『いいとも』『タモリ倶楽部』開始から40年 カルト芸人から国民的タレントになったタモリの「戦略」 [朝一から閉店までφ★]
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てれびのスキマライター。テレビっ子
10/4(火) 17:00
今から40年前の1982年10月4日、その後、約31年半にわたり日本の昼を彩った『笑っていいとも!』(フジテレビ)がスタートした。そのわずか4日後の10月8日深夜、現在も続く深夜の超長寿番組『タモリ倶楽部』(テレビ朝日)も開始した(本日、同番組では珍しく『タモリ倶楽部 ユーミン初登場で空耳やっちゃいましたSP』と題した特番も放送される)。
1982年のタモリ
1982年は、タモリにとって極めて重要なターニングポイントになった年だといえるだろう。
拙著『タモリ学』文庫版(文庫ぎんが堂)に収録した「大タモリ年表」の中から、1982年の項を引いてもその充実っぷりがうかがえる。
1982年(37歳)
▼1月1日、『元旦早々タモリで最高!』(TBS)放送。ビートたけし、竹下景子、大空真弓らが共演。
▼1月2日、『今夜は最高!』で女性パートナーに吉永小百合を迎え正月スペシャル。男性ゲストは沢田研二。スケッチでは眠れる美女(吉永)と王子(タモリ)、吸血鬼(沢田)を演じた。翌週の男性ゲストは野坂昭如。どちらが吉永小百合をより好きかで競っていた。タモリは憧れの吉永小百合とデュエット。
▼1月、「BRUTUS」2月1日号で吉行淳之介と対談(『吉行淳之介エッセイ・コレクション4 トーク』[筑摩書房]に収録)、日本航空の機関誌「Winds」で深田祐介と対談(『男のホンネ』[三笠書房]に収録)。
▼1月21日、『タモリスペシャル 今夜ときめきスペース』(テレビ朝日)放送。
▼1月23日、映画『水のないプール』公開。若松孝二監督、内田裕也主演。タモリはカメラ店主役で出演。
▼1月30日、『今夜は最高!』のゲストにトニー谷が登場。その後タモリはヴォードヴィリアンを継ぐ存在と見込まれたからか、晩年のトニー谷にかわいがられていた。「あの人の晩年のほとんど仕事をしていなかった時期に、俺、可愛がってもらったの。それで、あの人と何回か会って言われたことは、『ボードビリアンってのは音楽だよ。音楽わかんないと、ボードビリアンはできない』って」。なお、タモリとトニー谷の類似性については小林信彦も『日本の喜劇人』の中で指摘している。ちなみにトニー谷は赤塚不二夫のマンガキャラ「イヤミ」のモデルでもある。
▼2月、ガブリエル・ウッシー(本名・内堀尚)著『ぼくはタモリの運転手』(ライフ社)刊行。序文はタモリ。
▼2月11日、『ミュージックフェア』(フジテレビ)出演。タモリはデューク・エイセスをコーラスに従えて歌い、トランペットを演奏。
▼2月12日、「GORO」3月25日号で糸井重里と対談(『話せばわかるか 糸井重里対談集』[飛鳥新社]に収録)。急速に世間から自分が受け入れられつつある状況に自ら「おかしいと思うよ」と語り、この頃から既に「国民のオモチャ」を自称している。
▼2月20日、『今夜は最高!』のゲストに、デタラメ外国語の元祖ともいえる藤村有弘。「デタラメ外国語の応酬がアドリブでできる人は初めて」と藤村に喜ばれる。ちなみにタモリの中国語芸のイントネーションは中国・海南島のそれに近いという。
▼3月、書籍『現代用語事典 ブリタモリ』(講談社)刊行。赤塚不二夫、加藤芳一、長谷邦夫との共著。
▼3月、「新潮45+」創刊号で井上ひさしと「吉里吉里語VSハナモゲラ語」対談。
https://news.yahoo.co.jp/byline/tvnosukima/20221004-00318057 赤塚不二夫と仲良しなのも頷ける性格
超絶マイペースだけど規則は守るし意地悪もしない 昼の番組は学校のテレビで見てた気がする
それより前にラジオ短波でBCLの番組聴いてた BSで今夜は最高再放送してくれないかな、成田三樹夫回とか見たい 江頭みたいなところからBIG3に
フジテレビも根気よく使ったな 昔オールナイトニッポンの
パーソナリティだった頃
番組の終わりに視聴者の
皆さんにってマイクに
ちゅーしてたなあ
鶴光の番組に乱入したことも
あった懐かしいわ ポマードべっちょり真ん中分けでアイパッチだから怪しくて怖かった印象 赤塚不二夫の行きつけの飲み屋に通って
気に入ってもらうために全裸でイグアナの物真似とかやっていたそうだな タモリ3のLP
NSビルまで買いに行ったよ
懐かしいな >>17
おおNSビルか
夕方アイドルのミニコンサートやってたな カルト芸人って何だよw
タモリは未だにイグアナのイメージしかないわ うちにタモリの富士通FM7のポスターあるわ。ついでに武田鉄矢のPC6001mk2のも。親父が忘年会の景品で問屋からもらってきた こないだYouTubeで見たけど、いつもマイペースに見えるタモリも
マイルス・デイヴィスとの対談では、普段見られないような緊張ぷりだったな 元スパイダース田邊昭知の戦略だろ
戦略家としては凄い有能 駆け出しの頃は何故かTV放送のモンティパイソンにコーナーがあって芸していたな
タモリの「タ」がカタカナなのか漢字なのかわからんかった 「アイツは絶対に売れる!」とタモリを表舞台に上げるきっかけとなった赤塚不二夫先生の慧眼は凄い ビッグ3を陸上競技に例えたら....
マラソンのタモリ
100m走のたけし
十種競技のさんま
こんな感じなんだろうな たけし→イチロー
さんま→松井
タモリ→金本
イチロー松井は野球の貢献度はあるがタモリと金本は連続試合出場したのが一番の功績 笑っていいとも起用が全てだろう。タモリがメジャーになった要因はほぼそれw >>28
タモリの番組はそれが合うんだろけど、全てではないね
古くはシナリオと稽古のドリフから、めちゃイケの片岡飛鳥なんかはやる気しかないw >>28
手練れはやる気を封印するからね
脱力系喫茶店マスターこそ、男の至るべき姿
やる気に頼る奴はダメ、仕事出来ない >>35
そういやタモリは喫茶店のマスターもやってたんだよな。
ウインナーコーヒー注文されコーヒーの上にウインナーソーセージ乗っけて出したりとか 永六輔がNHKでテレビファソラシドに抜擢して加賀美アナウンサーの説教をノラリクラリとかわしてた
他の女子アナも多く出演しタレント化のはしり 子供の頃、タモリ倶楽部の何が面白かったか分からなかったが、
大人になった今、テレビ番組の中でタモリ倶楽部が一番面白い >>33
んだねえ。まだそれなりに人気のあった笑ってる場合ですよを終わらせて新番組はタモリが司会?フジ終わってんなーと当時思ったもんなー。 >>1
記事のライターが「拙著」って言ってんの?? > 「デタラメ外国語の応酬がアドリブでできる人は初めて」と藤村に喜ばれる。
今なら中川家弟がいるな だーれーかー 毒電波 とーめーてー 毒電波
家計が 家計が 苦しーくなるー (苦しーくなるー) 今夜は最高は俺の中ではいまだにバラエティーショーの一位だけどな
カルトやアングラというけど知性はこの頃から垣間見せていたし >>10
金粉ショーでネエちゃんのおっぱい撫で回してたの、何故か覚えてる >>41
タモリのメジャー化の歩み
テレビファソラシド
今夜は最高
笑っていいとも
全部違うテレビ局だな >>53
タモリはふざけたことしてても後ろに教養と良識が見え隠れするから大物ゲストの相手や昼間の顔としても需要があった
ということでチャンス大城は絶対違う たぶんタモリと所ジョージはいたずら番組で初めて見た モンティ・パイソン日本語版で隔週レギュラーなのがデビュー作だろ
もう一組の隔週レギュラーがチャンバラトリオだった
末期いいともにエリック・アイドルが来たけど
会場は無反応だったな >>16
昼の笑っていいとも出る時はまずいだろって、濃いシューター的なサングラスもさ。で、いいともでアイビーみたいなフレームで茶色の眼鏡にしたって。
いいとも以外ではしてたんだよねしばらく。でも結局やめちゃったね。 >>25
テレフォンショッキングで早稲田の先輩の岡村矯正の時も汗びっしょり
いい意味でこの人そんな人よ
憧れの人とか先輩とかには カルトって言われたらそうかもだけど、いいとも前でも割とメジャーだったけどな
ベストテンなんかにもたまに出てたし知名度もあった
江頭が昼の顔になるみたいな違和感では決してない ナンシー関曰く「タモリはジャンボ鶴田化している
本気を出す事などないのに本気を出したら一番強いという
幻想で格を保つ」 タモリが逝ったら誰が弔辞読むんだろ?77歳だからそろそろだよな >>66
すげえ、確かに
でも「やる気のあるものはされ」とか
どれ程自分が緩くやってるかを常に口で説明はしていたけど
それだけではその雰囲気出ないよな?
仕草や人物設定など色々計算して出してたんだろうか テレ東でやってた音楽は世界だも良かったな
色んなジャンルの一流ミュージシャンが出てたし
タモリさんも楽しそうだった 鉄道や地層や坂道などなどの雑学が笑っていいともの後の仕事にドンピシャで使えるのが素晴らしい
たけしも物理学の難しい本読んだりしているんだが仕事に使えずとりあえず芸人であり映画の人だからなあ 「うわさのチャンネル」のショートコーナーが最初に見た番組だわ
眼帯して、小森和子にケンカ売ってたなw
「笑っていいとも」に出てきた時は、確かに3ヶ月で終わると思ってた
前番組の「笑ってる場合ですよ」が人気番組だったから、ちょうど今のポップUPと同じ状況だったから >>31
たけしはカール・ルイスのように、100,200m.リレー、走り幅跳びと複数種目やった人 >>31
たけしはカール・ルイスのように、100,200m.リレー、走り幅跳びと複数種目やった人 >>76
それでもいいともはスタッフは笑ってる場合ですよ!からの継続だったからね
最初こそ低迷したけどすぐに人気番組になった >>79
イラストレーター山藤章二さんとの対談で人気の手応えはいつ?にタモリ「『友達の輪!』が広まった辺り」と答えてた
これが約2ヶ月ぐらいで横澤Pは最初の1ヶ月ぐらいの低迷で『いいとも!』には『オレたちひょうきん族』の出演者は使わないという
自らのポリシーを破って明石家さんまに声をかけた(さんまはイメージと違いスタートからはいない)
たぶん最低でも1年は続けたいと思ったんだろうね >>80
そんでもさんまがレギュラーになったのって結構あとだよね? >>81
何年か後
さんまはレギュラーになる前にテレフォンショッキングに出て、次のお友達に天敵・小田和正を紹介してタモリを慌てさせた
それがオフコースが活動再開した1984年だったのは覚えているので(今にして思えば宣伝だった)、レギュラー入りは早くても同年秋だ 田辺エージェンシーってだけだろ
昔の方が影響力あったし 九州の田舎者が 博多が一番たい
大都会ばい って東京に来たら
井の中の蛙だった
博多弁を封印して 名古屋をバカにするネタ 名古屋は愛国心が無いから
九州の人にバカにされても 九州って何処?程度の扱い なーにが国民的タレントだ人間の屑が
てめーだけは絶対に許さねえ
死んだら祝ってやるわ タモリ倶楽部の今週の五ツ星りは一週間の疲れをいやしてくれたが
みていると新婚時の嫁にあきれられた なんでタモリを振り返ってるの?
死んでからやってほしいわ 関係ないことにコメントしないから反発するやつが出てこないんだよね >>90は好かれるようになってからの話ね
昔の性格も知ってるw フォークは根暗 ならば
ジャズ喫茶に通っている連中は陰湿
俺の方が詳しくて偉いと思っているのばかり でも昔はホント、ただの変質者だったよね
眼帯つけて、ひたすら耽美な世界を提供する人だった
頭は良かったけどな、そこを見抜いて司会させた人は凄い >>34
でも片岡飛鳥はいいとものディレクターやってたんだよね。 やる気のある奴は暑苦しい
周りが見えてないはその通りだとつくづく思う >>80
たけしを乱入させて暴れさせるとか初期には試行錯誤してたな 「笑ってる場合ですよ」 は、なんか油っこかったなあ >>96
やる気ありますアピールだけで、仕事してない
大した事ないの多いからな
友人のO君も、俺頑張ってるぜ!の謎アピールしてくるからな
練習なんてダルいんだから、何とかして練習量こなすだけなのに
ああして、人に気に入られようとする
小狡い奴がやる気出すんだよ
動いてる風のヤロウがやる気に頼る >>103
行くぞー行くぞーソープランドぇぇ
行くぞー行くぞーソープランドへ‼︎ RUN-D.M.C.に日本で唯一対抗できる男その名はタモリ >>50
「今夜は最高!」はおもしろかったなー
鬼平で有名な故・中村吉右衛門がゲストの時は本人が大魔神のきぐるみ着て歌ったり踊ったりしてたのが今思うとすごすぎるw 植草甚一から譲り受けたレコードコレクションは
タモリの死後誰に受け継がれるんだろう ブラタモリのタモリは良いなー
その回の先生の話を真剣に聞いてる姿勢が良い ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています