小室哲哉「一番嬉しい売れ方のスタイル」と語る、ダブルミリオンを記録した大ヒット曲とは?
7/22(金) 21:11 TOKYO FM+
https://news.yahoo.co.jp/articles/c330abacd930e087e31736e1963aa3131b7ae8f9
松任谷由実、小室哲哉さん
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松任谷由実がパーソナリティをつとめるTOKYO FMの番組「Yuming Chord」(毎週金曜11:00~11:30)。7月1日、8日(金)の放送では、「Yuming 50th Anniversary Special対談」と題して2週にわたり小室哲哉さんをゲストに迎えてお届けました。(※中略)

ユーミン:私の場合はずっとアルバム・アーティストという形でやってきて、シングルはそんなに出してないんですよ。私の「ヒット曲」って、後で言ってもらうケースが多くて。小室さんは、もろ“ヒットメーカー”として90年代を駆け抜けたわけじゃないですか。そのとき、(ヒットメーカーであることに対する)意義とか思った?

小室:もともとTM NETWORKはグループなんですけど、一応、ジャケットとかにも必ず「Produced by Tetsuya Komuro」みたいに表記させてもらっていたんですけど、憧れていたのが、洋楽でもプロデューサーだったんですよね。

トッド・ラングレンとか、トレヴァー・ホーンとか、プロデューサーに憧れていたので、どこかで一度、ちょっとグループをお休みして、プロデュース業に専念したいと思って、90年代の頭から(徐々にプロデュース業に活動をシフトして)、94年に完全にお休みをさせてもらって。「プロデュース業に専念しよう」っていう感じになったんですけれども、とある番組で「小室くん、いるんだったら出なきゃダメだよ」とか言われて、いきなり生で(番組に)出演させられたんですよ。そこからまた崩壊してしまったんです。

ユーミン:“プロデュースの人”から?

小室:“オン・ステージから、ようやくオフ・ステージの人になった”って勝手に思っていたのに、また引き戻されて、オン・ステージになってしまって。そこから両方やらなきゃならなくなってしまって。

ユーミン:でも、両方やることで「プロデューサー」という立場が脚光を浴びるようになるわけじゃないですか。てっちゃんの功績です。

小室:“仕上げることの責任”っていうのもあって。ただ曲を作って「はい、あとお願いね」とか、歌詞も「これ書いたからお願いね」でよかったものが、プロデューサーは頭から終わりまで、それこそ納品まで全部1人で見なきゃいけなかったりする。“全方位チェックしなければいけない”っていうことの恐ろしさというか……当たり前にやっていましたけど、すごい量をやっていましたね。

ユーミン:J-POPにダンスミュージックを持ち込んで大衆化したのが「小室サウンド」と言えると思うんだけど。

小室:その前に、ユーミンのアルバムは、毎回リリースされる直前まで、テレビとかラジオとか街中とかいろんなところでプロモーションが展開されて、“アルバムなんだけど、すごい商品を売るんだな”という感じの現象を見ていて。

その(大々的なプロモーションの)結果として、例えば「ユーミンだったら必ずミリオン(100万枚)を達成しなければいけない」という使命がある、というか……。

ユーミン:「アルバムアーティストだ」っていう誇りを持って、「クオリティーを落とさないぞ!」というところにしがみついていましたね(笑)。“しがみつく”というか、作るときは楽しいんだけど、いったん外に出て行くと風圧はすごく受けますよね。てっちゃんも、“風圧対象”じゃん(笑)。

小室:まあ、そうですね。風に乗っているのかなと思いきや全然違っていて、“竜巻に巻き込まれる”みたいな感じになっていたので、何も逆らえなかったですね。「春よ、来い」だったかな? ミリオンいきましたよね。

ユーミン:そうですね。数字的には1回下がりかかったときに、高推移のところで再ブレイクした、みたいな時期ですね。

小室:あれも、良いミリオンの出方だなと。すごく素敵な(チャートの)上がり方だったことを覚えています。僕も、何曲かそういう“良い上がり方”をした曲があるんですけど。