9/21(水) 15:03配信nippon.com
https://news.yahoo.co.jp/articles/0997e040981d0adccbca2c54c67b13a25a3a9a5b

東京五輪・パラリンピックのスポンサー選定を差配した人物の逮捕・起訴は、スポーツ界に大きな衝撃を与えた。紳士服メーカー「AOKIホールディングス」や出版大手「KADOKAWA」からの受託収賄罪に問われた組織委員会の元理事、高橋治之被告は、世界屈指の広告会社「電通」の元専務。1970年代以降、日本では電通が主導してスポーツビジネスが拡大した。その暗部の一端がさらけ出された今、スポーツ界は従来の体質を見直す時期に来ている。
「1業種1社」の慣例を破った東京大会

電通が東京大会組織委員会の「専任代理店」に指名されたのは、2014年4月17日のことだ。電通からは次のような広報文が発表された。

「当社は、これまで長年にわたり培ってきたスポーツ事業における知見やノウハウを生かし、2020年に開催される第32回オリンピック競技大会および第16回パラリンピック競技大会の成功に向けて、グループの総力を挙げて貢献してまいります」

組織委が電通を通じて集めた国内スポンサーは計68社。契約金額に応じ、上位の「ゴールドパートナー」(15社)から「オフィシャルパートナー」(32社)、「オフィシャルサポーター」(21社、うちパラリンピックのみ1社)の順で分類された。協賛金は総額3761億円にのぼり、過去最高額と呼ばれた2012年ロンドン五輪の3倍ともいわれる。元首相、森喜朗・組織委元会長が推し進めた「オールジャパン」の掛け声のもと、多くの企業がスポンサーに名を連ねた。

今回の特徴は、スポーツビジネスの鉄則でもあった「1業種1社」の慣例が破られたことだ。「商業五輪」の幕明けとなった1984年ロサンゼルス五輪以降、この原則に従って協賛金はつり上げられてきた。その業界で1社しか選ばれないとなれば、ライバル会社に負けないよう、企業は無理をしてでも高額のスポンサー料を支払う。その構図がスポーツビジネスの規模を拡大させた。

東京大会においても、企業側はそのようなルールになると構えていたはずだ。56年ぶりに開かれる国内での夏季五輪である。スポンサーに選ばれなければ、自社のブランドイメージは低下する。今回の事件を考えても、ライバル社に敗れる危機感が根底にあったのかもしれない。

一方、スポンサーを集める立場からすれば、協賛企業が多いに越したことはない。このため、東京大会ではスポンサーのカテゴリーを細分化したり、新聞、銀行、旅行サービス、印刷など、業種によっては複数の同業者を参加させたりすることも認めた。このようにして、巨額の協賛金をかき集めた。

■制御困難となった世界最大のイベント

2008年に出版された五輪ビジネスに関する書籍がある。国際オリンピック委員会(IOC)の初代マーケティング部長、マイケル・ペイン氏の『オリンピックはなぜ、世界最大のイベントに成長したのか』(サンクチュアリ出版)だ。

長きに渡って五輪のビジネスを担ったペイン氏だが、同書には興味深い記述がある。1984年ロサンゼルス五輪組織委員会の協賛社選びの駆け引きを巡る回想だ。ロスの組織委では、地元米国のイーストマン・コダック社とスポンサー契約を結ぶ寸前だった。ところが、コダックはなかなか契約書にサインしない。少しでも契約を先延ばしにして、協賛金の支払い額を減らそうという狙いも透けて見えていた。

そこで組織委会長、ピーター・ユベロス氏が頼ったのが日本の広告代理店、電通だった。交渉したのは、電通の五輪ビジネスの先駆け的存在であり、ロス五輪の責任者だった服部庸一氏と当時の若き社員、高橋被告である。電通はユベロス氏の要請を一手に引き受け、わずか1週間で富士写真フイルム(現・富士フイルム)との契約を締結させた。富士にとって、五輪が米市場開拓につながることを電通は見抜いていた。逆にコダックにとっては、地元五輪でのまさかの敗北だった。

ペイン氏は高橋被告について、原書の注釈でこう記している。

「高橋治之は、のちに電通スポーツ文化局の総責任者に昇進した。日本のスポーツやイベントに関し、彼は最も影響力のある企業幹部であろう」

(以下略、続きはソースでご確認下さい)