【ラジオ】レベッカ「フレンズ」誕生秘話…NOKKOと土橋安騎夫が3週にわたって語り合う [湛然★]
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レベッカ「フレンズ」誕生秘話…NOKKOと土橋安騎夫が3週にわたって語り合う
[2022年5月21日5時0分] 日刊スポーツ
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202205200000924.html
ニッポン放送「NOKKOのオカエリただいま。」でレベッカトークを繰り広げるNOKKO(左)と土橋安騎夫
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/img/202205200000924-w1300_0.jpg
シンガー・ソングライターNOKKOが、パーソナリティーを務めるニッポン放送「NOKKOのオカエリただいま。」(土曜午後4時)で、自身がボーカルのロックバンド、レベッカでキーボードを担当する土橋安騎夫を21日、28日、来月4日の3週に渡って迎える。
NOKKOと土橋は、レベッカの85年の代表曲「フレンズ」が生まれた当時を振り返り、制作秘話や歌詞に秘められた思いなどを語り合う。懐かしい話から、今年7月、8月に予定されているライブのきっかけやセットリスト、過去のライブでの爆笑エピソードなど、レベッカトークをたっぷり繰り広げる。
レベッカは1984年メジャーデビューし、翌年4枚目のシングル「フレンズ」が大ヒット。昭和から平成初期のロックシーンをリードしたバンドの1つとして知られる。ほか「Raspberry Dream」「LONELY BUTTERFLY」「MOON」などの楽曲がある。
91年に解散したが、2度の再結成を経て、15年から本格的に活動を再開している。現メンバーは他にベースの高橋教之とドラムの小田原豊。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。) リアルタイムでまともに聞いたことなかったな
洋楽派でそういう奴多かったよな 当時の田舎のヤンキーはレベッカ聞いてるか工藤静香かで別れてた
ヤンキー大嫌いだったからリアルタイムではどっちも聞かなかったな レベッカの話題になると洋楽をやたらと神格化してる奴らが必ず出てくるよね 対極にあったからな
どっちも受け入れてる奴なんていなかった コード進行が露骨にマドンナな曲だらけで当時こんなんアリなのか?と疑問に思っていたバンド。何故持て囃されていたのか分からなかった。 Papa don't preach 知ってるの
Papa don't preach 何もかも 土橋は松田聖子のStrawberry Timeって曲も書いてたな >>10
ラブイズCashはヤバいなw
その他にもマドンナを意識した曲が結構あるな
フレンズはパクりぽくはない色褪せない名曲 曲はマドンナのパクリで歌い方はシンディ・ローパーのパクリ。
なぜこの両者を混ぜたw >>4
当時はカリスマ性があった
今はただ懐かしいおばさん >>24
フェビアンやってた当時は「なんかかったるい」と思ったが今はすごく癒される
逆に遊佐未森があざとさ感じてダメになった シャケがNOKKOと別れてなければ杉咲花は存在しない >>26
たぶん『ヴァージニティー』『フレンズ』のようなメロディーラインが土橋の得意ゾーンなんだろうな
『ラブイズCash』は残念な作品だけどシャケコンマが抜けて「売れるように!」となったら当時の流行りに乗って注目してもらうというのもアリだった
なぜなら当時はFM放送局がポコポコ新設されたブームで「聴きくらべてみましょう」みたいな風にかけてもらうのも裏プロモだった >>31
古賀と高野寛はギタリストとしては一流だけどソロでは微妙な結果に終わったのが惜しい。
高野は一発当てただけまだましだったがw NOKKOってあの頃のギスギスした女性シンガー群の中で
唯一人誰とも不仲にならなかったのよね フレンズよりヴァージニティーのほうが好き
どっちもリップスティックで使われてたな クラスの女子と話が弾むという理由でREBECCAⅣはよく聴いていたw
プライベイト・ヒロインが好きだった >>22
Papa don't preach と言えば長山ちゃん。 それでは聞いて頂きましょう、フレンズで「レベッカ」 当時マドンナは十分売れてたのに堂々とパクってて驚いた 新し目の女性シンガーでも
NOKKOからパクってるよね色々と・・・ >>26
フレンズ好みじゃないわ
切な系ならLonely Butterflyの方が何倍も名曲だと思う >>54
二十年前の俺の母ちゃんそっくりなんだけどwww リアルタイムは思春期でLondon Boyは何百回も聴いたかも
イントロからして大好物だった
ヴァージニティーもハマったな >>52
それって単にあなたの好みですよね
こっちの方が名曲!とわざわざ押し付ける意味がわからんわ >>52
大人になったらLonely Butterflyみたいな朝を迎えるんだろうな
と思ってたら自分には来なかった NOKKOの本名(旧姓)は山田信子、なお出身は浦和、これだけ見るといまいち冴えない WhiteSundayのラストの部分がフレンズのイントロだと今更やっと気付いた
この2曲は物語的に繋がってるって事なのかな? >>23
あれ凄いね当時好きじゃなかったけど最近聴いたら震えたわ
フレンズ以前のレベッカなんて自分のクラスでは誰も聴いてなかった
下校途中に返却予定のレンタルレコード入った厚手のビニール袋からレベッカのアルバム出したらシンとなったわ
みんなエレキギター背負って後ろ髪伸ばしてヘビメタか洋楽聴いてた >>23
酒井法子のあなたに天使が見える時
もいい曲だぞ >>56
Cheap Hippiesのイントロ良いわ >>61
電器屋さんの娘だからやっぱり屋号は「ヤマダ電器」だったんだろうか >>1
40年近く前の話かよw
1984年の40年前は太平洋戦争真っ只中だからw
仮にわいが高校生の頃、40年前の話されても文化も風俗もないのが納得だな >>52
ロンリーバタフライはレベッカが多忙な時期で
ノッコもフラフラになりながら書いた歌詞
フレンズと言えば
レッドウォーリアーズのルシアン昼の上でだな >>40
あれ、古舘伊知郎も出てるし
伊丹十三のなかでは異質な作品だよな >>39
当時を知らないがマツコの番組で
庄屋ババアがtmnディスったり他のグループをアイドル呼ばわりして不快だった
当時も喧嘩腰で周りに当たってたんだろうなと容易に想像できる フレンズは飽きる
ガールズブラボーとロンドンボーイがいいな
Ⅳでは キーボードを弾けない俺でも土橋のキーボードは口で再現できる
何気に凄いこと 土橋は天才扱いだったけどレベッカ以降は普通に失速していったな 最高の曲はMaybe Tomorrow
当然異論は認める >>66
漢字シリーズの蜃気楼、夢幻飛行、黄金の日々好き 土橋サウンドだから成功した
小暮だったらあそこまで売れてなかっただろう >>90
そうね。土橋のキラキラサウンドはキャッチーなイメージで
実は嫌いで堪らなかったけど、売れてたから我慢してた。 当時はみんながみんな洋楽のフレーズを普通に取り入れててモラルハザード状態だったから
土橋氏も何気にやってたんだろうけどそういうところが陳腐で聞くに耐えなくなっちゃったんだよなー
いいバンドだったんだけど ジャストポップアップでNOKKOが
バンドの雰囲気?外タレみたいでカッコいいみたいに言われて
嬉しそうにも見えたし微妙な顔のようにも見えた
どんな心境だったのか? シングルならONE MORE KISS大好き
LonelyButterfly、Raspberry Dream、MONOTONE BOY、ヴァージニティも好き ラブ・パッション、WILD EYES、CHEAP HIPS、HOT SPICEも辺りも >>1
【フレンズ】か【レベッカ】どちらかグループ名なのか暫く分からなかった 18才でパチンコを覚えてから壊れた。
22才でスロットを覚えて更に壊れた。 ウェラムボートクラブって戸塚ヨットスクールみたいなもん? フレンズって木暮武彦とNOKKOの失恋物語だっけ? >>111
だな
レベッカはシャケ後のレベッカで
シャケはレッドウォーリアーズで モノトーンボーイとかガールズブラボーの方が好きだった YUKIはcharaのパクリでcharaはNOKKOのパクリだけどNOKKOは誰のパクリなの? ソロになって歌い方変えたよね
レベッカの頃が自然で良かった コンサートにも行ってたのに、ソロになったら全く興味なくなったな
夜もヒッパレの司会やチャルメラのCM出てても、ふ~ん(-.-)て感じだった >>66
蜃気楼は出だしから刹那さ激しさ全開で良かったね
瞳をとじてやMOONも好きだったなあ >>106
24歳でオンラインカジノを覚えて壊れた REBECCA Ultimate Best Dreams
1. MOON 2. ラブ・イズCash 3. London Boy 4. 76th Star
5. White Sunday 6. Se x y Groove 7. VANITY ANGEL 8. VIRGINITY 9. 蜃気楼 10. フレンズ
11. Maybe Tomorrow 12. SUPER GIRL 13. Lonely Butterfly 14. RASPBERRY DREAM
15.ガールズ・ブラボー! 16. One More Kiss 17. LITTLE ROCK >>126
どれだけヒットを飛ばしてもシャケが以前在籍したBANDって亡霊から抜け出せないかと思ったが
リバイバル以降は当時をしらない人らかも支持されてよかったねと >>38
これに一票
レベッカが好きだった友達を思い出しながら歌ったら、泣きそうになった
友達まだ生きてるけど JAMがMステで『day dream』歌った時、信子の後継者が出てきたと震えたものさ。
サビでね 蜃気楼の真ん中でって歌っちゃったから信子も良い気しなかったのかな。
後年信子はユキのことをdisっていた。 女性ロックシンガーでいまだにJILL姉さんが変わらずロックしてるな >>136
同じソニーでもレベッカはSONY RECORDS(厳密にはそこの更に下位にあるKi/oonというレーベルが管轄)ジュディマリはEPIC RECORDSで内部抗争があるのよ。
EPICはこの路線はウチのものだとばかりにヒスブルやいきものがかりなどを投入した。 大昔にレベッカのコンサート何度か行った時はアンコールは
ラズベリー・ドリーム→フレンズみたいな感じだったか
その後にMaybe Tomorrowがあったかもしれん 85年当時はオーディオも全盛で、
ダイアトーンの密閉型スピーカで聞いたスピード感のある音と相まって覚えてる。今時のボワボワなスピーカーで聞いてもな。 12インチのレコードで出したモータードライブが良かったな
一緒に入ってたラズベリードリームも良い
でもライブ映像に収録されてるモータードライブはイントロ聴いたらドラゴンボールかと思ったわ >>143
しまった低音ならNS1000Mもいいだろう
いい時代よ 曲は好きじゃないけど存在意義はあった
華やかで艶やかでカリスマ性があって
マドンナというよりデボラ・ハリーが現れた時の衝撃に近い 当方vo
メンバー募集はナンパ目的で行ってたな
REBECCAやりたい子は自分でも可愛いと思ってる子
SHOW-YAは歌が上手い子で顔は残念ばかりだった >>4
昔からライブ本当に下手くそだよね…
パワフルだけど つべでも見られるけど、早稲田学祭のプライベートヒロインなんかはノッコがいかに凄かったかを知るのにいちばんいいと思う 曲はマドンナだけど歌い方やファッション含めたパフォーマンスはベルリンぽいなと当時思った
トップガンのテーマソングで大ブレイクする2,3年前のベルリンにすごく似てる >>107
殆ど在籍して居ないにもかかわらす決まって必ずこう言う人現れるね 3rd~6thまでのアルバムはホント好きだったな
勢いのある曲としっとりした曲どちらも良かった
フレンズはそこまで好きというわけではないけど収録されてるアルバムは傑作だと思う お茶の間の団らん中にテレビCMから「口づけを交わした日は~ママの顔さえも見れなかった~」って歌詞が切ないメロでいラインにのって流れてきたときの衝撃たるや あの時代でキーボードが仕切っているバンドって少ないよね
レベッカとTMぐらい
最近はキングルやヒゲダンみたいに鍵盤が重視されてるけど >>159
ファースト知らないバカかな?
ロックバンドとしての評価高かったのに
ほんとにわかのガイジはすっこんでろカス >>159
木暮が在籍してた時代があるからロックバンドとして認識されてたんだろ
木暮が在籍してなかったらバンドじゃなくてNOKKOとその他って扱いをされてたのは目に見えてる >>170
1970年結成って、大野雄二とか松岡直也ぐらいの世代? >>168
ハウンドドッグは表向き仕切っているのは大友だけどサウンド面でいえば前期はギターの八島で
途中から鍵盤の蓑輪の役割が増えてきて、解散間際は蓑輪が中心になってる 当時一番オシャレだったな
美容師のあんちゃんがよく言及してた ちょうどこの曲あたりが70年代末~80年代半ばにかけて独特だった世間の空気の終焉だと思うんだよね
この直後からバブル最盛に向かってサウンドだけでなくあらゆるものが目まぐるしく変わって行くと思うと何か感慨深いわ >>176
ユニコーンも後から入ってきた阿部ドンが今は仕切ってるね >>172
ああいう歌謡曲バンドが良いと思ってる奴もいるんだろ プライベイト・ヒロインばかりが人気だが76th StarもHot SpiceもCotton TimeもLondon Boyも良いんだよなあ >>179
良く分からんなあ
この頃と70年代に連続性なんか無かっただろ >>187
あ、ごめん
プライベイト・ヒロインばかりが人気というのは4の中での話ね
個人的には2のPrecious Starとか3の最初の3曲とか大好き 鮭還暦ライブとしてアーリーの曲演奏で土橋さんとノリさんが参加してたのには驚いた
さすがにノッコはいなかったが
以前スレに復活するなら次はアーリーの曲だじぇでやってくれないかなと書いてたが
まさか本当に実現していたとは >>1
37年前の懐メロの話なんて誰が関心あるのか? 俺のマイベスト
cotton time
super girl
lonely butterfly
ちょっと渋すぎるか しかし洋邦どちらも音楽がめちゃくちゃパワーあったな。
今では想像できないくらい音楽が良かった。アメリカもヒップホップ以降はムーブメントが無いし、イマイチな気がする。
世間が平和だったのかな〜。ご機嫌だったな。 二度浸けを見られた日は 店長の顔さえも見れなかった 女性ヴォーカリストの才能を見出したスタッフがその個性で売り出すべく、リーダーでゴリゴリなロックジャンキーを引き離すのに相当な錯誤があったのでしょうね >>168
最近のはベンフォールズ以後って感じだな〜 考えてみれば、シャケと土橋が在籍してたってのは凄いな
やっぱり、一緒にやり続けるのは無理だったのかね? >>2
あのドラマの80s臭が懐かしくてたまらない
街も人も音楽も全部キラキラしてたな 正直曲としてはイマイチじゃね
最初から最後まで一本調子だし >>4
早稲田のあのライブ、今でも凄いなって思うけどな
プライベートヒロインよあの時の ロックアレンジのポップス
やや不安定なボーカル
押し出すように歌い切るスタイル
その辺が魅力だった >>99
MONOTONE BOY 私も好き
この曲がテーマ曲だった映画は微熱少年
主演は斉藤由貴の弟
これマメね >>185
フォーク・ニューミュージックのブームが一段落して和製のパンクニュー・ウェイヴやヘビメタも
いまいちムーヴメントにはならんかったところでレベッカの爆発的ヒットってのが
そこから10年続くCDや音楽出版のバブル景気の最初の打ち上げ花火になったってとこじゃない
レコード売上全体が低迷してたあの時期に
ライブハウスから叩き上げたバンドが商売になるってこと自体結構画期的だったから >>130
ナーバスはないんですかね?
ジーンときます 当時ミニコンポが欲しい高校生だったのでワンモアキスが思い出深い 当時は恋愛の歌しかなかった時代に色々なドラマの歌詞があった >>209
ONE MORE KISSのPVのダンスが印象的だったよね >>212
あの映画で使われてたThe東南西北の
君の名前を呼びたいって曲が好きだった ハチドリの証言、Qween of venus、76th star、When a woman loves a manが特に好き
子供の頃、次のハレー彗星の時にも76th star聴きたいと思っていた >>176
Spirits!から蓑輪単志に任されるようになった
次作のLOVEは文句なしの傑作だと思う
でもBack to Rockがコケて後藤次利プロデュース
のBRIDGEが出るんだが正直駄作だと思った 「爆発的ヒット」なんて言うほど売れたっけ?
この曲の評価も後付けのイメージ フリーウェイシンフォニーとモータードライブの疾走感は異常 懐かしがるのは分かんなくはないが、当時の音楽が今より良かったなんてのは単なる幻想でしかない とてもデリケートで
彼って品があるの
これなんてタイトルだっけ? ロンドンボーイ
真夏の雨
ステファニー
トラブルオブラブ
ネイキッドカラー
この辺好き 真夏の雨、オリーブ、ヴァージニティ
今でも聴いてるわ この曲が良かった、あの曲が好きだった、は普通に懐かしがってるだけだし別に分かんなくはない
ただ、時代だ世相だと絡めて音楽シーンの象徴みたいに語る奴は限りなくインチキ臭い
そこまで語るほどの存在じゃないし、大して影響力は無かったよ >>235
いいねぇ今でも全然聴ける
When a woman loves a men
切な気怠くPVのクラシカルダンスが至高のONE MORE KISSもガンガン聴ける >>235
いいねぇ今でも全然聴ける
When a woman loves a men
切な気怠くPVのクラシカルダンスが至高のONE MORE KISSもガンガン聴ける >>233
右手にプラトンの哲学書
ハートはガラスでてきてるの 一発屋は何十年経っても一発曲の話をさせられるのね
惨めやわ レズがずっとこの曲はレズの恋愛の曲といってたんでざまあだな >>23
楽曲提供やアレンジャー、音楽プロデューサーとしての土橋はイマイチ伸びなかったな
同業からの評価は高いんだが、素人にはキャッチーさに欠けちょっとわかりにくい >>224
Queen of venus、76th starはボーカルの力強い前向きなボーカルがすごく魅力的
>>231
フリーウェイシンフォニーは「シンフォニー~~」の声の伸びが心地良い
あとどうしても挙げたいのがPrecious Star
スケール大きく、パワフルというだけでは物足りない底力みたいなものを感じて好き >>233
NEVER TOLD YOU BUT I LOVE YOU レベッカを聴き続けて30数年
個人的に不動の1位は「真夏の雨」だが
去年くらいから凄さを再認識したのが「光と影の誘惑」
何百回いやその上の桁回数聴いてきたかもしれないがずっとそれまでは途中の間奏の曲くらいに思っていた
そりゃノッコが歌ってないから優先度的には下げられていた曲だが
去年あらためて聴いてて何か凄い曲だと >>236
いやいやいやいやそれは過小評価しすぎ 音楽的にどうだったかとか洋楽パクリだとかはともかく、ノッコとか佐野元春とかの影響力は絶大だったぞ レベッカもフレンズ特に好きな訳じゃ無いけど、聴くと猛烈に学生時代を思い出すわ >>246
この曲の最後部分のドラムが凄くかっこいい 80年代はまだギリでボーカルのルックスが人気に影響しない時代だったな >>254
いやノッコはブサカワのハシリだぞ ルックス重視的な話は昔の方がはるかに酷いぞ 昔はいくら歌が上手くてもブサイクじゃどうにもならなかった リバティーのCMがいい
NERVOUS BUT GLAMOROUS 小学校の上級生がコピーしてて歌ってたのでびびったな
小学校だからな 友達に借りたテープpoisonに収録されてないからよく分からん。チェリシャフは名曲だったよ。 85年あたりから、歌謡ロック系のバンドが大挙してブレイクしていたが、各レコード会社の思惑でもあったんかね?
たしか、ハウンドドッグもこの年にブレイクだろ?
C-C-B、東南西北とかLOOKとかTOM-CAT(懐かしいw
)等々・・
前年の安全地帯、吉川晃司、チェッカーズなどが人気出たんで、手当たり次第に推してみた感じ? >>260
ポプコン系フォークポップからエピックソニー系シティポップ/シティロックへの移行期だね
あとはコロムビア系演歌歌謡から東芝EMI系シティ歌謡への移行か 俺的ベストファイブ
ラズベリードリーム
モータードライブ
フリーウェイシンフォニー
プライベートヒロイン
チープヒッピーズ
76thスター
シブすぎる 早稲田ライブを今見ると、こんな才能をマドンナパクリ、シンディパクリでしか世に出せなかった80年代の音楽シーンが残念でならない
未成熟だったとはいえ、後世になってパクりとの批判を浴びるのはわかりきってた話なのに 後追いだけど公式のフレンズのライブ映像見たら鳥肌たったわ
結構ヨレてるんだけどそれすらかっこよく見えるカリスマ性みたいなのがある 土橋安騎夫の最初のソロアルバム買ったな
けっこう好きだった 松原みきとか竹内まりやとか、ある意味まさにジャパンオリジナルのシティポップが今になって海外で評価されてるのは皮肉だよなあと思う
80年代の邦楽=レベッカ、佐野元春、ブルーハーツ、B'z、どれもこれも海外じゃ笑いものにしかならないだろう しかしこのラジオも最初は半年くらいの期間もので終わるんだろうなと思ってたけど
もう2年半くらい続いてるから意外だわ
全部録音してあるが 神様と仲直りだっけ?再結成後のアレが黒歴史になってるのがね チェッカーズ、安全地帯、C-C-Bの方がはるかに売れてた当時の日本
実際はそうでもないのに、すげーヒット飛ばしたみたいに見せるのは和田アキ子と変わりない
「売れた」というほどは売れていないが・・・・
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★1986年(昭和61年)ヒット曲ランキング
1位 CHA-CHA-CHA 石井明美 53.0万
2位 DESIRE 中森明菜 51.6万
3位 仮面舞踏会 少年隊 47.8万
4位 BAN BAN BAN Kuwata Band 45.1万
5位 My Revolution 渡辺美里 44.2万
(中略)
30位 フレンズ レベッカ 25.0万 ←←★★
https://nendai-ryuukou.com/1980/song/1986.html なんでNOKKOと知らんようなジョッキーがそんなに語り合うんだよwwwww 過去って誇大に美化するんだよね
あの頃聴いてた、もひょっとしたら後の記憶かもしれないんだけど、全部当時の記憶に収斂してしまう
だからあの頃一世を風靡したかのような錯覚を抱きがち >>267
シティポップの仕掛人は韓国人、売れてるのは欧米もあるが主に東南アジア
何故当時は海外で売れなかったかというとパクリなのがすぐわかったから アルバムに必ず1曲入ってた地味なインスト曲は誰に需要があったのか謎 当初は楽曲も担当してたシャケのロック色が強いイメージが強かったけど
土橋に代わって楽曲の方向性がガラっと変わったからな
しかもフレンズ以降にスター街道まっしぐらになったからさ
まぁ話したい内容は色々あるだろうな >>275
シングル売上枚数の数字だけだと見劣りする感じだが
ベストテン入りして知名度は一気に高まって。
フレンズの入った1985年発売の4枚目アルバムの
REBECCA IV ~Maybe Tomorrow~は
オリコン1位を7週獲得でアルバム売上枚数は100万枚弱と
ほぼミリオンでめちゃくちゃ売れた
80年代のバンド系アーティストのアルバムとしては2位という驚異的な売り上げ枚数
(ちなみに1位はプリンセスプリンセスのLoversで127.3万枚) >>263
ファイブじゃないだろと突っ込んで欲しかったのだろうが、バラード系は好みじゃないのかな?
あと全然シブくないw
俺的ベスト5は
1.ロンドンボーイ
2.ヴァージニティ
3.瞳を閉じて
4.ワイルドアイズ
シブくはないな >>277
過去の誇大も美化も錯覚も何も実際にフレンズのヒットがきっかけで
出すアルバムがオリコン1位になりその後はスター街道まっしぐらになった
実際にその後に出したアルバムは再結成前のラストアルバムまで
全部オリコン1位になってる
(ただし、コンピレーションアルバムはのぞく) まあフレンズはTMNのゲットワイルドみたいなもんだからな >>281
土橋のセンスで成功したきっかけがフレンズのヒットだからな
土橋もNOKKOも思い入れは強いだろう 初代リーダー小暮のレベッカと、2代目リーダー土橋のレベッカは別のバンド。
脱退した側もレベッカの名前を使いたがって、同時期に2組の「レベッカ」というバンドが存在した。 >>289
レベッカとレベッカ♂だから
勘違いしないように >>31
フェビアンの2枚目アルバムは好きだった、ソロになってからは疎遠になった >>rebecca
80年代そこそこ売れたバンドって感じかなー
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★1980年代アルバム売上ランキング http://amigo.lovepop.jp/decade_a1980.html
1 Reflections 寺尾聰 1981/4/5 164.6
2 スリラー マイケル・ジャクソン 1982/12/10 161.6
3 LOVE WARS 松任谷由実 1989/11/25 161.3
4 Delight Slight Light Kiss 松任谷由実 1988/11/26 158.4
5 LOVE GOES ON… DREAMS COME TRUE 1989/11/22 150.8
6 十七歳の地図 尾崎 豊 1983/12/1 129.5
7 LOVERS プリンセス・プリンセス 1989/11/17 127.3
8 the baddest 久保田利伸 1989/10/8 124.7
9 BAD COMMUNICATION B'z 1989/10/21 118.2
10 9.5カラット 井上陽水 1984/12/21 114.7
11 A LONG VACATION 大滝詠一 1981/3/21 107.9
12 REQUEST 竹内まりや 1987/8/12 107.2
13 フラッシュダンス サウンドトラック 1983/6/25 106.6
14 Ivory 今井美樹 1989/12/6 101.3
15 Such a funky thang 久保田利伸 1988/9/30 99.8
16 Nude man サザンオールスターズ 1982/7/21 97.1
17 REBECCA IV レベッカ 1985/11/1 95.8 ★
18 KAMAKURA サザンオールスターズ 1985/9/14 95.6
19 光GENJI 光GENJI 1988/1/21 93.8
20 安全地帯 IV 安全地帯 1985/11/24 92.9 >>37
スクーターはそこそこ売れたでしょ。
>>31
フェビアン今でも聴いてるけどめっちゃいいわ
ほんとになんで売れなかったのか不思議なグループ
「フレンズ」は古賀森男作ったのかと思ったけど土橋作品なんだよな。
でもREBECCAのヒット曲の中でこれだけ毛色違うんで、某かの影響あったのかも。
抜けてからは 哀愁 みたいなのがなくなってより洋楽っぽくなったりね >>288
早稲田大学学祭のシークレットギグは当時から伝説になってるな
今はyoutubeに動画で上がってるけどさ
https://www.youtube.com/watch?v=HIZuJHe-rrU >>279
コンサートのオープニングで使われてたね >>295
当時は学園祭を中心に有名アーティストのシークレットギグが結構行われて
盛り上がったいい時代だったな
平成のインターネット登場以降でシークレットギグって単語は
ほぼ聞かなくなったような気がする ちょっと前に聴いた洋楽で、フレンズ的だなと思った曲
MOBS - Some Kind of Wonderful
https://www.youtube.com/watch?v=EzlqtgMlIPo
なんか一周回って80年代的なものが若い人に受ける時代になってるんだろうか >>20
許可とらずに翻訳して本出したらそりゃ否定されるだろ >>295
シークレット過ぎて見逃した人間が悔やみまくりでな。
翌年は事前に人集まったけど、
登場したのはボガンボス…
みんな帰って閑散としてったの可哀想だったわ… >>299
TIKTOKで若いやつが昭和の曲にハマってるらしいで
逆に言えばテレビで韓流や韓ドラ、btsが流行ってるとか大嘘だから
本当に流行ってたらあんなにステマしない >>303
ネトウヨだろ
みてるこっちが恥ずかしい >>293
レベッカが年間チャートに入った86年以前のそのチャートに入ってる顔ぶれみたら
ライブハウスでくすぶってたバンドのブレイクがすごくイレギュラーなことがわかる
安全地帯は大御所の井上陽水に見出されて提供された作品でブレイクだし >>295
これ何がレアかって友森昭一がレベッカでプレイしてるその姿が見れることだよなw
1年もいなかったんじゃなかったっけ?
個人的には「最後の曲なんだって…」とノッコがガクリとしながらフリーウェイシンフォニーイントロ流れ出したらくるくる回りだしてジャンプ!
→観客の学生が一気に前に押し寄せる盛り上がりになるそこが好き
雨ってやっぱりドラマ生むな >>285
小室哲哉が、ロックバンドのアルバムがいきなり100万枚売れたことで、
レコード会社も自分も衝撃を受けたと言ってたな。
いわゆるJ-POPの一番最初の例だと思う。 >>305
売れるまで地道に活動するバンドもあれば、いきなり売れるバンドもある。
アリス
1972年結成。「特急の停まる市の市民会館にはほとんど行った(谷村)」と語るほどの地道なツアー活動をすることでファンを増やしていった。
1974年 年間303ステージという驚異的な記録達成
1978年 日本人アーティストとして初めて日本武道館3日間公演を成功させる。
オフコース
1970年 シングル『群衆の中で/陽はまた昇る』でデビュー
1973年05月 「ラブ・ジェネレーション・コンサート」(全国12ヶ所)開催
1974年1月10日、札幌・道新ホールにてコンサート。観客は僅か13人
中略
1977年04月 ~ 「春のコンサート・ツアー」開始(9月まで全国37ヶ所)
1977年10月 ~ 「秋のコンサート・ツアー」開始(78年2月まで全国39ヶ所)。
1978年03月 ~ 「春のコンサート・ツアー」開始(~7月まで全国41ヶ所)
1978年09月 ~ 「秋のコンサート・ツアー」開始(79年1月まで全国60ヶ所)。
1979年10月 ~ コンサート・ツアー「Three and two」開始(80年2月まで全国51ヶ所63回公演)
1979年12月 シングル『さよなら/汐風のなかで』発売。
アルフィーなんか下積みが長かったはずだし、怒髪天は結成からブレイクして武道館まで25年ぐらいかかっていなかったか?
レベッカが売れたのはバンドブームが来る前だったので、ブームに巻き込まれていたら、多くのバンドの中に埋没していたかもしれない。 >>310
むしろREBECCAが売れたからバンドブームが来たのであって
因果を逆にするのは無意味やろ
REBECCA、ブルーハーツ、
そしてBOOWYが若者の社会現象になったからその後のバンドブームがあるのよね レベッカのせいでバービーボーイズが売れなかったんだよなあ
だからイマサは土橋とは一切口を利かない ノッコの鼻の穴にはちんこが入るらしい
ノッコのケツの穴は臭い >>272
REBECCAの4枚目のアルバムはミリオン近い売り上げだったよ >>312
REBECCAは若い女子にウケそうな歌詞の世界観満載で
わかりやすいターゲットがいたけど、
BARBEE BOYSの、都会のハウスマヌカンとディスコの黒服がグダグダした恋愛ゲームしてるようなの、
あれじゃ売れるの根本的に無理でしょ?
個性はあって唯一無二だったとは思うし、リアルタイムで一枚目からのファンだったけどさ。
周りに好きだってヤツ皆無だったわ >>272
その後ミスチルなんかがお化けみたいに売れる布石を作ったエポックだからだよ 偶々大学祭に来ていてライブ見に言ったな
今週発売した新曲のフレンズとか言ってた >>312
バービーボーイズ1曲しかいいのないな
ギターのビジュアル苦手だし
ドラマで出たやつは性格悪そう >>318
今の5chってこういう普通のヤツばっかになってつまんない >>315
バービーだって売れてただろ ファン層も被ってないし
レベッカは女子に バービーは男に受けてた レベッカと客層は違うにしても、
最初からどーんといったレベッカに対抗するほど売れてなかったのは
最初からファンやってればわかると思うけど >>321
売る側の問題
2ndや3rdの頃に(レベッカのせいで)ちゃんと売ろうしなかった BOOWY、レベッカ、ブルーハーツが
3大バンドブーム前夜期のバンド。
バンドじゃないけど尾崎豊もこの並びに入れていい。
BARBEE BOYS、TMネットワークなどは2番手グループやな
バンド自体が少なかったから、
HOUND DOG、忌野清志郎、スライダーズ、ARBなどの80年代初期ロックバンドが盛り返したりしてた。 バービーボーイズはUKポストパンクじゃん
アメリカ寄りのレベッカとは全然違う
BOOWYがブレイクしてビートロックのムーブメントに牽引されて台頭してきたイメージ でもギターのヤツは熱烈なキャロル信者でロカビリーからの派生らしいので、
何がルーツなのかよくわからない よく言われるのは、
メン・アット・ワーク、スミス、U2、エコバニとかよね >>322
バービーボーイズはデビューアルバムからシングルカットされるたびに
レーベルが作ったPVのプロモーションは結構力入れていたはず
例えば
1stアルバムから暗闇でDANCE、もォ やだ!
2ndアルバムから負けるもんか、でも!?しょうがない
3rdからはなんだったんだ?7DAYS
と言った具合でアルバム売上のオリコンで上位を取れるまで
当時のミュートマジャパンといった音楽番組で精力的にPVでプロモーションしたりと
レーベルの力の入れ方は意外とレベッカといい勝負だったはず
実際に2ndアルバムでシングルカットされた負けるもんかがリリースされてた頃は
テレビライブしたりそこそこの箱でかなりの観客を動員してたしな アラフィフ世代が1985年前後は音楽の流行に一番多感になる10代だからな
俺もどっぷりその世代だが、メディアの音楽情報源発信元だったミュートマ見てるやつ
周りにめちゃくちゃ多かった >>321-312
3枚目が発売されてた時は既に武道館ライブやってたよ >>330
ECHOESよりは売れたと思うけど、
レベッカよりは格下だったというのが素直な印象
別に音楽的に劣ってるとかじゃなくて、
王道の中2青春ロックの3大に比べるとニッチ過ぎてな。
目を閉じておいでよ、でやっと世間に浸透したけど、もうピークは過ぎてた感じだな。
90年代の渋谷系やオルタナ時代ならもっと違ってたかもしれない。
今のゲスの極み乙女。やボカロ系流行りはちょっとBARBEE BOYSの香りがするね まあバービーは陰キャ御用達ってかんじだったけどな
陽キャ男子 ボウイ
陽キャ女子 レベッカ
体育会系DQN ブルハ >>332
人気が得られた年齢層の一番下のラインがバービーボーイズはレベッカよりも上だった気はする
エコーズもバービーボーイズと同じく年齢層が被る感じかな
バービーボーイズは男と女についてを歌った当時割と過激な歌詞だったけど
エコーズは尾崎豊と同じメッセージ性が強い歌詞だったけど
最大ヒットになったZooが入ったアルバムは (たしかディアフレンドだったかな?)
尾崎豊のような10代のしがらみを代弁するような同調理解を得られやすい歌詞じゃなく
取り巻く社会全体を皮肉ったりと中学生が聴いて同調理解が得られにくい歌詞だったと思う 80年代半ばの高校生は
洋楽派と邦楽派にハッキリ別れてた(邦楽ダサいという空気があった)
洋楽がほんとに勢いあって新鮮なグループがどんどん出てきた。
特にヘビメタは一種のブーム期だった。
それが80年代後半になると、洋楽人気が衰えてきて(ロックからR&B期になって高校生の興味が薄れていく、Mr. BIGの路線変更とか象徴的)、
バンドブームに繋がるのはご存知の通り。
なので、BARBEE BOYSは80年代後半に高校時代を過ごした世代には
クラスに好きなヤツが多くいても不思議じゃないな >>334
エコーズ好きだったけど、
プロットだとかサルベージだとかカーテンコールだとか
コピーライターが書いたような安っぽい歌詞がな(笑)
尾崎豊とジャンルは同じだけど、もっとネタっぽくて笑われてたわな
草の根で、頼まれればどの高校の文化祭にでも駆けつけるよ!
って青春臭いことやってて、好感度高かったから人気はあったよ。
ZOOくらいわかりやすい歌詞ならちゃんと売れたんだろうけど、
あれもバンドブームに乗っかってやっと売れたって曲よね。
世間的にはそれしか無い一発屋だし >>333
ブルハは陰キャ女子男子だったよ
草野マサムネみたいなやつ >>28
そのジュディマリをパクったのがヒステリックブルー >>1
うわー汚らしいパサパサ総白髪のジジババ2匹 ミュージシャンの成れの果てってほとんどこう不潔っぽくなるよね >>342
だってプロデュースが同じ佐久間てだけだからさ 言うなれば
二匹目のドジョウ ここまで誰も言及してないけどあの縦揺れしながら弾くベース高橋のことも思い出してあげてください 歴代年間カラオケ1位
(1970年~2021年)
2021年令和3年「ドライフラワー」優里
2020年令和2年「Pretender」Official髭男dism
2019年令和元年「Lemon」米津玄師
2018年平成30年「Lemon」米津玄師
2017年平成29年「恋」星野源
2016年平成28年「海の声」浦島太郎(桐谷健太)
2015年平成27年「ひまわりの約束」秦基博
2014年平成26年「レット・イット・ゴー~ありのままで~」松たか子
2013年平成25年「女々しくて」ゴールデンボンバー
2012年平成24年「残酷な天使のテーゼ」高橋洋子
2011年平成23年「ヘビーローテーション」AKB48
2010年平成22年「残酷な天使のテーゼ」高橋洋子
2009年平成21年「キセキ」GReeeeN
2008年平成20年「キセキ」GReeeeN
2007年平成19年「純恋歌」湘南乃風
2006年平成18年「青春アミーゴ」修二と彰
2005年平成17年「花」ORANGE RANGE
2004年平成16年「さくらんぼ」大塚愛
2003年平成15年「世界に一つだけの花」SMAP
2002年平成14年「亜麻色の髪の乙女」島谷ひとみ
2001年平成13年「fragile」Every Little Thing
2000年平成12年「TSUNAMI」サザンオールスターズ
1999年平成11年「Automatic」宇多田ヒカル
1998年平成10年「Time goes by」Every Little Thing
1997年平成9年「CAN YOU CELEBRATE?」安室奈美恵
1996年平成8年「I’m proud」華原朋美
1995年平成7年「Over Drive」JUDY AND MARY
1994年平成6年「Tomorrow never knows」Mr.Children
1993年平成5年「真夏の夜の夢」松任谷由実
1992年平成4年「世界中の誰よりきっと」中山美穂&WANDS
1991年平成3年「I LOVE YOU」尾崎豊
1990年平成2年「浪漫飛行」米米CLUB
1989年平成元年「TRAIN-TRAIN」THE BLUE HEARTS
1988年昭和63年「別れの予感」テレサ・テン
1987年昭和62年「時の流れに身をまかせ」テレサ・テン
1986年昭和61年「フレンズ」レベッカ
1985年昭和60年「タッチ」岩崎良美
1984年昭和59年「つぐない」テレサ・テン
1983年昭和58年「居酒屋」五木ひろし , 木の実ナナ
1982年昭和57年「赤いスイートピー」松田聖子
1981年昭和56年「ツッパリ High School Rock’n Roll(登校編)」横浜銀蝿
1980年昭和55年「恋」松山千春
1979年昭和54年「いとしのエリー」サザンオールスターズ
1978年昭和53年「津軽海峡・冬景色」石川さゆり
1977年昭和52年「津軽海峡・冬景色」石川さゆり
1976年昭和51年「なごり雪」イルカ
1975年昭和50年「サボテンの花」チューリップ
1974年昭和49年「イエスタデイ・ワンスモア」カーペンターズ
1973年昭和48年「イエスタデイ・ワンスモア」カーペンターズ
1972年昭和47年「雨の御堂筋」欧陽菲菲
1971年昭和46年「レット・イット・ビー」ビートルズ
1970年昭和45年「レット・イット・ビー」ビートルズ 最近「人魚」って曲初めて聞いたけど凄い良かったよ
今は居そうで居ない女性シンガーだよね ピーター・バラカンの「ポッパーズMTV」では全く取り上げられなかったなあ >>323
ないない
わざわざ三大にしようとするな
レベッカ、BOOWYで二大だよ >>323
ブルーハーツはバンドブーム期だな
88年にブレイクだろ?
87年までがプレバンドブーム期
TMやバービーもその時代 86年がレベッカ 「フレンズ」
87年がボウイ 「マリオネット」
88年がブルハ 「TRAIN-TRAIN」
89年がバービー 「目を閉じておいでよ」
同じくプリプリ 「ダイヤモンド」 >>357>>358
バンドブームはプリプリのブレイクから始まったと思うので
ブルハはプリプリの前から十分売れてたよ。
ただし尾崎豊と同じで好き嫌いは別れる。
俺もガキ臭くて嫌いだったが、十分過ぎるくらいの人気はすでにあったのが85~87年。 >>358
BOØWYは86年のB・BLUE
TMは87年のGet Wild
バービーも87年の女狐on the run
でそれぞれブレイクした印象
ブルーハーツは89年のはいすくーる落書きで知ったな リンダリンダが1987年5月
ブルーハーツのブレイクはBOOWYとほぼ同時だよ
ドラマで使われて一般認知度が上がったのは確かだけどら
リンダリンダの時点でリアルタイムの中高生はみんな知ってて、
すでに熱心な信者がいた >>361
これがリアルタイムではあんまり音楽聴いてなかった普通のヤツか
小中学生くらいの世代の普通 >>359
「売れた」の定義をシングルチャートで見るかアルバムでみるかなんだよな
当時はいわゆる『ニューミュージック』にカテゴライズされるミュージシャン、バンドは基本はアルバムが指標だった
あとボウイはいわゆるブレイクはシングル『Bブルー』とアルバム『ビートエモーション』の併せ技かな >>359
一般的にはイカ天からバンドブームだが、88年のBOØWYのラストギグ以降とする人も結構いるらしい
ブルーハーツはBUCK-TICKとほぼ同じ時期に売れたという認識 >>363
いくらなんでも、BOØWYとブルハが同じ時期に売れたはない ちなみにイカ天が89-90年
Xの紅も89年
筋少のボヨヨンロックも89年
コンプレックスのビーマイベイベも89年
ジュンスカの歩いて行こうも89年
ドリカムのうれしはずかし朝帰りも89年
パーソンズのディアフレンズも89年
ユニコーンの大迷惑も89年
ジギーのグロリアは88年 >>365
俺もその意見にほぼ賛成
BOOWYが解散してプリプリがブレイクした89年がバンドブームの幕開け
その前のは全部プレバンドブームのバンド
少なくとも87年にリンダリンダを出してるブルーハーツはプレバンド時代にはすでに売れていたよ。
バンドブーム時代にも継続してヒット出してたけど、
プリプリとは毛色が違うのが、インディーズバンドブームからの派生ってところ。
プリプリからは、
「あ、ロックでもこんなに売れるんだ」とBOOWYブームで気づいたレコード会社が売るために作った(プロデュースやプロモーションした)バンド、作られたブームだってところ。
ブルーハーツはその系譜じゃない >>365
ボウイレベッカからバンドブーム始まったというのが定説かな
根拠は『学生のコピーバンド』がここで一気に増えたから
バービーボーイズは大人路線だから学生がコピバンするの難しかったし
同じサックスがある一足早く売れたチェッカーズもコピバンの話はあまり聞かなかった >>367
そうここからがバンドブーム
俺はまだBOOWYが貸しレコ屋の
「ハ行」に一枚だけアルバムが混ざってた時代から知ってるから
当時のことはよく知ってるよ。
ブルーハーツは87年にはすでにかなり来てた。
ただBOOWYのブレイクは、REBECCAでもなかった社会現象。
84年REBECCA
86年BOOWY
87~88年ブルーハーツ
の順番で売れた
89年からはプリプリが圧倒的でバンドブーム時代に突入する >>363
Train-Trainの印象がとても強いからじゃないの?
実際にあのヒットがブルーハーツの人気を決定づけたからさ
それにリンダリンダは当時スマッシュ的なヒットだったしさ
パンク系だったら当時はラフィン・ノーズやニューロティカのほうが
ブルーハーツよりも圧倒的に有名だったよ >>372
ブルハは『パンクロック』という曲で錯覚しがちだけど
パンクバンドじゃないっす >>372
ブルーハーツのデビューが85年だからその時点なら古株が知名度あって当たり前
87年の時点でそれってのは、かなり偏った邦楽パンク好きがおまえの周りにいたんだね
という話しなだけじゃないか? >>375
その通り!
横浜銀蝿とか尾崎豊と同じジャンルやな TMネットワーク
http://www7a.biglobe.ne.jp/~yamag/album2512/al_tmn.html
バービーボーイズ
http://www7a.biglobe.ne.jp/~yamag/album2512/al_barbee.htm ブルーハーツ
http://www7a.biglobe.ne.jp/~yamag/album2512/al_bluehearts.html
バービーとTMは、87年にブルーハーツより売れてるな 米米CLUBも87年にブレイクしてたのね
http://www7a.biglobe.ne.jp/~yamag/album2512/al_komekome.html >>372さんは住んでるのが関西圏かな?それならすごく納得する
関西だとパンクムーブメントは確かにあってラフィンはまさにその大将格だったから
ラフィンが日比谷野音で客席事故やっちゃってしばらくバンド系が使えなくて再開したときがブルハが
『ヤング&プリティ』出したあたりか?ガチガチの警備に囲まれ柵で区切られた客席をみて
始める前にヒロトが「こんなのなくてもみんなちゃんとできるよなあ?」と話しかけたんだよね >>376
ラフィンノーズは世代を超えて有名だったけどね
1stシングルのGet The Gloryは既に知名度あったしさ
あとバンドブームの頃は周りのアマチュアパンクバンドの連中で
邦楽パンクだとブルハよりもラフィン・ノーズ、COBLA、ニューロティカといった
ブルハ以外の連中ほうが圧倒的に多かったけど
まぁ偏った邦楽パンク好きが俺の周りに多かったのかは知らんけど 87年はレコードじゃなくて本格的にCDが登場した年なんで、
物珍しさもあってCDという媒体がブレイクした年でもあるんよね。
なのでCDで欲しい!
というCDブームでもあったところにバンドブーム期が重なった。
ただ、アナログ用に録音したのをやっつけでCDに起こしたのだから、
初期のCDってとても音が悪かったわね
それが89年くらいになると、ほぼCDに完全移行するんで、
若者のファッションアイテム的にCDがバカ売れするようになった。
このときはもうバンドだったらなんでも売ろうって時代なので
イカ天ブームなどもあったわけです ハウンドドッグも85年ブレイクだよね
http://www7a.biglobe.ne.jp/~yamag/album2512/al_hounddog.html >>382
大阪は偏ってるから仕方ないね。
そのせいで
「大阪府」って芸人よりも
ミュージシャンで売れる人間が多いくらいだし パンクならGAUZEしかない
EQUALIZING DISTORT は今でも聴ける名盤 >>382
2000年頃知人がイベントで呼んでたわ
チャーミーさんは繊細そうで広い楽屋で誰とも話さない
ひたすらステージ衣装のセディショナリーズのTシャツ手洗い
ポンさんは気さくで友人が仲良くなって
指さす当時よく東京に呼ばれて遊びに行ってたな ボウイ
81年 初ライブ
82年 デビュー
85年 ホンキー・トンキー・クレイジーにタイアップが付く
86年 わがままジュリエットで売れる
87年 ONLY YOUで完全に売れる
ブルハ
85年 初ライブ
87年 デビュー リンダリンダでいきなり売れる
88年 TRAIN-TRAINで完全に売れる >>385
ドリーマーってアルバムよく聴いてたけど、全然売れなかったんだな。
バンドがブレイクしたってよりも、世の若者が邦楽ロックに注目しだした
つまり世の中が変わった時期なんじゃね? >>390
ちょっと皮肉だけど化粧品会社キャンペーンでハウンドドッグ『浮気なパレットキャット』が起用されたけど
別会社の対抗馬『い・け・な・いルージュマジック』が大ヒットして清志郎のバンド=RCサクセションが世間に出ていった
それがお茶の間的な「サザン以降のロックの分岐点」だったんじゃないかと…
その下地があってやがてハウンドドッグも『ff』で恩恵受けたと >>391
1982年2月かー
まぁ80年代のロックバンドは清志郎が起点だな。
サザンはロックバンドとはまた違うし。
80年代前半はまだサウンドがゴツゴツと荒削りだったり安っぽかったけど、
後半からは機材とか技術が飛躍的に向上して
ロックバンドの音がスゴくカッコよくなってたような気がする。
売れるようになったのは、CDとかラジカセ、コンポなどのメディアとセットで、
技術の向上というのが要因であるような >>389
ホンキートンキー~にタイアップついてないでしょ
BOØWYはB・BLUEからでしょ、売れたのは
アルバムBEAT EMOTIONがオリコン1位、50万枚のヒット >>372
リンダリンダが使われてたとんねるずのみなおかの影響もあるんじゃないかな >>393
BEAT EMOTION で知って追体験でjust a hero と gigsを聴いたらむちゃくちゃ格好良くてドハマリしたな >>351
面白い資料だ。
CD売上と全く違うが、心に残るヒット曲のイメージと合っているような気もする。
買っただけとは違う。買って失敗ということもある。
買って何度も聞いて、良いと思って歌いたくなるものだ。
カラオケランキングの方が良い曲の目安になるかもしらんな。 >>390
多分、THE MODSからじゃないの?
シングル「激しい雨が」「バラッドをお前に」 (83~84年)がそれぞれドラマやCMに起用されて、当時としてはそこそこヒットしてからね
その一年後に、REBECCAやHOUND DOGらがブレイク >>398
あーそれはあるな
RCとか甲斐バンドはフォークからの転身だけど、
80年代インディーズブームで出てきた最大の成功者だな。
純粋なロックバンドとして流れを作ったのはそこからかも 人にやさしくで話題になったブルーハーツのメジャーデビュー曲はリンダリンダでガッカリだったな
なんだよリンダリンダーって >>372
それな
ラフィンノーズは事故で失速した感じ >>367
イカ天って平成に入ってからバブル崩壊前の2年の狭間の時期で象徴的だな ラフィンノーズは、
なんもなくても売れなかったよ
全部ダサかったしもう時代が変わってたし >>403
何も無くても売れなかったとか全部ダサいとかの意味が全くわからんけど
てかさ、ラフィン・ノーズの80年代の人気を全く知らんの?
もしかしてテレビの歌謡曲番組の露出度だけで判断してた人?
ちなみにラフィンノーズも一応夜ヒットは出てたけどさ
もしかしてラフィンノーズは関西では知名度があるのが発端の関西圏嫌悪?? >>74
がんばれタブチくんでの
ドバシ監督とヒロサワのカラミが好きでした 意味がよくわからないけど
他人が好きだからとか登場の関西の知名度とか全く無関係。
ラフィンノーズより前にダムドやピストルズ、クラッシュは当然知ってたし、スターリンも好きだったけど、
ラフィンノーズとかウィラードにはピクリともしなかった。
邦楽ロックがどんどん変化してる時期だったから、
なんだかなって感じ、主観
5chはアウトサイダーとかインディーズ的なものを好む高齢者が取り残されてるのは知っている。
これは俺の主観だから議論はしない。
反論するなら、ラフィンノーズの良さだけをひたすら語れ >>403
いやいやいや・・・さすがにラフィン・ノーズは売れなかったはあり得ないw
当時はブルハ以上に知名度はあったし日本の音楽シーンに一定の影響は与えてたよ
そもそもパンクって時代による音楽性の変化って見当たらり難いジャンルだよ ブルーハーツとか何か的外れなこというからこの流れになってるんだろ >>245
夏休みにバイトして買ったわ
レコードプレーヤがフロントローディングのやつ ラフィンノーズはさすがに無いわー
おまえのラフィンノーズとの思い出だけ語ってればいいのに
おまえのその言動だとアンチ増やすだけだぞ? 実際に売れて無いじゃん
一番売れたアルバムの枚数は?
代表曲は?シングルは?
何枚売れたん?
事故がーとか関係ある?
パンクバンドなんだからむしろ箔付けなったろ? >>409
ブルーハーツが嫌いなラフィンノーズファンが暴れてるだけだな
当時からめんど臭い付き合いにくいヤツだったんだろう
35年経って5chでもまったく変わらずめんど臭いままだと ブルーハーツは本来ならリンダリンダだけ当たって去ってく感じの一発屋が
超マグレで翌年だかにトレイントレインも当てちゃって大物の仲間入りをしたイメージだわ ゆえにBOOWYとかレベッカとはちょっと毛色が違うんだよなぁ >>411
いやいやいや・・・逆に質問しますが
ラフィンはキー局制作の夜ヒットに出演するほどの知名度を有してるのを無視して意見してます?? >>415
むしろ邦楽ロックなんてそんなに売れると思わなかったのに売れたのがこの時のムーブメントなんだから、
ブルーハーツはまさにその体現者だろ? 知名度をNGワード
じいさん同じワードを繰り返さないでくれよ
偏差値低かったろ
ブルーハーツは零細音楽事務所(indies)に居ながらあれだけ売れたというが凄い。
実際どぶねずみの歌は母親を歌ったものだと思うが、とても良い。
あのqualityをみて、大手が援助してできた曲がtrain trainだと確信している。
あのpianoは相当の手練れで零細事務所が見つけられるものじゃない。 35年前に15歳でも今50歳だろ…
おまえ今どうやって生きてんの?
今まで何やってきたの?
その年齢でまともに抗議もできんのか?本とかちゃんと文章読んでるのか? 「可愛かったよ!とても子供産んだ人とは思えない!
実はシングル全部持ってるんだよね。ファンだった。まさか自分が松田聖子の曲書くなんて思わなかったな。」(土橋安騎夫氏) マーシーの前のバンドがデビュー決まってたのにチェッカーズにさせられそうになってポシャった
2度目の正直がブルーハーツ元々名が知られてた
藤井フミヤはマーシーがほぼ同期という認識 boowyが絡むスレって他のバンドの悪口合戦になる https://youtu.be/W3eBic62EEE
4つもあったのか
小学生だったけど、最後のバージョンは覚えてる >>322
BarbieBOYS、マネージャーが最悪な奴で、メンバー間を不仲にさせていったって、何かの記事で見た レベッカの1st、2nd路線では、やっぱり売れなかったのかね? >>429
それなりだろうけど
ブレイクまでは行かなかったのがだろうな 80年代後半にはもう「REBECCA」という一つのブランド名のような印象すらあったなぁ
やがてシングルのOne More Kissのミュージックビデオを見た時に今までの楽曲とは違う路線なのと
その曲も映像も完全に完成しきった山の頂点に到達してしまった感
うーん、これ以上のクオリティってもうありえないしどうするんだろう?という不安が凄く頭をよぎった
それから翌年3枚のCDを出したがどれももう頂点に立っている王者が
ちょちょいと小指の先だけで作っただけでこのクオリティになるんだよという完成度の高い楽曲ばかり
だがクオリティは超絶に高いけど惰性で作ってるような印象もあった
そして解散が発表され
あぁ、もうレベッカの新たな曲は生み出されないんだなと
それまでリリースされた曲だけで生きていくしかないのかと当時思った 何となくベスト盤だけ聴いた記憶はあるがそんな古い人達だったんだ。 >>1
ギターソロがかっこいい。飛ばさないで聴いて欲しいw 若い頃のNOKKOは不思議ちゃんに見えてたけど
おばさんになってテレビに出てたのを見たらサエない普通のおばさんになってた 俺の周りでは邦楽はダサい代名詞で誰も聴いてなかったな
陰で聴いていたかも知れんが 宇田川町にあったタワレコとCISCOにはレベッカなんて置いてなかったしな love is cashの秘話は?ゲラゲラ
マドンナのマテリアルガールを必死に耳コピしたとか聞きたいわ。 >>351
1970年なんて通信カラオケがない時代で、統計データが残っているの?
ちなみに通信カラオケが登場したのは1992年。
他のカラオケソフトと同様、約3000曲のラインアップでスタートした。 LONELY BUTTERFLY
Nervous but Glamorous
One More Kiss
OLIVE → SUPER GIRL
Vanity Angel
大好き 当時はフレンズかBOOWYのオンリーユーがヤンキーのバイブル曲だったな。 あとTENTION LIVING WITH MUSCLEは隠れた名曲 Nervous but Glamorous のかっこよさよ
https://youtu.be/AeROFCMeDXk 2〜3年前の横アリでももクロ主催のももいろ歌合戦があってNOKKOがセンターステージでフレンズを歌ったんだけど、スポットが当たり隣にギター持った是永がいて涙出たわ
去年の同じ歌合戦では武道館でMOONを歌ってくれたからyoutubeなんかで検索してみるといい
今また声を取り戻しつつあって凄く良いよ シャケ「俺をクビにしてまでやりたかった音楽がマドンナのパクリ…」 >>442
8トラカラオケは70年代にはあったな
それを何らかの形で統計取ったんじゃないの 杉咲花は木暮shake武彦の娘だが、母親はNOKKOではなくて次の奥さん >>442
JASRACが本格的にデータ収集したのが87年
それ以前からカラオケ自体はあったのは確かだがそれ以前はスナックや飲み屋等の一部のデータだろうと思われる >>450
なんて曲名?
>>451
土橋がイマイチ
>>453
まだ結婚にこだわる世代
事実婚でいいのに昭和を過ごした世代は意地でも結婚 >>453
シャケはさらに再々婚してるから杉咲花については何もコメントしないな レッズ推しのロキノンからは完全に無視されてたが
今となっちゃレッズの方がアメリカンハードロックの猿真似過ぎて恥ずかしくて聞けない >>455
アルバムの終わりの方に土橋の曲じゃないのがあるからそれが引っ掛かってるんじゃないかな ロキノンとか全てが間違ってた勘違いクソ雑誌だからなぁ 20年くらい新しい曲聞いてなさそうな信者さんたちが
youtubeでJポップ史上最高とかコメントしてるのが微笑ましかった >>459
権利の縛りがあるならアルバム内の全曲をサブスクリプションにしなくてもいいのではないか? >>179
この曲あたりから変わっていった。ソニー系列というかカップヌードル系列とか。
大沢誉志幸、ハウンドドック、渡辺美里、中村あゆみ、大江千里、
86年頃からboowy、TM、など。
当時、boowyに当たる洋楽は何だろうと探していたけど見つからなかった。
デヴィッドボウイとも似てないし、ジグジクスパトニックとかとも違うし、
すなわち日本独自の歌謡ロックだと思った。 White Sundayは冬に聴きたくなる好きな曲
学生時代外に積もる雪見ながら聴いたなー プリンセスプリンセスの人気激減ほどではなかったけど
レベッカもまぁまぁ人気の落ち方が急だったのはなぜなんだろう? >>467
ジグスパってものすごく日本人好みな気がしない?
何で日本で売れなかったんだろうね
実は今だに車で聴いてる >>469
バンドからユニットブームに移ったからじゃない
再びバンドが注目されるのはミスチルのブレイクからかな >>342
そのヒステリックブルーでパクられたのが赤松直樹容疑者… >>469
曲に斬新さが無くなった
かといってマンネリで量産もできず
そのうち激しいダンスがしんどい年齢になったりNOKKOのメンタルが不安定になったりが理由では >>469
バンドブームからみんな本家の洋楽を知ったからね
あ…しょせん歌謡曲の延長なんだってなったんだよ >>469
『ワンモアキッス』あたりから「芸術性」が入り込む曲が増えてきて聴いてても「弾む」曲が減った
おそらくは女性に人気なのが『ロンリーバタフライ』とかだし当時はアルバム作る→全国ツアーするのルーティンで疲弊していたから
自然にそうなったんだと思われる
レベッカはアルバムのペース速かったしね 小田原はレベッカ時代フェラーリ乗ってたってハマショーのライブで話してたわ
曲作ってないドラムでもフェラーリ乗れるくらいすごい儲かってたんだなって思った >>477
違うよ
バンドブームからガラパゴスになるんだよ
85年くらいまでの方が洋楽リスナー多かったしな
90年代になると、ヒップホップやグランジが台頭して、日本人の嗜好から乖離していくからね
一般的な日本人はメロディアスなもんが好きだから >>479
バンドの正規メンバーなのとロートタム使用で有名になって
バンド内では土橋といい勝負な程に目立ってたのもあったんじゃない? >>292
「古賀森男図鑑」は名盤だと思ってる
ソロの後にインディーズでフェビアン復活させてんだけど、それがまた良いんだよなあ >>229
広末が主演で元祖がっかりおっぱい池脇千鶴も出てたな >>441
シングルでもなくベスト盤にも入らず話題にも上らない'Cotton Love'が好き ママになったオリーブ
相変わらずバイトで
暮らしてるスーも
みんな牙をもった >>458
スタジアムロックな感がまんまそんな感じよな
だけど結構未だに聴くわー ルシアンヒルとかカジノドライブとか >>453
次の奥さんはマクロス7のヒロインの歌パート担当の歌手で(ドラマパートは別の声優が声をあててる)、
アルバムは毎回オリコンチャートベスト10にランクインするくらいヒットし、アニメファンには有名どころか伝説化された存在だ。
マクロスは今でもイベントやライブは盛況で、アニメファンは細くても長く応援してくれる。
なお、飯島真理はマクロスの歌は歌いませんとアニメファンを敵にまわしたので、今はかつてのヒット曲で稼ぐことは難しい。 洋楽でもお茶の間メタルと言われたボンジョビが売れたのが86年 洋楽はベストヒットUSAからでしょ 81年
ビルボードトップ40は83年 >>493
それおまえの好みだろ、おれにとっては超絶かわいい!! レベッカ解散後にNOKKOとシャケが結婚したエピソード聞くとピュアなんだろうなと思う >>484
好き好き
隠れた名曲だよね
>>486
SUPER GIRL あたしたちスーパーガール
他人のことまで救えないスーパーガール >>480
この見方が正しい
90年代に洋楽の影響が少ないバンドが現れガラパゴス化した
その結果大した意味もなく洋楽を馬鹿にする30代~40代の特異な世代が生まれた
今の若い世代は一周回って洋楽の影響を受けていて、その特異さが際立ってる やりたいことー ありすぎるのー いくら手を伸ばしても 現実はシビア この頃の歌詞はウブだよな
今の子なら初オマンタをママに嬉々として報告しそうだわ >>481
小田原はいいグルーヴしてたよ
スネアの鳴りも良い
ああいうのは日本のバンドでは珍しい
例えるならパワーステーションなどのトニートンプソンだな
マドンナのマテリアルガールでも叩いてるからな >>508
知ったげにって、無知なお前より実際、知ってるんだからしょうがないだろ 涼宮ハルヒのGod knows…のドラム小田原豊なんだよな シャケ時代の『ナッシングトゥールーズ』の叩きつけるようなバイオレンスノッコもいいんだよね >>481
あー確かにロートタム=小田原豊ってイメージあったなぁ
すげー甲高いタムの音鳴らしてたもんな >>130
love is cashを抜いてcotten timeいれて欲しかった ならフレンズよりCotten Timeタイムだな
love is CashよりOLIVE入れないと >>516
Cotton Time良いよね
良い曲なのに報われない リリース順や枚数や収録アルバム等の事実関係は良いとして、それ以外の業界分析というか世代論みたいなものがいい加減過ぎて驚いてる。
皆さん大丈夫ですか? >>519
素晴らしい!
バラードなのにこの魅せ方よ
コットン繋がりでCotton Love
https://youtu.be/TYJBoDv-t2U ルシアンヒルの上で
小高い丘の上で優しく肩を抱き寄せて >>4
こんなこと言うとMISIAヲタが荒らしにくるぞ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています