『巨人の星』の主人公の名前が「飛雄馬」になった「深すぎる理由」 [征夷大将軍★]
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現代ビジネス2022.07.30
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/97858
(前略)
文学青年の宮原が以前から考えていたのは、「文学と肩を並べるマンガ」だ。マンガは絵本に毛が生えた程度の「子どもの読み物」と見られていた時代。『ちかいの魔球』で引き上げた年齢層もせいぜい高校生までで、まだ「マガジン」を読む大学生や社会人などいなかった。
出版業界でもマンガ編集者は一段低く見られており、その反発もあったようだ。この機会に、吉川英治の『宮本武蔵』のようなひとりの男の人生を描いた重厚な物語を作りたいと考えたという。
「人間を描ける原作者ということで、以前からマガジンでやっていた梶原(一騎)さんに目をつけました」と宮原は話す。
梶原は「マガジン」史上初めて実写ドラマ化されたプロレスマンガ『チャンピオン太』(画・吉田竜夫)以来、『ハリス無段』(画・吉田竜夫)、『魔犬ムサシ号』(画・石川球太)、『姿なき英雄』(画・荘司としお)など、「マガジン」で原作者として活躍していた。
内田編集長とともに、練馬区大泉学園の建売住宅に住んでいた梶原を初めて訪ねたのは10月に入った頃だった。
■「星飛雄馬」の名前の由来
当初、梶原は決して乗り気ではなかったらしい。
180センチを超える巨体や素人離れした風貌に似合わず、梶原は宮原にも負けない文学青年という一面も持っている。それまで「マガジン」の仕事はしていたが、内心はあくまで小説家志望であり、マンガ原作など「食うための日銭稼ぎ」でしかない。
その梶原も三十路を目前にし、いよいよ本格的に小説に取り組もうと考えていた。いつまでもマンガの筋書き作りなんてやってられるかよ――という気持ちが強かったようだ。
渋っていた梶原の心を動かしたのは、「マガジンの佐藤紅緑になってください」という内田編集長の言葉だった。佐藤紅緑とは、梶原や内田の少年時代に活躍した大衆小説家。「少年倶楽部」に発表した『ああ玉杯に花うけて』などの“熱血”少年小説でも人気を博した。
その気になった梶原は、「巨人軍に入団したサウスポーの天才投手が、数々の魔球を投げて活躍し、最後は破滅する」という『ちかいの魔球』のプロットをベースに、『宮本武蔵』と『ジャン・クリストフ』(ロマン・ロラン)を合わせた主人公を生み出した。
「主人公が武蔵だと、ちょっと荒々しいと梶原さんは言いました。そういう要素は持っているんだけど、表面はもう少し穏やかにして、次々と襲ってくる苦難を乗り越えていくジャン・クリストフのような人物にしたいと。それから1ヵ月くらいで、キャラクターやストーリーの大筋を作ってきたんです。『青春群像劇にしたい』というのは僕の意見ですが、具体的な人物像はすべて梶原さんが考えたものです」(宮原)
「飛雄馬」という印象的な名前は、「ヒューマン」と「(坂本)龍馬」から梶原が命名したもの。マンガで「人間を描きたい」という梶原や宮原の熱い志が感じられる。ちなみに内田編集長は少年読者に読みにくいことを心配して「明」という代案を出し、この名前は飛雄馬の姉(明子)に使われることになった。
宮原は「巨人軍での活躍を経て、最後は大リーグ(メジャーリーグ)に行くのはどうか」という構想を話したが、「リアリティがないよ」と梶原に却下されたという。60年代当時は日米の野球レベルに大きな差があり、今のように日本人選手がメジャーリーグで活躍するなど少年マンガでさえ無理があると思われていたのだ。
「飛雄馬が投げる魔球が『大リーグボール』というのはその名残なんです」と宮原。なお『ちかいの魔球』のときと違って、3種類出てくる大リーグボールの「変化」と「原理」はすべて梶原が考えたものだ。
梶原が最初に挙げたタイトルは『巨人軍の星』だったが、「野球よりも人間ドラマを描いてほしい」という宮原の意見で「軍」が取られ、より文学的な『巨人の星』になった。
連載を始めるに当たって、ひとつ厄介な問題があった。当時、集英社が読売ジャイアンツを雑誌に載せる独占使用権を持っていたのだ。そのままでは飛雄馬に巨人軍のユニフォームを着せられないし、川上監督や長嶋選手など実在の人物を登場させることもできない。
内田編集長は正面から巨人の球団事務所を訪ね、必死に協力を依頼する。その説得が実り、広報責任者の坂本幸夫はその場で全面的な協力を約束してくれた。集英社に契約の破棄を申し入れ、「マガジン」には使用料も請求しなかったという。
※一部略 連載開始された1966年はロートルのマイナーリーガー
がプロ野球で活躍出来てしまった時代
梶原一騎が「リアリティがない」と思うのも無理はない >>6
全然似てないよ
片や父さんに張り倒され、片やぶたれたことすらない 同時期にあしたのジョーの原作もマガジンでやってたけど矢吹丈の名前の由来はないのか 飛雄馬っていい名前だと思うけど、
巨人の星のイメージが強すぎて現実には付けにくいよな 伴「おまえ いつからおしになった」
星「お前が気に食わないからおしになった!」
再放送の時には おしのところは無言になってた 星飛雄馬ってバレーボーイズに出てた星野に似てるよな 言うてコンディションめちゃくちゃでも活躍したマッシー村上以後の作品じゃん
普通にやってもよかったのに >>26
その頃は運転免許制度なんてなかったからね >>26
昔の暴走族は中学生くらいで無免で運転してた 日米野球に差があるってほどメジャーリーグ知られないと思うけどな 今見ても面白い。漫画って、こういう現実離れしてるのがいいなと。
でもうちの娘が見た感想は「現実的じゃないから共感できない」って、、 >>2
Amazonで頑固に星一つ評価をつけ続けるから この頃は映画や小説で育った文学青年が漫画やアニメを食うための仕事と割りきって作ってた
今は漫画やアニメで育った世代が趣味の延長で作ってるからなあ 飛雄馬でヒューマンって、、、
どこが深いねんww
このバカ記者は深いの意味解ってるのか?? ライバルは金持ちか極貧のどちらかしかいないのは何故ですか >>41
当時は興行スポーツが牛馬の如き所業とされてたから >>32
いや当時でもシーズンオフには日米野球
やってたぞ
観光ついでのメジャーリーガーに全く歯が
立たなかった 俺52歳で巨人の星世代じゃないけど話題についていけてるお前らは歳いくつなんだよ? >>41
ライバルがサラリーマンの息子とかつまらないじゃないですか >>20
吉幾三と泉ピン子が船を見送るところでこっそりと入れ替わります。 娘さんは 台湾でレイプされて 可哀想な死に方だった メジャーに行くのがリアリティがない時代よ
メジャーの茂野吾郎だっけ、あの頃やっとリアリティが出てきた時代だった メジャーは引退するときに江夏みたいに挑戦したりするものであって
実際に行っちゃった野茂は永久追放 >>47
スクリュースピンキックとかいう
完全にプロレスしてたやつ >>26 なぜ花形は小学生でスポーツカー運転してるの?
昔その話題で議論したが、結論として「足で漕いでいた」となった 昔は何でも欧米の方が強かった
サッカー日本代表がロシアの3部リーグのチームに負けたり
競馬では並居る日本のG1馬がジャパンカップで
カナダのG2馬メアジードーツに
コースレコードで惨敗したり >>20
いま聞くと「いつから推しになった!」だと思われるだろうな
急になんでアイドルの話をしてるんやコイツらは、と >>69
原作では死ぬ。アニメでは新IIでメジャーに旅立つ。 Wikipedia見たら明子姉ちゃんて花形と結婚したんだな
何故か左門と結婚したと勘違いしてた >>69
無印だと父ちゃんと伴相手に完全試合達成するも腕がぶっ壊れて選手生命が絶たれる 梶原一騎のネーミングセンスは秀逸
花形満、左門豊作、番場蛮...みんな名は体を表してる >>53
判「飛雄馬が(ピー)になった!飛雄馬が!!」 当時は海外旅行が自由化されたばかり
一般人にとってカジュアルなものになるのはずっと先の話
アメリカは感覚的に今より遥かに遠い世界だった 王、長嶋、原、江川くらいしか伝説の選手がいないんだよな
空気の期間が長すぎる
近年も松井くらいだし >>80
監督:星野仙一
守備コーチ:立浪和義
打撃コーチ:星一徹
二軍監督:清原和博
こんな中日が見たかった >>25
調べちゃったよ、本当に知らない方がよかった >>15
名前ではないが、ジョーのモデルはたこ八郎 >>85
1ドル360円だっけ?
クイズ番組の優勝景品が「夢のハワイ旅行」とか呼ばれてた時代 ヤクザとつるんだり猪木をホテルで監禁したりする反社の梶原一騎の言う事なんか信用できんわ 阪神だと藤村、バース、オマリー、掛布、江夏、
なんぼでも出てくる 矢吹丈
力石徹
ゴロマキ権藤
大賀誠
早乙女愛
石清水弘
高原由紀
砂土谷峻
梶原一騎のネーミングセンスは実にすばらしい >>69
原作は左門の結婚式(相手はかつて星に惚れてたスケ番)してる教会を外から眺めて立ち去り、背中に教会の十字架の影が映る
アニメは一徹が飛雄馬を背負って退場 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています