【テレビ】葉加瀬太郎 幼少期は公団住宅育ち「家は普通の中流っていうか、団地っ子」 バイオリン始めたきっかけは… [爆笑ゴリラ★]
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2/13(日) 11:56
スポニチアネックス
葉加瀬太郎 幼少期は公団住宅育ち「家は普通の中流っていうか、団地っ子」 バイオリン始めたきっかけは…
バイオリニストの葉加瀬太郎(54)が12日放送のTBS系「人生最高レストラン」(土曜後11・30)に出演。幼少期の暮らしを振り返った。
幼少期の暮らしについて「うちの家は普通の中流っていうか、団地っ子です。千里ニュータウン(大阪)の公団住宅で育ちました」と話す葉加瀬。バイオリンを始めたきっかけについては、「(自身の世代は)ベビーブームみたいな頃で、親の世代は戦後の団塊の世代なわけじゃないですか?親としては教育というか習い事をいっぱいさせてくれた。そんな中の金曜日がバイオリンだったって感じ」と説明した。
バイオリンを1番練習したのは小、中学生時代。団地住まいだったので、夜9時までしか音を出してはいけなかったという。当時の暮らしについて「公団住宅の団地でクーラーもなければ、夏だったらずっと窓開けてるわけだよね?友達の家とかもカギとか閉めてない。そして、誰の家で飯食っててもいい長屋みたいな…そんな感じだったわけ」と回顧。「そこで家帰ってきたら、毎日夜9時までは練習するんですけど、練習してない日とかは近所からは『きょう太郎くん、なんだ風邪ひいたのか?』と…」と練習しない日には近所からは心配する声があがっていたと明かし、最後には「今(の時代)からしたら考えられない」と当時を思い返した。
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20220213-00000171-spnannex-000-2-view.jpg
https://news.yahoo.co.jp/articles/58710cff137b9a604ef2183b1a20bcf7a64d3cf0 公団って中流なのか?
下流のイメージなんだが( ˘•ω•˘ )? 金持ちの彼女の高田万由子のおかげで
有名になれたんだっけ 昭和40年代は公団住宅に入るのは一種のステータスだったな。
今は流石に作りが古くて取り壊しも始まっているが。 >>4
昭和の大らかな時代なら問題ねえよ
この時代生まれてないから知らんけど 当時の団地でバイオリンひくには防音材でもなきゃ無理では? 楽器弾いたり大音量でミュージック聴く時こそ
ポツンと一軒家住みで良かったと実感する瞬間 >>3
そうだよね?フィギュアやゴルフもだけど低所得の家庭には無理だわ 団地の子と遊んではいけません
団地の子の特徴
・他人の家の金品を盗む
・店で万引きをする
・小学生なのにタバコを吸う
・他人の家の風呂を覗く
・レイプをする
・小学生なのにエロ本を読む
・立ち小便をする >>8
ピアノ騒音殺人事件とかあったのも同じ時期だろう 当時の団地なんて同年代ばかりだからみんなうるさくて気にならない
町工場は至る所にあるし騒音だらけ
今は住宅地は静かになって集合住宅は年齢層が多様化してるから無理 道具使う趣味・習い事はどうしても金かかるからね
ゴルフに興味出てきたけどおっさんでもその必要額で躊躇してるわ >>2
> 公団って中流なのか?
>
> 下流のイメージなんだが( ˘•ω•˘ )?
そりゃ、いまはそうだろ
公団住宅は、もともと中流ターゲットの賃貸住宅の供給を目的として建設された
あと、葉加瀬太郎の子供の時なら、一億総中流という言説がまかり通っていたので、あながち間違いではない >>23
でも>>4みたいな精神病がいたら刃傷沙汰にもなってた 小学生の頃は公団住まいの友達は皆金持ちだとなぜか勘違いしてたわ
あれはなんだったんだろうか クレーム来なかったなんて恵まれた環境だね
団地でバイオリン弾けるなんて奇跡に見える >>26
一流企業がボロいアパートみたいな社宅持ってたりする 小学校からやってる奴はぜんぜん違うもんな
剣道でも >>26
マスコミの刷り込み?
未だとタワマン住まいは皆金持ちと勘違いする子供がいそう 住宅自体不足していた時代で公団に住んでただけで貧乏ではない 54歳だとギリ中学生時代にまだファミコン登場してない世代だな 昔でも団地でバイオリンとか糞迷惑だろw
あいつら何時間も毎日練習するし >>26
実際金持ってる奴は多いんだけどな
公務員と社宅とかだと金がたまりまくる
金持ちというより中の上という感じだが >>2
それは公営住宅だな
収入制限あるし、トイレも高齢者を想定してるから大で流しても水量が足りずによく詰まったわ >>2
一億総中流という時代だから中流の基準が低いんだよ。
もう10年上の世代だと風呂は2日に1度、おかずも芋がメイン、
冬は窓の隙間に新聞紙で目張りするみたいな時代だし。 当時の千里の公団ならサラリーマン家庭の中でも上級だけどな。 >>31
だよね( ˘•ω•˘ )?
博士の時代だとマイホームブームでバンバン戸建て買っていったじだいだったんじゃないのお? >>1
ガキのころ団地の子と仲良くしちゃいけません!言われてたぞ 習い事たくさん通える家庭が団地に住むか?
本人金持ちすぎて理解できてないんじゃ? 自分とこも団地で結構みんなピアノとかエレクトーンとかやってたけど
朝早くとか夕方以降に音鳴らす人もいなかったし文句を言われた話もなかった
みんな顔見知りで普段の親同士の関係性も悪くなかったことが起因の許容量もあるのかもしれない >>41
車庫付き戸建て+マイカーが中流でしょ( ˘•ω•˘ )? >>1
正直、公団のやつに団地っ子とか語らないでほしいわ
団地っ子は公営住宅に住んでた人だけに与えられた特権 >>42
団地言うても市営の方だろ
公団住宅の方を言うてないと思う 子供の数自体多かったから
あちこちから一日中子供の騒ぎ声がしてたんじゃないかなあ
それでも文句言う世の中じゃなかったんだろう 50年前の公団は、今で言うタワマンくらいの位置だったと思うよ
高田万由子は幸せなのかな?顔がどんどんトゲトゲしてるけど >>4
レベルにもよるな
音大附属小にいたうちの妹のピアノは最悪だった
大体同じ所で失敗するし、ガクッとなる
葉加瀬は多分その頃からうまかったんだろ あの頃の団地は、今のタワマンみたいなもんだったな
その後、エレベーターないとか(5階建て団地)、部屋が狭くなったとかで軒並み引っ越し
ピアノをやっていた家が騒音問題になってたのもその頃
自分は団地の小学校に途中まで通っていたが、20歳過ぎの時点の同窓会でまだその団地に残ってるやつの方が少なかったし、残ってるのはほぼヤバい奴だった
平成になる前に団地は終わった印象 >>1練習してない日とかは近所からは『きょう太郎くん、なんだ風邪ひいたのか?』と…」と練習しない日には近所からは心配する声があがっていたと明かし
これって嫌味だぞ毎日9時まで爆音だと近所迷惑だわ >>2
葉加瀬太郎54歳。なので1970年代の話。当時は中流です。
親の年齢が30代から40前半で、公団住宅や市営アパートなどに住んで、
子供が中学生になる頃に一戸建てを買ってそこに住むのが中流だったのですよ。
我が家も小六まで風呂無し市営住宅でした。
これでも父親は公務員だし母親も正規採用の看護婦でした。
マイカーもありましたよ。
これを下流と言うのは「無知」「無教養」「未経験者の知ったかぶり」ということです。 公団住宅=今のUR
公営住宅=低所得者向け(低所得者ほど家賃安い)
なので葉加瀬は貧乏ではない >>43
当時の団地住まいはハイソだったんだよ
全然当たらなかった 団地は下流だろ
バイオリンと相殺で博士家は中流だろうけど 子供の頃、麻布のマンション住んでたけど団地の子って扱いだったわ >>57
公団は賃貸じゃなくて分譲だったからな、当時は
賃貸になったのは、古くなって人気がなくなってからの印象 当時でも、その環境でプロになれるなんて珍しいんじゃないかな? 大学んとき実家住みの友達んちに行ったら、マンションと聞いてたのにどうみても団地だった
今思うとあれは公団
田舎には公団はなくて団地といえば公営だった 昔の公団住宅は家賃高いイメージ
今の公団住宅(UR)はかなり安い 葉加瀬なんて洒落た芸名だけど、本名は高田太郎って普通なんだよな >>1
今の50代だと子供の頃の公団育ちは
まさに中流だったな。
近所に公団あったが、その子の親は三井物産だったり大日本印刷だったりした。
中学生頃に一軒家に引っ越したのが多かったな。
假屋崎省吾も経済評論家の森永も
団地育ちと言ってたな。
假屋崎省吾は親が教師で森永は父親が新聞記者でしょ。
それにしても、葉加瀬みたいな容姿でよあんな金持ちの美女と結婚できたわ。
それが不思議だ。 千里なら
上流:庭付一戸建て
中流:公団の団地(今のUR)
下流:府営団地
46年生まれ 千里育ちの俺はそう思う。 >>55
自分も70年代頃にニュータウン住まいだったが、序列としては、
新築一戸建て>公団分譲>公団賃貸>公営賃貸のかんじでしたね。
公団賃貸以上がいわゆる中流。
公営賃貸になると貧困層もけっこういて当時もガラが悪かった。
同級生での中卒者も、公営賃貸に住んでる人に集中してた。 大昔は、千里NTでも公団の1室でピアノ教室やってて、家族もガキの頃にそこに通ってた
今なら、一軒家いや専用の防音室でも無ければピアノ教室なんか無理やな
コンポでさえ店から駆逐されたからな つーても千里だから
当時だとそこそこの層が集まる中の上クラスやで 大学の頃に、母親がタレントの田万由子幼稚園であんたの一個上よ言われて
公式では年下だったから違う人じゃね?ってなったw あの頃はタレントが歳を
鯖読むのが普通だったな クレーム来なかったっていうかみんなうるさかったんだと思う、9時まで何してもいいことになってたのでは? >>81
皆がそうやって千里NTに集まるから、年々渋滞が酷くなりつつある >>82
昔はマウント取るツールだったからセーフだろ
ウチはお金あるんザマすのよオホホとか
テレビクーラー洗濯機が三種の神器とか言われてた頃はな
知らんけど 音楽一家でもなく親が熱心でもないのに食えるプロにまでなれるのはとびきりの才能だな ニュータウンは当時の最先端だから親は上流多いのでは >>82
当時は生活騒音に関して今よりもずっと寛容やったぞ
TVとかコンポで大音量流すのも深夜早朝除いて普通やったし、団欒やパーティで騒ぐのも珍しく無かった
今や、TVのショボいスピーカーでさえ小音量で、音楽はイヤホン、集団で騒ぐなんかコロナ禍も相俟ってタブー すげえじゃん
大したコンクール歴はなさそうだな
でも成り上がれた >>83
彩都とか絶望ヶ丘とか遠すぎるねん(´・ω・`)
市内のタワマンが無理なら千里に集まるわな あと、郵政とか社宅団地住まいのやつにも団地っ子って言って欲しくなかったな 関西では太郎君のバイオリンうもうなりましたなって言われたら
バイオリンうるせーんだよ静かにしろって意味らしいな
いやらしい地域だと思ったわ >>87 漏れ
当時は、土曜20時には8時だよ!全員集合を家族全員で見ながら談笑なんか普通の光景やった
周りがそんな感じやったから、皆何も思わなかった。
今や、五輪ジャンプで大音量で掛け声出しながら応援しようものなら、忽ちピンポンや壁ドン
酷いと🔪持って殴り込まれかねん 60年代の団地って競争率も高くて家賃の何倍もの月収がないと応募もできなかったと聞いた
70年代は中流になったの? 集合住宅の防音性を高める事ってコスト考えたら無理な話なのかな 大したもんだろうな
普通なら中流家庭程度なら習うにしても一流のヴァイオリニストに師事なんて無理でヤマハ音楽教室止まりだろうから
ある程度のレベルまでしかどうやっても行けないもんだよ >>89
たまには箕面森町(しんまち)のことも思い出して下さい うちも団地だったけどピアノやってたな
うるさくてもそれが当たり前みたいなとこで生活してたから何も問題なかった
いまは言われるのかもしらんが 戸建しか知らない俺は市営とか公団とかの違いがわからない 千里辺りは治安もええし
あの時代ならまさに中流って感じやろな 桐朋の子供のための音楽教室あったけど
遠かったからやめた
行ってたらうまくなってたのかな
やっぱ近所のおばさんじゃな 昔の公団は最先端ぐらいの作りだったんで、中流家庭がいっぱいいたんだよな どうも高田真由子見ないと思ったらロンドンに住んでるのか
ロンドンとか疲れそう >>101
毎度お騒がせしますはどっちなんだろう? >>97
分譲にいたけど母子家庭が近くに二つあって片方は母親水商売子供は不登校児で周囲のもっと幼い女児にイタズラ
もう片方は母親が子供放置して出かけるのでその子がマッチで遊んで火事になった
火事の方の子とは何度か遊んだけど性犯罪常習の方は関わるなと大人たちに言われて避けてた
中流とは言ってもちょっと変わった世帯も混ざってた 昭和の団地はエリートが住んでいたんだよ
今と状況が違う もの心ついた時にはヴァイオリンもってたっていうから
幼稚園入る前から習わせてて、小学生くらいには
もう騒音レベルではなく鑑賞レベルになってたはず
ピアノやヴァイオリンがうるさい不快な騒音になるのは
弾いてる奴が下手くそだから
小学生から始めたんじゃもう遅くて近所迷惑な騒音になるだけ 公団分譲団地は倍率100倍とかで
エリートしか住めなかった 三種の神器(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)を揃えて
団地生活をすることが一種のステータスだった時代があった
普通の中流というか、中流の上位の方っしょw
ニュータウンには若い子育て世代がいっせいに入居したので
みんなうるさいからある程度は許容範囲内 >>118
その金持ちのエリアも切り売り厳禁で、建蔽率とかもかなり厳しいから
本当に金持った人しか住めない 団地の子は食い物争奪戦を戦ってきただけあって逞しいよな 千里ニュータウンって大阪万博で沸いてた頃に一気にたくさん立ったとこだよね
当時は憧れのニュータウンだったんだよ
若い世代が多くて賑わってた
今は年寄りばかりで廃れてしまったけどね セリーヌ・ディオンのツアーメンバーに抜擢されて有名になった人だね >>121
経済成長している時は、人に優しいんだよ
自分の人生にまだ夢がある
お前らみたいな生まれた時から死に待ちのニートには分からんわ 上記にもあるけど千里ニュータウンは階層のるつぼ。
全体の一割は戸建て庭付き。それはたいてい社長の息子。
自分のところには三和銀行やNHKの社宅もあった。
それ以外の貧民が団地。団地でも内風呂無いところが
あって銭湯通い。そこは後に後付された。台所やベランダ
に観覧車のゴンドラみたいなのがデン!って鎮座w >>121
昔は近所付き合いが濃密だったか
親が菓子折り持って隣近所には義理を果たしてる
お土産配ったり果物なんかも分け合ってたりしてたからな
団地なら尚更だな草むしりで集まって皆顔見知りだから
文句言うにも言いづらいだろ
引きこもりなんかいたなら今のようにそっとはしてくれなかっただろうな 当時の千里ニュータウンは意識の高いニューファミリーばかりだからそんなもんだろ >>121
>よく隣の部屋の人がキレなかったな
たまたま番組見てたよ
夏は窓開けて扇風機付けてたから迷惑だったと思う、でも鍵は開けっぱなし、お隣さんとの関係も密な時代だから楽器の音が聞こてこない時の方が「何かあったの?」と心配されてたとのこと >>2
その時代は中流な上に、千里ニュータウンは日本で初めての団地ができたところ
万博会場のすぐ近くで新しい街なよで建物も道もピカピカ >>55
昔の公務員は給料は安かったからな
奥さんも働かないといけなかった
まあ、現代の人間には考えられない事だから仕方ないだろう 所得制限で公営住宅に入れないから公団でしょ?
バイオリン習えるって中流の裕福寄りじゃないの
合格後藝大の寮に入ってたのも慎ましいよね 1968年生まれで千里ニュータウンで育ったなら中流だろう
よくそこから藝大に進めたな
周りはお坊ちゃんお嬢様ばかりだろう >>26
ウチの近所には電電公社(NTT)と地銀の社宅があったわ
どっちも外見は市営住宅と同じようなもんだった >>133
グロ
クソ動画の宣伝やめろ
クソ動画の宣伝やめろ
クソ動画の宣伝やめろ エレキバイオリンから、
音出さずにアンプにヘッドフォンつないで
練習できるな
今だったら、bluetooth で無線 正直、公営住宅のやつに団地っ子とか語らないでほしいわ
団地っ子は公団に住んでた人だけに与えられた特権 タワマン喜んで買ってる奴アホだよな
今なら一戸建ても買えるのに
騒音のこと考えたら一生マンション暮らしとかあり得んわ タワマン喜んで買ってる奴アホだよな
今なら一戸建ても買えるのに
騒音のこと考えたら一生マンション暮らしとかあり得んわ ワイ小学校の頃無理矢理BMX習わせられてたわ、毎週エキサイトバイクみたいなコース連れてかれてホンマ嫌だった。 確かに昔だから出来たこと
でも楽器代やら先生につく授業料とか大変だったろうな >>139
京都の堀川高校?
公立高校だけど全国レベルの音楽科があって優秀なら越境可で生徒集めてるところへ
葉加瀬は大阪から通って芸大
堀川高校は音楽に関してはトップクラス かぜひいたの?って嫌味だよね
うるさいっていいづらいから 今だってURは収入制限(下限)あるぞ
金持ちではないが公営とは違う >>4
ピアノは下手だけど音は一応プロと一緒
バイオリンは下手だと鳥が首絞められたみたいな音して地獄だと思うw >>149
環境のハンデを乗り越える才能があったということか
藝大入学後バイオリンを極める方向に進まなかったのは頂点は更に高いと自覚したのか単に関心の方向が変わったからか 今と違って団地によってはステータスだったろ
都内で立地いいとこあるし 昔のようにちょっとお金あるリーマン家庭とかが公団に入居して子供はピアノとかステイタスだった頃と違ってボロだとエレベーターないし市営や県営並みに変わり者多いし外国人も沢山いるから絶対入りたくない 昔は近所付き合いが濃厚だったしな
一戸だけばかりの地域だったが、近所で半年無職の人がいたときとかウチの爺さんが勤めてたところの子会社に職を紹介したりしてた
亡くなるころまで30年くらいお中元とか持ってきてたわ 才能だねー
普通の人はいくら練習しても子供の時からやってもこんなにうまく弾けない 新興住宅地の戸建も団地と呼ぶからまぎらわしい
ガチの団地は県営、市営の抽選式の低所得者層の住む
ボロ団地のこと。ナマポ、創価、共産党、在日比率が
高くてDQNが多い。 >>120
高田さんの親父は
家は田園調布だけど
ヤナセ(車)の社長だから
普通の富裕層って感じでしょ。
超という程でもない。 >>155
ステータスな団地もあったよね
でもそういうとこにはよほど運が良くないと入れない あー今では考えられないな
ピアノ習ってたけどうるさかっただろうな
周りはバレエとピアノ両方やってる子が多かった >>162
奥さんヤナセの社長の娘さんなのか
ヤナセってすごいアフターケアがいいね
メカの人の腕もいいし 戸建団地という単語自体は大人になって知ったが、関西だとそういう言われ方あまりしないせいか実感としてはピンとこないな
地域性とかあるのかな >>162
今となってはそのへんのクラスになってるが曽祖父くらいにはガチで大金持ちだったのよ、たしか >>153
ピアノも聞こえたら嫌だなー
夕方ならまだしも朝早くから弾くやついるし
朝6時とかには絶好調で弾いてたり
朝漁師町散歩してたら6時頃難曲をガンガン弾いてた
魚臭い海辺の一軒家だけど >>1
でも腕前は、かなり
優秀だったんだろうな。
裕福の家なら
小学校から藝大附属に入れて
音楽やらせたりするけど
市井から楽器やり始めて
一般枠からバイオリンで
藝大だから、大したもんだ。 漁師町の朝6時とかは普通の町なら昼みたいなもんだろう 葉加瀬太郎が初めて高田さんちにご挨拶に行ったときお父さんが猟銃の手入れしてた話すき >>169
高校は音楽科で有名な京都の堀川高校出身 >>1
でも、金はあったんだろうな。
ヤマハやカワイの音楽教室なら
教室に楽器が備え付けだが
バイオリンのレッスンなんて
自腹で楽器も買い替えたり
先生への月謝も高そうだしな。
小学生であっても
音楽コンテストはあるから
遠征費用もバカにならんだろうし。 音楽とか芸術はほとんど才能だもんね
才能ない奴がいくら頑張っても社会的には無駄
本人には意味があるけど >>167
では、血統が素晴らしいんだな。
高田万由子は予備校行かないで
東大入ってるから地頭もいいしな。
家庭教師は付けてたみたいだが。 昔は日中はうるさいのが当たり前、限度はあるけど
それほど親しくない人の家に電話をかけてもいい時間帯と、自宅や外ではしゃいでいい時間帯は一緒だった記憶が 公団と市営をごっちゃにしてるのが多いな。
葉加瀬の年代なら公団は中流やろ。
市営、県営は貧乏やけど。 >>120
葉加瀬が高田家に婿入りして高田姓になってるからな
旧姓の葉加瀬太郎は芸名になってる >>1
葉加瀬の親父さんは
町のレストラン(洋食屋)を
経営してたんだっけ?
日本で初めて〇〇した人、
みたいな飲食的な箔も
もっでたような。 >>181
高田万由子は東大卒なのと家が金持ちなのを自慢しすぎて干された
よって嫁の好感度はかなり低い >>180
大学時代に知り合った京都女子大で音楽やってた女は実家が金持ちで家の地下に練習室とかも作ってもらってた
その大学出てからもロシアに音楽留学とかいってて現地から手紙とかも貰ったが、まあ、なれてても音楽の先生とかだろうな >>183
うちは市営アパートだった
子供の頃は市営の意味がわからなくて
「シェイアパート」と言ってた 今の子みんな楽器習うとなると一家に1台電子ピアノだもんね
わざわざ金出してピアノレッスン通わせるくらいなら中古のアップライトくらい買えと クラシックや絵画は
日本だと道楽的に
見られちゃうし
食い扶持も少ないから
大変だろうな。 公団と公営って区別してなかった。B棟が貧民ぽくて、風呂無しも多々あった。
C棟D棟はそこそこ。桃山台の話。 >>192
風呂なし団地でも
当時はまだ銭湯があったが、
毎日行けた訳でも無いんだよな。
お金がない世帯は数日に一回とか。
団地の子供世代が成人する
90年台あたりから
ユニットバスが普及し始めて
かなり楽になってきたような。 >>195
まだ無いでしょ
ファミコン発売が1983年だから39年前だよ
今54歳で今年55歳になるなら高校生になってる >>194
そのユニットバスでガス漏れで死にそうになったよ
ギリギリ助かったけど >>193
葉加瀬 太郎、1968年1月23生まれ
ファミリーコンピュータ、1983年7月15日に発売
小学生ちゃうやん・・・留年してたんか? >>197
まだこんなところで迷ってのか・・・ご冥福を 公団と都営と一緒にしてね?
今だって公団は家賃高いよ!
公団のタワマンなんか保証人いらないしどこも一般のタワマンよりも競争率高いし
家賃高くてセレブしか入れないよ! URはそれなりに収入がないと入れないはず
礼金なしだから転勤族が使ってたりする 父親は有名ステーキハウスの支配人を任されていたらしいな 堀川高校音楽科
大野克夫 - 作曲家
葉加瀬太郎 - バイオリニスト
兼田敏 - 作曲家
佐渡裕 - 指揮者 (財)兵庫県芸術文化協会芸術監督
浅井敬壹 - 合唱指揮者 (社)全日本合唱連盟理事長 >>2
爆発的に増えてきた人口を一時的に押し込めるために作ったマンション群だからな
今は人口減少でだいぶ落ち着いてタワマンや一軒家も気楽に買えるようになって移り住む人が増えたから、大量のゴースト公団が現れてきて施設維持するために安売りで低民向けになってる 堀川高校から音楽科だけが独立して学校になっているな
堀川音楽高等学校
旭孝 - フルート奏者
稲本響 - ピアニスト、作曲家
岡田良機 - オーボエ奏者
兼田敏 - 作曲家
北村源三-元NHK交響楽団首席トランペット奏者、元日本トランペット協会会長
功刀丈弘(クヌギタケヒロ) - アイリッシュフィドラー
小泉和裕 - 指揮者
komaki - ドラマー (ex. wrong city/tricot)
佐渡裕 - 指揮者
島崎紗椰 - マルチアーティスト
清水信治 - アコーディオン奏者
東儀祐二 - ヴァイオリニスト、指揮者、音楽教育者
葉加瀬太郎 - ヴァイオリニスト、音楽プロデューサー
平林知子 - ピアニスト
風馬翔(ふうま かける) - 元宝塚歌劇団宙組男役
ボブ佐久間 - 作曲家、編曲家、指揮者
堀正文 - ヴァイオリニスト
萬谷衣里 - ピアニスト
南安雄 - 作曲家、編曲家、指揮者
渡辺剛 - ヴァイオリニスト >>206
佐渡しか知ってるのがおらん。あとは東儀ってのはあの宮廷音楽の東儀の一族か 隣の人、ギター半年でやめたっぽい
金曜夜弾いて土曜午前中に抱えてるの見た いまの若者が貧乏というけど
当時は老若男女が質素な暮らしをしていたわな。
ブイブイ言わせてたのは麻生太郎くらいよ。 >>211
スキーだクリスマスだって大騒ぎが異常だったね >>196
ああ、そうかも
家庭用のテレビゲームが幾つか
でてたから、そっちだったかも
当事は持っているやつの家に
皆んな集まったもんだ >>211
戦争を生き抜いた世代は質素だったと思う
戦後生まれの強欲さは異常、あれもこれも寄越せ!もっともっと寄越せ!だもん 中流だからガチクラシックの世界にいかずフュージョンへいった
カシオペアとかスクエアの後釜ね
それが葉加瀬が成功した理由 こんな顔でもバイオリンが人より上手かったおかげで成功して頭のいいきれいな奥さんもらえるんだもんな。
まさに芸は身を助く。 >>2
URのような公団は中流以上をターゲットにしてる収入審査も一般より厳しいよ
世間一般の団地は公営(市営、区営)のことだね。これだと底辺ばかり住んでる。 >>139
高校生の時にすでにバイオリン貸与されてるくらい将来を見込まれていたはず
>>167
質素なお小遣い制で育ったのに大学入学祝いでメルセデス買い与えられて「うちは貧乏じゃなかったのか」と混乱したとテレビで話してたね この世代の団地って最先端のニュータウンでしょ
若い夫婦がたくさん集まって作られた街 >>167
高田商会
まゆこの高祖父が佐渡島から出てきて武器商人として成功
金持ちだがそんなにお上品な家じゃない
まゆこの両親もゴニョゴニョ
ちなみにまゆこの母校は
在学時の素行が悪かったのと卒後の芸能活動が気に入らなかったらしく娘は落としたw 葉加瀬にバイオリンを習わせる費用を捻出するため住居費を節約していたのでは
なかったのだろうか >>217
URは審査もなけりゃ保証人もいらねえよ知ったかガイジ >>181
東大後期の入試方式変えた年に滑り込んだ
本来なら合格できてない
そしてこの改革でダメ学生が入りすぎた為
たった2年で入試方式は元の方法に戻されたw >>223
知ったかはお前
〈世帯で申し込む場合の基準月収額〉
・家賃8万2500円未満:家賃の4倍
例/家賃6万円の住戸の基準月収額は24万円
・家賃8万2500円以上20万円未満:33万円(固定額)
・家賃20万円以上:40万円(固定額)
〈単身者で申し込む場合の基準月収額〉
・家賃6万2500円未満:家賃額の4倍
例/家賃5万円の住戸の基準月収額は20万円
・家賃6万2500円以上 20万円未満:25万円(固定額)
・家賃20万円以上:40万円(固定額)
審査厳しいぞ? >>115
>>218
そうそう。当時の公団団地住まいは、
いまでいえばタワマン住まいよりちょっとだけ下、くらいの感覚に近い。
当時でも、公団住宅と公営住宅の差は大きい。 子供の時団地住まいだったけど一軒だけピアノの家があって小学生が毎日弾いてたけど、たしかに一度も問題になったことなかったな
むしろみんなで天才少年だなんだと持ち上げてたくらい
時代とは言え、今との違いはなんなのかね
みんな貧乏だったからかな? >>230
今は心が貧しいの、、、とか言われてるけどっ! 家庭の騒音とかもそうだけどパーソナルスペースなんかも随分変わったよね
今はコロナなくても電車とかでもぎゅうぎゅうに座るなんてあまりない
昔の映像見たら、昭和の50年代くらいでも電車でも町とかでも、他人同士もっとみんな体を平気で寄せ合ってる >>230
昔は住宅の防音性能が低かったからどこに住んでも生活音するのが当たり前だった
だからある程度音がしてもスルーする時代だったんじゃね
今みたいに防音性能が上がるとちょっとした音でもトラブルになるのかも 今ですら日本の住宅の壁は薄いとか西洋人にはよく言われるが、昔はもっとひどかったのかな >>235
夜になると毎日どこからともなく巨人戦のテレビ中継と夫婦喧嘩と何か炒めてる音がしてる団地だったな、確かにw
隣の親父がスナックでお痛したとか、借金発覚とか、プライバシーダダ漏れw >>215
しゃべりと特徴的なルックスと営業能力が突出してるからじゃないの?
同じジャンルで同等の技術を持ってる人はたくさん居そうに思えるけど差別化というかこの人にしかないウリを持ってる。 >>2
よくわからんけど昔は結構いたと思うで
バブルへゴーの前の時代は地方から上京組もわんさかおったしな いわゆる4〜5F建て団地タイプの公団住宅って日本全国北から南まで間取り一緒だから安心すらあ
三部屋バージョンと四部屋バージョンあるけど
ドアの向きにより間取りが反転対称するだけで 昔はライブで世界中で稼いでたからな。コロナでもまあ興行はあるだろうけど、昔ほどじゃない
からスタッフ食わせるのも大変なんだろうとは思うよ 今の虎ノ門ヒルズが嫁の実家の敷地なんだから
逆玉できてよかったな
嫁の父親に挨拶に行ったら楽器屋かって言われたらしいけど 当時はニュータウンの公団って割とステイタス高かったんだよ
毎度おさわがせしますだって舞台は多摩ニュータウンの公団
今じゃ不便極まりないけど団地に済むってのが一種の憧れに似たような感じだった >>231
布団叩きの音がうるさいって警察沙汰もあった。
えっ、そんなので?って大人が皆驚いていたから、今とは別世界だな。 >>250
今だと、ああ、確かに俺でも殺す、だもんなw 公団だったら賃貸じゃなくて分譲だろうから団地と言っても貧乏じゃないよね >>213
ブロック崩しみたいな「テニス」とかね。
今では考えられないけど、たった40年前か。 カセットビジョンで木こりの与作とかやってたな
中学受験の弊害になるからかファミコンとかは買ってもらわなかったが(特に欲しいとも思わなかったし)、受かった後に98を買ってもらってノブヤボとかランスとかやってた >>247
スラム 英映画社
https://youtu.be/cHry5vBkHs4
これ見るとなるほどなーと
この時代生きてみたかったわ 習い事をいっぱいさせてくれたってことだから
住んでるとこでマウント取らずに子供に熱心だったんだろうな
底辺なかんじは全くないね 昔は木造のボロ家ばっかりだっから、鉄筋コンクリートの団地は憧れの的だったのでは? >>8
それなりに上手だったんでしょ
下手くそなら、当時でもクレーム来てたと思うぞ >>238
若い時は鼻につく面もあったが、痩せてイケてたよ
デブになって成功したのはこの人とよく似ている鉄道写真の人ぐらいか
鉄道写真の人も昔は痩せていたらしいw 団地住まいは、とりわけ一番の憧れはダイニングがあって水洗洋式便所というハイカラな洋風建築。
ちゃぶ台出して、とかボットン便所からの脱却に憧れたもんだ。
星一徹もさすがにテーブルはひっくり返せまい。 公立学校でもDQNは決まってB棟の奴だった。
各階層のるつぼだったから、図らずも多様性は学べた。 ピアノに比べたら安いからなヴァイオリン
ミュートつければ音もある程度抑えられるし >>2
葉加瀬の時代は中流だったよ
日活ロマンポルノの名作に「団地妻昼下がりの情事」
ってのがあって、団地妻という言葉には羨望の響きさえあった この時代の団地住まいなんて中流中の中流だろ
意外とこの時代、ピアノとかバレエ習ってるやつ多かったな 今で言うURみたいなもん?
特別に貧乏というわけじゃないな UR住まいだけど、昔はピアノやってたり
ウクレレや三味線の音もしたし、最上階にはアンテナ出してるアマチュア無線の人とかもいた
今もCSアンテナ出してるは多いけど
ベトナム人も増えてきたのでそろそろ引っ越す >>5
それより前からハカセのほうが有名だったよ
結婚知った時、嫁が金持ち実家って知らなかったから、玉の輿やなーって思ったもん 昭和45年日本万国博覧会が行われた千里の辺りは元々、竹藪だらけだった ピアノより全然ハードル低いわな
10万で最低限新品で揃えられる 当時の団地の奥さんはみんな専業主婦だよ
今より貧乏なんてとんでもないよ
ちなみに当時の流行語:
「三食昼寝付き」「家付きカー付きババア抜き」
今の共働きでやっとタワマンを維持している人と果たしてどっちが豊かなのかな 高校は名門の堀川高校なんだな
千里から京都に通ってたのか
というか公立高校に越境入学できたのks 当たり前だろ
当時老人がそんなとこに住んでない
一日中家に老人がいたらそりゃ切れるけど
だいたいは女は家もしくはパートで子供が帰るまでに家にいる生活
いま老人がそこらじゅうにいるのがおかしいんだよ >>26
家に爺婆がいない、水洗トイレ、若い夫婦中心の家族で食事が洋風ってところじゃないか?
爺婆中心の世帯だと店で物を買うことに慣れてなくて衣服も繕って切るから貧乏くさかったとかもあるかも。 中国人だらけの現在の公営団地と別物やろ
家賃一万とかでスラム街一歩手前の危険な雰囲気あるぜ >>9
公団の団地は、結構な厚さの壁だから防音はしっかりしている。
今の安い賃貸マンションの隣の家の生活音筒抜けする薄い壁とは違うよ。 なんか昭和の時代は騒音とかに寛大で優しかったとか幻想抱いてる奴いるな〜
そんなことは全くありませんでした >>259
鉄筋コンクリートの団地の前に木造モルタルの平屋の長屋や木造の戸建ての公営住宅があった。
居住性は鉄筋の団地>戸建て>長屋みたいな感じ。
戸建て長屋はトイレも汲み取り、サッシも木製というレベル。
風が吹くと窓がカタカタ鳴るような粗悪さ。 >>284
戸建てでも夏はみんな窓全開だから隣の家が何のテレビ見てるかわかるレベルだったけどね。
夫婦喧嘩兄弟げんかも筒抜けだった。
寛大で優しかったというよりもそういうものだと思って他のほうが近いかもしれないけど。 ミツルの妹という環境下にあった栄子が
平均点取る可能性は皆無だったと思うねw
ほんとうにミツルは意地悪くてきついw 性格が悪いというより
とにかく比喩を理解しない人というのかw
いやでも直截で
すごく頭がいいと思う側面もあったのがミツルだねw 在日だから高田家の婿になったんだよ
本名は高田太郎 >>259
高度成長期の時代は庶民の憧れだったみたいよ >>1
芦田愛菜のファンだと言ってるのみてドン引きした >>290
平成に入るあたりまでは
ニュータウンの分譲団地に入居するってのははかなりのステイタスでした
もちろん女はみんな専業主婦 >>292
いや、そういうのとは感覚が違うんだよ
昭和30年代 当時、三種の神器と言われてた白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫と団地での新しい生活ってのが先端だったわけ 昔は中流だったのか…
貧乏な人が入る所だと思ってた 金持ちのお嬢って言ったって、高田商会って関東大震災で経営破綻した財閥
の一族の末裔ってだけで父親も零細中古自動車屋のオヤジだし先祖の残した
財産で食ってるだけの一族だよ >>298
もっと貧乏な庶民の書き込みだと思うと色んな気持ちがこみあげて来るなあ 貧乏関係ないだろ、会社潰してるのに、4代、5代後まで百億単位の金が残ってて
セレブ面してテレビ出てるとか、いろいろおかしいだろ >>298
自宅は売却したんだな
そこに虎ノ門タワーズいうのができたのか >>300
セレブ面がムカつくのか
たいしたことないくせにテレビ出て金稼ぎやがってとか?
叶姉妹にも腹立てるタイプか 中流より上だよな
小金持ちでも運良く抽選で当選した人でないと入居出来なかったし ヤマトとかゆうパックの宅配してる人が昔の団地はエレベーターがないから
階段で上り下りしないといけないので重たい荷物を宅配するのはしんどい
てぼやいてたな >>267
この時代はまだ月謝も安くて敷居も低かったからな
団地の一室でもピアノやバレエの教室開いたりしてたし、ウチの家族もそこに通ってた
今や、専門の防音スタジオでも無ければ教室開くのは無理やし、主婦とかが片手間にやるのは無理で
どうしても大手の教室に頼らざるを得なくなる
バイオリンも同様で、上の方にも書かれてたが大手のノウハウ叩きこまれるだけで
やはり集団の楽団の一員どまりのスキルに留まってしまう >>282
レオパレスかよwww
壁の薄さもゴミだが、住んでる人種もゴミで、コンポどころかイヤホンの音漏れくらいで
壁ドンされたという話もあるくらい防音糞やからな。楽器なんかとてもやないが無理 今では小学生が家で縦笛の練習しても苦情が来る
下校途中の歩道でも公園でも注意される
クレーム出すのは必ず年寄り 昭和の時代に団地って言うと中流かなって思うけど、大人になった今団地に住もうと思うと恐ろしいほどの下流だよね
世帯年収制限とか2度見しちゃったもん
これでどう生きていくんだって
東京だからかな >>277
堀川の音楽高校の方だよ
今でもそこそこレベルは高い >>311
昔住んでたとこどうなってるかぐぐったらリフォームして住民のレベルも今時の中流って感じになってた
団地っていっても分譲と貧困世帯のための賃貸物件は違うんじゃない? >>293
そうそう
団地って憧れの住宅だったんだよね 近所にいた同級生らが住んでるのがずっと団地だと思ってたら
中学生くらいになって丸紅と電電公社の社宅だったことが分かり
マンション住んでる自分のところの方が貧乏だと知った >>304
公営団地にエレベーターが付き始めた時代に
安く落札してシェアを伸ばしたのがシンドラーエレベータ >>309
昔住んでいた単身者用マンション一階が接骨院で、前の道路に朝6時から老人が待機してすごい大声で談笑していた
住宅街だから響くのなんの >>309
でも年寄りより氷河期ジジイのが要らない子だから バイオリニストって関西の人が多いね。
木嶋真優もそうだし、五嶋みどりやNAOTOもそうだし・・・ >>7
番組見た
昔の長屋みたいな感じの近所付き合いで鍵もかけないで平気な環境だったと言ってたよ
それで夜9時までと決まりがあって時々、弾いてないと「太郎ちゃん今日はどうしちゃったの?」と心配されたんだとか?
まあ、おおらかな時代だよ >>309
その年寄りは団塊世代だよな
子育て現役のころ散々近所に迷惑かけていたくせ
老害どもは自分達は許されて今の子供には許さないんだよな
あいつら公園で子供に球技を禁止させておいてゲートボールはやるからな 団地でも公団(今はUR)の団地だと分譲も高いし賃貸も家賃が高い
今も公団のマンションとかタワマンなんか民間のマンションやタワマンより家賃が高い
けど貯金額とか収入証明を見せれば保証人がいらないから空くとすぐ埋まる
でも団地でも都営とか市営とかだと安くなる
だから同じ団地でひとくくりにできない
葉加瀬太郎の場合は団地でも公団か府営か市営かどれかによる
府営や市営なら中流以下だし公団なら中流以上ってなる >>323
葉加瀬太郎がいたのは千里ニュータウン
約半分がUR(国の公団)、4分の1が大阪市の公団
4分の1が府営
たぶん公団だよ たぶん、もなにも、タイトルにも記事にも「幼少期は公団住宅育ち」ってあるやん・・・ 昭和40年代の公団なら中流だな。公営住宅かと思ったよ
てか昭和でも公営住宅なら楽器の類いは時間関係なく全部ダメだったよ。地域にもよるし公団だから許されてたんだろうってのもあるだろうけどね
公営住宅はそもそもピアノもバイオリンも持ってるやついねーんだけどw
習い事でバイオリンさせるってのも公営住宅じゃまずありえん。水泳がいいとこ バブル入ったくらいからか団地=貧乏ってイメージ付いたの 建物の耐用年数を超えてくれば価値がなくなるのは当然 >>327
もうちょい前かな
ちょうど昔からある公営住宅が平屋から集合住宅に建て替えが進んだのがバブル前の80年前後なんで公団(UR)もいっしょくたにされがちになった
バブルの頃は雇用促進住宅がタワマンみたいなのになったりして見た目で判断しづらくなってた 賑やかで人の声とかが溢れてた、しかもそれがごく普通だった時代 どっちの意味の団地もない地域で育ったから同じものだと思ってた
強いて言うなら、ドラマとかの創作の世界で「団地の子と遊んじゃいけません」みたいなのは目にしたから貧乏なイメージはあったな
それは市営とかのほうなんだろうけど。創作の世界で公団団地とかはあまり出てこない気がする。知らんけど あの当時は一流企業が団地(社宅)を持っていて若手社員が住んでた。 >>332
創作でもそれ目にしたことない
ネットでの真偽不明の体験談としてならある
長屋の子と(以下略)の改変じゃないかと思ってるんだけど バイオリンって団地でも苦情来ないの?
俺の家の周りではピアノ習ってたのは全員一戸建ての子だったわ。 公団団地と似た建物の構造だが
都営住宅、市営住宅は所得制限があって、生活保護受給者とか貧乏人しか住めなかった
公団団地と公営住宅は別物 >>334
まあ、前の時代の長屋なんかの代替的なものとして使われたんだと思う
何だったか忘れたが、昔の小説とかで、先生が家庭訪問とかに行って長屋で出されたお茶菓子は食べずの持ち帰って捨てて、それをそこの子が見てたなんて描写を見たのも思い出す 昭和47年。父は公団の抽選に2コ当選。一つは街中かつ美観地区でおむつが
干せないから、街外れのところに。
台所には隣のベランダに出るサッシに噛ますタイプのエアコン、もといクーラー設置。
ゆえに施錠ができない。でも3階だから無問題。
ステンレスのシンクも何気にハイカラ。水鉄砲よろしくな簡易水洗でなく洋式水洗。
2部屋は畳、1部屋は洋間。これもハイカラ。追い焚きの風呂。マッチで種火を
点ける。これも五右衛門風呂全盛だった時代においては画期的。 うっすら記憶にあるローラーのついた洗濯機
あれ、何に使うんうだろ >>1
団地の鍵っ子は下の上だろ
団地でも母ちゃんが専業主婦でやっと中の下 今のタワマンと団地って物理的に隔絶されてるけど、当時は一緒くたで。
団地の何が良かったかって欧風仕様だよ。ダイニングやら洋式水洗便所。
これに尽きる。 近所の子供はインターナショナルスクールに通ってるけど
学費のために切り詰めてるのか、住んでる家はURなんだよな この人超一流だよね。
何で高田と結婚したんだろう? 近所の同級生の女の子がいつも夕方ピアノの練習してるのが聞こえてきてた
しかもいつも同じところで間違えていた
今でもその曲を聞くと当時の光景が脳裏に蘇ってくる >>26
俺が行ってた小学校区は高級住宅地だったけど
その中にも団地あったけどほとんどは一流会社や銀行の社宅ばっかりだった
俗にいう市営団地みたいなのはなかった 団塊ジュニア世代の人口爆増に備えて狭小の土地に上に住戸を伸ばすっていう
建設技術が発達した結果が団地。今ならタワマンでそれなりにリッチな層じゃ
ないと住めないけど、当時は混在してたんだよ。ゆえに団地って響きでリッチと
思う人と貧民と思う人がいる。そこに一流企業の社宅も噛んでるから余計に。・ >>346
URタワマンはちょっと意識高い系が多い
古いURは中国人ばっかり >>348
あの当時フラワーアレンジメントとかそろばんとか英会話とかピアノとか自宅で教えてる主婦が割といたし月謝安かったので子供は通いやすかったよ 友達のお母さんがやってた英会話教室
まだ幼かったからそのお母さんをおばさんとかいっちゃってたけど二十代だったんだな >>26
この頃の公団住宅は公務員や一流企業の社宅が殆どで外見は団地と同じだけど
中は豪華だったからそう思ったんじゃないかな >>1
公団の分譲タイプの団地は、昭和40年代はステイタスだった。
従兄弟が千里ニュータウンの団地住みだったから夏休みに3日くらい遊びに行ったよ。
彼の父親は住友銀行の行員だから、今覚えばエリート階層になるんだけど10年くらい団地暮らししていたな。
その後、北摂に一戸建て住宅を購入するわけだが。
昔は東京も大阪も借家住みの人が大勢いて風呂無しだから、銭湯にいっていたんだよ。
だから、内風呂のある公団の団地暮らしはステイタスだった。
ワイはそんなかつてのステイタス物件の分譲団地を激安で買うたった!
しかし、市住や県住の団地と混同されてステイタスは皆無やw 昭和のころはホワイトカラーってだけで中級は間違いなかったしな
ブルーだって高卒だって普通に就職してればよほど正確に難でもない限り、30までにはみんな家庭を持ててた 団地ぐらしっていうと貧乏に思う人が今は多いけど、昔はちがうからねぇ。
親は自動車修理工場やってるが、全盛期はすさまじかったな。
会社にくる部品屋の普通の社員でさえクルーザーもってるという夢のある時代だったな。
今はクルーザーどころか軽自動車ですが。 1970年代の水洗便所普及率は五割超えてないはず。 風呂保有率も田舎のほうが高く
東京とか人口が多い地域は銭湯に通うのが普通だった。 >>360
地域格差が大きかっただろうからそうはいっても大都市周辺だともっとだったんじゃね
うちの前の家は1972築だったが阪神間だったしトイレは二つとも水洗だった 桃山台の某一流企業の団地社員寮にいたけど、転勤が頻繁にあるのと
早々に家買ったりで目まぐるしく入居者が入れ替わってた。
家買うのは緑地公園や豊中市とかが多かった。 団地って一億総中流意識にものすごく貢献してたんだよ。
金持ちも貧乏も、ぱっと見、似たような構造の団地に住んでて
識別がつかない。あぁ自分は人並みの生活を送れてるんだなって
貧乏人の勘違いが大きいかな?w >>357
昭和50年代半ばまでは、家に風呂無しトイレは汲み取りって珍しくなかったもんね >>282
レオパと比べるのはアレだけど、昭和50年初頭の新築団地でも床ドンされたりしたわ
そこまで激しく走ったわけじゃないけど、下の家は子なしカップルだったから気になったらしい >>366
うそだー
汲み取りなんてみかけなかったよ
テレビとかでは見たけど
60年代には周りの家もみんなテレビ電話洗濯機冷蔵庫あったよ
エアコンはなかった 水洗と洋式便器は普及にタイムラグあったから。
和式で気張って出すのに慣れてると洋式で用を足せないってね。
最初から洋式水洗だと田舎の親戚の家のボットン和式のトイレが
嫌で嫌で、排便を極限までガマンしたもんだなw ボットン便所は
カルチャーショックだったもん。昭和50年台初頭。 >>368
50年代でも家には全部あったが、エアコンは親の部屋だけでめちゃめちゃ文句言ったら昭和60年の夏にようやく俺の部屋もつけてくれた
今度は弟とかが文句言ってたが 一階は祖父母もいるから和式水洗、二階は親と子供の自分たちメインで洋式水洗だったな
最初は二階には風呂がなかった >>368
東京23区東部だけど平成入るあたりまでそんな感じだったよ
そして平成終わりまでガスはプロパンだった あの時代の千里の公団なら大阪全体じゃ上流の下の方か中流のトップ層じゃないか?
ただしあの辺は大阪の上流層が集まってるから、その中では中流かも 中流が多かったから中の上とかだけでもいろいろあった
祖父リーマン、父開業医だけど多分ギリ中の上
同じ学校でも家にエレベータある家とかあってあれが上だと思ったが、それも上でも上のほうじゃないとかそこの息子自身がいってた 自分が親しくなった中で一番裕福だったのは自宅に電話したら「お嬢様ですね?少々お待ちください」って家政婦らしき人が応答してその後すげえ長いことどこか小走りするパタパタって音がして何分かしてその友人が出たっていう
他の子から聞いたらびっくりするほど大きな屋敷に住んでるお嬢様だった子
分譲とはいえ団地育ちとはレベチ 当時の分譲団地は若いエリートが住む場所で今のタワマンに当たる >>377
タワマンてことはないが普通に中流階級の住宅だな
人口激増してた時代だから都会は一戸建て供給がおいつかなくて
公団が集合住宅を用意した まだ風呂なしの木造アパートが普通だった時代内風呂がある団地は画期的だった あの年代の男子がバイオリンを始めるきっかけなんてしずかちゃんのパンツしかなかろう >>378
中流といっても上場企業のサラリーマンが多かったと聞く
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