2022.08.12(Fri)

山陽新聞社

 岡山・香川両県は瀬戸内海を挟み、民放ローカルテレビ局の電波が相互乗り入れしている地方では珍しいエリアだ。岡山側に3局、香川側に2局。5大ネットワークがすべて視聴できる利便性を両県居住者は当たり前のように享受しているが、県外からの来訪者に驚かれることもある。なぜ同じ放送エリアになったのか。その経緯を探ってみると、意外な歴史があった―。


瀬戸内海を挟んで岡山・香川県にある民放5局
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 倉敷市から香川大に進んだ大学3年男子(21)は、高校時代までに見ていたテレビと全く同じ番組が見られることに最初はちょっとした驚きがあったという。「テレビ番組が岡山と一緒だから、最初は引っ越した感じがしませんでした」と笑う。





通称、「岡高地域」

 ローカル局の放送エリアは1県1局が原則だ。岡山を管轄する中国総合通信局(広島市)によると、放送エリアが複数の県にまたがるのは、キー局や準キー局が広域的に運用している関東、近畿、中京の三大都市圏と、山陰地方の鳥取・島根県エリアだけだという。

 「鳥取、島根は陸続きで、山陰地方として文化圏はほぼ同じ。これに対して、岡山と香川は中国地方と四国地方の異なる文化圏に分かれているのに放送エリアが一緒なのは全国でもここだけ。岡山の『岡』と香川県高松市の『高』をとって、『岡高地域』という名称がついているくらい」と同通信局放送課は指摘する。





かつては単県での新局誘致も

 なぜこういう状況が生まれたのだろうか。まず岡山のテレビ放送の歴史を振り返ると、トップを切ったのは1957年のNHK岡山。民放として中四国初の本放送を開始したのが1958年6月、岡山市に本社を置くTBS系のRSK山陽放送だ。その1カ月後の7月、高松市が本社の西日本放送(RNC、日本テレビ系)がスタート。
それから10年が過ぎて68年12月、岡山市に岡山放送(OHK、フジテレビ系)、翌69年4月に高松市で瀬戸内海放送(KSB、テレビ朝日系)が放送を始め、民放はこの時点で岡山県内2局、香川県内2局の体制になった。

 この時、民放4社は本社を置く地元の県だけに向けて電波を飛ばしていた。すると陸地に比べて遮へい物が少ない瀬戸内海を電波が越え、瀬戸内沿岸の岡山県南部と、面積が小さくて平地が大半の香川県のほぼ全域で、互いの県の放送する番組が見られる状態になった。

 ただ、岡山県北部と中部の山間地には香川県に本社を置く2局の電波が届きにくく、住民は番組を安定して視聴できない。同じ岡山県内なのに受信できるチャンネルに差があることに対し、難視聴地域の住民からすべてのチャンネルが見られるようにしてほしいという要望が高まった。
1979年4月、放送エリアを管轄する旧郵政省(現総務省)が、電波監理審議会の答申を受け、岡山、香川両県の民放テレビ放送の相互乗り入れを決めた。瀬戸大橋の開通(88年4月)に先んじて、放送エリアは両県が一体化していたことになる。







認可求めて競願合戦激しく
https://maidonanews.jp/article/14692053