RADIOHEADはなぜ日本で評価された? 当時を田中宗一郎が振り返る
2022年04月04日 17:45 J-WAVE NEWS
https://news.j-wave.co.jp/2022/04/post-9406.html

イギリスのロックバンドRADIOHEADの魅力を、音楽評論家でDJの田中宗一郎、シンガーソングライターの藤巻亮太が語った。
田中と藤巻が登場したのはJ-WAVEで放送中の番組『SONAR MUSIC』(ナビゲーター:あっこゴリラ)。ここでは3月28日(月)にオンエアした内容をテキストで紹介する。


◆RADIOHEADの音楽との出会い

RADIOHEADに多大なる影響を受けた人たちがリスペクトを込めて「RADIOHEAD被害者の会」を結成。90年代から2000年代の最重要バンドのひとつ、RADIOHEADによって言動やファッション、人格までが形成されてしまったある種の“被害者”の話を聞きつつ、バンドの魅力を考えていくことに。

「RADIOHEADの被害者代表」として登場したのが田中宗一郎。出会いは最初にヒットしたセカンドシングル『Creep』だと振り返った。

田中:当時は「イギリスがそろそろ景気よくなるぞ」というときで。世界中にマクドナルドができたり、スターバックスができたりなど、世界中が文化的にアメリカナイズされたグローバリゼーションが進んでいった時代。イギリスでもグランジ、Nirvanaなどすごく元気で、気が付いたら「イギリスなのにアメリカの音楽が流行ってる」みたいな感じだったんです。だけどそのなかにポンと出てきたのが『Creep』だった。あの静かに始まっていきなりうるさくなるサウンドは、ようするにNirvanaやNirvanaの元ネタだったりしたPixiesと同じなんです。でも曲の作り方は50年代から60年代にたくさん作られた、すごく甘ったるいポップソングのコードなんです。だから「このソングライティングとこのサウンドを組み合わせるのってなくない? どこから出てきたのこんなの」みたいな驚きを最初は感じました。
あっこゴリラ:『Creep』的なものってたくさんありますけど、『Creep』的なものの最初が『Creep』ということですよね。
田中:そう。だからあの当時ああいうギターのバンドはいくらでもいたんだけど、甘いメロディーの曲と合わせることはなかったんです。

◆当初は一発屋扱いだった

田中はRADIOHEADのバックボーンを、イギリスの風光明媚な田園都市・オックスフォードだと解説。中産階級やハイクラスの人々が暮らす場所で生まれたのがシューゲイザーというロックのスタイルだったそう。

田中:シューゲイザーって「俺たち、とりあえず満たされているから言うこともないよ。でも人間関係とか面倒くさいから、ジャーってノイズを鳴らして、そのなかに隠れていたいよね」というムーブメントだったんです。
あっこゴリラ:そうなんだ!
田中:RADIOHEADはそこから出てきたんだけど「そんなの嫌だ! 俺は怒っているし悲しんでいるし、言いたいこともある」みたいな。当時グランジというのが同じように流行っていて、自己嫌悪の時代だったんです。「自分が大嫌いだし、死んだほうがましなんだ。じゃあそれを実際にデカイ声で歌ってみよう」という風に考えた音楽がオックスフォードから出てきたけど、シアトルにメンタリティがすごく近いし、ボストン的ないい子ちゃんの感じもある。いろいろな文化のアマルガム(折衷)みたいな感じで出てきたんです。

RADIOHEADは『Creep』が世界的なヒットとなったが、これで「ワンヒットワンダー(一発屋)」や「Nirvanaのパクりだ」と言われるなど、当時の評価は散々だったそう。

田中:イギリスのバンドは「アメリカに魂売ってる」って言うし、アメリカのバンドは「アメリカのパクりだ」って言うし。みんなに嫌われてた。
あっこゴリラ:じゃあめっちゃ売れてたけど、めっちゃ孤独だったんだ。そんななか日本ではかなり評価されてた?
田中:イギリスとかアメリカのインタビュアーって10の質問があったとしたら、8とか9は私生活を聞くわけ。「バンドメンバーと仲が悪くなったんじゃないか」とか「どこそこのバンドと仲がいいんじゃないか、悪いんじゃないか」とか。でも俺とか日本の媒体は音楽の話を聞くから、「日本人というのはジャーナリストもファンもすごく自分たちの音楽をわかってくれるんだ」という風に彼らは思ったんです。だから日本でしか話さないことがたくさんあったし、それがすごいファンの理解につながったんです。


●Radiohead - Creep
https://www.youtube.com/watch?v=XFkzRNyygfk