>>228
・寺尾がレコード出すときにコマサが強硬に反対、歌手は裕次郎と渡哲也の二人でたくさんだ

・といいながら、寺尾が東芝EMIからレコード出すときにコマサが契約金要求

・当時の東芝は、いかなる歌手にも契約金出さないルールがあったが、寺尾を担当していた武藤プロデューサーが何とか交渉して稟議切る

・出す前のお経騒動

・ベストテンに自分のバンドを連れて行って歌うことに寺尾がこだわり、金がかかるとコマサとケンカ

・寺尾がバンドメンバーのギャラを自腹切る

・売れた途端に「印税権は全て石原音楽出版に管理させろ」と言い出し、寺尾と大喧嘩

・怒った寺尾が裕次郎に直訴して、コンサートツアー回るからと西部警察降板
 
・印税管理する事務所を別に作ることも認められず、コンサートグッズを独自に作って売り、それもコマサとケンカになる

・成城の裕次郎宅に呼ばれて話し合い、1981年の売上金を全て石原プロに渡すかわりに、印税権をもらって独立→当時は「破門」と報道

寺尾聰が出た後に舘ひろしが石原プロ入りしたが、その騒動があった後なので、渡哲也がコマサと入社条件について直接交渉した話は有名。