【音楽】寺尾聰 大ヒット曲「ルビーの指環」作成の意外な理由「最後に何か出せるもんと」 [フォーエバー★]
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11/19(土) 10:48配信
デイリースポーツ
寺尾聰
俳優・ミュージシャンの寺尾聰(75)が19日、読売テレビ「あさパラS」(土曜、前9・25)に初出演。1981年にレコード大賞を受賞し、最近では動画に特化したSNS「ティックトック(TikTok)」で若者にも大人気の「ルビーの指環」を作った意外な理由を明かし、MCのハイヒール・リンゴらを驚かせた。
【写真】「西部警察」“リキ”を演じる寺尾聰
大ヒットした「ルビーの指環」について、リンゴに「LPとかレコードを出そうっていうのは自分で決めはったんですか」と聞かれた寺尾は「ええ。売れると思ってないですから、俳優の遊びの一つだと思って。仲間に先輩で石坂浩二さんが絵がうまいとかいろんなことやってる人がいたんで。オレは何できるんだろう、これかなって」と涼しい顔。
一方で切実な思いもあったという。当時体調を崩し、胃袋に穴が空く内臓破裂。「もう俳優辞めようと思ってて、最後に何か出せるもんという、そのへんからですね」と振り返った。
だが、「胃袋の5分の4ぐらい」を切除したものの、「偶然なんですけど小っちゃい悪いもんがポツポツッとあったのも丸ごと取っちゃったんですよ」と、幸いに悪い物も見つかったという。寺尾は「結果として今こうして生きてるのはそのおかげなんですけども。だから酒飲みすぎたのも悪くはない、結果としては。いまだに飲んでますけど」と笑った。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e44a9796246774e26add8610a73d90e719e869d2
https://i.daily.jp/gossip/2022/07/21/Images/f_15488476.jpg あさぱらは毎週見てる
出演理由はコンサートやるのでその宣伝とかいいつつ
完売したので、その必要なくなったと正直に話してた。
そういうこともあって、私服みたいなので出演してリラックスしてた。
あと大阪城公園でのラーメンフェスのラーメンがスタジオで配られてたのを食ってたね。 >>308
コマサに映画制作する気なんてなかったんだよ。
裕次郎の本当の遺言は「自分が死んだら石原プロはたたみなさい」だったと、奥さんが解散前のコメントで話した。
奥さんが版権管理で細々暮らそうとしてたのに、コマサが「それじや、社員が路頭に迷うから」と言い出し、裕次郎の遺志を継いで映画制作を!と毎年言い続けたが、本当は作る気さらさらなく、法要ビジネスで稼いだ。
スタッフも昼間から麻雀ばかりしていて、それに疑問感じた裕次郎派の石野憲助さんらが別の事務所を作って出た。その石野さんの映画に客演したのが、寺尾聰と高品格だった。
コマサは確か、テレ朝から出向していた女性プロデューサーと軍団内を私物化し、西部警察のりメイク版の事故や裕次郎の23回忌の法要で20億円使い、奥さんが激怒。
コマサと女性プロデューサーを追放し、奥さんが会長についた。
しかし、「まだ稼げる」とか言い出す残党が出たり、裕次郎死去後に石原プロ入りした人達が、舘ひろしを担ぎ出した?とかで、最後に渡哲也が再登板して幕引きするしかなかった。
それでようやく、解散した。
コマサは後年、「大昔、映画で失敗したのがトラウマになり、映画を撮る気はなかった」と白状していた。 >>312
そもそも、三船プロが「黒部の太陽」の権利放棄してくれてたから、軍団の虎の子みたいにして、法要の時期しか見られない映画にしていた。
熊井景監督が亡くなったときに、どっかで追悼映画祭があり、監督の奥さんが貸してくださいと頼んだのに、コマサが断って、奥さんが悲嘆に暮れたって話もあった。監督なのに、完全版の映像を、一度しか見れずに亡くなった。
>>314
来年か再来年にアルバム出すらしい噂がある >>317
帰らざる日々のバクリだって言うんなら全然違うし
大体帰らざる日々は荒木一郎の、君に捧げるほろ苦いブルースのパクリ
これは聞けばすぐにわかる >>322
井上鑑はアレンジでヒットさせられる稀有なタイプのアレンジャー
泰葉のフライデーチャイナタウンも井上鑑のアレンジ
井上鑑のアレンジでヒットした奴はその後ヒットが無いことが多い >>343
だからこそ予言者の夢を誰かちゃんとしたボーカリスト起用でリメイクしてほしい ほんと惜しいわ この人の仕事の途切れなさはやばい。もうパルムには出てないかもだけど >>346
俳優の仕事は営業してなくて、来る仕事をやるだけだってさ。
今年亡くなった渡辺裕之みたいに、仕事が来なくなる不安を抱えてた人もいれば、この人みたいにマネつけないでマイペースって人もいるとは。
ま、それもこれも、アルバムのReflectionsがいまだに売れてて印税が入ってくるからだろう。 >>278
たのきんが出てきた辺りから
アイドルの質が低下した どの曲かタバコを吸いながら歌っていませんでしたか
シブいというのか少々やさぐれたイメージがあったな ルビーの指輪とチャンピオンが息の長い曲だったと記憶してる この人を聴いてからPARACHUTEを知った
Re-Coolをサポートしている金原千恵子ストリングスは素晴らしい >>42
最初に聴いた時いつまでトゥットゥルトゥーンが続くのか不安になった 范文雀との結婚生活は結局アキラとひばりのパターンで終ってしまった Re-coolじゃなくて、元音源をリマスターしてほしいんだが 子供の頃に聴いて今も聴いてる
アルバムはジャケットも曲順も全てが完璧
計算されたってより
全力で作ったら完璧なのが出来たって結果
子供の頃は幸せじゃなかったが
あの頃を思い出す >>359
Re-coolは余計なことしすぎなんだよな オリジナルのままリマスターでいいのに余計な味付けをしてぶち壊しにしてる
そもそものベースが80年代AORなんだから余計なふりかけをかけたらかえってクソダサくなるだけ そのままでいいんだよ この曲はなんでそんなに大ヒットしたか分からんかった
今でもこれはシティポップ言われて高評価なのも謎
地味なムード歌謡みたいにしか聞こえんのよな
こういう世の中では大ヒットかつ高評価なのに自分ではピンとこないのはドリカムのラブラブラブと米津のレモン >>33
確かに似てる。
すくらっぷぶっくにも似たキャラがいた。 >>369
シティポップじゃなくAORな AORなんだからムード歌謡に近いっちゃー近い ムード歌謡にオシャレエッセンス(笑)を塗したのが日本のAOR
この辺はロックン演歌なエーちゃんとかもそうだけど、日本テイストが色濃いからこそのヒットだと思うよ リアルタイムで知ってないと
何がいいのかわからないよ
その時代の空気とか >>369
いや私もこれがシティポップとは思えんがwikiのシティポップでは
1981年には年間アルバムチャートで、寺尾聡の『Reflections』と大瀧詠一の『A LONG VACATION』というシティ・ポップの名盤が1位と2位につけ、1980年代前半にシティ・ポップは全盛期を迎えた[24]。
だそうだ
まあこれはAORとも思えんのよな
日本のAORだとオフコースとかサーカスが思い浮かぶ 若い頃はそうでもなかったが、今は父親そっくりな容姿になった。 >>284
ご指摘ありがとう。
そうでした、うっかりそう書いてしまいました。 >>359
元音源のMQAは良かったけど聴いたか? >>377
出航を作るキッカケが「歌物のワルツと云えばずっと星影のワルツ。いい加減他のワルツの曲無いの?無いなら作るか」
イントロはWikipediaにも書いてる様に急須からお茶を入れるイメージ。
ボリューム奏法が流行ってた頃の名演奏。あのイントロでご飯3杯食べられる。
1980年頃は真夜中をイメージする曲が流行ってたせいかreflectionsは真夜中〜夜明け前に聴くと嵌る。 20代後半にイタリアをひとりでうろうろしたけど日本語喋れないストレスもあってジェノバの港に座り込んで暮れゆく海を見ながら大声で出航唄った思い出 >>252
やっぱその噂あったよね
まあ割とよくあるストレンジャーのパクリ歌謡曲だけど サザンも思い切りビリー・ジョエルのパクリ曲があったが、似過ぎてビビりました。あれは、あれでいいのか。パクリ上等の人達みたいだし(;^ω^) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています