ナンバー2022/08/22 17:02
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(前略)
■「花巻東からも1人入部しました」
 しかも、その中には甲子園経験者も複数含まれているのだから、見事な成果だろう。なにしろ東大野球部100年あまりの歴史の中で、甲子園経験者はたったの24人しかいないのだ。

「現在の東大野球部には静岡と東筑(福岡)の甲子園経験者が1人ずつ在籍し、甲子園のベンチに入れなかった同校出身者(静岡2人、東筑1人)もいます。また、昨年には、甲子園出場者ではありませんが、強豪校の花巻東からも1人入部しました」

 静岡は春夏あわせて43回の甲子園出場を誇り、夏の大会で優勝1回、準優勝2回という実績を持つ。東筑は春夏合わせて9回甲子園に出場しており、近鉄やオリックスの監督を歴任した仰木彬(故人)の母校でもある。

 ただ、両校は野球の強豪であるとともに県内トップの進学校でもあり、勉強の環境としてはじゅうぶん。その選手ともなれば東大へ入れるポテンシャルをもともと備えていても不思議はない。特筆すべきは花巻東のケースだ。

■「大巻くんはリアル『ドラゴン桜』でした」
 花巻東といえば、大谷翔平(ロサンゼルス・エンゼルス)や菊池雄星(トロント・ブルージェイズ)などを輩出した岩手の強豪校。同校野球部に所属していた大巻将人(2年)は、2浪の末に昨年東大に合格した。同校からの東大合格は史上初。浜田にとっても、スカウト活動の中で最も印象に残っている球児だという。

「大巻くんは奇跡的で、リアル『ドラゴン桜』でしたね。なにしろ、東大の受験に必要な科目である日本史Bが、花巻東のカリキュラムには入っていないんです。マイナスからのスタートでしたが、花巻東の佐々木洋監督らのサポートもあり、浪人はしましたがよく合格したと思います」

 大巻は中学時代から成績はトップで、岩手一の進学校である盛岡一に合格できるレベルだった。しかし、甲子園に行きたいという夢を叶えるため、花巻東に入学したという。そんな折、懇意にしていた佐々木監督から浜田に連絡が入った。

「勉強ができる子がいるが、どういう指導をしたらいいのかと佐々木監督から尋ねられたので、会いに行きました。本人は東大を目指したいとのことだったので、受験対策をレクチャーし、佐々木監督に頼んで彼専用の勉強部屋を寮に作ってもらいました。彼がときどき東京に来た際には、東大野球部の寮で部員による勉強指導を受けさせたり、練習に参加させたりしましたね。彼には常に『次は赤門で会おう』と声をかけていました」

 晴れて合格した大巻を、花巻東は最大限の栄誉をもって称えた。大谷翔平や菊池雄星のメジャーでの活躍を祝福する垂れ幕とともに、花巻東の校舎に「祝合格 東京大学」という垂れ幕がかかったのである。花巻東を訪ねた際にこれを目にした浜田は、すこぶる気分爽快だったという。大巻の後輩も東大を志望しており、良い先例を作ることができたと、浜田は目を細めていた。

■「根尾くんが本気で勉強すれば、おそらく東大に合格していた」
 大巻に限らず、中学時代の成績優秀者が強豪校に進んだと聞けば、浜田は全国に飛んで行く。中学時代はオール5だった根尾昂(中日ドラゴンズ)にも、もちろん勧誘を持ちかけている。

「根尾くんとは直接会ってはいませんが、彼が中学3年生で大阪桐蔭への入学が決まっていた際、同校野球部の西谷浩一監督に声をかけたことがあります。大阪桐蔭は進学コースと体育・芸術コースが分かれているので『根尾くんは勉強ができるそうなので、進学コースに入れてみてはいかがでしょう』と。ただ、よく聞くと、大阪桐蔭の進学コースのカリキュラムは厳しく、野球の練習時間がほぼ取れなくなるそうなんです。野球一本でやりたいというご本人の希望もあって、東大受験は実現しませんでした。ですが、彼が本気で勉強すれば、おそらく東大に合格していたと思いますよ」

 根尾という大魚は逃したが、これを縁として、浜田は毎年の正月明けに、欠かさず大阪桐蔭野球部の部室に詣でるようになった。そこには、西谷監督の大好物のベビースターラーメンが大量に置いてあり、浜田はこれを食べて勝ち運をわけてもらう代わりに、前編記事で紹介した「東大」ハチマキを部室に置いて帰るのである。

■「僕が死ぬまでに、東大野球部になんとか優勝してほしい」
 ここまでの労を重ねて強豪校とのパイプをつなぎ、選手を勧誘するのは、当然、東大野球部の強化につながるからだ。しかし、ここで疑問が生じる。彼らのような野球エリートたちが入部すれば、東大野球部の多くを占める、1回戦ボーイたちの居場所がなくなってしまうのではないか。

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