よしだたくろうはフォーク界のプリンスだろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています